『青空は天気雨』②
平凡ながらも平穏な日常だった。あの日までは。
学校から帰ってきてみれば、父親は全身から血を流して倒れていて、母親は知らぬ男に陵辱されていた。
逃げることもできず、その場に立ち尽くすことしかできなかったあの日。
それは悪夢ではなかった。
そして、悪夢はまだ終わっていなかった。
~フルベルク
ホテルの一室で、デルタダガーはベッドから起き上がった。夜の間、自分の隣で寝ていたセイバーの姿は無い。まったく、落ち着かない男だ。
デルタダガーは下着姿のままでソファに座る。その体型は標準的であった。あくびをしながらテレビの電源を点ける。
『昨夜、フルベルク郊外で、ストリートギャングの抗争と見られる……』
テレビには地下街の光景。雑な現場処理をする軍警察の前に、リポーターが立っている。カメラの奥にはモザイク処理が施された遺体。
「……あはは」
乾いた笑い。そう、連中のような社会のゴミに慈悲などない。その日の快楽と暴力欲求を晴らすことしか能のない奴など、一掃されるべきなのだ。奴らは百害あって一利なし。自分は何も悪いことはしていない。むしろ、賞賛されてしかるべきだ。
それが正しいかどうかはわからない。だが、あの日の悪夢が消えるその日までは、そう思い続けねばならない。
デルタダガーはテレビを消し、鏡に向かって髪を結った。
フルベルク、ルーカン・スタジアム。
野球のデーゲームが終わり、スコアボードには三対四の数字。最終回には三の数字の後に×点。後攻チームのサヨナラ勝ちだ。そして後攻チームはサンシャワーの贔屓チーム。そんなわけか、彼女は上機嫌である。
「どーお、エクレールちゃん。昨日は興味ないって言ってたけど、実際に現地で応援してみれば面白いでしょ?」
「まぁな。こんな天気の下でスポーツ観戦なんか、経験ないしな」
青空の下でスポーツ観戦というのは想像以上に気持ちいいものだった。空というのは良いものだとつくづく思う。
「初観戦が今日みたいな熱い試合でよかったね」
確かに面白い試合展開であった。九回裏はライトニングも思わず立ち上がって応援してしまったものだ。二点差の九回裏に、二アウトからのタイムリーで一点差。そして逆転タイムリーでのサヨナラ勝ち。サンシャワーはおろか、周囲のファンともハイタッチしてしまった。
「確かに面白かった」
「立ち上がって応援してたじゃん。うんうん、楽しんでもらえたようで何より」
二人は駐車場に向かい、車に乗り込む。サンシャワーはビールを物欲しそうにしていたが、車で来ていたし、なんでも彼女は酒に弱いらしい。弱くても飲みたがるのがちょっと不思議だった。そんなものなのだろうか。
助手席に乗り込んで、窓枠に肘をつく。
姉と一緒にスポーツ観戦。これは、普通の人ならそう珍しい光景でもないんだろうな。
だが、自分は普通の人じゃない。民間軍事企業の社員にして、強化人間なのだ。
それにしても、姉妹揃って強化人間とは、ずいぶんと因果の重いことだ。
「はー、混んでるなぁ。脚疲れちゃうよ」
サンシャワーは先程から右足を忙しそうに動かしている。この車はセミオートマチックであり、クリープ現象は起きない。そのため、発進するときはアクセルを踏まねばならず、今のように道が渋滞しているときには不向きだ。
「夕飯どうする? 何かリクエストあったら応えるよ」
「夕飯か」
昨日はファミリーレストランだった。食べたのはラザニアだ。それとデザートにヨーグルトパフェ。
「まぁ、なんでもいいが」
「そーゆーのが一番困るのー」
「じゃあ、手料理でも振る舞ってくれればいいよ」
何気ない一言だったが、サンシャワーは答えなかった。地雷を踏んだか。
「……エクレールちゃん、中華はどう?」
はぐらかしたか。
「嫌いじゃないな」
「じゃあ、美味しいとこあるから、そこ行こう」
「はいはい」
あまりにも唐突な話題の変え方に思わず苦笑する。
「……言っとくけど、ボクは料理できないワケじゃないからネ。ただ、ちょぉーっとだけ、前衛的な感じになっちゃうだけで、サ」
「そういうことにしておこうか」
料理については人のことをとやかく言えない立場だ。顔だけじゃなくて、こんなところまで似なくていいのに。
エクレールは少しずつ流れ始めた窓の外を眺めつつ、くすりと笑った。
一時間前。フルベルクに一定の勢力を持つマフィア「雪の月」会長宅。郊外にあるその豪邸は、関わりない者を近付けようとしない、どこか荘厳な雰囲気を漂わせていた。
だが、その日は違った。
「てめぇ、どこのモンだコラーッ!!」
正門を堂々と破壊して入ってきた二人の女。金髪をシニョンにした上品そうな顔立ちの女と、伸び放題の銀髪で顔のほとんどが隠れている、コートを羽織った女。コートから覗く脚は枯木のように細い。
当然、彼女達は招かれざる客である。
「アッハハハ、それを知ってどうしようというんです?」
シニョンの女が笑う。周囲には邸宅警護のマフィアが次々と集まってきていた。
「まぁいいでしょう。まずは自己紹介ですね。私はデルタダガーっていいます。こっちがヴードゥー」
ヴードゥーと呼ばれたコートの女はおずおずと頭を下げた。
「何しに来たんだコラー!」
「誰の家か知ってんのかーッ!」
マフィアの凄みに、ヴードゥーは身を強張らせた。その様子を見たデルタダガーはもう一度笑う。
「あはは、連れが怖がっちゃってるじゃないですか。女の子にはもうちょっと優しく接してあげたらどうですか?」
「ふざけてんじゃねぇ! 堂々と入ってきやがって、何考えてんだコラーッ!」
「……や」
「あァん?」
「いや……こわい……」
ヴードゥーが震えながら絞り出した一言で、周囲を囲んでいたマフィアは吹き出した。
「イカれてんのか、こいつ」
「警察よりも精神病院に電話しとけよ。その前に楽しませてもらおうぜ」
「いいんですかい? 俺はあんな痩せてる女が大好きなんですぜ!」
マフィアの下卑た笑いに、デルタダガーは眉をひそめる。一方、ヴードゥーは震えている。
「こわい……」
ヴードゥーがコートを脱ぎ捨てる。そこにあったのは、鉄塊めいた異形の腕だった。それを目にしたマフィアから笑顔が消える。
「なんだ、コイツ……」
「こわいよォォッ!!」
マフィアが身構えるよりも前に、ヴードゥーは前へと踏み込む。右腕でマフィアの頭を掴み、そのまま地面に叩きつける。
「アバーッ!?」
悲鳴と共に、血と脳漿が地面に広がった。彼女はそれを気にする様子もなく、駄々っ子めいて腕を振り回す。マフィアの体は見るも無惨な姿になっていった。
「あーあ、知りませんよ」
デルタダガーが首をすくめる。
「う、撃て、撃てやッ!!」
マフィアが拳銃をヴードゥーに撃ち込む。それは確かに命中したが、彼女は全く意に介さない。そう、痛みを感じていないかのように。
「わたし、いじめないでッ!」
ヴードゥーは撃たれた方向に振り返ると、さらに腕を振り回した。
「アバババーッ!?」
彼女の腕は出鱈目に振り回されているが、それが当たった部分はどれも完全にひしゃげている。整った庭は瞬く間にゴアまみれだ。
「やれやれ、荒っぽいんですから」
デルタダガーはくすくすと笑うと、右腕から爪を展開させ、ヴードゥーが討ち漏らしたマフィアを殺していく。少しの時間が過ぎて、庭の喧噪は収まった。動いているのはデルタダガーとヴードゥーのみ。
「さて、ヴードゥー、落ち着いたら行きましょうか」
「……うん」
ヴードゥーはこくりと頷いて、二人で家の中に向かうのだった。
外の喧噪が聞こえていたのか、邸宅内は軽いパニック状態であった。デルタダガーは逃げまどう使用人をまるで虫を踏むかのように殺していく。彼女の後をヴードゥーがおずおずとついてくる。
二人は廊下に血溜まりを作りながら、目的地へとたどり着く。「雪の月」会長、クランツ・シュマイセンの部屋。
「はいはい、お邪魔しまーす」
デルタダガーの声と共に、ヴードゥーが扉を殴り壊す。
「「「ザッケンナコラーッ!!」」」
その瞬間、部屋の中に居た三人のマフィアが一斉に拳銃を乱射する。ヴードゥーはとっさに顔と胸を腕でかばうものの、腹や脚にいくつもの弾丸が吸い込まれる。常人ならば即死だろう。
「……や。いや、いじめないで……」
だが、ヴードゥーは微動だにしない。彼女の横をデルタダガーがすり抜け、瞬く間に部屋の中に居た三人のマフィアの息の根を止める。
「……さて。ラスボス、ってやつですか?」
デルタダガーはくすくすと笑いながら、クランツの机に着地。彼に爪を突きつける。
「……『赤い五月』の手の者か?」
クランツもさる者。先程の光景を目にしながらも、冷静さを保っている。
「まぁ、そんなものですかね」
「連中に幾ら貰った」
「あはははっ!!」
デルタダガーが笑う。笑いながらもその爪と目はクランツから放れていない。
「金額知ってどうする気です? それ以上出すから、命は助けろ、と?」
クランツは頷いた。
「あはははっ!! 見事、お見事ですよ! なんて見事な命乞い!!」
デルタダガーは笑いながらクランツの頭を掴むと、そのまま左耳を削いだ。
「アバーッ!?」
「私はね、そういうのが一番嫌いなんですよ!」
デルタダガーはクランツを椅子ごと蹴り飛ばし、そのまま背中を蹴る。彼女の表情からは、いつの間にか笑みが消えていた。
「金を出せば? 金があれば命が助かる? それはごもっともな話。でも、あなた方はそうしました? 命乞いをする無力な人を、金で見逃しました? ふざけてんじゃないッ!」
デルタダガーはクランツの頭を掴むと、そのまま右耳を削いだ。
「アバーッ!!」
「あなたのその椅子、どれだけ力のない人を虐げて座ったんでしょうね。座り心地はさぞかし良かったんでしょうね!」
「たす……たすけ……」
もがくクランツだったが、それはヴードゥーの腕によって止められた。彼の顔を絶望が覆う。
「これは、贖罪、なんですよ。あの日、両親を救えなかった、私のね」
デルタダガーの声は打って変わって静かなものだ。爪をクランツの体に沿わせ、心臓を一気に貫く。
「ゲボッ……」
「……おわり?」
糸の切れた操り人形めいて崩れ落ちるクランツ。ヴードゥーはそれを無造作に放り投げる。
「ええ。おしまい。赤い五月の皆さんもやって来たし、私達は退場しましょうか」
窓からは「赤い五月」の構成員がなだれ込んできている様子が見える。デルタダガーは満足そうに頷くと、ヴードゥーを連れて部屋から出た。
「ヴードゥー、ちょっと食らいすぎですよ。いくら痛みを感じないからって、これじゃあ……」
デルタダガーの言葉を、ヴードゥーが制する。
「や。わたし、えと、みんなの、やくに、たちたい」
ヴードゥーには痛覚が存在しない。また、その身体もほとんどが人工物だ。それゆえに多少の無理が利く。
「わたし、できるの、これぐらい、だから」
「……もう、健気ですねぇ」
おずおずとデルタダガーを覗き込むヴードゥー。デルタダガーは満足そうにヴードゥーの頭を撫でるのだった。
「雪の月」会長宅襲撃から二時間後。
サンシャワーはフルベルク郊外を走っていた。なんてことはない、目当ての店の席が空くまでの時間潰し。単なるドライブだ。
フルベルクは農地が多い。幅の広い道路と併せて、とても長閑な印象を受ける。
日は落ちていて、辺りは暗い。地下育ちのライトニングにとって、夕暮れというのは新鮮な光景だった。そして、暗くなり始めたばかりの今も。地下都市のわざとらしい夜とは違う、本物の夜。
ルームミラーにヘッドライトが映った。それは結構な速度で、しかもふらふらと蛇行しながら近付いてくる。
「やだなぁ、酔っぱらってるんじゃないの?」
巻き込まれるのは勘弁とばかりに、サンシャワーは車を路肩に寄せる。しばらくして、後ろの車が追い抜き、道を半分ほどふさぐかのように斜めに止まった。
「わわっ!?」
サンシャワーは慌ててブレーキを踏み、車を止める。前に止まった車は黒塗りの大柄なセダン。スモークフィルムでも施してあるのか、車の中は見えない。これは堅気の人が乗る車ではない。
「何考えてんだよ……。危ないってばさ」
サンシャワーは不機嫌そうに呟くと、車を降りた。文句の一言でも言うつもりだろうか。気になるので、彼女の後を追って車から降りる。
「ちょっと、危ないでしょ」
サンシャワーが黒塗りの車の運転席をノックしながらクレームをつける。少しして運転席から出てきたのは、ダークスーツを着込んだ厳つい男だ。おそらくはマフィアだろう。
「わ……悪い。あいにく、怪我、しちまって……」
男の腹には赤いものが広がっている。よく見ると顔色も悪い。
「……ちょっと。それ、怪我どころじゃすまないよ」
「俺は……いいんだ。……見ず知らずの……あんたに、頼むのは……気が……引けるが……」
男は息も絶え絶えだ。立っているのがやっと、といった雰囲気である。
「『雪の月』の……坊ちゃんを……御曹司を……」
そこまで口にして、男は膝をついた。
「雪の月?」
「御曹司?」
サンシャワーとライトニングは、思わず顔を見合わせた。
予想よりも長くなりそうな気ががが
しかしヤクザスラングはほんと使い勝手がいいですね