『放課後時代』
大嫌い。貴女はいつも笑っていて、可愛くて、頭もよくて、人気者で。
私はいつも無表情で、愛想がなくて、友達もいなくて。貴女からはきっと馬鹿にされてるに違いない。
だけど、本当は、話しかけてみたくて。
友達になりたい。そう思っていて。
スノーはいつものように学校の屋上行きの階段で昼食をとる。誰も来ない、ひっそりとした、静かな場所。
人付き合いは苦手だ。他人に話しかけるのも苦手だ。だから、人の多い、賑やかな場所はあまり好きじゃない。昼休みになったとたんに、逃げるように教室を抜け、ここに来ている。静かなこの場所は、お気に入りの場所なのだ。
今頃、教室では仲のよい者同士で、賑やかな時間が過ごされているのだろう。隣の席の鹿島瑠璃。彼女はクラス委員長であり、友人も多い。小動物めいて可愛らしい彼女の周りには、いつも人がいる。自分はその中に混じれない。混じりたいと思ったこともあったが、昔の話だ。ああいう生き方ができれば、楽しいだろうな。何度かそう思うが、生まれつきのこの性格は変えられそうにない。
イヤホンで音楽を聴きながら、通学途中に買ったサンドイッチを口に運ぶ。玉子サラダの入った、美味くも不味くもない味。紙パックの野菜ジュースを一口飲んで、一息つく。
同級生のラビットは、なんだかんだでクラスに馴染んでいる。だが、スノーは彼のように振る舞えなかった。どうしても他人とは一線を置いてしまう。最初の頃は瑠璃が構ってくれていたが、今となっては誰も構ってはくれない。どう接していいのかわからず、毎回邪険にしていれば、そうなるのも仕方ないことだ。
だって、自分は、他人とは違うのだから。
脳と、脊椎と、一部の臓器以外の、身体のほとんどが人工物である自分とは。
スノーはサンドイッチの包み紙をくしゃくしゃに丸め、コンビニ袋に突っ込む。それと入れ替わるようにチョコレートのかかった菓子パンを取り出して、一口かじる。
イヤホンから流れてくるのはインディーズのガールズバンド。ちょっと暗い、退廃的な歌詞と、哀愁の漂うギター。今の自分にはぴったりだ。
スノーは菓子パンを食べ終え、野菜ジュースを飲み終えると、壁にもたれる。そして、音楽を聴きながら、ぼんやりと天井を眺めるのだった。
イージス・マテリアル社の研究施設にいた頃は一人じゃなかった。
ライトニング。ウインド。ラビット。
彼女達は自分と同じ境遇で、自分と同じような手術を受けている。いわば、仲間である。だからこそ、彼女達とは気兼ねなく話すことができる。
そして、自分の身体に引け目を感じているスノーは、普通の人とうまく話すことができなかった。
体中が人工物に置き換わっているうえに、銃を持って、人を撃つ自分は、普通の人とは違うのだ。
それを仕方のないことと思えるほど、スノーの精神は成熟していなかった。
自分は人とは違う。普通じゃない、醜い身体なんだ。普通じゃない、人殺しなんだ。
その思いが、彼女の心に壁を作っているのだった。
―――
「ハーゼ君、シュネーちゃんってどんな人?」
休み時間、唐突に瑠璃が話しかけてきた。スノーのほうをちらりと見てみれば、いつものように無表情で携帯を突ついている。
「どんな人って言われてもなぁ……」
スノーは幼なじみで、同じ劇団にいる。周囲にはそう説明している。
彼女のことを説明してほしいと言われても、彼女は人見知りが激しく、ラビット達と他の人とでは露骨に態度が異なる。気心の知れた仲であるラビットにとっては、毒舌家で口の悪い、お世辞にも性格のいい子ではない。ライトニングやウインドとは仲良くしているようだが。ひょっとして、嫌われているのかも、なんて思ったりもする。
「……なんていうか、口が悪い。僕にだけかもしれないけど」
「そう? そんなふうには見えないけど」
瑠璃が首を傾げた。無理もない。普段のスノーは大きな猫を被っているのだから。
「人見知りが凄いんだよ。この学校に来て何ヶ月か経つけど、あれだからね」
「ふーむ。やっぱり、自分から行かなきゃダメかなぁ」
瑠璃が顎に手を当て、ふむふむと頷く。
「自分から行くって、友達にでもなるの?」
「うん。シュネーちゃんの笑顔って、見たことないからね。あんなに可愛いのに、もったいないよ!」
瑠璃の言葉も一理ある。何せ、スノーは黙っていれば美少女なのだから。いや、黙っていればというよりも、もう少し愛想良く振る舞えれば。
「アドバイス、ありがとねっ!」
瑠璃は笑顔を浮かべ、自分の席へと戻っていった。さて、どうなることやら。スノーは友人だ。瑠璃の目論見がうまくいくといいのだが。
―――
今日もスノーはいつもの場所で昼食を取っていた。今日はヴィクセンお手製の弁当だ。副業でイラストレーターをやっている彼女だが、今朝は徹夜明けだったらしく、変なテンションで弁当を作ってくれた。味が心配されたが、幸いにも普通だった。面倒を嫌う彼女らしく、シンプルな弁当だが。
ヴィクセンはスノーが一人で過ごしているのを知っている。だが、心配こそすれど、無理はしないでいいと言っていた。ヴィクセンはスノーを溺愛している。スノーに負担をかけさせようとはしなかった。それが正解なのかどうか、スノーはよくわからなかった。とはいえ、ヴィクセンには感謝している。無理して人付き合いをしたところで、長続きはしないだろうから。
半分ほど食べ終え、いつもの野菜ジュースを飲む。一息ついてみれば、予想外の人が目の前に居た。思わず片方のイヤホンを外す。
「シュネーちゃん、隣、いい?」
瑠璃だ。
彼女はいつも教室で友人達と昼食を取っていて、その楽しそうな様子に気後れして、スノーはここで昼休みを過ごしているのだ。そんな彼女が、なぜここに。
どう答えるのが正解なんだろう。うまく言葉が出てこない。言葉を探しているスノーをよそに、瑠璃は笑顔のままだ。ええい、これでいいか。
「……べ、別に、好きにしたらいいです」
「そう? じゃ、失礼しまーす」
瑠璃は隣に腰掛けて、手提げ袋から弁当箱を取り出して、蓋を開ける。色とりどりの、シンプルながら美味しそうな弁当だ。
しばらくの間、二人は無言で昼食を口に運ぶ。
「シュネーちゃん、お昼はいつもここ?」
「そうですが……」
「そっかー。賑やかなとこ、嫌い?」
「好きじゃない、です。それに、シュネー、一人が好きです」
一人が好きだなんて、そんなの嘘なのに。でも、あの輪の中に入れるとは思えない。
「あ、それじゃ私、迷惑かな?」
瑠璃は申し訳なさそうな表情になる。あ、違う、これじゃない。
「そ、そ、そんなことないです、う、うるさいのが嫌いなだけです」
「あー、うん。私たち、うるさいよねー……。たはは……」
瑠璃は申し訳なさそうに笑って、頬をかいた。あああ、また間違えた。
「そ、そういう意味じゃないです! 鹿島さんがうるさいとか、そんなことは言ってないですっ!!」
慌ててフォロー。ああもう、情けないなぁ。
「そう? それなら一安心だけど」
瑠璃は笑って、水筒を取り出した。中身をコップ代わりの蓋に注いで、こちらに出してくる。
「あったかいお茶だけど、飲む?」
「あ、じゃあ、いただきますです」
おずおずとコップを受け取って、一口飲む。ほどよい暖かさの茶だ。
「ふぃぃ……」
思わず目が細まって、ほっと一息。暖かい飲み物の魔力は恐ろしい。
「どうも、です」
「どういたしまして。今のシュネーちゃん、可愛かったなぁ」
可愛い。まさかの一言に、顔が熱くなったのがわかった。これは茶のせいではない。瑠璃のせいだ。
「か、可愛いって、どこ見てるですか!」
「あはは、ごめん。シュネーちゃんのなかなか見れない表情見ちゃったから、つい正直な感想が」
瑠璃はコップの飲み口を軽く指で拭い、自分の分の茶を注ぐ。
こうして話している以上、イヤホンはどうするべきか。突然のことだったので、音楽は止めていない。片方の耳にだけ、音楽が流れ込んできている。外した片方のイヤホンを手持ちぶさたに遊ばせていると、瑠璃はそれに目ざとく食いついてきた。
「そういえばシュネーちゃん、いつも何か聞いてるよね。ね、誰の曲聞いてるの?」
「いや、えっと、知らないと思いますですけど……」
ヨヒモセス。ラプターから勧められて聴き始めたガールズバンドだ。ジャンルは歌謡ロック。ボーカルのアンニュイな声と、どこか哀愁の漂うメロディが気に入り、贔屓にしている。とあるアニメの主題歌を担当して、一部では有名になったらしい。スノーはそのアニメを見たことがないが、曲そのものは良いと思う。
「知らないならなおさら! ひょっとしたら気に入るかもしれないし!」
「……じゃあ、聴いてみるですか?」
外したイヤホンは瑠璃側だ。コードが引っ張られないようにイヤホンを付け替え、片方を瑠璃に渡す。
「じゃ、失礼しまーす」
瑠璃は少しこちらに近寄ると、イヤホンを耳の中に入れた。今流れているのはヨヒモセスのデビュー作であるミニアルバム。デビュー作ということもあってか、一番アクが強く、一番「らしい」出来になっている。スノーは彼女達の作品の中で一番気に入っている。
「……あ、この声、好きかも」
瑠璃は目を瞑って、首でリズムを取りながら聴いているようだ。メロディが気に入ったのか、鼻歌が混じっている。
可愛い人だな。そう思った。道理で人気がある訳だ。思わず見入ってしまう。
「ね、シュネーちゃん、今の曲、もう一回聴かせて」
「あ、はいです」
瑠璃がこちらに振り向いたので、慌てて目線を逸らす。曲を気に入ってくれたのか。プレーヤーを巻き戻すと、瑠璃は笑顔を浮かべた。
「ありがと」
あ、可愛い。思わずどきりとする。
「うん、気に入った。ね、音源あったら、今度貸してくれる?」
瑠璃は何度か頷きながら、イヤホンをシュネーに返す。気に入ってくれたのなら何よりだ。
「あ、はいです」
「ほんと? ありがと!」
瑠璃が手を握ってきた。不意討ちはずるい。義手の上から手袋をつけているのがちょっと申し訳ないが、この義手は他人に見られたくない部分なのだ。見た目はほとんど変化がないとはいえ、紛い物の腕なのだから。
「あ、明日、で、いいですか?」
「うん、お願い!」
ここで予鈴が鳴った。午後の授業まであと五分。そろそろ戻らなければ。階段から立ち上がる。
「……ね、シュネーちゃん」
「はい?」
「明日も、一緒に、ご飯食べよ? いい?」
そういう聞き方はずるい。はい、としか言えないじゃないか。
いや、瑠璃から言ってくれて助かった。嬉しかった。久しぶりの他人と話しながらの昼食。それはとても楽しかったから。
それが、密かに憧れていた瑠璃となら、余計に。
「……」
「イヤ、かな? ……私はね、もっと、シュネーちゃんと、お話、したいんだよ? もっと、笑顔、見たいんだよ?」
ちょっと待って、どう答えればいいのか。そんなふうに畳みかけられると、どうすればいいのかわからなくなってしまう。
「……は、はい、です」
気がつけば、そう答えていた。瑠璃は今日一番の笑顔を浮かべ、再びシュネーの手を握る。
「ほんと!? やった、楽しみっ!」
そう言ってもらえると、こちらも嬉しくて、楽しくて。
「べ、別に、何も出ない、ですよっ」
申し訳なさそうに笑顔を浮かべると、照れ隠しに階段を駆け降りた。
これって、友達ができたのでは。それも、クラスの人気者の、瑠璃という友達が。
明日のことを考えると、なんだか舞い上がってしまう自分がちょっと情けなくなった。
翌日。の、昼休み。
昨日の約束は生きているのだろうか。瑠璃のほうをちらりと見る。彼女は二人の友人と机をくっつけ、弁当箱を出していた。
あ、やっぱり。そんなものか。やっぱり自分にはあの階段がお似合いなのだ。きびすを返そうとしたその時、瑠璃と目が合った。こちらに来るよう、手招きしている。
え、入れというのか。あの中に。気後れする。
……いや、ここで諦めたら、今までと同じだ。友達になりたい。そう思ってたのは、誰でもない。自分じゃないか。
意を決して、コンビニ袋を片手に瑠璃のところに歩く。
「もう、シュネーちゃん、遅いよ」
瑠璃が椅子を出してくれた。周りの視線を気にしつつ、その椅子におずおずと座る。ガチガチに緊張してる。
「あ、え、えっと……」
三人の視線が集まる。やれやれ、なんでこんなところで緊張しているのか。
「は、初めましてですっ!」
言うに事欠いて、なんだそれ。案の定、変な沈黙。
「あはは、シュネーちゃん、それはないよー」
「同じクラスなのに初めまして、って。あ、でもシュネーちゃんとは初めてお話するよね。じゃあ、あたしも初めまして」
「はじめましてー!」
なんだかちょっと恥ずかしいけど、会話のきっかけになれたのなら、これはこれで良しとする。いつものサンドイッチと菓子パンと野菜ジュースを袋から取り出す。
「あ! それ、ウチ買おうか迷っとった奴やわ! な、ウチのと半分交換せぇへん?」
「あ、えと、いいですよ」
こんな賑やかな昼食は初めての気がする。スノーは戸惑いながらも、満更でもない気持ちで、三人の会話を聴くのだった。今まではうるさいとしか思っていなかった会話だが、輪の中に入ってみれば、それはとても楽しいものだった。
頬が自然と緩むのを感じた。
放課後の薄暗い教室。帰り支度をまとめるスノーの元に、瑠璃が近寄ってきた。手には鞄。帰り支度はもう済ませているようだ。
「シュネーちゃん、一緒に帰ろう」
「え? あ……はい、です」
スノーの返事を聞いて、瑠璃は笑顔になった。それにしても可愛い笑顔だ。同性である自分も、思わずどきりとしてしまう。
瑠璃と並んで、学校を出る。少しずつ照明の明度が下がっていき、夕方が演出されている。地下都市では地上のような夕焼けを望むことはできないが。
「シュネーちゃん、今日はごめんね。急に誘ったりなんかしちゃって。迷惑だった?」
「い、いえ! 迷惑だなんて、そんな!!」
慌てて否定する。そう、これは本音。迷惑なはずがない。とても、とても楽しかったのだ。
「その……とても、楽しかったです。あんなに賑やかなお昼、初めてでしたから」
「そっか。それじゃ、よかった。シュネーちゃんの笑顔、たくさん見れたし!」
瑠璃は心なしか上機嫌だ。笑顔を何度も褒めてくれているが、そんなにいいものだろうか。いまいちピンとこない。確かめるかのように自分の頬を触ってみる。
「……あ、これ、昨日の音源です。あと、他のアルバムも持ってきてみましたです」
鞄からデータカードを三枚取り出して、瑠璃に渡す。
「昨日の? あ、覚えててくれたんだ! ありがと!」
瑠璃は笑ってカードを受け取ると、鞄の中にしまった。そして、歩む速度を落とす。スノーも彼女に歩幅を合わせた。
「私ね、シュネーちゃんを初めて見たときから、お友達になりたいな、って、ずっと思ってたんだ」
瑠璃はうつむき気味に呟いた。
「シュネーちゃんが転校してきたとき。お人形さんみたいで可愛いって思ったの。正直、ズガンってきちゃった。笑顔、とっても可愛いだろうなって、ずっと思ってた。……それは正解だったんだけどね」
瑠璃は恥ずかしそうに頬をかきながら、言葉を続ける。
「私、ずっとシュネーちゃんとお話ししたかった。ね、シュネーちゃんが転校したての頃のこと、覚えてる?」
そう、転校してきたばかりの頃、瑠璃は何度も声をかけてくれた。その時は、彼女が学級委員だから、その義務感によるものだと早合点していた。だから、それが屈辱に思え、邪険に接していたのだった。
「……はいです。あのときは、ごめんなさい」
「ううん、気にしないで。シュネーちゃん、いっぱいいっぱいだったんだな、って思ってたから。確かに残念だったけど、今はこうして話せてる。それだけで、私は十分だよ」
瑠璃の言うことはあながち間違いじゃない。だけど、それでも彼女に申し訳ない気持ちはあった。それが、余計に距離を置く要因となっていたのかもしれない。
横断歩道の前で、瑠璃は足を止めた。信号は赤。どうやら瑠璃はここで横断歩道を渡るらしい。
「……私、ここで向こうなの。シュネーちゃんは?」
「あ、このまま、です」
「そっか。じゃ、ここでお別れだね」
車道の信号が黄色に変わった。横断歩道の信号はそろそろ青に変わるだろう。
「ね、シュネーちゃん」
横断歩道の信号が青に変わった。
「私たち、友達、だよね?」
友達。
すごく、すごくいい響き。
そして、それを言ってくれたのは、密かに憧れていた、明るくて、可愛くて、人気者な、瑠璃。
「……はい、ですっ!」
いつも以上の大声を出す。その返事を受けて、瑠璃は今日一番の笑顔を浮かべた。小動物めいた、とても可愛らしい笑顔を。
「……えへへ、ありがと」
そして、横断歩道を半分ほど渡ったところで、こちらにくるりと振り返る。
「シュネーちゃん、また明日ね!」
瑠璃は手を大きく振ると、小走りで横断歩道を渡っていった。
胸が高鳴っている。今まで感じたことがないほどに。
『私たち、友達、だよね?』
瑠璃のその言葉が頭の中をぐるぐると回る。頬が緩む。あぁもう、だらしないなぁ。
瑠璃の後ろ姿が見えなくなったところで、スノーも足を進めた。今日の会話を頭の中でリピートしながら。
日常パート。百合回? うふふ