魔獣の森の青年
魔女様は、子供のように泣きじゃくる私をずっとあやしてくれた。
さんざん泣いて泣いて、先ほど飲んだ水が全部流れてしまったのではと思うくらい泣いてから、やっと私の涙は収まってくれた。
落ち着いたところで、今度はは湿らせた布で体をやさしく拭いてもらった。
私はまるで本当に小さい子供に戻ってしまったみたいだ。
何も自分ですることができず、されるがままになっていた。
そして気がついた時には、すっかり着替えまで終わっていた。
「ほら、これでもうキレイになった。もう大丈夫よ」
「……はい」
涙声で返事をすると、魔女様は笑って「いい子ね」と言った。
そしておもむろに立ち上がると、部屋の入り口へ顔を向けた。
「さて、ずいぶん時間がかかっちゃったけど、向こうはどうなってるのかしらね?なんだかいい匂いがしてくるけど」
「いい匂い?」
私は泣いてたせいで、鼻が詰まってしまっている。
魔女様が様子を見て来るからと言った時、まるで見計らっていたかのように部屋の外から声がかかった。
「もってきた、りょうり。いいか?はいる」
「ジルバー。料理はアタシが作るって言ったろ?アンタは病人食を作れないだろうに」
魔女様がすだれを持ち上げると、先ほどの青年が両腕に料理が乗った器をいくつも載せて入ってきた。
今気づいたけれど、革の手袋で手をすっぽり覆っている。
さっきはどうだったろうか、寝起きだったからか、よく憶えていない。
私がそんなことを考えている間にも、彼は魔女様と話しながらテーブルへ器を次々に並べていく。
「大丈夫。つかった、やわらかいほうほう」
「柔らかいだけじゃダメなんだよ。胃腸が弱っているんだから、最初は固形物は控えないと」
「にれば、やわらかくなる。あじもでる」
「だから固さの問題じゃないんだけどねえ……」
魔女様がつぶやきながら料理をのぞき込み、私もベッドに座ったままそれを見る。
テーブルいっぱいに、できたての料理が次々と並べられた。
野菜や肉がごろごろ入っている茶色いシチューに、小さめの野菜が入っている白いシチュー。そして何も入っているようには見えない透明なスープがある。
他にも、小皿に盛られた白い何かと、コップに入れられた湯気の出ているものがあった。
「ふうん。全部食べられなくはない、か。やるじゃない。でもやっぱり、今日のところはスープだけね。それと、これはリンゴかい?よくもまあここまで細かくしたもんだね」
魔女様は感心したように頷いて小皿を手にとった。
「きってきって、つぶした。どうぐすくない、しかたない」
彼はそう言って、魔女様に木のスプーンを渡す。
魔女様はそれを使って一口食べると、「わるくないかも」とうなずいた。
「それとこっちのコップの中身は……リンゴの果汁?どうやって温めたの?」
「つぼにいれて、つぼごとをおゆに、あっためた」
「なるほど湯煎したのね。考えたじゃない」
魔女様はひどく感心したようで青年を褒めた。
それからもう一度料理を見渡してから、私へ向き直った。
「ノイン、さっきも言った通りスープだけなら飲んでも大丈夫。あとこのリンゴもいいわ。自分で食べられるわよね?」
「はい、できます。ありがとうございます」
テーブルへ向かうためにベッドから立ち上がろうとすると、右足に強い痛みが走った。
思わず顔をしかめると青年がすぐに駆け寄り、顔を覗き込んできた。
「大丈夫か?」
「うん、平気。少し痛かっただけだから」
差し出してくれた右腕につかまって、びっこを引きながらもイスまでたどり着いた。
イスは少し高めで、そのままだとつま先立ちになってしまう。
伸びた右足がすこし痛いと思っていると、青年が部屋から出ていき、すぐに木の板を数枚抱えて戻って来た。
それを足元に置いて、足が伸びきらない高さに調整してくれる。
ちょうどいい高さになったのでお礼を言うと、彼は満足そうにうなずいた。
「へぇ、今日のジルバーは随分とかいがいしいじゃないか」
そう笑う魔女様に、青年は憮然と返す。
「まじょよりも、うれしそうにする。だからだ」
そんな彼の様子に、魔女様はとても楽しそうに笑った。
ちょうどいい機会だと思ったので、私はさっきから疑問だったことを魔女様に聞いてみることにした。
「あの、こちらの方はジルバーさんというんですか?」
「そういえば紹介してなかったね。そう、こいつの名前はジルバーっていってね、こんな森の奥にひとりで暮らしてる不審人物さ」
「ふしんじんぶつって、なんだ?」
「気にしないでいいわ。それよりもあなたからも名乗っておきなさいな」
クスクス笑う魔女様に首をかしげながらもジルバーは私の前まで来て、そしてなんと片膝をついた。
「おれはジルバー。いろいろあってこの森にきた。よろしくたのむ」
「あの、はい。私はノインと言います。よろしくお願いします」
片膝をついて見上げてくるなんて、以前大きな街でやってた劇でしか見たことがない。
しかもそれは、勇ましい勇者様が美しいお姫様への愛を歌う場面だったから、私はとても動揺してしまった。
どうしたらいいかわからなくなり、慌てて立とうとしたところをジルバーに押しとどめられる。
「れい、いらない。いまはげんきが、たいせつ。まず、ちからつけろ」
そう言って私にスプーンを握らせてくる。
「でも、私だけでこんなに食べるのは、その……」
「まだむこう、ある。おれ、まじょ、とりぶんもってくる。気にせずたべろ」
ジルバーは微笑んでから立ち上がり、部屋から出て行った。
フードの下から微笑みかける彼の目は、とても優しく力強かった。
そしてキレイな灰色の髪の毛が、少しだけ見えた。
あの灰色の髪に光が当たると、きっとキレイな銀に輝くのだろう。
私はいつかそれを見てみたい。
ジルバーが消えたすだれの向こうを見て、ここのほかにどんな部屋があるのか想像する。
こんな料理を作れるくらいだから、炊事場はかなりしっかりしているだろう。
彼の部屋はいったいどんな風になってるだろうか。
そんなことをいろいろ考えている間に、彼はすぐに戻って来た。
両腕に2脚のイスと小さなテーブルを抱えている。
イスのひとつを魔女様へ渡し、テーブルを隣り合うように並べてから、また部屋を出て行く。
小さな3つの鍋と平たくて大きいパンのようなもの、そしてコップに入ったリンゴ果汁がテーブルの上に並べられた。
「よし、たべよう」
ジルバーは両手胸の前で合わせる。
私も同じようしたところで、はたと気がついた。
魔女様の前で、神への祈りはしない方がいいのではないのだろうか?
私たちの国では主に福音聖教が信仰されているが、魔女様はその教会からは異端視されている。
私たちハンターの大部分は福音聖教の信者ではあるけれど、魔女様のこともまた信頼している。
自分の信じるものを森の中と外とで都合よく使い分けていることに、魔女様に対して罪悪感のようなものを感じてしまう。
私が祈りの言葉をためらうが、ジルバーはそれに気が付かないように小さく一礼した。
「いただきます」
そう言い終わるとすぐに、自分の分の皿をとって食べ始める。
そして味に満足したように、上機嫌でバクバクと食べ進めてた。
「いただきます」
横から聞こえた声は魔女様のもの。
彼女もまた胸の前で合わせていた手を離すと、すぐに皿とスプーンを持って食べ始める。
スープを一口すすると目を見開いて、「おいしい!」と小さく叫んだ。
「ジルバーあんたすごいのね。こんなに美味しい料理は食べたことないわ」
「くろうした。しお、さとう、もらうの、たいへんだった」
「確かにあんたじゃ大変でしょうね。あ、ノインも食べなよ。すごく美味しいからさ」
「え?あ、はい。いただきます」
魔女様に促されて、私もお皿を手に取る。
お皿もスプーンも以前より重く感じたが、スープをすくうだけなら問題はなかった。
具も何も入っていないスープを一口すする。
ただのお湯のようにも見えるそれは、しかし口の中にいくつもの味を感じさせて広がっていった。
「美味しい。何もないのに、お肉の味がする」
「それ、いちばん、じかんかかった」
「へえ、どれどれ?……うん、これも美味しい」
「これ全部ジルバーさんが作ったんですよね?すごいですね」
「じかん、あるから。あとたのしい」
そう言ったジルバーの顔は、笑っているのになぜか寂しそうに見えた。




