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狩る者と狩られる者


シャーディックと名付けられた彼は、とてもイラ立っていた。

なぜなら彼は今、ハンターたちに追われているからだ。

すでにかなりの距離を逃げているが、しかしハンターたちの気配が途切れることはない。

まるで彼が逃げる方向がわかっているかのように、進む先に発見しづらいイヤらしい罠が設置されている。

道に棘のついた金属片がばら撒かれていたり、木と木の間に細いのに丈夫な糸が張られていたりして、それで足を止めるたびに背後から矢が飛んできた。


背中に刺さった矢は大した数ではない。

丈夫な毛皮と筋肉、そして脂肪で覆われた彼にとっては致命的ではないが、それでも刺されば動きにくいし、痛くて我慢できない。


何度も反撃に出たが、不思議なことにいつの間にかまた逃げている状況になっていた。


彼のイラ立ちはすでに限界点に達している。

奥歯を砕きそうになるほど噛みしめ、思う。

こんなことはあってはならない。

自分は追う側だったはずだ。

自分はこの森の誰よりも体が大きく、力が強い。

鹿の角も自分の毛皮を突き通せないし、猪の突進でさえ片手で止められる。

この森の全ては自分のエサであり、この森の全ては自分の前にひれ伏すはずだった。

なのに今、なんで自分は追われているのだ!

ひ弱で、小さく、脆い人間に、なんで自分は追い立てられているのだ!


彼は自分の思考に激昂し、1番近い人間の気配へ方向転換する。

五感は鋭い方ではないが、それでも下草を掻き分ける音や、風に乗って流れてくる臭いは十分にわかる。


茂みや枝葉が邪魔をするが、彼にはさほど関係ない。

邪魔するものはすべてその丸太のような腕と脚で蹴散らして進むのだ。

時には大人の腕ほどもある木の枝でさえ、腕の一振りで折り飛ばした。


わずかに見通せる闇の中で、さほど時間が経たないうちに獲物を見つける。

木の陰に隠れているつもりだろうが、バカなことに服の端が隠れ場所からはみ出ている。


彼はニヤリと口の端を歪めて、猛然と速度を上げた。


「ウォォォーーー!」


腹の底に響く唸り声を上げながら突撃する。

木の向こうに隠れた服は動かない。

彼に怯えて立ちすくんでいるのか、それとも木が守ってくれていると信じているのか。


だがそんなものは関係ない。

全身に満ちた怒りを込めて、獲物が隠れる木へと肩からぶちかました。


ぶつかった木は大きな音を立てて真っ二つに折れる。

当然その向こうにいるはずの獲物も、その衝撃からは逃れられない……そのはずだった。

しかし、獲物を捉えたという手ごたえが感じられない。

飛び散る木片の向こう側には、闇が黒々と広がるばかりだ。


獲物が逃げられるような時間は絶対になかった。


戸惑う彼の後方から、風を切る音とともに幾本もの矢が飛んでくる。

避ける間もなく背中に突き立ち、その痛みから逃げるように再び走り出した。


彼が走り去ったその場所には、古びた服の切れ端が結びつけられた木片が転がっていた。



そして数刻後、シャーディックはやはり森の中を逃げ回っていた。


逃げても逃げてもハンターの気配は途切れることはなく、罠は常に彼の前に張られている。

闇の中に浮かび上がる木々に変化はなく、ともすれば同じ場所をぐるぐる回っているような気になってくる。


背中はすでに刺さった矢でハリネズミの様になっているが、体力にはまだ余裕がある。

しかし精神的にはそうでもない。

最初は、ハンターなどすぐに蹴散らせると思っていた。

しかし、そのハンターたちの簡単な足止めの罠にかかったところで、矢の雨が降る。


前にも後ろにもハンターがいて、追えば逃げられ、また罠にはまる。

逃げれば追われ、さらに罠にはまる。

猟犬の吠え声に気をとられ、神経は張り詰めっぱなしで休むことができない。


そのせいで、普段ならすぐに気づくはずの金属の気配を、彼はうっかり見逃してしまった。


ガキンという硬質な音とともに、突然足に何かが喰らいつく。

まずいと思った時にはもう遅い。

かなりのスピードで走っていた彼は、足を引っ張られて大きく転倒した。


足に激痛が走り、思わず悲鳴がもれる。

見れば、鉄でできた無骨な(あぎと)が、足にがっちりと食い込んでいた。

そしてそのせいで足の毛皮が無残に裂かれ、地肌まで深々と抉れている。


彼のスピードと体重から繰り出される体当たりは、木ですら真っ二つに折る威力がある。

その威力が、彼自身の足の一本に全てかかったのだ。


今まで感じた事のないほどの痛みに、彼の興奮は急激に冷めた。

自分はもしかしたら、このまま殺されるのかもしれない。

見知らぬ場所で目が覚め、恐ろしい思いをしながら森の中をさまよい、そしてようやく自分が頂点に立てる場所を見つけた。

そのはずだったのに、底辺だとばかり思っていた者たちに殺されかかっている。


自分の身に降りかかった理不尽に、気づかぬうちに涙を流していた。

泣きながら、足に食い込む鉄の咢(トラバサミ)に手をかけ、力ずくでこじ開ける。


抜け出してからも矢が飛んで来なかったことにも気が付かずに、痛む足を引きずりながら、森のさらに奥へと進んでいった。


一歩進むたびに足は痛み、背中に刺さった無数の矢も気になってくる。

もはや走る気力はない。

とぼとぼとうな垂れながら獣道を歩く。


そんな時、1人のハンターが正面から姿を表した。

若い、まだ少年のように見えるハンターが弓を構え、彼に向かって怒鳴った。


「ノインの仇だ!」


それを見て彼の中に怒りの炎が再び燃え上がった。

若いバカな奴が、こちらが満身創痍だと見て先走ったのだろう。

こんなバカな奴らが、自分をここまで追い詰めたのか。

怒りは全身の血管をめぐり、痛む神経にフタをする。


筋肉に活力が戻り、口の端が大きく吊り上がった。


いいだろう、その矢を食らってやろう。

だが殺す。

お前は殺す。

その後で他のハンターどもも殺す。


燃え上がる怒りのままに口を開け、腹の底からの叫びを放つ。


「グルオオオォォォウ!!」


「ひっ」


彼の叫びにつられて、ハンターの手が矢から離れた。

引き絞られた矢が放たれ、それは彼の頬をかすめて飛び去る。


もう目の前のハンターを殺すことしか考えられない。

ゆっくりと助走をつけるように、一歩一歩速度を上げながら走り出した。


放った矢が外れたのを見たハンターは、後ろを向くと一目散に逃げ出した。


殺す、殺す、殺す、逃げても殺す、追いついて殺す。


アレは腹と心を満たすためのただのエサだ。

獣のごとく四足で、(たけ)る殺戮衝動のままに走り出す。

満面に、獰猛な笑みを浮かべて獲物を猛追する。


すぐにハンターに追いつくことを疑わず、枝葉を吹き飛ばすながら進む。

数秒も進まぬうちに、不意に獣道が途切れて開けた場所に出た。


わずかに疑問が湧き上がるがしかし、目の前に迫っている獲物(ハンター)の方が重要だ。

アレを捕まえてから、殺してから考えればいい。


無様に逃げる獲物の背へと、爪を伸ばす。

殺す、引き裂いて殺す、内臓を抉り出して殺す、頭蓋を叩き割って殺す、脊椎を引き抜いて殺す。

殺す、殺す、殺す殺す殺す!


捕まえて、今まで受けた屈辱を返してやる!

この怒りを、その貧弱な体に叩き込んでやる!


あと一歩で、あと半歩で……!

そうやって伸ばした前足が、音を立てて地面を踏み抜いた。


足を支えるはずの地面が、逆にそれを飲み込むように沈んでいく。

顎が何かにぶつかり跳ね上がる。

バランスを崩して横倒しになり、土と枝葉と諸共に落ちてゆく。


枝葉?

土?


回転する視界と落下する世界に混乱しながら、彼は深い穴底へと叩き付けられた。

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