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現地視察 (実技指導)

 三・現地視察



「なあ鈴森さん、いくら考えても妙案がうかばないんだよ、そっちはどう?」


 都築が困ったように眉間に皺を寄せている。


「私もいっしょ。どうしよう、次は怒鳴られるかもしれない」


 自分も似た表情をしているのだろうと鈴森は思った。


「そうだね、だけどあれは効いたな」


「何が?」


「提案する能力がなくて議員が務まるかってやつ。あれから考えこんじゃって」


「あれか、ムッとしたけど言い返せないのが悔しいね。いい加減なこと言えないし」


「一年生だから、お偉方の言いなりだしな」


「で、結局どうなの、何も考えられなかった?」


「どうにも想像力がなくてさ、漬物とか土産にする小物みたいな物しか考えつかないんだよ。そんなのでは商売にならんよね」


「なんだ、同じことを考えてたのか。凡人なんだなお互い」


「さすがに市長や大隈さんは違うのかなあ?」


「そう思う? ここだけの話だけど、俺達と同じで何も考えてないんじゃないかな、考える能力がないような気がしない?」


「そんなこと言っていいのか? 知れたら大事だよ」


「ここだけの話だよ。ばれたらあんたが漏らしたことになるよ」


「点数稼ぎするつもりなんかないよ」


「そうは言うけどさ、誰も信用できないんだよね。そんなことを考える時あるだろ?」


「後ろから撃たれるってやつね、油断も隙もあったもんじゃないから」


「同志を信じて白状するけど、あの二人には創造する能力が欠けているような気がする」


「創造の前に想像だよね、そこから落第だもの」


「陳情を具体化したり解決するといったって、役所に丸投げするだけだし、ありきたりな内容ばかりだから秘書に押し付けるだけで、自分で方法を考えるなんてしないだろうしな。どの議員もそうだからあんな特殊なことにとびつくんじゃないかな」


「それこそ選挙目当てでね。で、筋書きも書けず、どうすればいいかも判断できず……」


「予算の手当てと議会工作を請け負うということか」


「それにしても意外だったよ、あんなことを言われて怒らないんだから。怒れないのが本音かもしれんよ」


「それもそうだけど、あの二人にも驚いたね」


「平気で市長に喧嘩売るんだからな……。あれではどっちが役者かだよね」


「良くて同格、下手すりゃ市長は手駒かもしれんな」


「となると、俺達はエキストラ?」


「けどさ、何もアイデアがありませんでは格好がつかないし、安直なことを言えば馬鹿にされるだろうし、頭痛いなあ」


「現地を知らんのが不利だよな。でもさ、じゃあ案内すると言われたらもっと困るかもしれないし」


「あーあ、徹夜の本会議の方が気楽だよ。団の決定に従うだけだから」


「誰にも相談できないんだよね、どうするよ」


 村井の逆襲で負わされた課題の答えが見つからず、知恵を出し合うつもりがため息のつきくらべになってしまい、二人の議員は頭をかかえていた。



「お父さん、村井のおじさんといっしょだった人がため息ばかりついてるよ」


 料理を運んだ珠希がそっと大将に耳打ちをした。


「お客の話を盗み聞きするもんじゃない、放っておけ」


「だけど、アイデアを出さないと村井のおじさんに怒られるって聞こえたんだけど」


「また隠れて何かしてるんだろうよ。若いのを鍛えてるんじゃないのか」


「議員さんだよね、襟にバッジが付いてる。村井のおじさんって議員より偉いの?」


 市会議員といえば選挙で選ばれた人である。その議員が村井の叱責を恐れる理由がたまきには不思議でしかたなかった。


「市長にだって噛み付くくらいだからな、新人議員なら歯が立たないだろうな」


「なんか気の毒だよ。他にお客さんはいないんだから助け舟になってあげたら」


「苦労しなきゃ意味ないんだがな」


「かわいそうだよ、話し相手くらいでいいから」


「仕方ないな、少しだけだぞ」


 手早く洗い物をすませた大将はうっそりと調理場を出た。


「お客さん、料理の味はどうでした? この前は難しい話のようだったから味わってもらうのは無理だったろうけど、今日は良かったでしょう?」


「おいしかったですよ、さすがに市長が褒めるだけのことはありますね」


「そうですか、ところでデザートはどうでした? 少し甘すぎるかなと心配なんです」


「いえ、おいしいオレンジアイスでした。おいしかったです」


 その一言がもれでた瞬間に大将の眉がヒクリと動いた。


「お客さん、本当に味わってもらいました?」


「ちゃんと食べましたよ、ほら、空になってるでしょう?」


「確かに全部食べてもらったようだけど、だとするとお客さん達は味がわからん人だな」


「何を言いたいのか判らないんだけど……」


「本当にオレンジアイスでした?」


「そうですよ。だってほら、オレンジの皮を器にしてるんだもの、いい趣味だなあって感心してますよ」


「すると、こういうことですか? 竹を容器にしたら竹アイス、ガラスを容器にしたらガラスアイス。つまりそういうことですか?」


「どういう意味ですか? おいしかったんだからいいじゃないですか」


「実を言うとね、いつも初めてのお客さんが戸惑うのを楽しみにしてるんですが、オレンジアイスって言う人は一人もいませんよ。話のきっかけに重宝してるんですがね」


「じゃあ器はオレンジだけど中身は違うんですか?」


「まったく違いますよ。それに、酸味を抑える程度にしか甘くしてないはずですよ。いつもなら文句のひとつも言って追い返すところだけど、村井さんに難題を押し付けられて困って相談でもしてたんじゃないですか? どうせ何を食べたかも判らないんでしょう。

 どんな内容か知らないけど、誰かに相談してみましたか? そういう友達がいればですけどね」


「相談する相手なんか、……なあ」


「私達の世界も足の引っ張り合いですから。下手に相談したら秘密が秘密でなくなるし」


「普通の仕事をしている友達はいないの?」


「だから、そいつが誰に繋がっているか判らないから相談なんてできませんよ」


 鈴森が言いにくそうに下を向いた。


「つまり信用できる友達はいないということですか。ちゃんとした友達をつくらなかった自分が悪いんだけど、今更だよな。仕方ないな、差し支えないことを話してみな、一肌脱いでやるから」


「いいんですか?」


 大将の言葉がぞんざいになっていることなど二人にとってどうでもよいことであった。


「どうせ店仕舞いだ、少しくらいなら付き合ってやるよ。ただし、他の者には内緒だぞ」


「実はね、事情のある女性が何人か山村で生活してるんですが、同じ事情で辛い思いをしている人の手助けをしたい、そのための活動資金を自分達で賄いたいという希望をもっているそうです。その人達を含めて、将来の生活資金も稼ぎたい。かといって事情があって人前には出られないし、住んでいる土地には産業がない。それでどんな仕事をさせればいいか考えろという宿題ができなくて困っているんです」


 相手は部外者である。都築は言葉を選びながら掻い摘んだいきさつを話した。


「あの野郎、またチョロチョロしてるんだな」


「考えてはみたんですが、漬物を作るとか土産の小物を作るくらいしか考えられなくて……。明後日が次の会合なんです。このままだと完全に能無しって言われそうで……」


 そう語る鈴森はしきりと顔をぬぐった。


「そういうことな、確かに今の案なら能無しだわな。ところで、そこがどんなところで何が採れるか教えてよ」


「まだ現地へ行ってないからわかりませんし、何が採れるかも知りません」


「なんだ、何も材料がないのに考えろってか。……さてはあんた達、奴に気に入られたみたいだな」


「猛烈に怒ってましたよ」


「そんなの芝居に決まってるよ。さっきのアイスと同じだろうな」


「アイスですか?」


「あんた達は見た目で判断してるだろう、柚子をオレンジと間違えるなんて考えられないことをしたんだぞ。同じことをしたんじゃないのか? だから何も材料を与えないで、無茶を承知で宿題を出したんだ」


「どうしたらいいですか?」


「簡単だろ、現地を見なければ考えられないと言えばいいよ。ありきたりなつまらないことしか思いつかないから現地を見せてくれって言えばきっと納得するよ」


「大丈夫だろうか……」


「心配いらん。ちょっと思いついたことがあるんだがな、素人に説明しても伝わらないだろうし……。いいや、もう一肌脱いでやるよ。現地で俺が実際に教えてやるよ」


「いいんですか? だったら費用は俺達に任せてください」


「銭金の話をするなよ、艶消しになるだろうが」


「でも、こういうことなら公費で賄えます。仕事を休むことになるんだし」


「村井さんは自腹でやってるんだろ? 日当から旅費から計算してみろよ、どれだけ散財してるか判るか? 自分の手柄にするのはいいけど、考えてやってくれよ。さて、ぼちぼち店仕舞いさせてもらうから尻上げてくれないか、俺も腹ペコなんだからさ」




「いつんなったら降りてくるかちゅうて心配しよったんじゃが、どねぃかね、なんぼか出られるようになったかね」


 村内を一巡りしてきた吉田がおっとりとした語り口で女達を気遣っている。


「本当は不安で仕方ないのですが、まだご挨拶をしていないのに気付いて怖々出てきました」


 顔を見合わせて譲り合うばかりで誰も返事をしようとしないことに焦れてアキが口を開いた。


「そねぃな心配いらんけぇ、なんぼでも降りてきんさい」


 おどおどした様子を気の毒に思ったか、吉田の若嫁も一言返す。


「詳しいことは知らんが大小(だいしょう)は聞いたけぇ、皆で守っちゃるけぇ安心しんさい」


 日焼けした小男の吉田は、村のとりまとめ役でもある。しかし、小さな諍いしか経験していないことから相手の気持ちを推し量ることができないらしく、快活に話すべきか、腫れ物にさわるよう話すべきか判断できずにいた。


「食べるものはあってかね? 普段何を食べよるん?」


 若嫁が場をなごませるために話題をかえた。


「ナスやキュウリを食べてます。この前もらった干物と缶詰がまだ残っているから大丈夫です」


「肉や魚は食べんの?」


「買い物に行くのが不安で……。でも、茗荷や蕗があるからそれで……」


「そねぃなことしよったら病気になるけぇ、ちゃんとしたものを食べにゃあいけんよ。美味ぁこたぁなぁが、どこの家でもおかずくらいあるけぇ、遠慮せんこぉ降りてきんさい」


 それにくらべれば若嫁は頓着していない。思うことを自然に口にしている。


「吉田のお父っさぁ、今日は鮎釣れたかいね」


 油染みた作業衣の小男が魚籠を覗き込んだ。


「まだ行っとらんわぁや、あんた(かた)はどねぃか?」


「朝釣ってきたのがあるけぇ、取ってきちょう。ちぃと待ちんさいよ」


「いや、そんなご迷惑なことは……」


「なんの、こねいにいかぁワサビ貰うたんじゃけぇお返しじゃ」


「イカワサビですか?」


 女たちは方言を知らない。いかいをイカと聞き違え、どういう意味かアキが尋ねた。


「いかい、……大きいワサビじゃ。あんたら、珍しいものちゅうても何もなぁが、持っていんで食べんさい。みんな何でもえぇけぇ持ってきてやれや。早うせんとハミが出るとやれんけぇのう」


「本当にご迷惑ですから……」


「心配せんでもいいよ、何でもなぁことじゃ」


「あのう、ハミって何ですか?」


「ハミちゅうたらハミじゃが。……マムシのことぃね」


「暗くなるとマムシが出るんですか?」


「夜は足元が見えんけぇねぇ、気付かんことが多いんよ」


「今日も一匹殺したけど……」


 アキの背に隠れるようにしていた美鈴が呟いた。


「ハミを殺いた? どねぃして?」


「竹の棒で叩いて」


「そうかね、そらあ偉ぁわ」


 マムシを叩き殺したと聞いて吉田がにっこり微笑んだ。


「草の近くを歩くなって教えてもらいました」


「そうそう。草の下に隠れとるけぇのう。誰がそんなこと教えてくれたん?」


「名古屋から来た女の子です」


「名古屋みたいな都会ァにもハミがおるんかいのう」


「実家が秋田で、林業だそうです」


「それぃか、じゃが、ちゃんと殺さにゃやれんで。おーっ、皆がごちそう提げて戻ってきたで、貰うていきんさい」


 肉・魚・卵・煮物……皆がてんでに持ち寄った食べ物が小山のように並べられ、思わぬ成り行きにとまどいながら


「ご挨拶だけと思っていたのに、こんなにしていただいてありがとうございます。迷惑をかけたのが心苦しくて、どうお礼をしたらいいのか……」


 アキは当惑していた。ほんの挨拶のつもりだったのに、ただ野菜をおいて逃げ帰るつもりだったのに細かな心配をしてくれている。とてもありがたく思う一方で、そのうち本性をみせるのではないかと警戒もしている。遠慮しているようにみせかけ、実は堅く守ろうとしているのである。


「なんの世話(せわ)ぁない、どうせ余り物なんじゃけぇ、そねぃな心配したらやれん。急がんでえぇけぇ、また降りてきんさい」


「ありがとうございます」


「早うせんと暗うなるけぇ、ハミが出るけぇ早う戻りんさい」


 努めて何気ない風を装いながら、吉田は追い立てるように女達に帰宅を促し、誰にも聞かれぬ小声で呟いた。


「慌てんでもええんじゃけえ……」




『やったぞ、おい! 即決だったら二百で我慢するそうだ。独断で手ェ打ったからな。揉めたら援護頼むぞ』


 受話器から市長のだみ声が響いてきた。


「二百か、そんくらいの額ならどうにでも名目がつくだろう、保養所にしてもいいし、研修施設でもいいか。改修費用が心配だけど援護射撃ぐらいまかせとけ」


 こんなばかでかい声では内緒話にならないとあらためて大隅は思った。


『あんたの方はどうだ?』


「そういうことは聞いちゃいかん。妙案なんかあるわけない」


『そうだよな、わしら本職が違うからな』


「ご機嫌とり一本しか考えつかん」


『そうだな、明日は亀にでもなるか』


「泥亀二匹、いらんこと言わずに黙ってるか。それにしても表立って話せんのが面倒だな、毎度電話で連絡するだけだ、それも自宅でだぞ」


『もう少しの辛抱だ』


「早くしないと選挙に間に合わんのだがな」


『そん時は途中経過をぶちあげるしかないな。とにかく、今日の話はこれだけだ』



 大隈に電話で知らせたように、市長の見切り発車で施設の所有権を得たことが翌日の会合で披露された。


「そんなに急いでいいのかな、慌てすぎだぞ」


 得意げな市長の報告に村井が異議を唱えた。


「毎度の暴走とはいえ、絶対に横槍が入るな。何本入るかわからんぞ」


 議会の承認を後回しに市長が独走したのを知り、吉村は不安を感じた。


「お互い部外者だからな。手助けができないんだから少し落ち着けばいいのに。ここはうまい言い訳を考えておかんとまずいんじゃないか?」


 隣あう村井と吉村が対策を相談しだした。すばやい対応を評価してくれると得意顔をしていた市長が憮然とした顔で参加者を睨みつけている。


「どういうことだ、日頃の対応が悪いって言ってたくせに、契約したら足元をすくうようなことを言って。何もせん方が良かったのか!」


「怒った? おもしろくないだろ? この前俺が苦情を言った意味が理解できた?」


「仕返しか!」


「仕返しならもっと打ちのめしてやるよ。いいことをしてくれたんだ、ありがたいと思ってるよ。でもな、そうやって前向きに考えたり行動したりしてるのを、今みたいに否定されたら面白くないだろ? それに気付いてもらいたかったということさ」


「お前ら、いつか絶対に仕返ししてやるからな」


「機嫌直してよ。で、いつから使えるの?」


「もう名義を移す手続きをしてる、それが終わりしだい使ってかまわん」


「お彼岸頃なら大丈夫なわけだ、鍵は?」


「来週にも合鍵を渡す」


「怒るなっていうの。小学生と同じだぞ」


「そう簡単に収まるか!」


「ちょっと効きすぎたか。じゃあ市長は放っておいて、都築さんと鈴森さんは?」

 もういいだろうと肘をつつく吉村の合図を受けて、村井は若手議員に課した宿題の結果報告に切り替えた。


「それが……、妙案がなくて……。それで二人で考えたんだけど、現地の様子をまったく知らないのがそもそも間違ってるということになって、一度現地を案内してもらえませんか。そうでなきゃ始まらないと思うんです」


「現地で何を見たいの?」


「環境です。どんな土地なのか、何が採れるのか、人の出入りはどうなのか、物流はどうか。どれも自分の目で確かめたいのです」


 前回ほどではないにせよ、どこか好戦的な態度をかくそうとせずに鈴森が答えた。


「それに、どんなことをしたいのか、どんなことならできるのかも訊ねたい。希望に沿うようなことがあればいいけど、それでも本人達の考えを直接訊ねたいのです」


 都築は鈴森ほどではないが、それでも村井の力量を推し量ろうとしている。二人に共通しているのは、なぜどこの誰ともしれない男のご機嫌をうかがわねばならないか不満が高じていることである。


「それで答えを考えられなかったということですか?」


 村井はむっとした表情を露骨に表している。


「そうです。失望されました?」


「宿題ができなかったから怒っているんじゃないかと様子をさぐってるわけですね、どうです?」


 言葉尻に滲む意図を感じ、村井は神経戦を楽しんでいた。


「ちょっと村井さん、そんな苛めは良くないよ。白黒はっきり言うべきだよ」


 険悪になりそうな状況を抑えようと宮内が割って入る。


「そうだな、大の男を相手にネチネチ苛めるのは後味が悪いか。はっきり言うから腹据えて聞いてもらおうかな」


「やっぱり失格ですか?」


「なんだ二人とも、せっかく遊べると期待したのに裏切ってくれて、おもしろくない」


「すいません、経験不足を痛感しています」


「何を勘違いしてるの、合格だよ」


「合格? 何もしていないのに?」


「現地を自分の目で見ること、相手の気持ちを理解しようとすること、それに気付いたんだから合格だよ」


「よかった、きっと怒鳴られるとビクビクしてたんです。それでよかったんですか?」


「あんた達は何も知らないんだからね、現場をちゃんと自分で歩くことが一番の近道になるはずだよ」


「それで、現地にはいつ頃案内してもらえるんですか?」


「稲刈りの頃と言ってあるから来月の末か十月初めを予定してほしいな」


「誰が行くんです?」


「誰って、俺とあんた達二人でいいだろう」


「言いにくいんだけど、怒らないで聞いてもらえます?」


「どんなこと?」


「鰻屋のご主人が知恵を貸せるかもしれないから同行させろと言うんですが」


「鰻屋? あいつに相談したのか」


「いえ、二人でしょんぼりしてたら話しかけてきて、知恵がないことを白状したら現地をみせろって。なんか自信ありげだったんです」


「内容を白状したの?」


「そんなことはしてません。ある事情で困っている女性がいるとしか言っていません」


「さてどうしたものかな。あなたたちはどう思う?」


「手伝ってもらえればありがたいと思います。正直言って手詰まりなんです」


 実際に何もアイデアが浮かばないのは事実なのだが、そんなことより村井の化けの皮を剥いでやろうというのが二人の本心である。それを気取られぬために従順を装うつもりでいる。


「いいじゃないか。誰かの口癖だったな、視点を変えろって」


 市長も大隈もそれに賛成した。


「女の身になって考えてもらえませんか、もう少し慎重になってほしいですね」


「そうだよ。あの怯えた顔を思い出してよ」


 すかさず橋本が反対を唱え、宮内もそれを後押しした。


「いつもは突っ走る元気娘が今日は慎重派か」


「だって知らない人ばかりだからね、また不安にさせちゃうよ」


 村井にからかわれても素直にみとめ、本人達を思いやる優しさを求め続けている。


「そこなんだよな……。課長はどんな意見だ?」


「功罪伯仲ということなんだろ? ひょっとすれば妙案がうかぶかもしれないし、逆かもしれない。むこうの人達を不安にさせるのは間違いないだろうな。まあこの件の秘密が漏れるということは考えなくてもいいだろうが、その点でも不安にさせるだろう。不安材料の方が多いな」


「意見が半々に分かれるということか」


「待てよ、まだ終わってないよ」


「黙ったから終わったと思うだろ、はっきりしろよ」


「確かに不安材料が多いけど、それは村井の働きで解消できることばかりだから、手助けを求めるメリットの方が大きいと思う。……終わったぞ」


「均衡が崩れたな、反論はないか?」


「気持ちを乱さないことを約束できるなら認めていいよ」


 橋本が意見を言わないためか、宮内が譲歩をした。


「約束って言われても口下手だから自信ないしな」


「冗談はいいから、精一杯努力してよね」


「だそうだ。悪いけど鰻屋にはあんたたちからお願いしてもらいたいんだけどな」


「もちろんそうしますが、もう一つ問題が」


「まだあるの?」


「その時の費用なんですが、政務調査費からの支出でいいでしょうか?」


「領収書さえあれば問題ないぞ」


「村井さんと鰻屋の分はどうしましょう」


「助言を受けるために同行してもらうんだから大丈夫だ」


「旅費、宿泊費・日当を認めてもらえますか?」


「日当かぁ。仕方ないなあ、何か言われたら援護してやるから」


「よかった、それなら安心できる」


「それでいつ頃行きます?」


「そうだな、九月最終の金曜夜出発でどうかな」


「自動車ですか?」


「むこうでの足が必要でね。新幹線でもいいけどレンタカーが必要だし、費用がね」


「よし、今日はこれくらいだな。俺をコケにして始まった面白くない会議だった。絶対に仕返ししてやるからな」


「まだ言ってるよ」





「着いた、ここだ。皆を呼んでくるから絶対に車の中にいてくれよ。間違っても変な動きをするなよ」


 若手議員と鰻屋を案内してきた村井がくどく念を押して車から降り立ち、家の表で声をかけた。


「おはよう、村井だけど。約束どおり稲刈りに合わせて来たよ。この前の話のことで助太刀を三人連れてきた。心配ないから出てきてくれよ」


「こんどは誰なの?」


 前回と同じく恵子が細めに開けた入り口から様子を窺っている。その仕草があまりに哀れに感じ、村井は努めて気軽にふるまうことにした。


「若い二人は市会議員で、もう一人は鰻屋の亭主。由紀子さん覚えてないか、救援課に来た日のこと」


「空手の?」


 言葉が雑なのと子供っぽいしぐさが憎めない男であった。若者を相手に試合をして負けたくせに大喜びしていたのを由紀子は覚えていた。


「そうそう。いやね、あんたたちに何をさせればいいか妙案がなくてね、あいつなら商売が違うから何かヒントを見つけられるかもしれないということで」


「いいよ、そういうことなら信じる。とりあえずあがってよ」


 今回は由紀子の証言があるということで簡単に信用してもらうことができた。


「ご飯まだなんでしょ? 今準備してたところだからいっしょに食べる?」


 ちょうど朝食を始めようとしていたらしく、食卓に茶碗が並んでいる。それを見て鰻屋が嬉しそうな顔をした。


「そうか! ちょうどいいや」


「何が?」


「土産。商売物で悪いけど鰻の差し入れ。朝から食べるには少し脂っこいか?」


「鰻? 食べるよ、もう何年も食べてないよ。もったいないから半分だけにしてさ、残りは夜にしない?」


 本当に久しぶりなのだろう、皆の顔がパッと明るくなった。


「けちくさいことを言わないの。二十人分焼いてきたから心配するな」


「じゃあ仕度しようかね」


 初枝が立ち上がった。


「職人をさしおいて何をしたいんだ? 本職にまかせとけって。台所どこだ?」



「一つお知らせがあってね、あの国民宿舎を使えることになったんだよ。だからといって今日から寝泊りしようとは考えないでくれよ。あんた達の本拠地はこの家だからな」


「借りることができたんですか?」


「買った。登記も済ませてあるから名古屋市の施設になってる」


「そんなことができるのですか?」


 こともなげな村井の説明に女達は驚いた。あんな大きな建物をいとも簡単に買うなど、天地が逆さまになるようなことであった。加奈もたいそう驚いていた。自分達のほんの思いつきに耳を傾け、野とも山ともしれないことを後押ししようとしている。そんな行政があることが驚きであるし、こんな遠くに何度も足を運ぶことを不思議とさえ感じていた。わけても村井に対しては、別の意図があるのではないかと疑ってさえいた。


「だから悩むところなんだよ」


 そんな加奈の思惑をまったく知らず、村井は続けた。


「実は、施設の目的がまだ確定していないのです。要は、あなた達の考えるような事業が軌道にのれば問題ないのですが、現時点では事業内容すら白紙ですから」


「それで、あなた達の考えをじかに知りたくて案内してもらいました」


「何がしたいとか、これならできるということはありませんか?」


「そう言われても、……言うとおりにやれっていわれ続けてきたから」


 都築と鈴森が代わる代わる話を聞きだそうとするのだが、話の仕方を知らないのと、女達のされてきたことを理解できていないのだから全く要領を得ない。その証拠に、議員から話し掛けられるたびにびくっとし続けている。このままでは無用に身構えさせてしまうとみて村井は助け舟を出した。


「急がなくていいよ、希望がかなうとはかぎらないんだからさ」



「村井さん、とんだ失敗だわ」


 朝食の用意を中断して大将がすまなさそうに頭をかいた。


「どうした?」


「吸い口とワサビ、店の冷蔵庫に入れたままうっかり忘れてきちゃった」


「しかたないよ、ない物ねだりはできんし」


「ワサビなら山にあるよ、柚子も山にある。他にいるものある?」


 鰻にすっかり気をよくしたのか、美鈴が身を乗り出した。


「ある? 本当に? 細いネギが少しあればありがたいんだが」


「全部あるよ」


「案内してくれ、せっかくの鰻が二級品になってしまう。ないのなら仕方ないけど山にあるんだろ? ちょっと採ってくるわ」


「朝ごはんどうするの」


「飢え死にするわけじゃないんだからさ、のんびり待ってろ」


 言い捨てて美鈴を案内にたて、大将は勇んで表に出て行った。



「確かこの辺りで採ったのが柚子だったんだけどなぁ」


 見当をつけたあたりでまわりを見回して、確かな記憶がないことに美鈴が途方にくれている。梅をもいだあたりで柚子の実をとったことは覚えていても、どれが柚子の木なのか美鈴には判らない。大見得をきって案内したまではよかったが、うまく探せなかったらどうしよう。まさかとは思うが、それで罵られるのではないだろうかという不安がつのってきた。


「この辺りなぁ、俺は柚子の木なんか知らないからな。お姉ちゃんも名古屋なんだろう? 二人とも素人ってことだよな、見つからないのは仕方ないとするか」


 もう諦めてワサビをとりに行こうと言いかけたとき、キョロキョロ見回し続けていた美鈴が一本の木を指差した。


「あれ違う? 大きな実がついてるけど」


「どれ、あぁあれな、ちょっと見てこようか」


 指差す木にはピンポン玉を大きくしたぐらいの実がいっぱいぶらさがっている。葉と同じ色をしているので見分けがつかなかったのだろうが、あらためて見回してみると、方々に同じような実をつけた木で林のようになっている。


「当りだぞ、柚子だ。あっちにもある、奥にもある。……すごいなこれは、宝の山だ。秋になったら一面真っ黄っ黄になるくらいあるぞ。ここは宝の山だ」


 無尽蔵に実る柚子を想像すると料理人の血が騒ぐらしい。


「そうなの?」


「これがあれば商売になるわ。ちょっと待っててくれよ、お宝をいただくからな」


「何にするの?」


「これで調味料をつくれば売れる、絶対売れる。間違いない」


「私達にできるの?」


「ちゃんと教えてやるから心配するな」


 まだ寒くないので半袖でいることが災いしたのか、長い棘に刺されたり、引っかいたりして血まみれになっておりてきた。


「そんなに採ってきて重くない?」


「このくらい平気だ」


「ワサビはまだずいぶん先だよ。長雨で道が悪いし、けっこう登るんだけど」


「……ここに置いておくか」


「そのほうがいいよ。鎌返してよ」


「ほらよ、心配か?」


「そうじゃなくて、マムシを殺す道具を用意しておくから」


「マムシがいるのか? 嘘だろ? 俺だめだからな」


「蛇だめなの?」


「鰻はいいけど蛇は苦手だ」


「なさけないね、でも道具さえありゃ大丈夫」


「どうするんだ?」


「殺す。案外簡単だよ」


「殺す? お姉ちゃんたいした度胸だな、そこいらのチンピラより肝が据わってるじゃないか。へーえ、可愛い顔してるのになあ、わからんもんだ」


 鰻屋の声が完全に裏返っていた。いとも簡単にマムシを退治するという美鈴を驚いて見つめている。


「女の子が教えてくれたんだよ。柚子も梅もワサビも。それに蝮の殺し方もね」


「そんな女の子がいるのか、まいったね」


「背は低いのに力持ちでね、丸太二本かついで山をおりたんだ。おかげで毎日椎茸を食べることができた。その子の方がおじさんより木登り上手だったよ」


「まさかと思うけど、地下足袋履いてたか?」


 ふっと食事会の壁登りを思い出していた。


「うん、安全ベルトもしてた。長袖の作業衣でね、シェパード連れてた」


「ああ、あいつか。あいつなら遊び半分でやるだろうよ、四階建ての屋上までロープで登るような化け物だ、かないっこないよ。実はな、おじさんの娘の友達なんだ」



「ほら、ここにワサビが生えてる」


「なんだおい、いっぱいあるじゃないか。抜いていいか?」


「下の方のにしてね、泥を被るとまずいそうだから」


「へー、いいワサビだな。ごめん、あの大きい葉の株も抜かせてくれ」


「あれで終わりだよ」


「わかってる、無茶しないよ」


「お姉ちゃん、これもすごいお宝だわ」


「そうなの?」


「そうさ、町に出回ってるのとは種類も質も違う。細い根っこをかじるだけでツーンとするだろ、間違いなく一級品だ」


「そんなすごいのを食べてたんだ」


「よし、帰るぞ。どんな商売ができるか見えてきた」


「商売になる?」


「なるなる、おじさんより金持ちになれるかもしれん」



「ただいまー」


「先生、カジヤ、待たせたな。腹へったか?」


 庭先から二人の声が響いてきた。堅苦しい話が続いていたことに倦んでいた加奈は、美鈴が無事に帰ったことで一安心した。とりあえず受け入れてはいるが、本当に味方かどうか疑いをすてきれないでいるのである。無事に戻れば一安心というだけのことである。


「目まいしそう」


「先生はやめてください。なんか馬鹿にされてるようで気分が悪くなります」


「そうかそうか、いい土産があるぞ」


「何を採ってきた?」


「これだ」


「何だこれ?」


「柚子とイガ栗とワサビだ。まだ茗荷があったから採ってきた」


「これが土産ですか?」


「あとで教えてやるって。食事の仕度が先だろう?」


「たのむ、もう腹ペコ」



「村井さん達は鰻を食べないんですか?」


「いいよ、俺達はいつでも食べられるんだし、特に俺は商売物だから飽きてるんだ。あんた達が食べてる物をいただくよ」


「いいんですか?」


「こっちの方が旨そうですね」


「待てよ、おい。俺の鰻より旨そうだって言うのか?」


 議員の不用意な相槌を耳にして鰻屋が箸を置いた。


「そんな、言葉のアヤじゃないですか。何も怒らなくても」


「俺は食い物商売してるんだぞ。それを目の前にしやがって、俺の鰻にケチつけるのか? こっちもって言うのが礼儀だろうが。よくそれで議員になれたもんだな」


「すみません」


「そんなに苛めるなよ、相手は素人なんだからさ」


 素人相手に大人気ないと村井が割って入った。


「そうだけど、ケジメをつけんとな。若いうちに礼儀を叩き込まんと高慢ちきになっちまう。本人のためだ」


「もっと優しく教えてやればいいんだよ。ところで、どうして鰻を食べないんだ?」


「……嫌なもの見ちゃって、思い出したくない」


 思い出したくないことを思い出さされ、大将がそっぽ向いた。


「何を見た? 市長のポスターか? 大隈さんのか? どっちも不気味だよな」


「思い出したくないって言ってるだろ!」


「妙だな、たいがいのことなら平気なはずなんだけど。……さては山で何かあったな」


「何かあったの?」


 おかしな素振りはないが、万一を考えて恵子が美鈴にあらましを尋ねた。


「別に何も。柚子をもいで、イガ栗を落として、マムシを殺して、ワサビを抜いて、帰り際に茗荷を採っただけだよ」


「いたの?」


「うん。雨上がりだからいいかなと思ったんだけど、いてさ」


「どの辺り?」


「いつもの辺り。あそこ居心地がいいのかな」


「殺した?」


「咬まれたら損だからいつものように棒で叩いて。そういえばそれからおじさん無口になったね」


 何が原因かわからないまま美鈴が正直に答えた。


「お前、鰻で商売してるのに蛇は苦手なのか」


「黙れ! それ以上言ったら教えてやらないぞ」


「ひょっとして土産っていうのはそのことか?」


「当たり前だ、食い物見つけただけでキャーキャー騒ぐわけないだろうが」


「そうか、それならおとなしくするか」


「ちょっと忙しいぞ。せっかく材料があるんだからサンプルを作ってやるからよ」


「夕方までに済むか?」


「どうして」


「大竹で人に会う約束があってな」


「親戚でもいるのか?」


「いや、ちょっとな」


「誰なんです?」


 こういう井戸端会議になると恵子は興味をそそられる。


「由紀子さんを乗せてきた青木さんだよ。廿日市から大竹に移動になったらしいんだ。岩国のすぐ隣だから会う約束になってる。今日は岩国に泊まって、明日また来るから」


「今日は何をするのです?」


「鍵を預かってきたから点検をね。昼頃に電気を使えるようにしてもらうから立ち会わないといけないし、議員さんには川上さんに挨拶してもらわなけりゃいけないし。中を見てみる?」


「いいんですか?」


「いいよ。ただし、まだ住むことはできないからね」


「こっちも何人か手伝いをたのみたいんだけどな。手伝いというより、作り方を教えるということだからな」


 大将は自分がいる間に少しでも覚えさせようと考えた。


「私、こっちを手伝う」


 黙ってやりとりを聞いていた加奈は、咄嗟に料理の手伝いを申し出た。何を自分たちにさせようとしているのか窺い知ることはできないが、うまくすれば料理のしかたを学ぶことができるし、退屈な話に加わらなくてすむという打算もあった。


「加奈さんこっち? じゃあ私も手伝う。母ちゃんはどうする?」


「手伝うけど留守番するよ」


「由紀子さんは?」


「私も手伝おうかな」


「それならアキと私が見に行こうか」


「決まった? 目的ができると楽しくならない?」


「まだそこまでは……」




 足腰の弱い議員が肩で大きく息をきらせるのをからかいながら国道に上ると、以前見たままの建物がデンと建っていて、駐車場に川上が待っていた。


「いつも迷惑をかけるばかりで申し訳ありません。移転手続きが済みましたので、電気を通してもらうことになりました。

 こちらは市会議員の都築さんと鈴森さんです。これからもお願いすることが多いと思いますがよろしくお願いします。錦町の職員で、福祉課の川上さんです。いつも迷惑をかけっぱなしなんですよ」


 三人が名刺交換を終えるのを待って川上に話しかける。


「さて、中の様子がどんなになっているかだけど」



「案外きれいですね。埃が積もってるだけだから簡単な掃除で済むんじゃないですか?」


「備品に掃除機もありましたよね。電気やガスが通じればすぐにでも生活できますよ」


「問題は内装をどうするかなんだけど、このままにしておけば経費もかからないし快適なんだけど贅沢すぎるな。こんなホテル住まいじゃ我侭になってしまう。あんなボロ屋で不満だろうけど、みんな強くなっただろ?」


「確かに不便だけど安心して生活できるから十分です」


「悪いね、苦労かけるね。それにしても蛇殺しを続けてるんだって? 感心したよ」


「あれをやったおかげで少し自信がついたみたいです。下の人達に挨拶に行ったらお土産をもらえたし」


「挨拶に行った? すごいじゃないの、勇気をだしたんだね」


「皆さん親切にしてくれます」


「ほとんどの人は親切なんだよ。悪い奴なんか一握りしかいない。それに、女性や子供に悪さをする奴は最低の弱虫なんだ。マムシを殺すような根性なんかあるもんか」


「今の生活の方がいいと思います。全部自分でやらなけりゃいけないからクヨクヨ考える暇がなくて。由紀子さんなんかまだ二月なのにあんなになりました。元がしっかりした人だったんでしょうね」


「そうじゃないと思うよ。皆が支えてくれたから早く回復してるんだと思う。支え合いだろうね」


「支え合いですか?」


「この話を知った時にどう思ったか想像できる?」


「さあ」


「アキさんは?」


「私にもわかりません」


「そうか。実はね、他人の辛さに眼を向けたのを知ってね、この人達は優しい人なんだなぁって嬉しくなって、俺なんかじゃ太刀打ちできないような心の広い人だって感心したんだよ」


「そんな、私達は普通に生活してるだけで、特別なことは……」


「それさ、その何気なさがいいんだよ。きっとその気持ちに救われる人がいると思うよ」


「そうかな……」


「そうだよ、俺が保証するから自信を失っちゃあいけないよ」


「自信なんかありませんよ」


「そう思おうとしてるんじゃないかな? 今のままの自分を認めるんだよ、哀しい時は哀しいのが当たり前。辛い時は気持ちが沈んで当たり前。だから、ちょっとした喜びをみつけてうんと喜んでほしい。それが元のあんた達に戻る近道だよ」


「戻れますかね」


「戻れるさ、でなきゃ他人の世話はできないよ。とにかく、先のことを話し合おうよ」


「村井さん、立ち話は酷ですよ、座れるようにしましょうよ」


「そうだね、その裏向きにしてある椅子なら埃が積もっていないだろう、ちょっと車座になって話すか」


「電気がきてればいいのに、ちょっと薄暗いな」


「そのうち工事にくるよ、話したいことがいっぱいあるんだから時間がもったいない」


「 二人には実情をよく掴んで帰ってほしいですね」


「よろしくお願いします」



 一団が町に出てきたのはちょうど開店直後で、真っ先に立ち寄った魚屋にはよく肥えた魚がとりどりに並べられていた。


「こういうのが本当の魚屋なんだ。自分達はこういう店を知らないんじゃないか?」


 店先の魚をあらためながら大将が言った。


「スーパーで切り身しか買わなかった。丸ごと買うのはサンマやアジくらい」


 加奈が答えた。あいかわらずボソッとした言い方である。


「由紀子さんは?」


 美鈴が由紀子に訊ねた。


「私、魚を調理できないから」


「そう言うお姉ちゃんはどうなんだ」


「私は料理できない。っていうか、したことがない」


「そうか、じゃあ手本を見せてやる。せっかく上等なワサビがあるんだから当然刺身だよな」


「刺身ですか?」


「何が食べたい? まず魚を選んでくれ」


「イカがいい」


 加奈はイカが好きである。


「イカな、どんな食べ方がいい? 刺身か? そうめんか?」


「両方」


「そうか、どっちも食べたいよな。他はどうだ?」


「鯛はどう?」


 美鈴には魚の知識がなかった。魚の名前を知らないのである。わずかに知っているのが鯛とマグロ。他は見分けがつかなかった。


「鯛な、どんな食べ方がいい?」


「普通の刺身しか知らないよ」


「そうか、いろんな食べ方があるんだけどな、まあまかせとけ。他はどうだ?」


「アジを食べたいです」


 由紀子は遠慮していた。一人分ならともかく、人数を考えたらかなりの出費である。それをまかなうことができないのだから、本当は黙っていたかったのである。


「アジか……。アジならワサビより生姜だが、まあいいか。他はないか?」


「もうそれくらいで」


 由紀子は慌てて大将に買い物をさせまいとした。


「なんだ遠慮してるのか。それなら少し目先をかえて、カンパチとサザエ、マグロと海老をもらおうか。この鮎は天然か? なんか養殖っぽい顔してるな。まあいいや、鮎を二十匹。これだけ包んでくれよ。安くして、海草をつけてくれよ」


「そんなにたくさん買うの?」


「魚はこれくらいでいいだろう。次は野菜だ」


「野菜?」


「魚だけでは彩りが悪いからな、それに、商売に必要なものを買わなきゃいかんしな」


「商売?」


 何をさせようとしているのかと加奈は思った。


「そうさ、サンプルを作るのに必要なものさ」


「何がいるの?」


 美鈴は大将が悪い人ではないと判断したのか、少しうちとけている。


「青唐辛子があればいいんだがな、なければ普通の唐辛子でもいい。それと、誰か荒物屋で買い物してきてくれんか」


「何がいりますか?」


 早く帰りたい一心で由紀子も買う物を訊ねた。


「大きめのおろし金、すり鉢、スリコギ、ボール、蓋のできるビンを五個。これで買ってきてくれ」


「もう一人は食塩を二袋。その間に八百屋で買い物済ませるからここに集まろうか」




 買い物から戻った鰻屋は、庭先に食材を並べて作業の説明をしている。


「まず、柚子の皮をおろし金でおろしてくれ、そうだな、十個くらいにしようか。もう一人は唐辛子を開いて種を取ってくれ。そこにある分全部な。

 次に、唐辛子の皮をすりおろして柚子の皮とすり鉢で混ぜる。それに塩を加えて混ぜるのだけど、味加減は俺がやる。お姉ちゃんは竹の器を作ってくれ。そうだな、節から一センチくらいで切って、反対側を節から二センチくらいにしてくれ。切り口は斜めでもかまわん。要は盃だな。それを十個。あとは、一節ずつに切って割って皿にしてくれ。それも十個。ついでに大きめの笹の葉を三十枚ほど採ってきてくれ」


 作業をざっと説明し、器をつくることを美鈴にたのんだ。


「私は何をしようかね?」


 初枝も手伝うことを訊ねている。


「あんたは刺身のツマをたのむ。大根にキュウリを一割くらい混ぜてくれ。それができたらキュウリのナマスの下ごしらえをたのむ」


「今日はご馳走だね」


「俺が来たんだ、ご馳走に決まってるさ。これでも京料理を修業した本物の板前なんだからな、なかなか食べられないご馳走を作ってやる。

 すること判ったか? じゃあ始める前に儀式をするからな」


「儀式?」


「まず、お茶を飲んで、手をよく洗うのが儀式だ」


「休みたいだけじゃないの?」


「そうともいうけど、慌てなくていい」


「五分だけだよ」


「たった五分?」


「私、柚子の皮をおろす」


 加奈はおろし金をとった。


「よく洗って、水気をふき取ってからにしてくれよ、ベトベトになると困るからな。見本をみせるからよく見とけ」


 シャカシャカシャカシャカ

 軽く調子をとって内袋ぎりぎりまで厚皮をおろして、小ぶりなボールにしてしまう。


「このくらいでいいや。この皮が旨いものに化けるんだ。残りも使うから捨てるなよ」


「唐辛子はどうするんですか?」


 すぐに由紀子が唐辛子をどうすればよいのか訊ねた。


「たてに包丁入れると開くだろ、この種をぶらさげてるやつが辛いんだ。だから包丁の背でしごいて取ってしまう。それを束ねてすりおろすんだ。指までおろすなよ」


「私はどうしようかね?」


「そうだな、まずワサビの泥をおとして、次に刺身のツマだ。それが終わったらキュウリを薄く輪切りにしてくれ。ちょっと待てよ、おい。休憩はどうなったんだ?」



「どうだ、進んでるか?」


「早速作ってるから試食させてやるよ。どうせなら食べ方も教えようと思ってな、魚を料理するからな」


「魚? まさか刺身か?」


「高級ワサビがあるんだから刺身が基本だろうが」


「うちの食事より豪華なのか?」


「そんな酷い食生活なのか? というより、魚が安いんだ。それよりちょっと心配なんだけど、ここの人は木の葉を目利きできるか?」


「無理だな、素人ばっかりだもん。何か考えがあるのか?」


「木の葉を集めて商売をすればいいんだがな」


「木の葉で商売?」


「俺の店でもそうだけど、料理の彩りに木の葉や花を使うことが多くてな、市場で買うとけっこう値が張るんだ。」


「協力をたのむことはできるぞ」


「それなら好都合だ。ちょうどいいや呼んでこいよ、食べながらお願いすればいい」


「接待しちゃうんだな、料理は足るか?」


「ちゃんとできるって。俺達はなくてもかまわんだろう?」


「いつごろ始める?」


「二時でどうだ、夕方に約束してるんだろ?」


「じゃあ誘ってくる、二人くらいなら大丈夫か?」


「三人でも四人でもいいぞ」




「いつも気にかけてもらってありがたく思っています。実は、この人達に事業をさせることになりまして、いろいろ手助けをお願いしたくてその説明をかねて来てもらったわけなんです」


 村井は村の人達に日頃の礼を述べ、大雑把な説明をした。


「事業? こねぃな田舎で何をするんかいね」


「この人達の発案なんですが、同じ境遇の人を助けることになりまして、その費用を稼ぐために事業を始めようということです。それで何をするのがいいか悩んでいたのですが、解決策ができたようなので皆さんにも確かめてもらおうということです」


「それと料理と関係あるんかいね」


「それはこの人から説明させます」


 村井に促されて鰻屋が立ち上がった。


「まあ難しく考えないでまず箸をつけてください。特に珍しいものはありませんが、何も言わずに食べてください」


「食べればいいのか?」


「醤油だけで、刺身にワサビをのせて、最後に、ワサビの隣にある緑色のをのせて食べ較べてください。次は酢の物も同じようにして食べ較べてもらえませんか。

 どうです?」



「ここには柚子もワサビもあります。これを使えば料理が一段とおいしくなります。

 どうです、柚子の香りは上品じゃないですか。今は刺身と酢の物でしたが、鍋物にもあうんですよ。この調味料をつくれば売れると思うんです。

 それと、料理を見てください。ここではありきたりな物かもしれませんが、南天の葉がきれいでしょ? こうすると刺身が鮮やかに見えるんです。栗のイガでも、笹の葉でも竹でも立派に料理をひきたててくれます。さざえの殻なんかそのまま器になりますね。

 刺身にワサビの花を添えたり、天ぷらにモミジを添えるとどうです? 見た目で旨く感じてしまうんですね。普通の料理を美術品にしてくれるんですよ。だけど市場で買おうとしても値段が高くて、結局高級な店が使うだけなんです。一般の店でも使えるような値段にすれば商売として成り立つはずですよ」


「こねぃなものがのう」


「材料は山にあるものばかりだから仕入れは無料です。やってみて駄目だったとしても、ただ働きしただけで諦められます」


「そらあまぁ、あんたらがやることじゃけぇ、わしらはどうでもえぇが……。まぁやってみんさい」


「それと、道路沿いの国民宿舎なんですが、名古屋市が買い取りました。改装やら何やら具体的なことは白紙ですが、御報告しておきます」


「名古屋にはおもしろい人がたくさんいるんですね」


 前回といい今回といい、毛色の違う者が当たり前のように物を言うことが、川上にはまぶしく映るようだ。


「川上さんのところにはいませんか? どこにでもいると思いますよ。助けてもらえるような付き合い方をすればいいだけですよ」


「それが難しい」


「簡単ですよ、相手を尊重して真面目に付き合えばいいだけです。それでだめな人は縁がないと思って諦めればいいんです」


「なるほど、原則は簡単なことか。でもうまくいかないんですよね」


「結局煩悩が障害になるんでしょうね。


 川上さん、皆さん、申し訳ないけど約束があるので今日は失礼します。明日の朝には戻りますのでまたお話しを聞かせてください」


「今日はどこで泊まるのですか? なんならうちに泊まってもらってもいいけど」


「ありがたいけど、今日は岩国で泊まります。大竹で五時半の約束だからもう行かなきゃいけません。せっかく料理がありますのでゆっくりしてやってください」


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