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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

心に添う

作者: 世名 勝

 この話は、実話に基くフィクションです。もしも、この物語をご覧になった方のうち、身に覚えのある方、出来ればそのまま黙っていてください。作者たる私の主観も多く入ってくるものもあります。だからこそ、これを私の意見としてとどめさせてください。











 平日に仕事が休みのとき、僕はよくカフェでコーヒーと読書を楽しんでいる。今日も、当然のようにそうしていた。

 今日は、中学時代にクラスメイトがいじめを苦に自殺した、その周りの人の話だった。

「どうぞ」

頼んでいたコーヒーが置かれた。猫舌の僕はすぐには手を出さない。だから、ありがとうございますと言って、そのままページを進めた。

 それからたっぷり90分くらいだろうか。読み終えた。普段なら、次の本を取り出すところだが、この作者に限り、それはできない。重く、心にのしかかる余韻がそれを許さない。

 何より、僕には今回の物語に対して人事ではいられない。主人公は僕に近い。そして、僕と違う。だけど、だからこそ、僕は“彼”を想うのだ。若くして、自らの命を絶った彼のことを。僕が、今まで決して向き合わなかった命のことを。

 僕は、今だからこそ、彼に向き合える。そう思ったんだ。



*  *  *



 彼・・・・・・そうだな、仮に吉沢君、としよう。僕ではない人の生き死にについて語るのだ。勝手に名前を使うわけにもいかない。

 吉沢君と初めて会ったのは高校に入ってからだった。僕と、彼の関係は、ごく単純な話でいいのなら、いじめられっ子といじめっ子だ。普通に考えれば、結構苦痛に感じるものだとは思うが、生憎と僕は変な意味で一人に慣れていたのと、無駄に負けん気が強かった。僕の負けん気に関して、分かりやすい例がある。僕は高校時代、1年間だけ柔道部に在籍していた。その最後のほう、僕は練習中に怪我をしてしまった。まぁ、治りかけていた頃のことだ。僕はその治りかけた足で自転車で約45分程度の道程を通学していた。

 だけど、帰りに自転車がパンクしていたのに気付いた僕は家族に迎えを頼むというのを選択肢には入れず、歩いて帰ったのだ。リハビリ中の足で、2時間かけて。

 そんなことをしてしまうくらいには、僕は無駄に負けん気が強い。というよりは、変なところで無駄に我慢強いのだと思う。そんな僕だったから、あの程度のいじめならばと流してしまっていたのだろう。

 さて、話を戻そう。

 当時の僕は、所謂“オタク”という人種だった。誤解のないように記しておくけど、今の僕がオタクを軽蔑しているわけではない。ただ、当時の僕に周囲から引かれる要素があったということだ。そして、その引かれる要素は、多数派からすれば苛める理由に相当したらしい。僕が彼らに実際に話を聞いたわけじゃないから、この件に関してはらしい、というような推論でしか語れない。だから、そこは大目に見て欲しい。

 最初は、誰がしてるのか分からなかった。勿論、あまり気には留めなかった。あまりに幼稚だったから。当時の僕はライトノベルが好きで、学校の机の中の約半分はライトノベルで常時埋まっていたに等しい。それが朝学校に行ってみると、机の四隅に真ん中あたりから開いて置いてあるのだ。これが嫌がらせでなくて何なのか。まぁ、本が傷むから止めてほしいな、と思ったくらいだったと思う。

 そして、気付いたのは授業中だった。僕の通っていた学校は工業系の学校で、授業の中に実際の作業機械を使う実習があった。で、金属を加工したりすることがほとんどで、削ったりすると金属片なんかがいっぱい出てくるのだ。自動で動いている機械だったから、その間は見ているしかない。手持ち無沙汰に感じた僕は金属片を磁石を使って集めた。先に集めておけば、後で少しは楽になるかもしれない。その程度の考えだった。

 その僕の頭上から、集めた金属片をかけてきた奴がいた。それが、吉沢君たちだった。

 それからというもの。僕に降りかかる嫌がらせはいくつかあったけど、大概の場合は彼らが絡んでいた。体育の授業のソフトボールで暴投してぶつけそうになって文句を言われたことに関しては、純粋に僕が悪かったけど。でも、どこかで悪意は感じていたんだと思う。

 ただ、僕がクラスの中で打ち解けてきだしてからは、嫌がらせは減ってきたと思う。実際、僕の印象にも残っていない。だけど、やっぱり彼のことは好きになれそうではなかった。

 2年になってからのことだ。

 吉沢君たちはクラスメイトのロッカーを壊して、中から現金を盗み出していた。被害にあったクラスメイトが警察を呼んだことで大きな問題になった。

 警察が絡んできたことで犯人であった彼らはあっさりと見つかり、吉沢君を含めた数人が退学処分を受けた。この時、僕が受けていた嫌がらせも終焉を迎えた。僕に嫌がらせをしてきた面子がほとんど退学になったんだ。

 内心、ざまぁみろ、とさえ思ってしまったほどだ。ただし、これに関しては現在では後悔している。どんな形であれ、これが僕と彼の別れだったんだから。もう少し、何かあったんじゃないかとさえ思う。

 そして、この退学から約半年後。

 彼は入りなおした高校で、年齢の違うクラスメイトと馴染めず、自宅近くで首を吊っていた。自ら命を絶った。

 僕は、やっぱり報いを受けたんだ、と思ってしまった。因果応報だとか、人にはやっておいて、自分だと駄目なのか、とか。当然とは思わないけど、苛められた側の心理としては理解してほしい。人を苛めておいて、いざ自分が似たような立場になったら耐えられないのか、と。

 勿論、今の僕なら違う答えを出すだろう。だけど、当時の僕にはそんなことはできなかった。



*  *  *



 さて、僕がその話を聞いたのは、彼の退学以後に仲良くなった立川君(仮名)からの情報だ。立川君と吉沢君は仲がよかった。だから、立川君は通夜にも行くと言っていた。

 それを聞いて、僕も行きたいと思った。だけど、その資格がないこともわかっていた。

 僕は、どんな顔をして吉沢君や家族に会えるのだろう。まさか、「僕は吉沢君に苛められていました」なんて、言えるわけがない。だから、通夜になんて行かないし、行けないのだ。

 そうなると、必然的に僕の行けるものは限られてくる。葬儀だ。それしかない。

 少し話がそれてしまうのだけど、僕は嘗て日本史が大好きだった。で、誰もが知ってる織田信長。彼の父の葬儀の場でのエピソードがある。葬儀が始まっても姿を見せない信長。現れたと思ったら、いつもの小汚い格好のままずかずかと踏み込み、灰を棺に向かって投げたという。

 さて、ここまで書いたからには分かると思う。そう、僕はそれがやりたかった。人の人生を汚して、それでいて自分で命を絶つ卑怯者にはぴったりだとも思っていた。

 でも、僕にはそんなことはできなかった。家族が選んだという12歳ごろの笑顔の写真。泣いている家族。それを目の当たりにして、僕にそんな真似はできなかった。

 今なら当時の僕にきちんとできない理由を与えてやれる。死者と、その家族を冒涜する権利を僕は持ち合わせていない。それは、僕がすべきことじゃない。

 それを、誰かが偽善だと言うなら、言わせておけばいい。それでも、僕が言うべきじゃないことに変わりはないのだから。

 冒涜するにせよ、慰めるにせよ。僕は吉沢君とその家族に対して、あまりにも他人だった。他人でしかなかった。

 ただし、僕にだって思うことはある。

 僕は、色々とやってきた。いいことも、悪いことも。だから、十字架を背負っている。僕が生きている限り、下ろすことなんてできない代物だ。それは、大小問わず、ほぼすべての人間が背負っているものだ。

 吉沢君。

 僕は君に問いたい。

「君の十字架はどんなだった?」

 僕は君に言いたい。

「僕だって、十字架は負ってる。今となっては、君が負っていた以上の十字架だよ」

 僕は、

「十字架を背負って、十字架を認めて生きる」

そうやって、歩いていく。そう決めたから。



*  *  *



 カフェを出て、車に乗り込む。

 ドアを閉めて、一瞬考え込む。僕は、自分の経験から傷ついた心に添って生きると決めている。立ち直ろうとする心に向き合って生きると決めている。

 でも、それは僕にできることなんだろうかとも思った。僕は、自分自身が傷ついた者で、傷つけた者でもある。そんな僕にできることなのか。そんな疑問が首を擡げることがあった。

 だけど、それは前日の経験が僕でいいんだと教えてくれていた。だから、これからは迷わない。

 昨日、子供ミュージカルのボランティアスタッフとして一日を過ごした。

 朝も早かったから、身体的にも精神的にも辛かった。でも、演じる子供たちのことを僕は知ってる。僕よりも辛い経験をしてきた子供達もいる。そんな彼らがここまできて嫌だなんて言わないことを僕は知ってる。だからこそ、僕は僕にできる形で彼らに添いたかった。

 そんなことを思っていた僕が、彼らよりも先に弱音を吐くわけにはいかない。何より。その疲労感も含めて全てが僕らの勲章だ。頑張ったね、と互いに互いを想い合える。それだけでいい。

 結果として、僕が彼らに添えたかは分からない。まさかそんなことを彼らに聞いて回るわけにもいかない。ただ、僕は今の僕にできることをしていくほかはない。今の僕にできないことでは彼らに添うことなどできないのだから。

 この数年で、いじめとそれにまつわる自殺の問題はとても大きなものになってきている。僕は、自殺を選ばなかった。生きることを選んで、立ち向かい、添うことを選んだ。

 いや、それは今だから言えることだ。あの頃の僕に自殺なんて選択肢はなかったし、添うことも選択肢には入っていなかった。ただ、立ち向かうことだけが僕に選べることだった。逃げ出すほどには相手も強くなかった。僕は、僕を曲げずに僕であり続けた。そういう風潮は確かにあったから。君は君のままで良い、という自己肯定の風潮だ。

 あの頃の僕が正しかったのか。それは、多分正しくない。当時の僕を思えば火が出るくらいに恥ずかしい思いも伴う。その恥ずかしさを認めることは、己の非を認めることでもある。だけど、あからさまな嫌がらせを伴う、いじめという行為でそれを排斥し、解決を図るのもまた正しくない。

 ふ、と顔を上げる。取り敢えず、帰ろう。

 車を発進させて、思う。

 僕が伝えたいこと、伝えていきたいことはとてもはっきりしている。

「今、辛いと思うこと、不安に思うこと。それは、いつかきっと、大丈夫って言って笑える日が来るから。だから、大丈夫なんだ」

好きな作家の受け売りだけど。でも、その思いを肯定してくれた人がいる。それを、僕が、僕の友達が証明している。

 吉沢君。君も、乗り越えることはできたんだよ?君が気付かなかっただけで。

 もしも、いつか君に会う日が来るのなら。僕は君に言おう。

「僕は、認めて生きたよ。認めて、大丈夫だって言えるようになったよ」

きっと、何のことだか分からないだろう。でも、それでいい。誰かにとって大事なことは、誰かにとってはどうでもいいことだから。

 忘れていてもいい。

 恨まれてもいい。

 僕が、その心に添って生きられたらそれでいいんだ。

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