悪夢の終わり
薄い鉄板で作られた無骨なカンテラ。
それが力任せに無理やり曲げられて、丸められている。
傘はゆがみ、ガラスは割れて飛び出し、うかつにさわれば怪我をする。
そんな物が私の右のふくらはぎに、かじりつくように突き刺さっていた。
野外での活動に向いた、丈夫な生地で作られた長ズボン。
それに金属の塊が、深々と食い込んでいる。
これは何?なんでこんなことに?どうして?どうしよう。
熱を持った痛みが這い上がってきて、それが脳を麻痺させる。
疑問の言葉が次々浮かぶが、どれにも答えがでないまま消えていく。
ドクン、ドクン、ドクン。
うるさいくらいに打ち付ける心臓の音に合わせて、体中を痛みが走る。
痛い、立てない、動けない。
とにかく、これを、外さないと。
倒れたまま、ふくらはぎに刺さっているそれを両手でつかむ。
それだけで、足から頭まで痛みが走る。
「あっ、ぐっ」
歯を食いしばって引こうとするが、力が入っているのかすらわからない。
それなのに痛みだけが強くなる。
うまく呼吸ができない。
痛くて、苦しくて、涙が出てくる。
ゆっくりとやるから痛みが続くんだ。
思いっきりやれば、大丈夫。
根拠のない思いつきに従って、息を止めて両手に力を込める。
「うんっ、ぐぅ!」
骨に響く痛みとともに、足に刺さった塊が大きく動いた。
「~~~!!!」
無事な左足も使って、一気に右足から引き剥がす。
塊は勢いよく足から外れ、私は反動で転がった。
そして、その衝撃で走った激痛に再びうめく。
異物はうまく足から外れたけれど、私は痛みでそれどころではなかった。
ハンターになってから初めて、いや、生まれて初めての大きすぎる痛みにあえぎながら、半ば無意識に傷口へと手をのばした。
傷口が熱い。
ぱっくりと裂けた傷が熱を持っている。
何も考えられないくらい痛い。
うっかり指が触れたせいで、さらに痛みが走る。
触れた指を顔の前まで持ってくれば、それはべったりと赤い血に塗れていた。
やっぱりこんなに血が出ている。
こんなに血が出たら、大変ではないか。
涙でかすむ目で足を見れば、さっきまでカンテラの残骸が刺さっていた場所に、赤いシミが大きく広がっていた。
そしてそれは、見る間にどんどん広がっていっている。
あれ?これはとってもマズイんじゃないだろうか?
そうよ。呆けている場合じゃない。
馬鹿だ馬鹿だ、私はバカだ!
カンテラがあれだけ深く刺さっていたのだ、大きな血管を傷つけていないはずがない。
それを何も処置せずに抜いたなら、そこから血が溢れてしまうに決まっているじゃないか。
何か縛るもの……紐はどこにあったっけ?
そう疑問に思う前に、ベルト代わりに腰に巻いていた紐を引き抜く。
そして考える前に、右足の付け根をしばっていた。
ハンターとして仕込まれた応急処置。
何も考えられないくらいの状態なのに、手が勝手に動いてくれる。
頭のほんの片隅で、教えてくれた人たちへ感謝する自分がいる。
そして、その人たちが、私に言う。
まだだ、それでは不十分だと。
締め付けが緩いと、全身の血がそこから出て行ってしまう。
例え足を捨てることになったとしても、命を捨てたくないのなら、もっともっと強く締めろと。
痛くて、辛くて、苦しいけれど、私はその声に従って、紐を絞る両手に力を込めた。
痛い、痛い、痛い。
その痛みが傷のせいか、紐のせいかはわからないが、足の流血は収まってきているように見えた。
大丈夫?
私は助かるの?
諦めてはだめ、とにかく生きようしなければ、生き延びれない。
深呼吸して落ち着こうとする。
とりあえずズボンのシミはもう広がっていない。
たぶん。
すぐには動けないけれど、もう少し休んだら小屋へ戻ろう。
まだまだ処置が必要だし、休むのだったら外よりも小屋の方がいい。
と、そこまで考えて、そもそもなんで私はこんな状態になっているのかを思い出した。
そしてそれと同時にそれが、私から炎の光をさえぎった。
顔をあげるとそこには、
「あはぁ」
醜悪に笑う熊の魔物の顔があった。
その光景に息がつまり、「ひっ」と情けない声がもれる。
死が、私の目の前にいる。
いやだいやだ。
私はまだ死にたくない。
せっかく生きられると思ったのに、なんでまた死と向き合わなくちゃならないの。
もう私の覚悟はどこかへ行ってしまっている。
希望が見えてしまったせいで、暗い未来が怖くてしかたがない。
私は生きたい、なんとしても生き延びたい。
足はもう動かせない、でもなんとかしなくちゃ生き残れない。
なにかないかと服のポケットに手を入れると、固いものが手に当たった。
そうだ、これは今日ここへ来ることになった理由、落し物の小刀。
役に立つかはわからないけど、とにかくこれでなんとかしなくちゃ。
私はポケットからナイフを取り出したが、それを構える前に魔物が動いた。
見えてはいるが反応できない速さで、丸太のような足が振りぬかれた。
それを止めることもできずにまともに胴体に受けて、私は再び宙を舞った。
私は受け身もとれずに地面を転がり、何回転もしたあげくうつ伏せになって止まる。
小刀はどこか途中で落とした。
蹴られた胸が痛い、縛った足が痛い、すりむいた手が、顔が、全身が痛くてしかたがない。
私はもう、動けない。
視界の隅に、こちらへ悠々と歩いて来る魔獣の姿が見えている。
嫌だよ、怖いよ。
お父さん、お母さん。
お祖父さん、ゼクス兄さん、アハト兄さん。
妹ちゃん。
私はもう、無理みたい。
体から力が抜けていく。
なんだか、すごく眠くなってきた。
体が熱い。
痛さと熱にうかされて、私はゆっくりと目を閉じる。
重い足音が近づいて来るのが聞こえる。
それは私の死の足音。
でも私はまだ死にたくない。
私はまだ、パーティーのみんなに謝っていない。
ここで私が死んだら、彼らは自分たちのせいだと思うだろう。
そこまで長い付き合いじゃないけど、それくらいはわかる。
家族だって悲しませたくないし、他にもたくさんの人たちにお世話になってきたんだ。
ここで死んだら、みんなにサヨナラさえ言えない。
死にたくないよ。
「だれか、助けて」
『ウオオオォーーーン』
私のつぶやきに応えるように、森の奥から遠吠えが聞こえた。
薄目を開けると、魔物がうろたえたように辺りを見回しているのが見える。
そして、どこか遠くからガサガサと木々をかき分けるような音が聞こえてきた。
魔物は急に自分の背後を見た後、私へ向かってすごい勢いで駆け出してきた。
そして私のすぐ目の前の地面を抉るように蹴りながら、一目散に走り抜けていく。
そのまま森へ飛び込むと、木々をバキバキと折りながら逃げて行った。
もうハンターが来てくれたのだろうか。
たまたま近くにいたハンターが先ほどの緊急の狼煙を見て、猟犬を従えて来てくれたのだろう。
薄っすら開けた視界の先で、森から誰かが飛び出てくるのが見えた。
その人はすぐに私を見つけたようだ。
もう、大丈夫だよね?
私はまとわりつく眠気に身をゆだねるため、ゆっくりと目を閉じた。