ジルバー対シャーディック
人と熊を混ぜ合わせたかのような、醜悪な顔。
それが火に焼かれたことで歪み、より一層みにくくなっている。
体を覆っていた毛も短く縮れ、右目は白く濁っている。
それは数秒の間動かずに、私をじっと見つめていた。
なんで、こいつが、こんな所に?
罠に落して、燃やしたんじゃないの?
倒したんじゃないの?
火が消えたのはこいつのせい?
ハンターのみんなはどうなったの?
ジルバーはどうなったの?
なんでこいつが生きているの?
どうして?どうして?
なに一つ分からない。
だって私はここでうずくまっていただけだから。
動けないまま立ちすくんでいると、シャーディックが茂みの中から静かに一歩踏み出してきた。
それに釣られるように一歩後ろへ下がったが、その時また傷口に痛みが走り、バランスを崩してしりもちをついてしまった。
「ああっ!」
慌てて立ち上がろうとしたけれど、シャーディックは速度を変えずに一歩一歩近づいてくる。
そしてその顔が、立ち上がれないままの私の目の前まで来た。
首をわずかに傾けて、残った左の目で私の顔を覗き込んでくる。
苦しそうに開かれた口から、ヒューヒューとかすれたような音が聞こえる。
その生臭い息にに思わず顔を背けると、シャーディック大きく口を開けて笑った。
「……うはっ。えぅあ、あー……」
ひどくかすれた、苦しそうな笑い声。
そしてそのまま、息を私に吐きかけながら顔を近づけて来た。
まるで、食卓に乗った肉にかぶりつこうとするかのように。
あの日の、キャンプで襲われた時の光景が、不意に重なる。
私はまた追いつかれてしまった。
逃げ切れなかった。
なんでこんな所に出てきてしまったのか。
家の中で大人しくしていればよかったのに。
そうすればこんな魔獣に出会うことなく、ごく普通のハンターとして平和に暮らせていたはずなのに。
ロットカッパーの家に生まれて、ハンターになろうと決め、お祖父さんとお父さんからハンターのいろはを習い、ハンターになってパーティーを組んで、狩りをして、そしてケンカをして1人になってしまった。
そして1人で仕事をした途端に魔獣に襲われて大きな傷を負い、ジルバーと魔女様に助けられて、私は今ここにいる。
でも、もう死ぬ?
……いやだ!いやだいやだいやだ!
そんなのダメ。
私はまだパーティーのみんなに謝ってない。
それに、ジルバーに狩りの事を教えていない。
彼がハンターの基本を憶えれば、絶対に一流になれるのに!
私はまだ、生きたい!
私は腕で頭をかばいながら、お腹の底から声を張り上げた。
「助けて!ジルバー!!」
私の叫びに応えるように、狼のような雄叫びが聞こえた。
その瞬間、シャーディックがはじかれたように背後を向く。
目の前の木が音を立てて大きく揺れた。
シャーディックが木をにらみつけ、二本足で立って構える。
木に向かって威嚇するように口を開けるが、そこから出てきたのはやはり、かすれた声だった。
しかしその体は溜めこまれた力で膨らみ、そのせいで背中の傷口が開いて血が流れ出すのが見えた。
シャーディックが身をかがめ、木に向かって走り出そうとしたまさにその時、頭上から星影が差した。
「うおらぁ!」
荒々しい気合いとともに、ジルバーの踏みつけるような蹴りがシャーディックの顔に直撃。
濁った目のある右側にまともに蹴りを受け、その巨体がわずかに揺らいだ。
空中で軽やかに一回転して、ジルバーは私の前に着地した。
「……ジル、バー」
「わるい、おそくなった」
謝るジルバーに、私は首を横に振る。
「大丈夫、怪我はないから。それよりも……」
シャーディックがふらつきながら、こちらへ振り返る。
それへ向けて、ジルバーが身構えながら言った。
「あんしんしろ。おれは、つよい」
ジルバーはにやりと、口の端を吊り上げた。
「かくごしろ、もえそこないの、うどのたいぼく」
それを聞いたシャーディックは、顔に怒りをみなぎらせて何かを叫んだ。
ジルバーはかすれた叫び声にも耳をかさず、シャーディックへと飛びかかる。
危ない!
私は思わず叫びそうになった。
ジルバーは背が高いけれど、相手はそれよりも頭2つ分は大きいし、肩幅も広い。
筋肉があるから腕力が強く、贅肉もあるからこちらの攻撃は大したダメージを与えられない。
大人と少年くらいの絶望的な体格差がある。
そんな相手だというのに、ジルバーは正面から素手で突っ込んでいった。
シャーディックが丸太のような左腕を振りかぶり、横薙ぎに振るう。
風を切る音が聞こえるほどの豪腕が、ジルバーの頭へと迫った。
でもジルバーはそれが分かっていたかのように上半身をかがめる。そして頭の上を通り過ぎる腕に合わせて、急角度で横へ転がった。
腕を振り切った所に誰もいないのを見て、シャーディックが一瞬固まる。
その横顔に、飛び上がってからの胴回し蹴りが直撃した。
シャーディックはたたらを踏んで2、3歩下がる。
ジルバーは着地すると体勢を低くして身構えた。
「でかいから、あたま、ねらいづらいな」
今何が起こったのか、見えていたけれど理解が追いついていない。
ジルバーはシャーディックの腕を避けながら、その影に隠れるようにして死角側、目の見えない方に移動して、ジャンプ蹴りを見舞った。
確かに頭なら肉も薄くて、衝撃が通りやすいだろう。
でもそれをやるには、ものすごい勇気と身体能力が必要なはずだ。
普通の人が魔獣と素手で闘うなんて、聞いたことがない。
そんなことをやってしまうなんて、ジルバーはなんてすごいんだろう。
私が感動している間にも、1人と1匹の戦闘は続いている。
下がったシャーディックに向かってジルバーが再び近づき、攻撃を躱した隙に反撃を当てる。
攻撃を食らうたびにシャーディックは下がり、ジルバーはさらに追いかける。
彼らは闘いながら、どんどん遠くへ移動していく。
私はなんとか立ち上がって、見失わないように必死に彼らを追った。
夜の森の中に、荒々しい闘いの音が響く。
シャーディックは時間が経つほどに動きにキレがなくなり、大振りな攻撃がさらに乱暴になっていった。
ジルバーは次々に迫ってくる攻撃を、紙一重で躱して反撃を当てている。
一発でも食らえば終わってしまいそうなほどの暴力を、余裕そうな表情で、でもギリギリでかわし続ける。
見ているこっちとしては、いまにも怪我をしそうでハラハラする。
それでもジルバーは私の心配など関係なく、どんどんシャーディックを追い詰めていった。
シャーディックが声を上げながら振った腕が、すぐそばに合った木にぶつかる。
最初のうちなら折り飛ばしていただろうけれど、今はもう木を揺らすことしかできなかった。
そしてジルバーはその隙を逃さなかった。
「これで、おわれ!」
土を跳ね飛ばしながら助走をつけて、シャーディックの顔面めがけて飛び上がる。
「ぐるぁぁぁ!!」
そのジルバー目がけて、残った腕が突き出される。
破れかぶれの一撃はジルバーの顔面へと迫り、しかしやはり紙一重で躱された。
空中でバランスを崩しながらも突きを避けたジルバーは、その勢いのままシャーディックの頭につかまった。
スルリと左足をシャーディックの首に巻き付け、背中を右膝で蹴る。すると顎が上がって胸をそらした状態になった。
「いいしょうぶだった、しゃーでぃっく」
ポケットからナイフを取り出すと、その無防備な喉元へ突き立てた。
「ご、かぁぁぁ!」
シャーディックの口から、声にならない悲鳴がもれる。
払い落とそうとする腕が振るわれる前に、ジルバーは地面に降りていた。
その時に傷口を広げるように引き抜かれたナイフが、血の線を空中に引いた。
シャーディックは血しぶきだけの声を上げながら、狂ったように腕を振り回した。
しかしそれもすぐに終わり、地響きをさせながら地面へ倒れる。
ジルバーはナイフについた血を乱暴に拭うと、倒れたシャーディックへ近づいた。
私はその背中へ恐る恐る近づこうとしたが、ジルバーはシャーディックへ何か話しかけている。
なんとなく聞いてはいけないような気がして、しかたなく距離をおいて立ち止まった。
ふと足元を見れば、なにか布のようなものが落ちていた。
拾い上げて、星明りにかざしてみる。
楕円形の、滑らかな肌色の皮。
片方に赤く縁取られた大きな切れ込み。
反対側に、2つの大きな穴。
真ん中は盛り上がっていて、小さい穴が2つ開いている。
それは、人の顔を象ったマスクだった。
何でこんなものがここに落ちているんだろう?
思い出されるのは、先ほどの攻防。
ジルバーの顔のすぐ横を、シャーディックの腕がかすめたこと。
あれが当たっていて、ジルバーの顔の皮が、……剥がれた?
……いやいやまさか、ありえない。
だいいちこれには血がついてないじゃない。
それにこれは誰かに作られたものだ。
生き物の皮がこんなにキレイに取れるわけがないのは、さんざん獣の皮を剥ぎっ取っている私もよくわかってる。
でも、なら、これは何?
手の中の皮を握りしめながら、答えを求めて顔を上げると、ジルバーが立ち上がるのが見えた。
「こっちは、おわった。ノインは、だいじょうだったか?」
ジルバーが振り返るが、星明りでは暗すぎた。
いつも目深にかぶったフードが影になり、その顔がよく見えない。
「……」
「……?どうした?けが、してるのか?」
私は思わず一歩下がってしまう。
そんなわけない。
確かにジルバーは人間離れしているところがあるけれど、そんなわけない。
でも、夜の森でも昼間みたいに走れるし、
でも、魔獣と素手で闘えていたし、
でも、でも、でも。
「こっちだ!」
「誰かいるぞ!」
「急げ!」
遠くで声が聞こえた。
「ハンターたちが、おいついてきた!みつかりたくないから、いくぞ」
「えっ!?」
逃げる間もなく、あっという間に抱え上げられた。
ハンターの持っている明かりが、一瞬だけジルバーのフードの中身を照らし出す。
灰色の毛並みを持った、若くたくましい狼の顔。
光を受けたそれは、銀にも金にも輝いて見えた。
「さっきはわるかった。ひとりにして、ごめん」
人のような狼の顔から、申し訳なさそうな声が出てくる。
これだけ近ければ、灯りがなくてもその表情がわかった。
彼は本当に私を心配し、謝っている。
森の中を走っているのに、抱えられた私はあまり揺れていない。
私のために遅めのスピードで走っているんだ。
ああ、彼はやはり、ジルバーなんだ。
そう納得できて、私はうなずいた。
「私の方こそ、疑ってごめんね」
ジルバーは狼の顔で、微笑んだ。




