『青空は天気雨』①
~地上・フルベルク
地下と地上を結ぶ一筋の回廊であるエレベーター。人や車、貨物がひっきりなしに行き来する搭乗口から、一人の少女が降りてきた。鮮やかなプラチナブロンドのショートヘアに、背の高い、スレンダーな体つき。まだあどけなさを残した顔立ちで、ティーン誌のファッションモデルと言われても違和感のない美少女だ。
エクレール・ギヌメール。またの名をライトニング。
彼女は人混みを縫うように歩きながら、エレベーターターミナルを抜ける。土産物の売り子を無視しつつ、待ち合わせ場所に進む。荷物といえば三日分の下着の替えと洗面具。それと暇潰しに読んでいた文庫本が一冊に、携帯電話の充電器程度。そして、念のために持ってきた愛刀―無論、今は包みに入れている―。そんな少ない荷物でも、人混みの中では邪魔に思えてくる。
待ち合わせ場所はターミナルの外。花時計の下だ。初夏の花が咲いているその時計は、ずいぶんと目の保養になる。たとえ作られた瞳とはいえ、綺麗なものは綺麗だと思えるのだから。
「……雨?」
水滴。空を見上げてみれば青空。なのに、雨?
「あ、天気雨は初めて?」
声がした方向に振り向くと、長身の中性的な人が居た。コートを羽織っているため、体のラインはよくわからないが、裾から覗くジーンズは細いシルエットをした女物だ。プラチナブロンドの長い髪をポニーテールにまとめた姿は、女性にも見える。
「どーも、ライトニングちゃんだね? ボクは天気雨」
サンシャワー。待ち合わせていた人物だ。AMC諜報部の、地上担当エージェント。
「ま、ここは地上だし、本名で読んでくれても構わないよ。ボクはアンジェリカ・ギヌメール。アンジェでいいよ」
「……女、と聞いていたのだが」
「やだなぁ、女の子がボクって言っちゃ悪い?」
サンシャワーはくすくすと笑ったあと、胸元に手をやる。コート越しとはいえ、彼女の胸は平坦であった。
「……確かに、ボクはのっぽさんだし、胸ちっちゃいけど、サ」
サンシャワーが苦笑する。まぁ、胸については人のことを言えた立場ではない。
それよりも気になるのは、ギヌメール、という名前。そして、この女の顔は自分に似ている気がする。
「ところで……」
「まー、立ち話もなんだし、ちょっとお茶しよっか。ケーキが美味しいお店知ってるから、オゴってあげる。雨も降ってるしね」
サンシャワーはライトニングの手を取り、早歩きで案内を始めた。聞きたいことは色々あるが、それは落ち着いてからでいいか。ケーキが美味しい店というのも気になるし。
ケーキと聞いたとたんにこれだ。だが、好物なものはしょうがない。
それにしても、晴れているのに雨というのは不思議な気分だ。なんだか幻想的というか、非日常というか。いや、地下で暮らしているライトニングには、雨という天候自体が非日常なのだが。街路樹などへの水やり、ノズル詰まりの防止などの理由で、定期的にスプリンクラーが作動していることは雨とは言えまい。作動する時間は八割方正確だし、天候の変化とは言いにくい。
「天気予報は晴れだって言ってたのにサ。ほんと、当てになんないんだから」
サンシャワーは雨から顔を守るように、目の上に手の甲でひさしを作る。ライトニングもそれを真似した。
「晴れていることは晴れているだろう」
「そーだけど、濡れることには変わらないでしょ? アウト取ったのに点が入っちゃう、みたいな。気象予報士にとっては犠牲フライ打たれてるようなものだよ」
「野球は見ない」
諜報部には野球ファンが多いが、ライトニングはそれに入らない。いまいち面白さがわからないのだ。試合は長いし、プレーしていない時間もあるし。それにルールも複雑だ。
「そーお? 面白いのになぁ」
そうこうしていたら、雨は止んだ。青空だけの、違和感のない天気。
「あ、雨止んじゃった。せっかく駐車場ついたのに」
サンシャワーの前には青いハッチバック車。彼女は鍵を開け、助手席の扉を開けた。
「はい、エスコート。レディファーストだもんね」
「お前もレディだろうに」
まぁ、せっかく扉を開けてもらったのだ。荷物を後部座席に置いて、助手席に座る。ダッシュボードには猫のぬいぐるみが二体置いてある。野球のユニフォームを着ている猫だ。球団マスコットか何かだろう。一体を手に取っていると、サンシャワーが運転席に座った。
「ふふ、それ可愛いでしょ? ボクの贔屓チームのマスコットだよ」
「確かに、よくできているな」
漫画調にディフォルメされた、可愛らしいマスコットだ。
「じゃ、行くね。十分ぐらいで着くから、着くまで休憩してて。あと、シートベルト締めてね。ボクの免許、あんまり点数残ってないから」
あ、シートベルトを忘れていた。ライトニングがシートベルトを締めたのを確認すると、サンシャワーはギアを繋いで、車を発進させた。
ライトニングの地上出張。これが決まったのは一週間前だった。なんでも、諜報部の予算が少し余ってしまったらしい。余らせるのはもったいない。そこで、地上で研修するという名目で、地上観光をすることになったのだ。とはいえ、そう大量に余っている訳でもないので、対象は一人だけ。くじ引きの結果、ライトニングが当たったのである。面倒だと思ったが、考えてみれば地上には行ったことがない。いい機会だし、引き受けるのも悪くないと思った。いい羽休めだ。
「はい、着いたよ」
サンシャワーが喫茶店に車を停め、運転席から降りる。ライトニングもそれに従った。小さな店で、他に停まっているのは数台の自転車だけだ。
サンシャワーに続いて店内に入る。ドアについている鈴が涼しげな音を立てた。
「あら、アンジェさんじゃないですか。そちらの方は?」
若いウェイトレスが声をかける。顔なじみなのか。
「ん? この子? 妹」
何を言ってるんだか。思わずため息。
「え、妹さんですか?」
「に、見える?」
「もう、まぎらわしいこと言わないでくださいっ。ただでさえ似てらっしゃるんですから!」
あ、第三者が見ても、やっぱり似ているんだ。似ていると感じたのは気のせいではなかったらしい。
「あはは、ごめんごめん」
サンシャワーは笑いながら空いている四人掛けのテーブル席に座る。ライトニングも彼女の対角線に座った。そして、ウェイトレスが水の入ったコップと冷たいおしぼりを置いた。
「ケーキと飲み物のセットがオススメだよ。はい」
サンシャワーがメニューをこちらに渡す。
「お前はいいのか?」
「ボクは頼むの決まってるから。ケーキはどれも美味しいから、ハズレはないよ」
そんなことを言われると余計に目移りしてしまう。確かにメニューに載っている写真はどれも美味そうだ。写真のない、文章だけのものも心惹かれるし。両目がメニューの文章を行ったり来たり。
「五分経過ー」
サンシャワーの笑い声が聞こえた。また、ずいぶんと時間ロスを。我ながら優柔不断なことだ。
「そんなに悩むんなら、ケーキ二つ頼めばいいのに」
「二つ!?」
なんて魅惑的な響き。……って、いかんいかん。他人の奢りだというのに、さすがにそれは図々しすぎる気がする。いい加減、決めてしまおう。
「いや……大丈夫だ。決まった」
「そう? すみませーん」
サンシャワーがウェイトレスを呼ぶ。ウェイトレスはすぐに注文を取りに来た。
「ケーキセット二つ。ボクはチョコケーキとブレンドね」
「……苺のショートケーキに、アイスのカフェオレ」
「他は?」
「大丈夫だ」
気になるものは色々あったが、ひとまずはオーソドックスなものにまとめておく。
「じゃ、以上で」
「はい、少々お待ちくださいね」
ウェイトレスがカウンターに入る。カウンターの中にはマスターらしき口ひげを生やした中年の男が一人。喫茶店のマスターにしては、ずいぶんといい体をしているように思える。
「じゃあ、改めて自己紹介。AMC諜報部、地上担当のサンシャワーこと、アンジェリカ・ギヌメール。よろしくね」
「諜報部のライトニング。エクレール・ギヌメールだ。一つ、聞きたいことがあるのだが」
「うん。聞きたいことっていうのはだいたいわかるよ。ボクはキミの何なのか、ってコトでしょ?」
話が早い。頷きで返答。ライトニングに与えられていた情報は、サンシャワーという名前だけだったから、わからないことは多い。
「じゃあ、回りくどいのもヤだから、単刀直入に言おう。……ボクは、キミの、腹違いの、姉」
「……は?」
サンシャワーの口から出てきたのは、予想だにしない言葉だった。
「あんまり言いたくないけど、エクレールちゃんはさ、試験管生まれ、だよね」
「……ああ」
エクレールだけでなく、彼女と同年代の、ラビット、スノー、ウインドといった面々は、俗に言う試験管ベビーである。
「で、エクレールちゃんに使われた、その、えー、精子が、ボクのお父さんのやつなんだ」
なるほど。腹違いの妹というのは、そういう意味か。
「……ボクがお姉ちゃんっていうのは、そういうこと」
サンシャワーの声はどこか申し訳なさそうだ。それは何に対しての感情なのか。今まで秘密にしていたことか、それとも、ライトニングの境遇に対してか。
「……なるほどな。あらかじめ伝えてくれればいいものを。連中も意地の悪い」
「サプライズ、だったんだけどね。エクレールちゃん、意外と冷静じゃんか」
「驚いていない、と言うと嘘になるな。肉親なんかいないもの、と思っていたしな」
そう、天涯孤独なのが当然なのだと思っていた。それがどうだ、ずいぶんと近くに肉親がいたんじゃないか。まぁ、試験管生まれのライトニングにとっては、肉親という言い方もしっくりこないのだが。まぁ、今更そんなことを知ってどうなるのか。元々感情の起伏が大きいほうではないし、サンシャワーからすれば期待外れかもしれない。
「ということは、お前は父親似なのか?」
「まーね。そして、エクレールちゃんも」
「そうか。……父親は元気なのか?」
「うん。会ってみる?」
「いや、遠慮しておく」
会ったこともない父親だという人物と、何を話せと言うのか。サンシャワーにしても、肉親という感じはしないというのに。
「ま、そりゃそうだよね」
そのとき、ウェイトレスがケーキを持ってきた。白い三角柱に、赤い苺のワンポイント。見るからに美味しそうだ。
「……美味しそうだな」
「でしょ?」
ケーキを小さく切り、口元に運ぶ。ふんわりした生地に、甘すぎないクリーム。スポンジの間にクリームと共に挟まれたフルーツ。なんともいえない、絶妙なバランスだ。
「あ、気に入ってもらえたみたいだね。顔に出てる」
顔が緩むのはしょうがないことだ。一口一口、味わって食べていこう。
「マスター、ケーキ美味しいってー」
サンシャワーがカウンターに声をかけると、マスターは黙って一礼した。どうやら顔なじみらしい。
「彼がこれを?」
「うん。似合わないでしょ?」
頷きで返答。いい体をした口ひげの中年がこんな美味しいケーキを作るとは到底思えない。人は見かけによらないというが、これは正直なところ意外すぎる。
「ボクのと一口交換する? ショートケーキも美味しそうだし」
サンシャワーのチョコケーキも美味しそうだ。
「……非常に魅力的な提案だな。だが、もっといい代案がある」
「ん?」
「もう一個注文していいか?」
サンシャワーは笑って、ウェイトレスを呼んだ。
~フルベルク地下街
フルベルク郊外の、かつて栄えていた地下街。今ではシャッターを下ろしたテナントが立ち並び、そのシャッターも色とりどりの落書きで彩られている。好き好んでここに立ち入ろうとするのは、ストリートギャングや貧困層の人間程度だ。いずれにせよ、フルベルクの中でも治安の悪い地域と言えるだろう。
その地下街を駆け回る若い男が一人。派手な上着には血がこびりついていて、その顔は恐怖に覆われている。
「なんだよ……なんだよあいつッ……」
男の目に浮かぶのは数分前の光景。ここには不似合いな、金髪をシニョンにまとめた上品そうな女。道に迷ったのか。一つ楽しもうとギャング仲間で取り囲んだ後。
女は笑って上着を脱いだ。そういう願望があるのか。仲間達とはしゃいだ直後。はしゃぎ声は途切れ、血飛沫が上がった。
「あははははっ!!」
脳裏に焼き付いた笑い声で、男の回想は中断された。立ち止まって、笑い声の方向を向く。
シニョンの女。その腕には血のついた無骨な爪。
「ひっ……!」
今まで出したことのない声が出た。
「無様、実に無様ですねェ。先程、私をどうすると仰りましたァ?」
女はけらけらと笑っているが、その灰色の瞳は笑っていない。
「てっ、てめぇ、俺らが何者か知ってんのかよ……」
「あァら、今になって自己紹介ですの?」
「俺らのバックにゃ『赤い五月』が……」
赤い五月。フルベルク一帯を仕切るマフィアにして、数多くの企業ともパイプを持つ、裏社会の人間からすれば畏怖を覚える存在である。そして、男にとっては後ろ盾であった。大抵のトラブルも「赤い五月」の名前を出せば解決できる。
「その『赤い五月』サンからの依頼、と言えば?」
「……え?」
「あなた達はちょぉっと調子に乗りすぎたみたいですねェ。これ以上あなた達を飼っておくメリットはない、ということですよ。上納金も滞納されてたでしょ? お偉いさんはカンカンですよ」
思い当たるふしはいくつかある。上納金は滞納しても強くは言われなかった。それ故に慢心してしまった。だからといって、警告なしに殺し屋を派遣するとは。ここまでされる謂われはない。
「た、頼む、見逃してくれ……」
「ふぅーむ」
「こ、この通りだ!」
男は地面に頭をつける。こんな屈辱、味わったことはない。だが、背に腹は代えられない。少しでも助かりそうな手段を取るまで。
女の靴音が周囲から聞こえる。値踏みをしているのか。
「じゃあ、誠意、見せてもらいましょうか」
女は水たまりに靴を突っ込むと、爪先を男の鼻の前に置いた。
「綺麗にしなさい。方法、ご存知でしょう?」
舐めろと。女の、汚れた、靴を。こんな屈辱、あるものか。
だが、女の右腕には血のついた無骨な爪がある。それは有無を言わさぬ威圧感を放っていた。
男はおずおずと爪先に舌を這わせた。
「あはははは、あははははッ!!!」
その様子を見て、女は今日一番の笑い声をあげ、男の顔を蹴る。
「アバーッ!?」
「あはははっ!!」
男は鼻血を流しながらもがき回る。女はその様子を笑って眺めていた。
「これはお仕事ですもの。手を抜く訳には、いかないんですよ、っと」
女の右手が、男の顔面を斜めに切り裂き、首を刎ねた。
「……本当に、荒っぽい奴だ」
地下街の一角で缶のミルクティーを飲む女に、モヒカン刈りの男が声をかけた。
「あら、社会のゴミ掃除をしたまでですよ。お仕事ですもの、しょうがないですよ」
女は笑いながら、男にしなだれる。今回は目も笑っている。
「毎回やりすぎだ。地下都市の一件、忘れた訳ではないだろう、デルタダガー」
地下都市という単語を聞いた女は表情を曇らせる。
あのライトニングとかいう小娘。彼女のせいで、自分は右腕を失い、戦闘義手を使うことを余儀なくされた。あの忌々しい小娘。
「とはいえ、赤い五月にはまだまだ恩を売っていく。また仕事があるぞ」
「もう、セイバーは人使いが荒いんですから」
デルタダガーは微笑みながら、セイバーと呼ばれた男の胸をつついた。
主人…公…?




