1:出来レースの始まり
『人々は自分の幸福よりも他人の不幸を望んでいる』
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「あー、疲れた」
俺、つまり遠武優は自分の部屋のベッドに寝転んだ。
今日はクリスマスイブの土曜日。
パソコンのマウスが壊れたのでカップル蠢く街に新しいやつを買いに行った結果がこれだ。
現代を代表する”幸せな人々用のイベント”を直視したせいで、体力以上に精神力を根こそぎ持って行かれてしまった。
「眠い……。一時間だけ寝てからネトゲしよう……」
俺は美人のサンタのお姉さんに貰った試供品のグミを口に入れると、そのまま現実逃避のように眠りに落ちた。
★
いつの間にか俺は夢を見ていた。
それはあまりにも現実感に満ちていて、今の自分が夢を見ているのか、それとも今までの自分が夢を見ていたのかわからなくなってくる。
視界の正面には地平線。
俺はどうやら崖の上に立っていたらしく、崖下の地面が蠢いている。
(いや、違うな)
蠢いているのは地面じゃない、人だ。
西洋風の鎧やローブ、それ以外にもゲームにでも出て来るような装備に身を包んだ人々が大地を埋め尽くしている。
数えるのも嫌になるぐらいの、とんでもない人数だ。
「いよいよですね」
いつの間にか、俺の横に美女が立っていた。
年齢は俺よりも少し年上に見える。
長くて綺麗な青髪に、ゲームのソーサラーやマジシャンなんかが来ているような派手な服装をしている。
強調された体のライン、そして大事なところの露出具合。
正直言って、目のやり場に困るとしか表現が思いつかない。
「ディオンドラか」
俺は声の方向に視線を向けると、何かの単語を口にした。
状況から見ると彼女の名前だろうか?
ただ……。
(体が勝手に動く……?!)
俺はここでようやく、自分に体の自由が無いことに気がついた。
(これ、もしかして夢か? いや、それにしてもリアル過ぎるだろ……)
果たしてこれは夢か、あるいは現実か。
横の美人さんに視線を向けたのも、彼女の名前を呼んだのも自分自身の意志じゃない。
まるで自分視点のVRでも見ているみたいだ。
夢である方向に判断に傾きつつも、確証までには至らない。
「我らか、あるいは彼らか。この戦いの勝者がこの世界の覇者。……しかしもはや戦力差は明らかです。ユウ様の手を煩わせるまでもないでしょう。彼らの犠牲を持って、ユウ様にはこの世界の皇帝となって頂きます。もちろんステラ様にはその皇后に。そしてその暁には、わ、私もぜひユウ様の側室に……」
「今度ステラに相談してみるよ」
俺は苦笑いし、知らない色白の美人さんの顔が急に赤くなった。
「ステラ様とは出来ないような変態プレイだって私がいくらでも……、はっ!……失礼しました。少し、取り乱してしまいました。……でっ、では、また後ほど!」
そう言うと、青髪の美人さんは紅潮した顔のままでそそくさと俺の背後に行ってしまった。
行方を追いかけたいが、俺の体は前を向いたままで言うことを聞いてくれない。
「ユウ……」
背後からは別の女の子の声。
今度はさっきよりも若い感じだ。
俺は美少女の予感と共に、金縛りが解けたかのように振り向いた。
その鮮やかさにもかかわらずわがままに自己主張しないピンク色の髪。
それは透き通るような白い肌と華奢な線と共に可憐さを際立たせる。
俺の理想をそのまま体現したような、もしかしたらそれすら超えるような美少女がそこにいた。
「ステラ」
「いよいよだね」
「ああ」
「……行こう? 大丈夫、私達ならきっと」
俺よりも頭半分ほど低い身長の彼女が、静かに胸に飛び込んできた。
ゆっくりと、しかし俺が受け止めるのを確信しているかのように。
彼女の柔らかい感触が確かに伝わってきたことに俺は唖然とした。
(これは……、現実なのか?)
美少女は俺の胸に顔を埋めるようにして抱き着いた後、少し上目遣い気味にこちらを見た。
「私も……、最後までユウと一緒にいるから」
二人の視線が合う。
なぜだろう、目を逸らせない。
いや、逸らしたくない。
名も知らぬ美少女が目を閉じて、唇を差し出す。
そこにある確かな存在感。
二人の距離がゆっくりと近づいていく。
そして――。
夢か現実かも定かでない時間は、二人の唇が触れる直前で終わった。
★
俺は知らない空間に立っていた。
金属とも陶器とも違うような物質で構成された大きな部屋、広間と言った方がいいかもしれない。
俺はその中央に、刃がガラスで出来たような剣を両手に持っている。
もちろん体の自由なんて効かない。
(これは……、夢なのか?)
そして周囲にはおびただしいほどの獣達の死体が転がっていた。
確かな現実感と非現実的な状況。
俺はこれが夢か現実か判断できなかった。
――ちょっと待て、これは獣じゃない。
スケルトン、ゴーレム、ミノタウルスにケルベロス、あるいはなんと呼ぶべきかもわからないような化け物達が屍となって大量に転がっていた。
冷静に考えればこれは夢だとしか思えないし、実際に体の自由だって殆ど効かない。
俺は観客となって自分の目線からこの光景を見ているだけだ。
だがこれが夢だと否定しきれないほどの強烈な現実感もまたそこにある。
「強いな……。圧倒的に、そして絶望的に」
正面にいた特に大きな個体が口を開いた。
まだ息はあるが、傷だらけで満身創痍だ。
二足歩行の山羊のような漆黒の体、コウモリのような大きな羽。
どう見たって普通の生物ではない。
――悪魔。
そう呼ぶのが相応しい気がした。
俺は答えることも目を背けることも出来ず、ただその悪魔の姿を見て、その言葉を聞いているだけだ。
「ユウ=トオタケ。『厄災』の生み出した新たな修羅か……。持っていけ。たった今からお前達がこの世界の……、神だ」
その言葉と共に漆黒の悪魔が崩れ落ちた直後、俺は再び意識を失った。
★
(固い……。)
寝床の固さで俺は意識を取り戻した。
閉じたまぶたを通して陽の光が目に入ってくる。
俺は背中に感じる寝床の固さから逃れようとして体を横にした。
固い。
ベッドとは思えない固さに内心で毒づく。
多分ベッドから転げ落ちたのだろうと思って片目を開いた。
「……んー?」
目の前の光景に目覚め掛けの意識が思考停止する。
視界に入ってきたのは人工物など何もない平野だった。
……何を言っているんだ、俺が寝ているのは自分の部屋のはずじゃないか。
俺は現実から目を背けるためにゆっくりとまぶたを閉じる。
「……はぁ!?」
ガバッ!
脳みそが正常な意識を取り戻した。
思わず飛び上がるように体を起こし、慌てて周囲を見渡す。
目の前には何もない平野、後ろには密林と言っても過言ではないほどの森。
「いやいやいや……。」
周囲には誰もいない。
だが突然の事態についつい独り言が漏れた。
意味が分からない。
自分の部屋で寝たと思ったら、いつの間にか何もない野外にいた。
本当に意味が分からない。
一体何が起こったのかわからなくて銀の戦車が飛び出しそうな勢いだ。
もしかして王様的でクリムゾン的な現象が起こってしまったんだろうか?
……いや、マジでなんだよこれ。
「どこだよ、ここ……。」
改めて周囲を確認する。
視界に入る全てが自然、人工物は田舎道らしきものすら存在しない。
俺は混乱と共に途方に暮れるしかなかった。
★
かつてサルトルという男は言ったそうだ。
まず第一に理解しなければならないことは、自分が理解していないということである、と。
歴史に名前を刻むようなやつはやはり言うことが違う。
そういえばソクラテスも似たようなことを言っていたはずだ。
確か無知の知だったか?
とにかく、この時の俺は自分の身に何が起こっているのかをまるで理解できていなかった。
もし許されるなら、俺はこの頃の自分を全力でぶん殴っているだろう。
重要なのは『俺が最も重要なことに気が付いていなかった』ということだ。
――自分が冥府行きの切符を持っていないということに。
――敗者として脱落することは認められていない、その現実に。
勝者の決まった出来レース。
これがその始まりだった。