魔獣の森の
◇
窓の隙間から差し込む光で、私は目を覚ました。
「ふああ」
あくびをしながら起き上がるけれど、今日はなんだか頭がはっきりしない。それでものんびりとはしていられないので、伸びをしてからベッドを降りた。
昨夜はあれからかなり遅くまで酒盛りが続いた。
騒いでいたのは主に魔女様だけだったけれど、お父さんもジルバーもかなりのペースでお酒を飲んでいた。
二人とも交わす言葉は少なかったけれど、お互いに張り合うようにどんどんコップを空けていく様子は、なんだか微笑ましく思えた。
私はそれまで飲んでいた分で十分酔っていたみたいで、フワフワした気持ちのままそれを見て笑っていたのは憶えている。
そういえば、自分の足で部屋に戻った記憶がない。
たぶん途中で眠ってしまって、誰かが運んでくれたのだろう。
壁に触れながらキッチンへとたどり着くと、中では昨夜の配置のまま、魔女様とお父さんがテーブルに突っ伏して眠っていた。
二人とも背中に毛布がかけらている。そしてその手にはまだコップを握りしめたままだった。
二人を迂回しながら窓へと近づき、ゆっくり開いて外の光を入れる。
今日は快晴のようで、朝のさわやかな空気がキッチンの中に入り込んできた。
「あふ、ノイン、おはよう」
そんな声に振り返れば、寝ぼけまなこのジルバーがキッチンに入ってきたところだった。
「おはよう、ジルバー。今日もいい天気みたいよ」
「そうだな。しばらくははれがつづきそうだ。きのうは、うるさかっただろう。ノインはよくねむれたか?」
「まだちょっとだけ眠いかな。ジルバーがベッドまで運んでくれたの?ありがとうね」
「きにするな。ノインはかるいから」
ジルバーが話しながら宴会の跡を片づけ始めたので、私もそれを手伝う。
流しに運ばれたお皿を、汲み置きしてある水で洗う。洗い終わったお皿は、後でまとめて乾いた布で水分をふき取るので、今は木のザルにおいておくだけだ。
「あさめしは、どうしようか?」
「もうけっこう明るくなっちゃってるし、簡単なものでいいんじゃないかな?」
「そうだな。たしかクルミが、まだこっちにあったはずだ」
相談しながら料理を始めていると、テーブルの方でも動きがあった。
「っ、くしゅん!」
小さなくしゃみとともに、魔女様が目を覚ましたみたいだ。
「魔女様、おはようございます」
そう声をかけると、魔女様はぼうっとした表情のまま、ひらひらと手を振った。そして手元にあったコップを持って、こちらに示してくる。
「ジルバー、魔女様にお水を持って行ってあげて」
「わかった」
ジルバーは水瓶から大きめの水差しに水を汲みとって、テーブルまで運んでいった。
魔女様に無言で、コップに水を注ぐように要求されている。
「ふつかよいか?だからほどほどにしとけと……」
「うるさい。すぐに治るわよ」
「だが、からだにわるいだろ」
ジルバーがお母さんみたいな小言を言っている。魔女様は迷惑そうな顔をしながら、注いでもらった水を少しずつ飲んでいた。
お父さんはまだ寝ているみたいで、ピクリとも動かない。お父さんが酔いつぶれた姿など今まで見たことなかったので、とても意外だ。
昨夜からいろんなことがたくさんあって、ぜんぶ夢なんじゃないかって気がする。
もしかしたら昨日どころじゃなくて、もっと前。目が覚めたなら、キャンプ広場のログハウスでうたた寝してる自分が見えるんじゃないかって、ちょっと怖くなったりする。
ジルバーに助けてもらって、魔女様とこんなに親しく話せるようになって、お父さんの意外なところも見れた。
こんな素敵な時間が消えてしまうなんて考えたくもない。
「どうしたノイン。ちょうしわるいのか?」
水差しを置いて戻ってきたジルバーが、私の顔をのぞき込んでいた。
「え?ううん、私もちょっとまだ眠いだけ」
「そうか。ねむいなら、ほうちょうはおれにかしてくれ」
「もう大丈夫よ。さあ、ササッと作っちゃいましょ」
ジルバーの顔を見ていると、不安な気持ちはすぐにどこかへ飛んでいった。
今のこの時間が夢だなんてありえない。私はこれから、ジルバーといっしょに新しい道を進んでいくんだから。
◇◆
楽しそうに会話をしながら料理を作っている二人を、魔女は微笑みながら眺めていた。
コップに入った水で、酔い止めの薬を流し込む。流しきれない苦さで顔が歪むが、それを見る者はいなかった。
「ああ苦い苦い。どこかにこの苦さを消せるほどの甘いものはないか知らない?そこで寝ている狸さん」
魔女の言葉に、テーブルに突っ伏して寝ていたはずのメッサーが、顔だけ上げた。
「甘いものだけでは人はダメになります。時には苦いものも必要かと。あと私にも一ついただけないでしょうか?」
魔女が酔い止めの薬を転がすと、メッサーは起き上がってから薬を拾い上げた。それから魔女と同じように、それを水で流し込む。
「苦い、ですね」
その顔は、薬だけでなくそれ以外の飲み込めない苦さがあるようにしかめられている。
「メッサーの子供はあの子だけではないでしょう。今さら子供が嫁に行くのが辛いの?」
「ハンターになろうとした女の子は、あの子が初めてですから」
「そうね。普通の女の子は、別なものになろうとするわよね」
魔女が知る限り、ハンターになろうとする女性はワケアリがほとんどだ。
誰もがなろうとしてなるのではなく、それ以外の仕事が見つからないからしかたなくハンターになる。
それはハンターが男の仕事だからというわけではない。逆に、女性向けの仕事がたくさんあるから、わざわざハンターという辛い仕事に就く必要がないのだ。
だから女性のハンターというのは、それ以外の仕事に就けない何か重大な理由があると、周囲の人間も考える。
そんな常識の中で育ってきたのにハンターを目指したノインは、だからよっぽどの変わり者ではあるのだろう。
「娘に私の様になりたいと言われ、少し浮かれてしまったのでしょう。厳しい訓練をさせたつもりではあるのですが、あの子は文句を言わずにそれを耐え抜いてしまった。本当に、あの子が男の子だったらと思いましたよ」
「でも、ノインはそうじゃない」
「ええ、そうです。だからこそ、あの子の事が心配なのですよ」
ノインを見つめる視線からは厳しさがだいぶ抜け落ちていて、代わりに気遣いがにじみ出ている。
「魔女様。彼のことは、本当に信用できるのですか?その、悪い男ではないと思うのですが」
「あいつは確かに分からないことが多いわね。問題がないわけじゃないけど、そんなのどこの男でも同じでしょ?」
一瞬鋭く向けられたメッサーの視線を、何でもないように魔女は受け流した。
「心配するのはわかるけど、なるようにしかならないわ」
「ですが……」
「メッサー、貴方だって昔はかなりの問題児だったじゃない」
魔女のニヤニヤ笑いに、メッサーはぐっと言葉に詰まった。
そこへノインとジルバーが、料理を持ってやってきた。
「お父さんも起きたのね。おはよう」
「……ああ、おはよう」
メッサーは咳払いをしてから表情を取り繕うと、むっつりと返事をした。
ノインはちょっと首を傾げたが、特に追及はしなかった。
「簡単なものだけど、朝食ができましたよ」
「ナッツフレークとミルクと、あとトマトとくだものだ。それとこっちは、モリニワトリのめだまやきだ」
「これだけあれば十分よ。さあ皆でいただきましょう」
魔女の言葉で全員が席につく。
「それでは、いただきます」
こうして今日も、森での一日が始まる。




