『お金をください』
とある休日。第三階層の繁華街にある百貨店の前は、人でごった返していた。わかりやすい場所に、わかりやすい丸いオブジェ。待ち合わせの場所として人気があるのだ。
そんななか、ラビットは目的の人物を探していた。もう到着したとのメールをもらったので、ここのどこかにいると思うのだが。
オブジェの周りを一周するも、居ない。じゃあ、どこで待っているのだろうか。周囲を見渡してみると、少し離れたところに、見慣れたお下げ髪の女性が居た。ラプターだ。彼女のもとに歩み寄る。
「ラプたんさん、お待たせしました」
「いえ、自分も今来たところでありますよ。……それよりっ」
ラプターがわかりやすく咳払いをした。何に対しての咳払いかはよくわかる。
「……すみません、ラプターさん」
「それでよし」
ラプターが満足そうに頷いた。今日の彼女はさすがに薄く化粧をしているが、相変わらずの野暮ったい眼鏡。服装も長袖シャツの上にベストを重ね、黒いタイツの上からハーフパンツという、なんとも華のない服装である。まぁ、彼女らしいといえば彼女らしい服装なのだが。
「それにしても、殊勝な心がけでありますね」
「まぁ……いつもお世話になってますから」
百貨店に入り、女性向けの服飾雑貨テナントが集中して入っている四階を目指す。エレベーターの扉が開いた先は、ラビットにとって未知の領域となる。
「あの、頼りにしてますよ、ラプターさん」
「任せてください。わざわざ自分を選んでくれたのでありますから! 大船に乗ったつもりでいてください!」
ラプターが胸を張った。正直なところ、ミストアイかコンドルに頼もうと思っていた件であったが、二人とも多忙とのことで、消去法でラプターを選んだのだった。このことは言わないでおこう。
ラビットは見慣れぬアイテムが並んだフロアを、ラプターの後ろについて歩くのだった。
リンクス宅。今日はオフということで、ラビットは出かけていて、今は一人の時間だ。
一人になったらやることがある。パソコンの検索履歴の確認だ。日頃はあまり触らないので、このパソコンをメインで使っているのはラビットである。以前確認したときは、成人向けのサイトや動画がずらりと並んでいた。まぁ、年頃の少年なので仕方ないだろう。性癖を伺い知ることができるので、ちょっと面白かったりもする。それに、その手の動画は嫌いではない。
パソコンを立ち上げ、検索エンジンを開く。過去の検索ワードを確認すると、並んでいたのは予想を裏切る文字列だった。
『プレゼント 姉 定番』
『プレゼント 姉 喜ぶ』
プレゼント。姉。まさか。
「……まったく、履歴ぐらい消しておけよ」
予想外の単語に頬をほころばせつつ、リンクスはウインドウを閉じた。落ち着け。まだ自分へと決まった訳じゃないのだから。
それにしても、こんな単語を検索するなんて、どういう風の吹き回しだか。リンクスは期待半分、好奇心半分でラビットの帰りを待つのだった。
百貨店一階の喫茶店。買い物を終えたラビットとラプターは、昼食がてら一服していた。二人ともランチメニューのサンドイッチとコーヒーを注文している。
「はぁ……申し訳ないであります……」
ラプターは落ち込んでいる。大船に乗ったつもりで、と息巻いていた彼女だったが、実はアクセサリー店を利用したことがないらしく、終始挙動不審。結局は店員の意見しか参考にできなかった。自信がないのなら断ってくれてもよかったのに、人のいいラプターらしい。
「別にいいですよ、ラプたんさん。ああいう店に男一人で入るのは勇気がいりましたし」
ラプターはプレゼント選びの参考にはならなかったが、アクセサリー店に男一人で入る恥ずかしさは多少紛れた。そこは感謝である。
ラビットの足下には、プレゼント用のラッピングが施された小さな箱の入った紙袋がある。誰へのプレゼントか聞かれたので、そこは姉へのプレゼントとしてお茶を濁した。
「そうでありますか? ……リンクスさん、喜んでくれるといいでありますね」
そう、先ほど買ったプレゼントの宛先はリンクスだった。第四階層での通り魔事件の特別報酬がようやく振り込まれ、多少懐具合に余裕ができた。そのため、日頃色々と世話になっているリンクスに礼でもしようと思い立ったのだった。彼女が一番喜ぶのは現金だろうが、それではあまりにも芸がなさすぎるし、生々しすぎる。他に何かいいプレゼントはないか検索したところ、アクセサリーが無難だということで、今日の買い物に至ったのである。
「ですね。こんなのより現金をよこせ、なんて言われそうですが」
「さすがにそれはないでしょう。教え子からのプレゼントでしょう? 自分なら感動してしまいます」
ラプターの教え子というと、ウインドか。彼女の性格なら、一回か二回、プレゼントを贈ってそうなものだ。
「フーコからは何か貰ったんですか?」
「ええ。初仕事の後、自分が欲しかった本を。楓子さんが無事だったのも何よりでしたが、お礼をしてくださったのも、とっても嬉しかったです」
初仕事の後というと、リンクスが額にキスをしてくれたことを思い出す。あの時のリンクスにはドキッとしてしまった。翌日からまた普段通りの対応だっただけに、余計に美化されてしまう。
「それにしても、リンクスさん、本当に丸くなったでありますね」
「丸く、ですか?」
そういえば、リンクスは昔、目を三角にして金を稼いでいた、と聞いたことがあった。
「自分も昔は軍警察にいまして。リンクスさんとは入れ違いでしたが、あまり良い評判は聞きませんでした。もちろん今は違いますが、金の亡者、みたいな評判ばかりでしたので。実際に会って話してみると、そんなことはありませんでしたが。印象だけが一人歩きしてしまったのでしょうね」
そんなことを言われると気になってきた。そう、自分はリンクスのことを何も知らないのだ。元軍警察で、お金にうるさくて、射撃の達人。あと、ガードが緩い。それ以外のことは知らない。一緒に住んでいるというのに、なんだか変な話だ。
渡すついでに聞いてみてもいいかもしれない。
……いや、余計な詮索はやめておこう。話したくない過去かもしれないし。それに、リンクスの過去を知ったからといってどうするのだ。それで彼女への対応を変えようとは思わないし、過去に何があろうと、リンクスはリンクスなのだから。
「ただいま」
ラプターと別れ、帰宅。あの後はラプターの提案でゲームセンターに立ち寄った。何度かクレーンゲームに興じたが、戦果はゼロ。ラプターは大きなぬいぐるみを取っていた。
「ん、帰ってきたか」
リンクスはというと、いつものように居間でくつろいでいた。テレビには先日借りてきた映画が流れているが、もうスタッフロールにさしかかっている。
「あ、その映画、僕も見ようと思ってたのに……」
「見なくて正解だったな。つまらなかったぞ。主人公の恋人がな……」
「わー! もう、言わないでくださいよ!」
リンクスの言葉を聞かないよう、必死で耳をふさぐ。変なところで意地が悪いんだから。
「で、どこに行ってたんだ?」
「あー、それですけど……」
リンクスに向かって座り直す。緊張してきた。
「どうした、かしこまって」
「えーっとですね……。こないだの仕事の特別報酬、入ったじゃないですか」
「ああ」
「それでですね、えー……今までの感謝の気持ちというか……」
おずおずと紙袋に手を伸ばす。リンクスはというと、こちらの動きを待っているかのようなポーカーフェイス。もうちょっと期待とかしてくれてもいいんだけどな。サプライズだし。
「今までありがとうございました。それと、これからも、よろしくお願いします」
リンクスにプレゼントを差し出す。綺麗な包装紙と、ワンポイントの可愛らしいリボン。
「……これを、私にか?」
「……はい」
リンクスの口調はいつも通りで、ちょっと残念。もうちょっと喜んでくれてもよかったのにな。
「……ふん、現金の方が、よかったんだけどな」
台詞そのものは予想通りだが、今度はちょっと口調が違う。何かをこらえているような。
ともあれ、リンクスは箱を受け取ると、包装紙に手をかけた。
「……開けるぞ?」
「あ、はい」
リンクスが丁寧に包装紙を剥がしていく。丁寧な扱いがちょっと嬉しい。適当に剥がしそうだと思っていたから、余計に。
「……ネックレス、か」
プレゼントはシルバーのネックレス。店員が熱心に選んでくれたものだ。ラプターに聞いても「いいですね」としか言ってくれなかったので、結局店員のセンスに任せることになってしまったのだ。
「あ、はい。ラプターさんと一緒に選んだんですよ」
彼女の名誉のためにも、役に立たなかったことは伏せておこう。
「ラプコが? ……意外だな」
リンクスは微笑みながら、ネックレスを手の中で遊ばせている。この表情なら、外していなかったようだ。一安心。
「……ありがとう。嬉しいよ」
リンクスがにこりと笑った。今まで見たことのない表情に、思わずどきりとする。
「い、いや、リンクスさんには、いつも、お世話になってますから!」
彼女の世話になっているのは仕事面でもだが、私生活でも、同じ家に住ませてもらい、料理も作ってくれている。
何よりも、帰る場所がある。帰りを待ってくれている人がいる。このことは、施設に居た頃からは考えられないことだった。
「せっかくだ。つけてみてくれ」
「へ? 僕が、ですか?」
リンクスがこちらにネックレスを差し出し、ワイシャツの胸元を少しだけはだける。鎖骨のラインがはっきりと見えた。
リンクスの後ろに回ると、彼女は髪を避けてくれた。彼女の髪はいい匂いがするし、うなじのラインは綺麗だ。緊張と高揚とで、手が震える。
そっとネックレスを前に回し、震える手でどうにか結ぶ。なんだかどっと疲れた。
「ど、どうですか?」
「……悪くないな。いいセンスしてるな、お前らは」
実際は店員が八割方選んだのだが、そうやって褒められるのはちょっと気分がいい。
「せっかくだ。たまには外食するか。少しおめかしして、な」
リンクスはネックレスを弄びつつ、もう一度にこりと笑うのだった。
夜。
リンクスの住んでいる部屋は六階にある。ここからの眺めはそんなに悪くない。氷と酒が入ったグラスを片手に、リンクスは夜風に吹かれていた。
プレゼントだなんて、何年ぶりだろうか。少なくとも、強化手術を受ける前以来のことか。
そういえば、あの時もネックレスを貰った。今日貰ったものよりも、ずっと高いものを。
だけど、今日貰ったもののほうが、ずっと綺麗に見える。
それもそうだ。金のために体を売っている合間に、どうでもいい、いや、客という意味では上客だったが、それ以外ではない男から貰ったものと、一緒に住んでいて、悪しからず思っている男から貰ったものとでは、自分にとっての価値が異なって当然だ。センチメンタルな話だが、こればかりはどうしようもない。
金。金。金。
あの頃は若かった。金を稼ぐためなら、手段は選ばなかった。狙撃手の道を選んだのも、ひとえに報酬が高かったため。ひたすらに任務を受け続け、体すらも売った。元々素養があったのかもしれないが、そんなに苦痛ではない日々だった。
だけど、稼いだ金は、全て無駄になった。
救いたかった人は、その時にはすでに壊れていたのだから。
リンクスが生まれた第六階層ともなれば、まともな職に就くのは不可能と言っていい。大人といえば、その日その日の日雇い労働に身をやつし、稼いだ金は酒と薬と快楽に消えていく。
生まれた場所が悪いと言えばそれまでだ。だけど、それを言い訳にしたくなかった。周囲のようなろくでもない大人にはなりたくなかった。
だからこそ、努力した。周囲から蔑まれつつも、努力した。環境に文句を言う奴に晴れ舞台は一生来ないのだから。
ただ一人の肉親である姉は、そんな自分を後押ししてくれた。彼女の後押しがあってこそ、軍警察に入ることができたのだから。
そこから、姉と一緒に暮らすため。姉に恩返しをするため。そのために金を稼ぎ続けた。金の亡者と蔑まれていたことは知っている。だけど、外野には騒がせておけばいい。そんなことを気にする暇があったら、少しでも多く金を稼ぐだけだ。
ようやくいくらかの金が貯まり、姉を迎えに行くと、彼女は完全に壊れていた。なんでも、マフィア絡みのトラブルに巻き込まれたらしい。妹である自分のことも客と勘違いする始末だった。
逃げるようにその場を後にした。あれが姉だとは認めたくなかった。自分のことを守り、助けてくれた、優しい姉はもう居ない。あそこに居たのは、姉に似た別人なのだ。そう思うことにした。
金があれば、防げる災いもある。ありすぎて困ることはない。
その日からは、そう考えることにした。
そして、半ば自暴自棄になっていたところ、強化手術の話が舞い込んできた。報酬は破額。
迷うことなく、頷いた。
ふと、昔のことを思い出していた。らしくないことをされたら、センチメンタルになっていけない。
自分もラビットぐらいの頃には、世話になった人に恩返ししたいと考えていたっけ。今となっては、遠い昔の話だ。
リンクスは今日分の薬を流し込むと、もう一度ネックレスを手元で遊ばせるのだった。
~翌日・AMC本社
本社の会議室に、リンクスは呼び出されていた。呼び出したのはミストアイ。ということは、仕事の話だろう。
「入るぞ」
中にはミストアイ一人。プロジェクターが準備されているということは、仕事の話だな。確信できる。
「あら、マリアさん。珍しいですわね、ネックレスなんかおつけなさって」
「たまには、な」
ミストアイの向かいに座る。彼女は遠慮なく首元を覗き込んできた。彼女とは軍警察時代からの付き合いで、名前で呼びあう仲だ。多少のことは気にならない。
「そんなに高いものではありませんわね。どうなさいました?」
「プレゼント、だよ。今まで寝た男の中でも、最高の男からの、な」
「あらあら、お惚気ですの?」
嘘ではない。金と地位を傘に着たしょうもない男よりは、あの少年のほうが、ずっと、ずっといい男なのだから。
ミストアイはころころと笑うと、プロジェクターを点けた。
久々に出番のあった主人公。