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ハクロハクロネコ  作者: 同心円
1/2

01 喋る猫

 バイトから帰ると、郵便受けに猫が入っていた。

 あ、いや、待った。もうちょっと一つずつしっかり説明する。ぼくはこういうたぐいの説明がどうも苦手で、つい結論から先に言ってしまう癖があるらしい。ネタバレもいいところ、面白味もくそもありゃしない。

 バイトというのは、商店街のペットショップの店員だ。高校生でも働けるということで、ありがたく働かせてもらっている。職場環境も良好、この上なく働きやすい。難点といえば動物の匂いが付くことくらいか。

 帰るというのは、ぼくの住むアパートにである。諸事情によりぼくは一人暮らしをしているのだ。

 郵便受けは文字通り、ぼくの部屋の前の郵便受け。これは流石に言うまでもない。

 猫はしかし、この場合に限っては、郵便受けに入っていたことを除いても、かなり特殊だった。


「おう、あんちゃん。おいらを家に入れてくれよ」

 今しがた郵便受けから転がり落ち、すたっと華麗な着地を見せてくれた黒猫にそう言われ、ぼくは固まる。やっと口から絞りだせたのは「……は?」という驚きと呆れの混じった音だった。

「んん~……だからよぅ」

 艶やかな毛並みに傾いた陽光を反射させ、細くしなやかな四肢を見せつけるように伸びをする猫。目を閉じてヒゲを揺らすその小さな動きさえ優雅で、ずれたメガネのブリッジを押さえてずっと眺めていたいほどだ。

 猫が伸びをやめてぼくを見上げる。

「おいら、世話になる家さがしてんだ。あんちゃん猫好きだろ?」

「……いや、そんなことはない」

「うそこけ。おいらを見る目がさっきからなんかエロい」

「流石にエロくはないだろ……猫好きは認めるけどさ」

 世話になる家という言葉に厄介事を警戒し、咄嗟に嘘を吐いたが無駄だったらしい。ぼくが分かりやすいのか、猫がさといのか……は考えるまでもなく前者だろうけど。

 それにしても声帯の作りがそもそも人と違う猫が、言葉を話すというのはどういうことなのだろう。猫が口を開くたびぼくの耳に届くのは、どう聞いても日本語だ。猫の様子を見るに、言葉の意味も全て理解して話しているようだし。

 また、黒猫にはこちらの言葉も通じているらしい。つまり、完全に意思疎通が可能ということになる。なんだこいつ気持ち悪い。

「猫好きは認めるが、喋る猫は範疇外だ。一般に喋る猫のことを猫とは呼ばない」

「はあ? 意味わかんねえ」

「口で負けそうになった不良みたいな反応すんな」

 ……そういえば口で負けそうな不良って実際どんな反応するんだろうか。適当に言ったが、思えばぼくはそういう人種に会ったことがなかった。勝手なイメージで比喩に使うのは良くなかったかもしれない。……とは微塵も思わないが。

「なあ、わかんだろ? おいらにとっちゃここに住めるかどうかは死活問題なんだよぅ」

 こてん、と猫がぼくを見上げたまま小さな首を傾げる。可愛い。

「簡単に言うが、猫一匹飼うのにどれくらいのコストがかかると思ってるんだよ」

 さっきも言ったように、ぼくはペットショップのアルバイトをしている。ペットを飼うノウハウは多少知っているつもりだ。特に猫は。

「おいらには関係ねぇ」

「人の苦労を知れ……猫」

 わがままにも程がある。

「あ、おいらのことはハクロって呼んでくれよな」

「なんで既に親しげなんだ」

 ハクロって白なのか黒なのかどっちかにしろよ、というか黒だろお前は、というツッコミは意味がないだろうからさておき。住み着く気満々の猫に、ぼくはだんだんとイライラしてきた。

 いや落ち着け相手は猫だ、らしくないぞ、ぼく。よく見れば可愛い、よく見なくても可愛い、金目の黒猫なんてぼくの好みそのままじゃないか。野良の割には怪我が無いし病気持ちにも見えないし、骨格が曲がってる様子もない、極めて健康な個体だと思う。名前があることも合わせて考えると、以前は野良ではなかったのかも知れない。耳がぴこぴこするたび、しっぽがくるんとなるたび、いちいち目を引く。黒猫の毛は何故こうもなまめかしいのか。

 ……イライラはどこいった。

「…………」

「おーい、あんちゃん?」

 どうしよう、褒めるところしかないんだが。もちろん人の言葉をしゃべるのは気持ち悪いが、それを忘れそうになるくらい金目の黒猫は魅力的だと思う。

「おいっ!」

 不意に、黒猫が跳んだ。ぼくの胸元に飛びかかるようにして。

「わ、と……」

 とっさに抱えると、腕の中で猫が満足そうにぼくを見上げる。抱き心地最高、体温とわずかな重みが上着越しに腕に伝わって幸せな気分になる。毛に顔をうずめてもふもふしたい。手が空かなくてメガネを外せないのが地味に悔し……ってダメだ、いちいち思考が脱線する。

「こんだけ懐いてて、言葉分かって、可愛いおいらを」

 自分で言うか。

「普通の猫と同じコストで飼えるチャンスは今しかねえぞ」

「一人暮らしの学生が、普通の猫を飼うためのコストを継続して払える訳無いだろ」

 ぼくが言うと、猫はんん~と唸った。

「けどよぅ、おいらはあんちゃんの言葉が分かるからある程度コスト減らせるんじゃねえの? 普通の猫だったらしつけから始まることも、おいらだったら一言喋るだけで全部なんとかなるぜ?」

 置いてもらうためにおいらもなるべく協力するしな、と猫は鼻を鳴らした。それは確かに多少のコスト軽減にはなるだろうけど。

 そういえばトイレとか教えるのも苦労するとはよく聞くな。ちなみにペットショップで相談された時は大体最終的にシッターさんを紹介して終わる。しつけはペットショップの仕事ではないのだ。まあそんな精神面のコストの話をしているわけじゃないか。

「そもそも、なんでぼくの部屋なんだよ。住み着く家を探すだけなら隣の部屋でも、どこか別の家でもいいだろ?」

 至極根本的なことに思考が及び、腕の中の猫に問う。猫は問われて耳をぴこっとさせ、すぐさまきょとんとした表情になった。

「……さあ?」

「さあ、ってな……」

 呆れた応答である。

「そこに理由がないなら『死活問題』なんて表現は出ないだろ。ぼくに断られても他の家に行けばいいんだから」

「んん~、やっぱ大げさだったかも? でもおいらは目に付いた入りやすそうな郵便受けに潜り込んだだけで、それがたまたまあんちゃんという猫好きの部屋だったってわけだ。もうさ、あれじゃねえの、運命のめぐり合わせってやつ」

「開けなきゃ入れないし、入ったら閉められないだろ、適当な事言うな。ほら、そろそろ降りろ」

 疲れてきた腕を開くと、猫はやはり音もなく華麗に着地した。

「入れたんだから仕方ねえだろ? ま、その辺はおいら自身もよくわかってなくて、入りたいなって思ったら入ってたんだよな」

 それは一体どんな超常現象なのか。この時点で既に運命で片付く段階じゃないと思う。……まあ、普通に考えれば誰かが入れたってことになるが、誰が何の目的で、この喋る猫をぼくに押し付けるのかがわからないんだよな。厄介払いが理由だとしても猫の話にも他人が登場しないのがおかしいし、そういう意味では少なくとも猫の知る人物が猫をぼくの郵便受けに入れたのじゃなさそうだけども。それはそれとして。

「猫でも運命とか信じるのかよ」

「んん~……おいらはあるんじゃねえかって思ってっけどよぅ、他の猫は知らねえな」

 つくづく変な猫である。猫同士で話したり……はするわけないよな、猫の鳴き声で表現できることじゃあせいぜい数種類が限度だろうし。

「運命信仰なんて、猫がするもんか」

「言葉を喋るヒトの特権ってか? おいらに関しちゃその限りじゃねえんじゃねえの?」

「ぼくに聞くなよ」

「だよなぁ。わからないもん同士で言い合ったところで何が得られようかってな」

 変な猫ではあるが、話すうちに最初ほど気持ち悪く感じなくなったな。ハクロの口ぶりがまるで昔からの知り合いと話しているようだから、それにあてられてぼくまで変になってしまったのかもしれない。あ、ほら、たった今名前で呼んだし、もう間違いなさそうだ。

 いろいろ分からないことが多すぎるのだが、どうでもいいと思い始めているのはぼくの猫好きが悪いのだろうか。ぼくは堪らず嘆息する。

「あんちゃん、ため息つくと幸せが逃げるぜ?」

 ハクロが座りながらよくある励ましの言葉を口にした。

「幸せなんてとっくにトンズラしてる」

 割とさっきの抱っこで補充できた気もするけど、それは言わないでおく。代わりに最終確認の意味も込めて問うてみる。

「なあハクロ、どうしてもぼくじゃなきゃダメか?」

「ダメだな」

 ハクロはどこか嬉しそうな口調ではっきりと即答した。

「その理由は?」

「おいらがあんちゃんを気に入ったから」

 ……猫に気に入られるのは単純に嬉しいが、残念なことに目の前にいるのは猫ではなく喋る猫だった。

 そもそも、ぼくは今まで猫に近づかれたことがなかった。バイト先のペットショップでもケージを倒さんばかりに寄ってくるのは犬だけで、猫はむしろ怯えたようにじっとこちらを見据えながら後ずさりする。抱き上げると暴れもがいて必死にぼくの腕から逃れようとする。ぼくはこんなにも猫が好きなのに、猫はぼくのことを恐怖の対象としか見ていないらしいのだった。その寂しさを、この喋る猫で紛らわすのも悪くない。

 ぼくはもう一度嘆息して、ハクロに合わせるようにしゃがんだ。

「……分かった、入れてやるよ」

 生憎とぼくはこういった変なモノとは多少縁がある。それが一つ増えたところで何ら問題ない。……という理由付けで一先ず納得しておくことにする。

「おう、ありがとな。んでよろしく、あんちゃん」

「ああ、よろしく」

 こうして、ぼくは喋る黒猫を自分の部屋に住まわせることにした。


「おい、あんちゃん、まさか……」

 洗面台に張った湯を縁から見下ろし、ハクロが戦慄くような声を出す。

「まさかってなんだよ」

「住まわせてもらうからにはあんま文句言いたくねぇんだけどよぅ……おいら、風呂はヤだぜ?」

 ぼくの顔を見上げ甘えるように言うが、残念ながらぼくにはその手のアピールが通じない。玄関先でハクロは既に『コスト削減に協力する』と宣言したのだから。

「そうか、可哀想に」

 実に可哀想だ。自分の嫌なことを強要されるなんて。

「目にせっけん入ると痛ぇし水飲んじまうと苦ぇし……あんちゃん今、可哀想って言ったか?」

「言ったよ。ハクロには残念なお知らせだけれど、住むからには風呂は絶対だから」

 可哀想であることと、救われるべきであることはイコールではない。どれだけ可哀想な目に遭っていようと、助けてもらえると思ったら大間違いだ。まあ、可哀想かどうかも、救われるべきかどうかも、どちらも主観的な評価なので当たり前と言えば当たり前なのだが。

「まじかよ……」

「仕方ないだろ、部屋中土だらけ埃だらけにされちゃ掃除がいちいち大変だ。今日は無添加の石鹸で済ませるけど、明日からはちゃんと猫用シャンプー買ってくるからそこは安心していい」

 ヒト用の石鹸は何が猫に悪いか分かったものじゃない。無添加の石鹸なら、少なくとも余分なものが入っていないから害にはならないはずである。

「まあ、観念して洗わせろ。目と口は石鹸が入らないようにぎゅっと閉じてろよ」

「来て早々おいらのお色気シーンかよぅ! わぶ、やめ、やめろお!」

 猫の風呂がお色気シーンになるもんか、そんなものはオールカットだ。


 ハクロの風呂を終わらせて、ドライヤーをかけてやる。

「気分はどうだ?」

「……さっぱりした」

 問うと、ハクロは悔しそうに小声で言った。最初は嫌がっていたのに、今はぼくに撫でられるままになって温風にあたっている。大人しくて可愛い。ハクロの洗ったばかりの黒い毛は、冷たいが滑らかで撫で心地がよかった。乾いたらもふもふしたい。

「素直でよろしい」

「ヘンタイめ……」

「猫の身体を洗っただけで変態呼びとか意味が分からん」

 飼育員とか、そういう職業の人は皆変態という理屈になるだろう。そんなことを言えば流石にいろいろなところから怒られる。

「ん、そういやあんちゃん、名前なんて言うんだ?」

「今更かよ」

「しかた、うわぶ、けふ」

 ハクロがぼくの顔を見ようとしてドライヤーを正面から浴びた。ドジが可愛い。

「仕方ねぇだろ、おいらだって住むところ得られるかどうか、切羽詰ってたんだからよぅ」

 確かにそんな風ではあった。何を焦っているのか不思議なくらい、と思うのは猫とヒトじゃ感覚が違うからだろうか。

「名前はふう漆間うるしま封だ」

 猫相手に名乗るという、人生初めての経験だった。というか、猫に名乗るって響きがすごく寂しく聞こえるのはなぜだろう。……気にしないことにした。

「ふう、ね。ふうあんちゃん……語呂悪ぃしやっぱあんちゃんって呼ぶか」

「何故名乗らせたんだ……」

 名乗りの部分が無意味だった。ドライヤーを終えたので頭をわしゃわしゃっと撫でると、ハクロは「うあぅ」と悲鳴を上げた。

「ってて……つか呼び辛ぇんだよぅ。ため息吐いてるのとどう区別付けるんだ?」

「さあ……? それはぼくに聞かれても困る。名付け親はかなりいい加減な人だったし、特に考えていなかったんだろうな」

 いい加減な性格の割に孤児院では慕われていたのだから、子どもとは相性がいいのかもしれない。一緒になって遊んでいたりするし、いたずら好きだし、口より先に手が出るし……単に感性が子どもなだけに思えてきた。

 名付けの理由が、確かぼくが初めて孤児院に入って名前を聞かれた時に「ふう」と答えたから、だったんだよな。それで「風」ではなく「封」を充てる辺り何か拘りがあったのかもしれないが……やはりあの人の考えることはいちいち幼くて分からない。

「名付け親?」

「文字通り名前を付けてくれた親だよ、ハクロにも名前がある以上いるんだろ? それと同じだ」

「ん? んん~……」

 ぼくが説明してやると、ハクロは唸るような声を出しながら前足で顔を擦り始めた。おい、たった今ぼくが洗っただろうが。

「……んじゃおいらの名付け親はマダムか」

「なんだその怪しいやつ」

「怪しくねぇよぅ? マダムって名前のことなら、呼んでんのはおいらの勝手だし。おいらの恩師を悪く言わねぇで欲しいな」

「それもそうか。じゃあそのマダムっていうのは何者なんだ? 猫か?」

 猫ならば是非会いたい。ハクロの恩師と言うならば、ハクロと同じようにぼくに怯えないかもしれない。

「猫じゃねぇなぁ……んと」

 ハクロはそこで言葉を止めた。

「どうした?」

 促すと、ハクロはまた顔を擦った。

「でんでんむしだな、マダムは。名前は……ひとふしこより、って言ってた」

 不意に、ぼくの思考がシャットダウンする。

 ……今、有り得ないことを聞いた気がする。有り得ない名前を、聞いてはいけない名前を聞いてしまった気がする。まるでぼくの説明する時の癖のような、ネタバレもいいところ、面白味もくそもない、そんな名前を。

「……は?」

 あまりのことに硬直したぼくの口からは、ハクロが初めに言葉を話した時と同じ音しか出なかった。

「だからでんでんむしだって」

「いや、そっちじゃなく……」

「んん〜? ひとふしこより、か?」

 再びその名前がハクロによって声となりぼくの耳に届く。こんな珍しい名前が、そう何人もいないだろう、それに、人ならまだしもカタツムリが名乗った名前だと言うならば、それは間違いなく彼女の名前に違いない。彼女の名前は、偶然で名乗るモノではないのだから。

 一節ひとふし小依こより。ぼくの縁戚で、親友の母で、雇い主の妻。そして、全国的に有名な降霊術師である。

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