現地視察 (災害救援課 出動)
「そうか、すぐ行くから人を集めてくれないか。今日は大福が遊んでないか? なんだ、もう始めてるのか。ショベルの経験者を集めて、レンタル業者に連絡とってくれ。今日は日曜だから業者がいてくれればいいが、とにかく準備をすすめておいてくれ」
吉村は、居間でうたた寝をしていたところを叩き起され、ちらっと時計を見ると零時半。発生から要請までが早すぎるような気がする。最初から諦めて助けを求めるにしても現場を見なければ被害の様子が判らないはずだから、よほど迅速な対応をしたのだろう。現場から指揮者が直接電話したのでなければ辻褄が合わない。どうなってるんだろう、ほんの一瞬だけだが訝しく思った。
「うーん、誰に行って貰うか考えるのって難しいなー。とりあえず、土木と犬を先行させるのは当然だよね。誰に頼めばいいのかな……」
事務所では大福が唸り続けている。係長になって初めての体験なのだから無理はないが、手足になって働くことと人を束ねることの違いに戸惑っている。
「まいったな、業者が休みだよ。運転手は三人いるけど機械が手配できないじゃあ意味ないよ。どうする?」
向かいの机ではレンタル業者の手配ができず、宮内の指示を求めてきた。
「誰か街に出て、仕事してる工事現場で教えてもらってよ。あんたは電話帳で業者をさがすの。木村さんに連絡とれた? 近藤さんは? 亜矢を足止めしておいてよ」
人選で悩んでいるところに別の判断を求められ、宮内は苛立っていた。
「道具はどうするんだ? 特別なものがいるのか?」
事務室に頭だけ突っ込んで呑気に尋ねる者がいた。
「いつもと同じでいいと思う」
そんなこと自分で判断してよと、苛々しながらも宮内は軽く答える。
「思うじゃ困るよ、取りに帰るなんてできないんだからさ」
「うるさいわね! そんなにいっぺんに考えられる?」
その他人任せな言葉に宮内の苛々が爆発した。
「何を唸ってるんだ? ちょっと落ち着けよ」
折よく到着した吉村が部屋の外にまで響く怒鳴り声を軽く受け流し、部下達の混乱を収拾させようとする。
「何をのんびりしてるんですか、緊急事態ですよ」
ようやく現れた吉村にほっとした宮内は、吉村に喰いつくことで甘えようとしていた。一番年下の自分に判断を委ねようとする職員が許せなかったし、的確な判断ができない自分が情けないとも思っていたのである。
「精一杯急いだつもりだぞ。ファックスで送れればすぐに来れたんだがな。誰かその研究しないか? すぐに現場に行けるし交通費もかからん。成功したら大金持ち間違いないぞ」
宮内を完全にはぐらかすように、吉村は場違いな冗談を言った。
「何を馬鹿言ってるんですか。そんなことはいいから、どうするか決めてくださいよ」
「慌てるなって、何を決めた?」
「土木と犬を先行させようかと」
自信がないのかぼそぼそと言い訳めいてきこえる。
「正解だな、人数は?」
「それが決められないから困ってるの!」
さっきからの苛々が再び爆発した。
「落ち着けよ、家が埋まったのは何軒だ?」
「三軒だそうです」
「犬は何頭必要だ?」
「二頭いればなんとか……」
「土木は?」
「一軒に四人として十二人」
「それなら、土木十二人、犬二頭、指揮者。合計十五人を先行させよう。機材はトラックで運ぶ。それでいいだろう」
宮内にすれば責任者の決定だから素直に受け入れられる。
「誰を行かせますか?」
「責任者に人選させればいい。犬は?」
「吉岡君がいいと思います。ヒヨコが一番図太いから安心です」
「もう一頭は?」
「現地を知ってるから亜矢と小次郎ですかね」
「で、大福が指揮者で完成だ。簡単なことだ」
宮内は先行部隊の指揮者にされ、不安がつのってきた。
「アタシが指揮者?」
「当たり前だろうが、現場を経験しなかったら次も同じことで悩むことになるぞ」
「それはそうだけど……」
「心配するな、俺も最初はパニックになった。ところで、どこからの連絡だ?」
「それがね、なんと村井さんの携帯から」
「自分が応対したのか?」
「いや、アタシはいつもどおり皆と遊んでたから」
「かけ直してくれないか、嘘や冗談じゃないだろうが詳しいことが判るかもしれん」
「もしもし村井さん、救援課の宮内ですけど、村井さんの携帯ですよね」
「ああ、べっぴんのお姉ちゃんか」
「あれ? もしかして鰻屋の大将? 村井さんは?」
「あいつは現場を調べに行ったよ。俺は昼飯を買ってるところだ」
「詳しいことを知りたいから、連絡するように頼んでくれないかなあ」
「判った、三十分くらい時間かかるから待っててくれ」
「他に誰かいるの?」
「議員さんが二人。俺といっしょにいるから心配ない」
「業者がみつかったぞ、二時間で準備してくれるそうだ」
電話帳で調べて電話をかけまくっていた日直がほっとしたように言った。
「場所は?」
宮内の隣に立っていた吉村がすかさず尋ねる。
「港区、高速の入り口まで十分くらいだから好都合だな」
「やれやれだな、ちょっと着替えてくるからな」
着替えをしようと吉村が立ち上がったところに、木村と近藤が汗まみれになって到着した。
「木村さんは要員を集めてくれ、新幹線で走ってもらう。木村さんを含めて十二人、班長を鍛えるチャンスだ。近藤さんは三人でいいだろう、俺と車で走ってもらう。調理から一人、工作から二人集めてくれ。ショベルの運転手もいっしょにワゴンで後を追う。そうだな、実習生を四人連れていこう。トラック二台、ワゴン三台で走るぞ」
簡単な指示をしておいて吉村は着替えに行った。
「見てくれよ、出番だって言ったら平手で思い切り叩きやがった。男をあげてこいだと。まだヒリヒリする、痕になってないか?」
近藤がシャツをめくると背中にヤツデのような手形がくっきりとついている。
「うわっ、モミジならかわいいけどヤツデじゃあな。普段の行いが悪いんだぞ。それにしても仲がいいこって」
本人は意図していないのだろうが、近藤の行動は緊張をほぐしてくれることが多く、強張っていた宮内の表情をわずかに弛ませることになった。
「亜矢と吉岡君に出動してもらうからね、準備ができしだい新幹線で先発するから。特に亜矢、高所装備一式用意しといて」
「一式?」
救助犬の出動なのに高所装備と言われ、亜矢は怪訝な表情をした 。
「そう、安全帯や地下足袋もね。できるのは亜矢しかいないよ」
「そんな場所なの?」
「美鈴さんのいるところで山が崩れたの」
「美鈴さん達は? 埋まったのはそこなの?」
美鈴の暮らす山が崩れたと知り、亜矢は不安になった。自然の中で生き延びる知識をもたない者ばかりの集団であり、元気のない集団だからである。ましてや、少しでも関わりをもった者が被災したのである。初めての出動という不安など消し飛んでしまった。
「判らない。あの土地を知ってるのはアタシと亜矢だけだからね、ちゃんと働くんだよ」
「判った、準備してくる」
けたたましい音をたてて亜矢が飛び出すのと同時に電話が鳴った。
「係長、村井さんという人から電話」
『真琴か? 準備できたか?』
「もうじき新幹線で出発します。どんな状況ですか?」
『民家が三軒下敷きになってる。ついさっき消防と警察が着いたんだが完全に埋まってるからお手上げだよ。土砂で川が堰き止められて、早く水を抜かないと水没してしまう。それに、悪いことに例の家に行く道が崩れて孤立していて、そっちでも山が押してきてるんだ。全員の無事は確認した。危険を感じたら避難するように伝えたつもりだが、伝わったかはわからん。機材の到着は夜中だろ? 照明がほしいな。それと、連絡手段がないから無線機を何台か貸してくれよ』
「村井さんはどこにいるの?」
『国民宿舎を使えるようにする。食事や風呂はこっちで用意しておく』
「青木さんの携帯番号知らない?」
『知ってるけど』
「先導してもらえるように頼んでほしいんだけど」
『課長も来るのか?』
「トラックで走ります」
『課長の携帯に連絡するようたのんでおくよ。ついでにお前の携帯から俺の携帯に発信しておいてくれ、素敵なおじさまとでも登録するんだぞ。それから、県警に先導を依頼しておけ、きっと救援課まで迎えにきてくれる』
「県警だね、すぐに連絡してみる。携帯に打つのはいいけど、現場は圏外なんだよね。どうやって連絡すればいい?」
『用があったら川上さんに連絡してくれ、町役場に詰めている。名刺もらったよな』
「新幹線から先はどうしよう」
『青木さんに交渉してもらうよ、警察に運んでもらうか?』
「すごく助かる」
『乗ったら連絡してくれ、何とかするから』
会話の内容を書きとめ、吉村が戻ったら見せるように頼んで、宮内は自分が私服でいるのにようやく気付いた。
「みんなどうする? 帰るなら車を使っていいぞ」
これから長丁場になることを予想して村井は帰宅を促そうとした。
「あんたはどうするんだ」
どんな返事が還ってくるか承知の上で鰻屋が村井に尋ねる。
「名古屋からこっちに向かってるからな、手伝うことがあるさ。現場仕事には慣れてる」
「俺も残るか。まかないが必要だからな」
予想通りの返事が還ってきた。ならば自分にも手伝うことがあると鰻屋は思った。
「あんたたちは? 仕事があるんじゃないの?」
二人の議員に村井が尋ねた。
「残ります。役に立たないですけど、救援課の仕事を実際に見てみたいと思います」
この場で帰宅を申し出れば逃げ帰ったと後日謗られよう。そういう計算が働いたのは事実だが、二人とも居残って見学することを申し出た。
「男だねえ、いっぱいやればいいんだろうが間が悪い。コーヒーを飲むなり仮眠するなりしていてくれないかな。俺は手伝ってくる」
少しは骨のある議員かなと村井は嬉しくなった。
「素人が現場に来たら危険だし迷惑だ。俺達が怪我したって保証がないからな。そのかわり、食事をたのむ。議員さんは寝床を用意してくれないか。俺は現場へ行く」
そう言って村井は立ち上がった。
「あんたは? 業種が違うけど大丈夫か?」
あわてて鰻屋が引き止めようとしたが、
「見損なうな、玄人に決まってるだろうが」
村井はニッと微笑んで腕を叩いた。
「吉村さん? 青木です、運転してないですよね。運転中? なんだイヤホンマイクか。とんだことになりましたが、お疲れ様です。先導するので経路を教えてください」
『今は東名阪を走ってます。この先、新名神、名神、中国、山陽、広島から中国、六日市を予定しています』
「山陽道を直進しませんか、岩国の方が早く着きます」
『ならそうします』
「わかりました。そのように連絡しておきます。みんな好意的でしたから安心してください。それと、閉鎖中の給油所が多いから注意してくださいよ。広島の手前か宮島で給油したほうが安心ですよ、高速隊に連絡しておきます」
『ありがとうございます』
「あと、新岩国にワゴンを手配しました。現場まで送りますから」
『それはまた、よくわかりましたね』
「村井さんですよ。昨夜は楽しかった。副署長を交えていろんな話をしましたよ」
『そうだったのですか。私の悪口を言ってなかったですか?』
「悪口なら本人の前で言う人ですよ。ところで近藤さんも来られるのですか?」
『後ろで眠っているけど何故です?』
「いや、また離れ業がでるのかなと思って」
『それなら教え子が新幹線で走ってますよ。ほら、青木さんが感心した三人娘。その一人が犬といっしょに新幹線に乗ってます』
「そうですか、副さん誘って見学に行こうかな」
『仕事はいいんですか?』
「やだな、今日は日曜ですよ。夜中までに帰れば平気ですよ」
『まあいいようにしてください。悪いけど運転に集中したいから』
「このままでは息ができなくなるから息抜きの穴をあけよう」
崩れた土が小山となり、そこから家屋の名残を示すように柱や梁が突き出ている状態で、いずれ窒息する危険を感じて村井が近くから棒を手に入れ、さかんに穴を穿ちながら消防にも協力を求めていた。
「そがぁなことしたら崩れてしまう。どこに埋まっているかわからんけえ」
どこから作業を始めればよいか判断できず、現場を取り囲んでいる消防から危惧する意見がでた。
「崩れない場所にあければいいじゃないか。窒息したらどうするんだ」
「こねぇに材木が混じりよるけぇ」
「材木があるから隙間ができてるんじゃないか。自信がないのなら他人の意見を真面目に聞けよ」
こいつら、まさか救出を諦めてるのではないだろうな。村井に心に不信がよぎる。
「そねぃ言うてもこの状況では」
その消極的な姿勢に村井の怒りが爆発した。
「お手上げだったら坊主を呼べよ! このまま土葬にするのか? もうすぐ仲間が助けに来るから諦めるなよ」
新岩国で新幹線から降り立った作業服姿の一団に警察官が駆け寄った。
「山口県警ですが、名古屋の……」
「救援課の宮内です」
「遠いところを申し訳ありません。現場まで送りますのでこちらに」
「お世話になります」
短い言葉を残して警察官は乗降客の間を縫うように小走りになった。
足早に改札を抜けて車寄せへと案内されている途中で、
「係長!」
大声に振り向けば青木が同年代の男と並んで立っていた。
「青木さんじゃないですか、どうしたんです?」
管轄が違うのに青木がいるので、宮内は驚くとともに、少しほっとした。
「隣町の大竹に転勤しました。名古屋からおでましだというので副さんを誘って見学にね」
宮島見物の帰りに立ち寄って以来の再会である。温厚な中年の印象はかわっていない。
「そうですか、いろいろお世話になってしまって」
「そんなことはいいから乗ってください。嫌でなければこちらに乗りませんか?」
他の職員がワゴンに乗り込むのを見ながら青木が言った。
「大丈夫ですよ。話はついてますし、前後にパトがつきます」
「それでは遠慮なく」
全員が乗り込むと、先頭のパトカーがけたたましいサイレンを響かせて走り始め、青木の車を挟むように三台のワゴンもサイレンを鳴らして後に続いた。
「副さん、この娘さんなんだがな、華奢ななりしてターザンみたいなことを平気でするんだ。あれを見たら一発で自信なくすよ」
助手席の青木は運転している男に亜矢の特技を披露した。
「悪い冗談はやめてくださいよ。可愛らしい娘さんにしか見えませんが」
チラッとバックミラーで姿を眺めた男は、それを冗談だと判断した。
「あとで拝ませてもらうんだな」
時折場違いな冗談を言いさえしなければ立派な署長なのに、どうしてこんな嘘を平気でつくのだろう、竹下にはそれが理解できない。それに、いくら協力要請があったからといって無条件に応じるというのも理解できなかった。更に、休日だというのに無理矢理連れ出され、彼らの仕事を見学しろと言う。名古屋の救援課に対する署長の思い入れは異常であるとさえ竹下は感じている。
「厚かましいお願いをしてしまったけど迷惑じゃなかったですか?」
運転する男の態度がそっけないので、宮内は迷惑をかけていると恐縮していた。
「なにが迷惑なものか。私は電話をしただけですよ」
「そういえば、青木さん転勤したのですか」
「署長とは仲がいいのですか?」
運転している男が話しかけてきた。
「署長?」
「はい、大竹署の青木署長です」
その言葉で青木の昇進を知った宮内は、副さんの意味が心配になってきた。
「青木さん署長になったんだ。すると副さんというのは?」
「副署長の竹下です」
男が答えた。
「ちょっと、そんな偉い人に運転してもらってるんですか?」
「宮内さんだって係長じゃないですか。救援課のナンバー2でしたよね、遠慮することはない。娘さん、確か前にもいっしょしましたね、お名前は確か……」
青木は亜矢の能力に驚くばかりで名前を覚えていないことに気付いた。
「亜矢、結城亜矢です」
「そうだった、確かそんな名前でしたね。亜矢さんですか」
「いつも呼び捨てにされてますから亜矢でいいです」
「そうか、人気者なんですね。待てよ、ひょっとして吉和村に来なかったですか?」
吉和村の農器具小屋でじっと立っていた少女に似ている。そう思って尋ねてみると、亜矢がにっこり笑った。
「だけど、どうして村井さんが青木さんの携帯番号知ってたの?」
宮内は疑問に思ったことを尋ねてみた。
「昨夜いっしょに食事したから、副さんもいっしょにね」
「楽しい人ですね。物知りだし、話を聞き出すのが実にうまい。署長が要注意人物だという意味がよくわかります」
青木の言葉を竹下が引き継いだ。
「毒を浴びたのですか二人とも。気の毒に……」
「楽しかったですよ。宮内さんも亜矢さんも人に恵まれましたね。宝にしてくださいよ」
身内以外の者に仲間を褒められると嬉しさが倍増するものである。青木の言葉で宮内の頬が僅かに緩んだ。
「ようやく普段の顔に戻れたね、緊張しすぎだよ」
いくら冗談を言っても乗ってこない宮内を、亜矢は気遣っている。
「緊張しますか?」
「現場指揮なんか初めてだから、胸がムカムカして生あくびばかりでてきて……」
救援課の門を出てから緊張が続いていることを宮内は正直に話した。
「少し力を抜きましょう。心配しなくても仲間が助けてくれますよ。もうすぐ着きますから楽にしていてください」
誰もが経験し、乗り越えることだ。青木はそれで話をやめた。
「サイレンが聞こえるな、誘導してくる」
鰻屋が表に出た時には点滅する赤灯がすぐ近くに迫っていて、あわてて大きく手を振って駐車場に誘導する。
「待ってたよ」
「あーっ、うなたまのお父さん」
「どうして大将がここに……、帰らなかったの?」
「そんなことはいい、荷物は玄関にでも置いといてくれ。その坂を下ったらすぐだからな」
「準備できた? 土木の人は木村さんの指示で動いてちょうだい。吉岡君、初めてだからって力みすぎないようにね、根気よくリードするのよ。練習どおりでいいからね。亜矢は装備の点検」
「装備? みんなで点検してきたけど」
「持ち物を全部言ってみて」
「安全帯、地下足袋、八ミリロープを三十メートル、レスキューシートが二十枚、水1リットル」
「マッチかライターは?」
「そんなのないよ」
「誰かマッチかライターちょうだい。 あんたはそれだけ背負ってて。頼りにしてるからね。大将にも無線機預けとくから聞いてて。青木さんにも一台、帰る時に玄関に置いてもらえれば」
「いいの?」
「あと二台ありますから」
「じゃあ副さん、使わせてもらえよ」
「じゃあ木村さん、行こうか」
身支度を整えたのを確認して宮内が号令をかけた。
「これはいかん、早くしないと水が溢れる。誰か三人、この家をたのむ。吉岡も同じだ。次の三人は村井さんのいる家だ。次の三人は亜矢と奥の家。残りは俺と水抜きをするぞ。足元に気をつけろ、まだ崩れるかもしれんからな」
脇の坂道を下ると視界を遮っていた木立が開け、赤茶色の土砂が崩れ落ちたところに消防隊員や警察官がとりついて、さかんに土砂を取り除けている様子がとびこんできた。
少し高みからざっと全体を見渡すと、川を堰き止めた土砂には誰も作業をしておらず、明らかに水の干上がった下流とは川幅が違っているようにみえる。
自分達のいる場所に近い場所にひとかたまり、少し奥にひとかたまり。更に奥にもうひとかたまり。いくつものヘルメットが動いている中に、無帽平服で働く人影があった。 その様子を見て木村が人員配置を指示し、宮内は現場指揮者をさがすことにした。
「村井さーん、待たせたなー」
木村の叫び声に無帽の人影が振り向いて両手を振った。
宮内は村井にたのまれていた無線機と安全帽を手渡し、現場責任者をさがした。
「責任者の方ですか? 名古屋市災害救援課の宮内です。今到着して作業を始めました」
「消防の平田です、遠くから来ていただいて。責任者の方はいつ来られますか?」
「機材を運んできますから、たぶん夜中になると思います」
「それまでの指揮者は?」
「私ですが」
「あなた? 女性じゃないですか、それにまだ若い」
「でも私が現在の責任者です」
「そんなばかな、遊びじゃないんだから冗談はやめてください」
「でも私が責任者です。 私が指揮者ではだめですか? それとも証明すればいいですか?」
「誰が証明するんですか、救助の邪魔ですから」
「待っててください、証人を連れてきますから」
消防の責任者の前に、宮内が現れた。隣に事業服を着た警察官が二人並んでいる。その片方が穏やかに話しかけた。
「何かご不審なことがあるようですね、証明してくれと頼まれまして。申し遅れました、広島県大竹警察署長の青木です。隣は副署長の竹下です。名刺と身分証明をどうぞ」
「どうして広島の警察が?」
先ほどの女性が証人だといって連れてきた男が身分証と提示したのを見て驚いた。しかも警察署長である。ただし、広島県の警察官である。
「一刻も早く救助活動にかかれるよう協力要請がありまして」
「この方が責任者だというのですが、間違いないと?」
「宮内係長です。副署長と同格ですよ」
平然と男は言ってのけた。
「それは失礼しました。こんな若い女性が指揮者だなんて信じられなかったので失礼な対応をしてしまいました。指揮者の平田です。どうかよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。あらましは知人から聞いています。早速、行方不明者の捜索と川の水抜き工事を始めました。それで、行方不明者は把握できてますか?」
これまでの混乱などなかったかのように、状況説明を求めた。
「男三名、女四名、子供二名が行方不明で、ほぼ間違いなく在宅していたそうです」
「では捜索を最優先にしましょう。後続が機材を運んできますので、到着しだい川の土砂を取り除きます。連絡用に無線機をお使いください。救急車は大丈夫ですか?」
「一台待機させています。病院までは約五キロですから少し待つくらいですむでしょう」
「救助犬をいれていますので発見が早いと思います。担架の用意をおねがいします」
まだ何もしていないのに救急車や担架の要求をしている。自信過剰ではないかと平田は思った。
「そうだといいんですが、まだ一人も発見できていないんですよ。いくらあんた達でもそんなに簡単ではないと思いますよ」
「それは信用してもらうしかないですが……。とにかく担架の用意をお願いします。新幹線で来ましたので私達には装備がありません」
「わかりました。ところで、あの人は関係者ですか? 我々の到着前から泥だらけになっているんですが」
「あの人は救援課の顧問のような人です。出動要請もあの人から受けました。とにかく犬を信じてください。では現場を見回りますので」
「あんなこと言って本当に発見できますかね? まだ気配も見つかっていないんですよ」
「だいたいこんな小人数で何ができますか、持ち場についただけですよ」
あまりにも若い、しかも女性の責任者が当然のように担架の用意を求めたことに合点がいかぬげに、平田は青木に不安な気持ちを打ち明けた。
「去年のことですが、吉和村で土砂崩れがありましてね、酷い雨でなにもできないまま一日すぎたのですよ。夜遅くに彼等が来てくれました。土砂降りだし先が見えないしで救助を中止することにしたのですが、そんな中なのに三時間ほどで全員救出してくれましてね、そんなに多人数じゃなかったですよ。実際に作業したのは十人いなかったですよ、それも二ヶ所同時進行でね。私は無条件に彼等を信じます。仮に発見できなくても元々じゃないですか、信用しましょうよ。ところで消防は何名出動ですか?」
「こんな田舎ですので遠くにも協力してもらいまして、四十名であたっています」
「普段は平穏なんでしょうね」
「はい、火事より事故ばかりですから」
「なんかこの辺りが気になるみたいなんだけど、もう少し土をどけてくれないかな」
「ここか?」
「うん。その間に隣をしらべてくるわ。ヒヨコ、こっちだ」
ヒヨコがとりついた家には崩れてきた山土がうずたかく積もり、支えを失った立ち木が根をむき出して転がっていて、確かに臭いを感じ取るには不利に違いない。何度か立ち止まったあたりの土を除けるよう頼んで隣の家に目標を変える。
「ヒヨコ、さがせ」
土の山を上がったり下がったり、いくらか気配を感じるのだろうか盛んに動き回っている。村井が喧嘩をしながらあけていた空気抜きの一つに鼻を押し当ててじっと臭いを嗅いでいたが、間違いないと思ったのだろう、何度も吠えて前足で土を掘り始めた。
「消防―、担架持ってきてくれ」
まだ人の痕跡すら発見していないというのに、男達は当然のように担架を要求する。同じように小次郎も二箇所で人の臭いを嗅ぎつけていた。
「よほど信用してるんだなあ。犬が教えた場所だけを掘ってる」
少し高みから青木は様子を眺めていた。
「訓練は厳しいのですか?」
警察や消防までいかないにせよ、それなりの厳しさを竹下は想像していた。
「逆だよ。訓練なのか遊びなのか判らない。話を聞けば判るように上下関係なんか一切ないから友達感覚なんだろうな」
「でもよくまとまっていますね」
青木から意外な返事が返り、竹下には合点がいかない。
「そこなんだ。結びつきが強いんだろうな。どんな結びつきかはわからんが」
「階級はないのですか?」
「若いのも熟練も全部横並び。だから気楽なんじゃないか?」
『みんな聞いて。行方不明は男三人、女四人、子供二人。合計九人よ。全員確実に在宅らしいからよく捜してね』
『村井だ。さっきから空気抜きの穴に犬が鼻を突っ込んでるんだ。先に穴をあけたほうが見つけやすいのかもしれんぞ』
『どんな穴だ?』
『どんなのでもいい、棒を突っ込むくらいでいい』
『判った、やってみる。天の声が聞こえた、俺教祖様になれるかも』
『村井さん大丈夫なの? 怪我するといけないから』
『カジヤを舐めるなっていうの。生半可な頭と腕では食っていけないんだよ。猫の手よりよっぽど役にたつさ』
『おーい村井さん、日当出ないの知ってる?』
『えー、そうなのか? 今頃言うなよな、たんまり貰えると期待してたのに。服なんか泥だらけになっちゃった、どうすんだよ』
『欲ボケか?』
『生活苦なんだよ。お前らの方が手取りが多いんだからな』
『亜矢です、担架ください』
『これで何人だ?』
『四人じゃないか?』
『あと五人だな』
『疲れたら飴あるよ、いっぱい持ってきちゃった』
『気が利くじゃないか、ただの問題児じゃなかったんだ』
『今言ったの誰? あんただけにはあげないよーだ』
『亜矢、無線をオモチャにしないの。黙ってやりなさい!』
『鬼が怒った』
『亜矢!』
「署長、これはおもしろいですよ。冗談言いながら仕事してます。警察なら始末書ものですよ、我々の無線とは別次元ですね」
竹下は無線の会話に緊迫感がないことを面白がっていた。
秋分の日から一週間とはいえ確実に日が短くなっていて、すでに遠目には人の区別がつきにくくなり、あと十分もすれば闇の支配する世界になって仕事がはかどらなくなる。所々に配置された照明の陰では、河原に蛍が舞うようにヘッドランプの灯りがチカチカ瞬いていた。
「どうだ副さん、もう何人も掘り出したろう。まだ一時間もたってない。消防が立場なくして慌ててるんじゃないか?」
うさんくさそうにしていた平田が今頃どんな顔をしているのだろう。それを想像すると青木はおかしくてたまらなかった。
「犬がよく働いているようですね、あんなに有効なんですか」
竹下は実際に成果が上がっている現実を目の当たりにしている。殊に救助犬の能力に驚いていた。
「闇雲に掘らなくていいから仕事が速いんだろうな」
「犬が反応したところだけ掘っているということは、実質的な指揮者は犬ですか」
「そうかもしれんな」
「気の毒に、消防がうろうろしてますよ。馬鹿にしてたのでしょうかね、目の前で結果をだされてあたふたしてますよ」
竹下は、なぜ青木があんなに入れ込むのか判るような気がしてきた。小人数なことで高を括っていたのに、次々に救出が始まっていて、無闇な作業をしない分体力が温存されている。その現実にふれたから署長の意識がこうなったのだろう。案外すてたものではないかもしれない、少しずつ竹下は興味を抱き始めている。
「俺もそうだったよ。丸一日棒に振ってがっくりしてた時に突然現れて、三時間で全員救助してしまって。なーんも言えなくなってしまった。同じ気分じゃないかな」
「そろそろ帰りませんか。こう暗くなっては見学できませんし、明日は会議の予定がいくつかありますよ」
「そうだな、幹部が遅刻するようでは恥ずかしいな」
「出勤が早すぎる幹部もやりにくいですけどね」
「その梁につっかえ棒をかませられないか?」
「適当な物がないんだ。重機があればいいんだが」
「このまま下を掻き出したら崩れるだろうか?」
「上から掘り下げたらどうだ」
「半分は泥だからな、掘っても流れ込むだけだ」
「もっと下から入り口をさがすか?」
いくら犬が居場所をみつけても、そこまで掘り進むのは大変である。水を多く含んだ泥が流れてくるので誰もが徒労感を味わっていた。
『宮内さん、消防の平田です』
『宮内です』
『救助した人がわかりました。えーっと、奥の家については三名救出、生命に別状なし。そこには他に埋まった人はいないそうです。中の家から救出した人の話によると、あと三名いるそうです。ですので、手前の家に二名残っていることになります』
若い女性が責任者ということで馬鹿にしていた平田だが、救出が始まるにつれ顔色が失せてゆくのを禁じえない。僅かな人数しかいないのに、次々と埋まった人を掘り当てている。その現実に、知る限りの情報を伝えることへの抵抗が失せていた。
『わかりました。奥の家での作業を中止します。みんな聞いてたでしょう、奥で作業していた人は分散してちょうだい。中に二人、手前に一人。吉岡君はどこにいるの?』
『中の家です』
『そのままそこにいてちょうだい、亜矢は手前の家に移ってちょうだい。木村さん、水抜きはどんな具合?』
『木村だ、細い溝でもと思うんだがなかなか進まん。完全に泥だから埋まって動けん』
『田植えなの?』
『腰まで埋まってまだ沈む』
『もう少し辛抱してよ、もうじきショベルが来るから』
『腹へってきた、休憩をどうする?』
『もうじき出前が届くから我慢してよ。無理しないでね』
『村井だ、三時頃に出発したんだな?』
『私達と同時に出たから二時半過ぎかな』
『だとするともう五時間半か?』
『そういうことになるね』
『先導を要請したんだよな』
『うん』
『だったら広島県内まで来てる。あと二時間もすれば到着だ。みんな、もうちょい辛抱だ』
『よし、水抜きは中断して救出を急ぐぞ』
『溢れそうなんだけど。決壊したら鉄砲水になるぞ』
『いい、二時間くらいならもつだろう。機材が来たら俺がやる』
腹に響くふとい吠え声がして、「担架!」ようやく五人目を探り当てたようである。
一戸あたり六人で取り掛かっているので作業がはかどるらしく、あまり時間をおかずに
「出たぞー。早く担架もってこい!」
叫び声がした。
「もう一人みつけた。担架の追加だ!」
近くにもう一人が倒れているのを発見したらしい。
「まずいぞ、息がない。心臓も停まっとる」
「泥食ってないか?」
「大丈夫だ、きれいな顔だ。いいぞ、掴んだから足を引っ張ってくれ」
狭い隙間に上半身を潜り込ませていた男の足を何人かで掴んで引きずり出すと泥人形が二体。片方は泥の中から目をぎょろつかせ、動かない人形の腕を掴んでいる。
「息を吹き込め。胸もだぞ、思い切り叩いてやれ」
泥まみれのまま叫んでいる。
手前の家から二人続いて発見された。あと三人、情報が正しければ残りは中の家の人ばかりとなった。そうなると不思議なもので空腹を忘れてしまう。
『おーい、特製の握り飯作ってやったぞ、お茶も味噌汁もあるぞ。消防車の横にいるから食いにこいよ』
『みんな食べにきてよ、半分ずつでもいいから食べにきて』
食事の呼びかけに誰も応えない。あと三人ということしか考えていない。