声無き少年と肖像画の部屋
重い扉の手ごたえを感じながら、体重をかけるように重心を前に移す。
回廊の中を覗いた時、誰かが警告するように窓が二度鋭く光った。
天を切り裂くような雷鳴を聞きながら、エルレアは冷静な様子で回廊に足を踏み入れた。
エルレアにとっては馴染み深い、古い書物の匂いがする。
自室から持ってきた燭台のキャンドルの灯りは広い部屋では非常に頼りなく、前に差し出してみても奥の方は照らしてくれない。
手近な壁を照らしてみると、高い書棚に整然と並んだ古びた本達と、高すぎて完全に闇に呑まれている天井に気付いた。
窓に寄ってみても、太陽も月も無い庭園は不気味に闇に沈んでいるだけだ。
この回廊はまるで虚空の中にぱっくりと何の脈絡も突拍子も無く生まれてしまった空間のようだとエルレアは思った。
時の流れから不自然に切り取られ、守られてきた空間。
この空間が癒すのは死せる人なのか生ける人なのか、或いは両方か。
しばらく歩いていると、壁の本棚が途切れる場所がいくつかあり、そこに扉がある事に気付いた。
コトリ、と音がして振り向くと同時に、窓が再び光る。
白と黒のコントラストの中、輝く金髪が目に入った。
見慣れた少年が、慣れた様子で本棚の隙間の部屋に入っていく。
(セレン……!?)
慌ててその後ろ姿を追い、部屋に入る。
バタン。
部屋の奥の方に気を取られた一瞬、背後で部屋の扉が閉められた。
中から? 否、周囲に人は居ない。外から?
いやそもそも、誰が?
扉の取っ手を握り力を入れてみるも、何故か扉はびくりともしない。
息を吐いて、部屋の中に燭台を向ける。
部屋の中にも本棚が並んでいて、床には分厚い絨毯が敷かれている。
年代物と思われるテーブルと椅子が何組かある。
扉のすぐ傍に佇む戦士の甲冑が燭台の灯りに照らされて光った。
「セレン。隠れているのか?」
部屋の壁を伝うようにして奥へ向かうと、この部屋で一番上等だと思われるテーブルと椅子が見えた。
どうやらここは誰かの書斎のようだ。
そのテーブルの奥の壁に、大きな絵が飾られている。
何かに躓いたりしないように慎重に近づいて、その絵に燭台を近づける。
肖像画だ。
こちらに向かって柔らかく微笑んでいる女性が目に入る。
その女性の手を取っているのは、すらりとした優雅な雰囲気の男性。
(これは―――)
―――つかまって、姉様。
カタン。
音に反応して、エルレアは素早く燭台を扉の方に巡らせた。
「セレン?」
扉に近づいてみると、わずかに隙間が空いている。
注意しながら扉を開け、回廊に戻る。
そこで初めて、先ほどの書斎の中では雨音も養母の泣く声も聞こえていなかったことに気付いた。
(そうだ。お養母様は……)
泣き声のするほうに足を進めると、突き当たりの部屋に行き着いた。
両開きの扉を二度ノックする。
ふわりと背後の空気が揺れた気がして、エルレアは肩越しに後ろを見つめる。
何もおかしな所は無い。
「お養母様」
扉越しに話しかけると、泣く声はぴたりと止んだ。
「入ってもよろしいですか」
きぃ、と音を立てて扉がこちら側に開く。
だが扉を押した人間の気配は無い。
周囲を警戒しながら、その部屋に入る。
「!!」
意思を持った影のようなもの。
身体を何かに絡めとられて部屋の奥に引きこまれる寸前、エルレアの瞳が捉えることができたのはそれだけだった。