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現地視察 (緊急事態)

 


 錦からのクネクネとした国道は右手を流れる錦川に沿って岩国に至り、岩国から国道二号線で大竹は指呼の距離にある。

 大竹駅の近くにある大竹警察署は大竹市の中心に近く、小なりとはいえビルが立ち並ぶ一角を占めている。しかし、縦横にひび割れがはしり、補修した痕を隠すように再塗装されてはいるが、長年紫外線に晒されて艶を失い粉さえふいて、誰が見てもそろそろ建て替えてもいいような外観をしていた。


「私は名古屋の村井という者です。恐縮ですが、署長に面会したいので取次ぎをお願いします」


 村井に促されて警察署の玄関をくぐる時に三人とも揃って不審げにしていたが、受付で署長に面会を求める村井にそれが爆発した。


「何考えてるんだよ。知らない土地の警察で署長に面会? あつかましい奴だな、交通違反のもみ消しか?」


「いったいどうしたんですか、突然こんな場所に連れてきて」


「まあ待ってろよ」


 内輪もめをしている四人を、受付の奥で仕事をしている警察官が胡散臭そうに見つめている。


「来客中ですが、すぐに済むのでお待ち下さいとのことです」


 案内を請うた職員が受け付けに戻ってきた。


「だから何なんだよ、何か悪さをしたのか?」


「人は誰でも過ちを犯すものだよ、よくよく用心しないと泣く破目になるからな」


「やっぱり何かやったな、涼しい顔しやがって」


 内輪もめをする男たちの脇を大勢の警察官が通り抜けてゆく。


「お待たせしました、あのう、終わりましたが」


 後ろから呼ばれたような気がしたが頓着しないで揉めていると、


「村井さん、要注意人物の村井さん」


 受付で青木が呆れたように四人を眺めている。


「やあ、呼んでました?」


「何度も声をかけましたよ、あいかわらず楽しそうですね」


「受付で面会を申し込んだら、三人で俺を不審人物だの交通違反のもみ消しだのとアヤつけるから説明してたんだよ」


「無理ないよ。知らない土地の警察署で署長に面会を求めたんだろ? 一般常識ではありえないよ」


「どうしてさ、別におかしくないじゃないか。法に触れるようなことした?」


「他のお客さんに迷惑だからこっちで話しましょう。皆さんもどうぞ」


 促されて署長室に案内される間、署員の好奇心をこめた視線に晒されたことはいうまでない。



「あの人の様子はどうですか、少しは回復していますか?」


 座るなり青木が切り出した。意識が錦に集中しているのか、同行者を紹介してもらうことなど考えてもいないようである。


「それがねぇ、行ってびっくりですよ」


「まさか重症になったとか」


「まったく逆でね、ずいぶん落ち着いているし、皆と仲良くやってるんですよ」


「よかった。なんか姥捨てみたいにして逃げ帰ったから,、後味が悪くて心配だったんです」


 挨拶もなしに話し始めてすぐに婦人警官がお茶を運んできてくれ、副署長も挨拶に顔をのぞかせた。


「この人はね、名古屋の村井という人で、かなり如何わしい人なんだけど妙に気が合ってね。他の人は……、あれ、あなたは鰻屋のご主人。あとの二人は初対面ですね」


「ごめん、すっかり紹介するのを忘れてた。こっちは鈴森さん、隣は都築さん。二人とも市会議員だよ」


「そうですか、この九月から移動してきた署長の青木と、副署長の竹下です。


 名古屋ですっかりお世話になってな、それ以来懇意にしてもらってる人だ」


「そうですか、今日はどういうことでこちらに?」


「実はね……」


 遠方からの来客にふしぎそうな様子の竹下は、青木からの説明を聞き驚いた様子を隠さない。背が高く、がっしりとした体格で、温厚そうな表情の中に時折みせる眼差しに鋭さがある。同じように鋭い眼差しをみせる鰻屋と違い、きちんと整えられた頭髪の襟足をみるだけで容易に警察官を連想させる人物である。



「なんだ、署長も一枚噛んでたのですか。だけど他人のためにわざわざ名古屋からねぇ、公務員ではないのでしょ?」


「自営業ですよ、鰻屋に鉄工所。大きくいえば社長だし、裏を返せば下働きですがね」


「でも、そもそもなぜ署長と村井さんが結びついたのですか?」


「前任地が廿日市だったのは知ってるよな、去年の夏前に土砂崩れがあったのは?」


「覚えてますよ」


「そこに名古屋から救助にきてくれてな、あっという間に救助をすませてくれた。その時に俺が指揮してたんだ」


「そこで知り合った?」


「いや、そこで救援課長と知り合って、その一月くらい後だったかな、こっちにDV被害者を収容する施設をつくりたいので適当なところがないかと相談があったんだ。その発案者が村井さんだったわけだ」


「こんな遠くにですか、また奇抜なことを考えましたね」


「名古屋の救助隊、正しくは災害救援課というんだが、その発案者だよ。奇抜なことは当然だろうな」


「そうなんですか」


「適当な場所を紹介して顔見知りになり、名古屋に救助技術の訓練に行って懇意になってしまった」


「あんたこんなに偉い人だったのか」


 食事会の時は事業服だったし、警察官ということが伏せられていたこともあり、青木の正体を知った鰻屋が驚いている。


「この人は空手が趣味でな、けっこう強いようだ。それにこの人の焼く鰻は旨かった」


「俺の焼く鰻を食べた人は必ずまた食べに来てくれる。百科辞典にも載ってるはずだぞ」


「そんなの見たことないですよ」


「イギリスの辞典に載ってんだよ、勉強不足だぞ」


「まいったな、名古屋に行ったらきっとお店に寄りますよ。お二人は村井さんといっしょに働いておられるのですか?」


「働いてなんかいませんよ。完全に子供扱いですから」


 若手議員は日頃の対応に苦笑いをした。


「市長や古狸みたいな議員を手玉にとってるんだから敵いませんよ。叱られてばかりで自信なくしました」


「そうですか、どんなことを言われます?」


「自分の頭で考えろ、ですかね」


「そうですか、薄笑い浮かべていませんか?」


「人を怒らせてニタニタしています。この前なんか市長が剥れてました」


「やりそうなことだ。でもね、この人の話し方、考え方、することもじっと観察すると勉強になりますよ」


「そうですかね」


「そうですよ。ところで今夜の予定は?」


「岩国のビジネスホテルで泊まって、明日もう一度錦で用事をすませて帰るつもりだけど、どうかな夕食くらい」


「それじゃあ岩国で食事でもしましょうか。副さんもどうだ、楽しいぞこの人」


「迷惑じゃないですか?」


「そんな繊細な神経してないよ」


「それならお言葉に甘えるかな」


「二人とも単身赴任なんでしょう? 気楽にやりましょうよ」



 前夜眠っていなかったこともあり、午後九時すぎに寝床に倒れこんでいらい夢もみず、ふっと意識が戻ったのは夜明け過ぎ、新幹線ホームも駐車場も空っぽで町はまだ眠りこけている。いつのまに降り出したのか、細かな雨が窓を濡らしていた。




 ホテルを出て錦に向かう頃になると雨は本降りになっていた。


「昨日は途中で帰って悪かったね、みんな喜んでくれた?」


 六時には議員を叩き起こし、七時にはすでに車を走らせている。なるべく早い時刻に帰宅するにはやむをえない日程なのである。約一時間後に錦に到着した頃には雨脚が弱まっていた。


「一時間くらい話して帰りました。珍しいものを味わったと言って喜んでました」


 アキが真っ先に歩み寄ってきた。他は縁先に道具を並べ、昨日の復習をしている最中である。


「感心してましたよ、柚子の皮。木の葉の話も興味をもったようです」


 礼のつもりなのだろう、いくらか言葉が滑らかになっている。


「柚子の皮? あれは柚子こしょうというんだ。混ぜる順番ごとにビンに入れておいたから味見すれば作れるはずだ。配合する割合を書いておくから参考にしてくれればいい」


 名前を教えていなかったことに気付いた大将は、便箋を借りると作り方を細かく書き始めた。


「木の葉はどういうのを集めればいいんでしょうか」


「鮮やかな色がつく葉がいいな。大きいのは使えないからな。それと、基本的に虫食いはだめだ。虫食いの方が趣きがある場合もあるけど、基本は美人だ」


 由紀子の質問に書く手を休めて短く答え、すぐに続きにかかる。


「私達がすることは?」


「木の葉を覚えることと、採れる場所を覚えること」


 面倒くさそうに答え、急にもじもじしながら鰻屋が続ける。


「言いにくいんだけど、柚子とワサビを少しわけて貰えんだろうか、勿論代金を払うぞ」


「全部持って帰っていいですよ、あんなご馳走のお礼にもならないけど」


 それが精一杯の礼と思い、恵子が即座に快諾した。


「そんなにはいらん。じゃあ半分貰えるか? で、いくらだ」


「だから昨日のお礼だよ。こっちの大きい株を持って帰ってよ。マムシに睨まれて掴んだ収穫だもんね」


 美鈴が、柚子と大きなワサビを株ごとレジ袋に押し込んだ。


「蛇の話をもちだすなよ、しまいに泣いてやるからな」


「おじさん、鰻とお刺身ありがとう。いろんなこと教えてくれてありがとう」


 いっしょに山を歩いたこともあり、美鈴は鰻屋に親近感を抱いていた。


「いいよ礼なんか、照れるじゃないか。おい行くぞ、時間がないんだろうが。俺こういうの苦手だ」




「さすがに国の施設だな、いい厨房じゃないか。冷蔵庫もいいな、鍋、包丁、ボールは? ……ここか。水とガスが出ないのは仕方ないとして、食器はどこだ?」

 厨房の中をゴキブリのように動き回る男がいる。


「照明よし、テレビよし、冷気よし、風量調節よし。この部屋もいいな。寝具は? よしよし揃ってる。次の部屋を点検するか」


「オートロックは必要ないね。ガードもいらないし、鍵の関係は全部取り替えたほうがよくない?」


「そうだな、テレビの料金箱もいらないよな。後でインターホンのテストをしようよ」


 客室を一つ一つ点検する男達がいる。



「立派なもんだね、こんなに広い風呂では湯が無駄だわ、もっと狭くしないとな。ボイラーさんの機嫌がよけりゃいいけど、長生きさせないと銭がいる。ボイラーさんの機嫌はいかがかな?」


 浴場を見回って、給湯室へと立ち去る男がいる。

 四人が手分けをして館内の不具合を点検していた。




「こねぃな物が売れるんじゃろうか」


「じゃが旨かったで、どねぃにして拵えたんか知らんが旨いもんじゃあある」


「どねぃするか、あんないうこと信用できるじゃろうか」


「それぃや、都会(とか)ァの者の言うことじゃけぇのう」


「そねぃ言うがのう、のっても損はすまぁ。いよいよやれん思ぅたら止めればええ思うがのう」


 昨日試食させられた妙な味の調味料のことで男達が相談しているのは、帰り際に立ち寄った村井の「うまくすればこの村の皆さんの現金収入になるかもしれません」という言葉に惹かれてである。


 同じ頃、裏山では茶色く濁った水が湧き出していて、時折小石がパラパラ転がり落ちていたのだが、それに気付く者はいなかった。




 正午を少し過ぎた頃、玄界灘を震源とする小さな地震が発生し、錦でも揺れを感じていた。震度にすれば三程度ではなかっただろうか。揺れはその一度きりですぐに平穏におさまっている。雨を降らせていた雨雲は東に去り、約一週間ぶりにお日様がにっこり顔を覗かせていた。


 ドーンという音とともにグラグラッと床が揺れた。


「余震か?」


 暴力沙汰には豪胆な鰻屋だが、こういう場面では小心者である。


「違う、さっきのとは違うぞ。なんか嫌な音だった。ちょっと屋上に上がってみる」


 大雑把に館内の状態を確認し終えて、そろそろ名古屋に戻ろうとしている矢先のできごとだった。機械加工を生業としている村井は仕事柄異常な振動や音、臭いに敏感で、異状の原因をつきとめることが癖になっていた。

 非常階段を駆け上がって周りをみまわしても異常はなさそうにみえる。


「何もないわけがないぞ、あんな音がしたんだ。地震であんな音がするもんか」


 屋上をウロウロしながら山肌を見回していた村井は呟いていた。


「山が崩れてる、場所はどこになるんだ?」


 ことさらゆっくり目を転じていた村井が大声を上げた。


「どこに? 何もわからんぞ」


 きょろきょろ見回すばかりの鰻屋にはその光景がわからないとみえる。


「あれだ、見えんか?」


 葉を茂らせた太い枝越しに、この建物からそう遠くない山肌が抉れ落ちている。


「どうしたんです?」


 慌てて車に駆け寄る二人に議員達が不安そうに駆け寄ってきた。


「山が崩れてる。ここから見えないから状況を確認してくる」


 村井の言葉と同時にエンジンが回り始めていた。



「まずいな、吉田さんの村が埋まったぞ」


 国民宿舎の点検を始める前に立ち寄った集落の一部が崩れ落ちた土に埋まっていると知った村井は短く唸った。すでにその目は職人の目になっている。、


「消防を呼びます」


「圏外だよ。要点を言うから町に行って連絡をたのむ」


 条件反射のように携帯電話を取り出した議員に村井は残酷な一言で応え、連絡先と内容をゆっくり区切って言い始めた。


「まず消防と警察に連絡。現在時刻、山崩れ発生、国民宿舎北西の集落。幅は約五十メートル、高さ約二十メートル。三戸が埋まった模様。土砂は川を堰き止めている。国民宿舎から国道を少し町よりの場所から確認。

 救援課にも同じ内容を連絡。救助犬を要請。土砂により集落が水没する危険性あり、小型ショベルを何台かたのむ。中国道六日市から187を南下。434右折、約六キロ。国民宿舎使用可能。

 川上さんにも同じ内容を連絡。ガスと燃料を国民宿舎に手配してほしい。水道も使えるようにしてほしい」


「これだけですか?」


「それでいい。連絡先は俺の携帯に全部登録してある。それと、腹がへってきた。大将、食い物を用意してくれ」


「名古屋から何人来るんだろうな」


「さあな、二十人か、三十人くらいかもしれん」


「材料がないからな、握り飯と味噌汁で我慢してくれるか?」


「タクアンとメザシが付けば完璧だ、頼めるか?」


「まかしとけ」


「俺は様子をみてくる、迷子になると困るから国民宿舎から離れるな。間違っても救助の手伝いなんか考えるなよ、かえって怪我人が増えるからな」


 車の鍵と携帯電話を三人にあずけ、村井は現場へと駆け足になった。


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