ヘンリクセン四兄弟の日常
「しょせん人は自分の事しか考えない、身勝手な生き物だよ」
リビングで宿題をしていた三男坊・ケネスが唐突に呟いた。
その言葉は本当に唐突に紡がれ、何がきっかけで、どういった流れで、何故そんな結論が出てくるのかという「過程」はものの見事にすっ飛ばされていた。
「んー、そうかなあ」
隣で読書をしていた末っ子のレナードが、ケネスの方を見た。
「僕はそうは思わないけど。みんな優しいし」
「優しい人だって誰にでも優しいわけじゃない。相手によって使い分けてる時点で人を差別してるんだよ。それで優しいフリして影で悪口言ってさ。そもそも優しさなんて自分を良く見せようとカッコつけてるだけだろ。これを身勝手と言わずに何というんだよ」
――――――ああ、これ反応しちゃダメなやつだった。ケンのいつもの悪い癖だ。
うんざりと言わんばかりにレナードはため息をついた。
反抗期特有の「厨二病」。難しい単語はよく分からないけど、以前他の兄が「ざっくり言うと年頃になると何もかもにケチを付けたくなる病」だと教えてくれた。
面倒臭い上に迷惑な病気だ、とレナードは思う。そして自分もケネスくらいの歳になったらそんな病気にかかっちゃうのかと考えると嫌気がした。嫌だ。ああはなりたくない。
「あ、そうか」
不意にレナードはあることを思い当った。そして兄に向けるものとは到底思えない、目いっぱいの意地悪な表情で憎たらしく笑った。
「ケンって友達いないもんね。そんな性格だから誰もやさしくしてくれないんだよ」
「なっ」
予想外の反論にケネスは面をくらって言葉を詰まらせた。
「結局ケンは自分が優しくされないから拗ねてるだけじゃん。いーい? 世の中の人たちは人のために何かしようとか、困ってる人を助けようって気持ちをちゃんと持ってるもんだよ? ケンがそれを分かってないのは自分に優しくしてくれる人がいないから。で、してくれる人がいないって事はそう、ケンに優しくする価値がないってことだ」
「おい、待て、どうしてそうなるんだよ」
今にも食ってかかりそうなケネスを相手にしても、レナードはひるまない。
「言い返せなくなると暴力? それって僕が正しいって言ってるようなもんじゃん。ま、兄ちゃんならアイザックやジョシュアがいるんだし、何でもかんでもケチ付けていじけてるだけのケンなんて何の価値があるの? そんなの嫌われて当然じゃん」
「ってな感じでさ、ケンったら何も言わずに部屋に逃げちゃったんだよ!」
台所で夕食当番をしている次男・ジョシュアの元に手伝いに来たレナードが楽しそうに言った。
「僕知ってるんだ。ケンって中学校じゃ友達いないんだよ。無理もないよねー。あんな性格じゃ」
ジョシュアは鍋の中のお玉をグルグルとかき混ぜながら目線だけレナードの方を向けた。
何故この子は賢いのに、平気で人を傷つけることを言うのか。さすがにこれではケネスが気の毒だろう。
ここは兄としてきちんと言い聞かせるか。ジョシュアの心に強い使命感が生まれた。
「あのなあ、レン。お前、ケネスの事嫌いか?」
「まあ好きじゃないのは確かだね」
なんの悪びれもなく即答。そして悪意を感じられない無邪気な笑顔。
「だってなんにでもケチ付けるし、ひねくれててつまんないもん。あんなのと友達になりたいって人なんているわけないじゃん」
「だからと言って何を言っていいわけじゃないだろ」
ジョシュアはコンロの火を止めてレナードを睨み付けた。普段見せない兄の表情に、レナードはびくりと身構える。
「今はたまたま友達がいないだけで、あいつにはあいつのいい所はいっぱいあるんだぞ。なのにどうしてお前は止めを刺すようなことを言うんだ」
「だけど、本当の事だもん。本当の事を言って何が悪いの?」
「本当の事、か」
ジョシュアは二度目のため息をついた。
きっとレナードの中では自分の中で様々な価値基準がしっかりしているのだろう。
なので、自分の考えにそぐわない、理解できないものがあると、まるでそれが「悪」であるかのように徹底的に叩く。
「じゃあ、質問をちょっと変えよう。お前はケンに「本当の事」を言う時に、少しでもケンに対して意地悪をしてやろうという気持ちがなかったって誓えるか?」
「う、それは、その」
「たとえ本当の事でも、相手の弱みに付け込む言葉はただの意地悪だ。お前はそれを分かっててケンにあんな事を言ったんだ。それは人として恥ずべき、最低の行為だ」
「全く。レンの性格はどうにかならないのか」
夜。帰宅したアイザックがリビングに入ると、ソファの上でぐったりと寝転がっているジョシュアの姿があった。彼はアイザックを見るや否や疲れ気味にそうつぶやく。
「なんだそれ」
というかなんで帰宅したての俺より疲れてるんだ。
半分呆れながらジョシュアを見下ろすと、本当に気の毒に思えてくるほどぐったりしていたので、アイザックはそこに突っ込むのはやめた。
「で、何があったん? レンは」
「結論だけ言うと癇癪起こして散々泣かれた」
「はぁ? お前、レンに何やったんだよ?」
アイザックの見解では、レナードは明るく人懐っこい子だ。よほどの事がない限り激しく泣いたり怒ったりしない。
「実はさ」
ジョシュアが事情を話し始める。事の始めはレナードがケネスを小馬鹿にしたこと、そしてそれをレナードが得意げに話してくるので嗜めたら不機嫌になったこと。最終的には泣き出したこと。
「レンはどうにもケンに対して冷たいんだよな。ケンはまあ、学校でもあれらしいからいろいろ心配で」
「レンは? レンの事は心配じゃないんか?」
「え? そりゃ人間の好き嫌いがちょっと激しい所はあるけど、あれくらいの歳ならあんなものだろ」
「そこだ」
アイザックが呆れ気味にため息をついた。
「ジョシュア、何でレンがお前にキレたの分かってる?」
「そりゃ説教したからに決まってるでしょ」
「あー、こりゃ分かってないわ、お前」
ジョシュアは気づいていない。正論にこだわるあまり、相手の感情という単純で不確かな面を見落としているという事を。
そしてその不確かなものであっても、そこには理由がきちんと存在しているという事を。
「レンはまだ子供。お前にしてみれば正しい事を言っているつもりでも、あの子にしてみれは話をバッサリ切られて否定されたあげく、ケンの肩ばっかり持つからそこが気に喰わなくて拗ねてるんだよ」
「なっ! 別にそんなつもりは」
「そんなつもりはなくてもレンにとってはそうなんだよ。お前がケンばかり心配するからレンは剣を嫌うし、お前に気に入られようと甘えたがる。その上で正論だけ押し付けるから悪循環するんだよ。お前の方が大人なんだから、その辺もうちょっと見抜いてやれよ」
翌朝六時。まだ空が白い時間にケネスはジョギングウェアに着替えてリビングに降りると、すでにアイザックが朝食の支度をしていた。
「おはよう、ケン」
声はしっかりしているが、アイザックは妙に疲れ切っているように見えた。
「おはよう。どうしたの?」
「何なん、お前らの人間関係」
アイザックの言葉にケネスは眉をひそめた。いきなりそんな事言われても困る。
「ジョシュアから散々お前らの愚痴を聞かされたんだっつーの。俺もそんなに家にいないから把握してないけど、お前とレンってそんなに仲悪いん? いや、別にそれはいいんだけど、変な問題起こしたり空気悪くするのは勘弁な。ったく、ジョシュアの奴、あんなに愚痴っぽい奴だとは思わなかった。聞かされるこっちの身にもなれっつーの。何が悲しくて野郎の愚痴を延々と聞かなきゃいけないんだよ。こっちはサークルと論文で忙しいんだっつーの。疲れて帰ってきた途端にあれだしさ」
うわあ。
ケネスは、露骨に嫌そうな顔をしながらそっぽを向いた。
アイザックは基本、大ざっぱで決断が早い。そして状況の呑み込みも早く、的確な判断を下せる。そういう意味では兄弟で一番頼りになるのだが、自分の持論が一番正しいと思い込む力も兄弟一。そういう所もあってか、自分の考えを語り始めるととにかく長い。
「大体ジョシュアはケンにもレンにも過保護すぎるっつーの。昨日はああは言ったもののもうちょい適当でいいと思うけどな。変に正論かざすからややこしくなるというか。ぶっちゃけはいそうですねーって流しておけばいいのに。めんどくさい性格というか、なんというか。立ち回りが下手なんだよ。そのくせ愚痴っぽい所が女々しいしさ。それさえなきゃいい奴なんだけどなあ。ケンもそう思うだろ?」
ここでイエスと答えるのが正しい流れなのだろう。だが、ケネスはその流れを受け入れる気など全く起きなかった。面倒臭いと思われようが、この兄の主張に流されるのは何となく気にいらない。
「言ってる事がブーメランだよ、アイザック」
「へ?」
「こっちに愚痴られても困るってこと。それも分からなくなるくらい疲れてるなら、今日は休んだら?」
ため息を一つ付くと、アイザックが反論する前にケネスはすたすたと玄関の方へ歩き出す。
そして玄関扉脇に用意しておいたジョギングシューズに履き替えるとそのまま外へ出て、再びため息をつく。
「ほら、やっぱり人は自分の事しか考えない身勝手な生き物じゃないか」
自分の考えが正しかったと確信すると、ケネスはゆっくりと走りだした。