02 厚かましくも
いわゆる霊能者と呼ばれるモノの中で、最も信用されにくいのが降霊術師だと、五年前のある日、ぼくの親友が呟くような小さな声で言っていた。ぼくが霊視じゃないのかと聞くと、次のような説明をぽつぽつと話してくれた。
降霊術師とは、文字通りの意味なら「あちらからこちらへ霊を連れてくる技術を持った人」である。しかし降霊術は「術」と付くようにあくまで技術であるため、正しい手順を踏めば誰にでも出来るモノだ。日本人なら想像しやすいだろうか、お盆はその最たる例である。
では降霊術師が普通の人と違うのは何か。それは正しい手順が必要か否かである。降霊術を技術ではなく能力として行使できるのが降霊術師なのだ。例えば誰もが仏壇の前に供物を置き線香に火を点け手を合わせと手順通りに儀式を行っているうちに、降霊術師はひょこっと現れてひょいっと霊を降ろしてすっと去るということができる。
さて、霊が視えると主張する人ならともかく、普通の人がその様子を見た時、どちらの方が「霊を降ろしている」という印象を持つだろう。およそ全ての人が前者だと答えるはずだ。降霊術は技術としての知名度が既にあるため、それをせずに霊を降ろせるということがイメージできないのである。
一方で霊視は技術ではなく、単に視えるだけという能力であるため、手順が必要というイメージが無い。どちらもできるという証明が不可能なモノだが、その差の分降霊よりも霊視の方がまだ信用されやすいのだ。
と、親友の説明はここまでである。霊の視えないぼくにとってはどちらも眉唾だと言ったら、親友は「そうかもね」と応え、困ったように笑っていた。
一節小依の名が全国に知れ渡ったのは、ちょうど五年前のことである。今でも多少の風化はあれど、人々の記憶に残っているはずだ。いわゆるオカルトや超自然現象と呼ばれるモノに多少なりとも興味のある人ならば、彼女の名を聞けばすぐに「ああ、あの人ね」という顔をするに違いない。
しかし彼女は、降霊術師であることが信用されて有名になったのではない。そりゃそうだろう、たった今信用されにくいという説明をしたばかりだ。
彼女は元々、全国的にはそうでなくとも地方的にはそこそこの知名度があった。というのも一節の家が古くから続く霊能者の一族だからである。五年前、その限定的だった知名度にどこかのテレビ局が引っかかり、彼女に出演依頼を出した。家族は止めようとしたのだが、彼女はその性格に重大な欠点を持っており、あっさり受けてしまった。そして……。
「出演した番組が散々に叩かれ、一節小依は家族を放置して失踪した。それが五年前の九月の末のこと」
ぼくの説明をハクロは黙って聞いている。
「その失踪事件が有名になっているんだ。ニュースになったからね」
ぼくの記憶にはまだ当時のニュースが残っている。件のテレビ局のニュース番組が一番大きく騒ぎ立てていた。
「あの人の性格は知っているつもりだけれど、たかだか信用されなかっただけで失踪するかは確信が持てない。ただ時期が被ったってだけで、失踪した理由はテレビ番組とは無関係かもしれない。そんな証拠は何もないけどね。家族に対する置き手紙も無かったと聞いている」
「ふむ……」
ハクロは首を逸らして、ふにゃ、とあくびをすると、真面目そうな顔をしてこちらに向き直った。
「その降霊術師がマダムってことか?」
「お前……今の話聞いてたか? 一節小依は人間だ。カタツムリじゃない」
「でもおんなじ名前なんだろ? で、あんちゃんは同一人物の名前を指していると思っている」
「まあ、そうだけど……」
かといってヒトがカタツムリになるなんて超常現象は見たことも聞いたこともない。辛うじて知っているのは、カフカの『変身』くらいだし、それだってフィクションだ。現実でヒトが別の生物になるなんてことがあったら、最早そちらが歴史的大事件になってしまう。
……と、まあ冷静になってみれば、ぼくの頭は目の前に喋る猫という超常現象を置いて何を暢気な考察をしているのかという話になるのだけど、それとこれとは別だ。今見ている超常現象と見たことがない超常現象とでは、考慮する優先度に天と地ほどの差がある。
「もしマダムがその降霊術師じゃねぇなら、おいらにはその話関係無くねぇ?」
ハクロにそう言われてしまうと、ぼくはもう困るしかない。
「んー……なら、そのカタツムリはぼくとも意思疎通できるか?」
会って会話することさえできれば、少なくともあの人とどういう関係があるのかが分かるはずだ。ハクロの言うようにカタツムリが一節小依ならよし、そうでなくとも失踪した彼女を見つけるヒントにはなるかもしれない。五年も前の行方不明者だが、一節の家ならどんな小さな情報でも欲しがるに違いない。
「知らねぇ。おいらだって今どこにいるのか分かんねぇし、もし意思疎通できたとしても連れていけねぇよぅ?」
「そうか……」
つまりそのカタツムリとは、現状ではコンタクトが取れないということか。それほど期待したわけではないが、少し残念ではある。
とはいえ、今更という気がしないでもないんだよな……。ぼく自身は彼女に会いたいと思っているわけでもないし、彼女を見つけ出したいと思っているわけでもない。五年前に一節の家が分家まで総動員して(警察を頼らない辺りが霊能者一族らしいといえばらしい)捜しても見つからなかった彼女。何故見つからなかったのか、何故今頃手がかりが現れたのか、そして何故それがぼくの手元にあるのか。
一節小依がカタツムリに自らの霊魂を入れたとか、ハクロを喋る猫に変えたとか、ぼくがそういう「彼女が何かをした可能性」を考えないのは、一節小依がただの降霊術師であると知っているからである。降霊術師はあくまであちらからこちらへ霊を連れて来るだけ。その霊に肉体を付けるなんてできないし、誰かに宿らせることも、自身が霊になることも、もっと言うと連れてきた霊をあちらへ帰すことすらできない。彼女が信用されなかった理由にも繋がるのだが、まあ、これで信じろという方が無理な話だ。
何かぼくが想像していることと違う真実があるのだろうか。例えば霊も視えないぼくには知りようがない何か。五年の間に彼女が何かできるようになっただとか、何かされただとか……。
「んん~……よく分かんねぇけどよぅ。何にせよあんちゃんが知ってる名前なら、これも運命なんじゃねぇの?」
ハクロの声に我に帰る。
「また運命信仰かよ」
「うっせぇな、いいだろそれ以外においらの頭にゃ納得する方法がねぇんだから……」
ぼくは嘆息してメガネの位置を直した。運命で喋る猫の存在が説明できるならそもそもこんなに悩まない。
「……どうするかな」
「んん~……?」
「いや、本家に言うかどうか……」
カタツムリの名前が失踪した一節小依と同じ名前で、情報ソースは喋る猫……大丈夫だろうか、ぼくが病院に入れられたりしないだろうか。頭が痛い。
「やめといた方がいいんじゃねぇの?」
「ぼくもそんな気がするけど……」
かと言ってぼくの中だけに秘めておくような話でもない。本家にとってはどんな小さな情報でも喉から手どころか二の腕まで出るほど欲しいだろう。だからこそ扱いに困る。
ふと、親友の顔が脳裏を過り、消える前にぼくの耳に小さく囁いた。本家の中でも信用できる相手に言えばいい、と。まあ、大仰な表現をしても要は閃いたってだけなのだが。
ぼくのことを知る相手ならぼくの話も信用してくれるかもしれない。変人の多い本家に、そうそう信用できる相手がいないのもぼくにとっては残念なことだが、しかし親友を除いて一人だけ、互いによく知っており信用できる人間がいる。一つ難点があるとすれば……信用できることと仲が良いことは別だということだろうか。
「…………」
黙ってハクロの背をさわさわなでる。ハクロは身をよじってぼくの手から逃げた。
「んん、くすぐってぇな……なんだよぅ」
「いや……」
あいつに電話するだけで、ハクロをなでていないとぼくの心が持たないだろう。それぐらい致命的に仲が悪い。というか、ぼくが一方的に苦手意識を持っていて、相手はそれが気に入らないらしい。それが互いに分かっているから、一人暮らしを始めてから一度も電話していないし、向こうからかかってきたこともない。
「……いつか連絡しよう、うん」
「おいらには関係ねぇけど、それでいいのかよあんちゃん」
「多分、問題ない。いつか言うなら、少なくとも本家に対して義理は立ってるはず。あ、いや、正式に死亡扱いになる前じゃないとダメか。それはその前に言うとして」
でもまあ、なるべくなら早めに済ませてしまいたいという気もする。嫌なことを後に残しておくと、ずっとその嫌なことを憂いながら過ごすことになる。
「だからといって今日でなくともいい……今日はハクロの風呂で疲れたし」
「そんなに疲れるんなら、やらなきゃいいじゃねぇか」
「そうはいかないことはさっきも言っただろ」
ハクロの小さな頭を軽く叩こうとすると、ハクロはそれより先にぼくの手の届かないローテーブルの下へと潜っていった。そしてわざわざぼくの方に向き直り、んべっ、と下を出す。
「あんちゃんが触ってくるのが鬱陶しい」
心底嫌そうな顔をして生意気な事を言うハクロ。テーブルの天板が作る陰から金の目が鈍く光って可愛い。
「そうかよ、不快な触り方はしてないはずなんだが」
「触り方がエロい」
「……エロくはないだろ」
少し自信がなくて返事が遅れたが。
「ぞわぞわってする。なんか、危険だって感じがする」
「それは猫とヒトとじゃセンスが違うだろうからぼくには分からないけども」
生物的な感覚なら猫の方が鋭いだろうなとは思う。でもぼくはそれを汲み取るほど遠慮がちな性格をしていない。そんな性格だったらそもそもハクロを家に入れないだろうし。
「触られたくなければ、ここに棲みつくのを諦めればいいだろ? そうすれば風呂もしなくて済む」
「あんちゃん、いい性格してるな……そんだけ煽りグセあんなら友達いないんじゃねぇの?」
猫にいい性格してるとか言われた。余計なお世話である。
「煽りグセは自覚してないでもないけど……」
「友達はいるってか? ホントかよぅ」
「……そういう発言ができるってますますハクロは猫っぽくないな」
ところどころ猫らしい無頓着さはあっても、やはりヒトの目線の発言が多い。猫は喋れるようになるとセンスもヒトに近くなるのだろうか。それともマダムというカタツムリにそう仕込まれたのか。考えるほどに謎は増えていく。
「あんちゃん」
ハクロがローテーブルの下から何かを欲するような声を出す。いわゆる猫撫で声だとは思うのだが、ヒトが出すそれと違い、ハクロの猫撫で声は物欲しげな印象が露骨だった。
「何、腹減ったの?」
「んん~……それもだけど、そこのクッションよこしてくれ」
「ねこまんま用意してやるから、クッションは自分で好きなところに持って行け……」
猫は猫でいい性格をしているらしい。