『少女地獄』
~AMC本社
「それじゃ、私は一階のカフェにいるからな。終わり次第来てくれ」
「はい」
ラビットはリンクスと別れ、エレベーターに乗り込み、三階のボタンを押した。今日呼び出されているのは自分だけ。たいていの仕事はリンクスと一緒なので、なんだか新鮮な気分である。
エレベーターから降りると、廊下に見覚えのある少女がいた。鮮やかなブロンドのショートヘアに、すらりとした体つき。その顔立ちは非常に整っており、ローティーン向け雑誌のファッションモデルと言われても違和感はない。着ている服は白い長袖のブラウスに黒いスラックスといったシンプルなものだ。平坦な胸元と併せ、中性的な印象を与えている。
「エクレール! 久しぶりだね!」
エクレール・ギヌメール。コードネーム「稲妻」。スノーやウインドと同様、ラビットと同時期に強化手術を受けた少女であり、ラビットの二つ年上になる。その能力を買われ、同期の三人とは異なり、諜報部で働いている。そんなわけで、会うのは久々。
「……ハーゼか。久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
ライトニングの声は少々ハスキーである。その声も中性的な雰囲気を醸し出すのに一役買っている。
「シュネーと楓子は元気でやっているのか?」
「二人とも相変わらず」
「相変わらずなら、心配だな」
ライトニングがくすりと笑った。確かにスノーは人見知りだし、ウインドも引っ込み思案だ。施設にいた頃は二人の面倒を見ていたライトニングだから、そんな感想が出るのだろう。
「ところでハーゼ。お前も仕事の説明でここに来ているのか?」
「うん。エクレールも?」
「ああ。ミストアイからメールが来ていた」
「僕もだ。同じ仕事かもしれないね」
「そうかもな。足を引っ張るなよ」
「エクレールこそ」
そうは言ったものの、ライトニングの戦闘能力は極めて高い。その瞬発力は常人の数倍とまで言われており、それを活かした近接戦闘に長ける。この若さで精鋭揃いの諜報部に引っ張られたのは伊達ではない。
彼女と二人で廊下を歩いていると、どんどん距離が離れていく。彼女はラビットよりも背が高く、脚も長い。そして他人の歩みを気にするタイプではない。気の置けない間柄であるラビット相手なら余計にだ。彼女についていこうと思ったら、つい早歩きになってしまう。
「仕事はどうだ?」
ライトニングがこちらを振り向かずに問いかける。
「リンクスさんのサポートばっかりかなぁ。まぁ、やりがいはあるけど」
「なるほど。私も似たようなものだ」
ライトニングですらサポート役とは。話には聞いていたが、諜報部には腕利きが集まっているようだ。
そうこうしているうちに、目的の会議室に着いた。ライトニングが扉をノックする。
「ライトニングとラビットだ」
「はい、お待ちしておりましたわ。どうぞ、お入りになってくださいませ」
ミストアイの声がしたので、ドアを開ける。中には白衣を着たミストアイと、軍警察の制服を着た男がいた。それと、ヴィクセン。彼女はこちらを確認すると、笑顔で手を振った。
「わざわざすみませんわね。どうぞ、おかけになってくださいませ」
ミストアイが目の前にある椅子を指さす。椅子に座って部屋の中を見渡してみると、他は誰もいない。
「今回、あなた方にお仕事をお願いしたのは他ではありませんわ。……早速ですが、まずはこの新聞記事を見てくださいませ」
ミストアイが新聞の切り抜きを二人に渡す。その記事には、第四階層での通り魔事件のことが小さく載っていた。
「通り魔、ですか?」
「ええ。ここ二週間で、すでに八人の被害が出ていますわ。ほとんどの被害者は死亡。息のある被害者も皆、重傷を負っていますわ。これが、被害者の写真ですわよ」
ミストアイが複数の写真をまとめてプロジェクターに写す。一枚一枚の写真は小さいが、いずれも金髪の少女が写っていた。
「彼女らは皆、金髪の少女ですわ。そういうご趣味なのでしょうね」
ミストアイがころころと笑う。それを受けて、軍警察の制服を着た男が咳払いをした。ミストアイは苦笑し、写真を引っ込める。
「失礼、不謹慎でしたわね。それで、今回のお仕事ですが……」
「……私達に犯人を捕まえろ、と?」
「あら、よくわかりましたわね」
ミストアイが小さく拍手。
「こんな話をしておいて、呼んだのは私とハーゼ。二人とも金髪じゃないか。そんな連想など、馬鹿でも出来る」
薄々感づいてはいた。ただ、そんな仕事は軍警察の管轄なんじゃないだろうか。
「……軍警察のほうでも囮捜査を行った。だが、結果は先ほどの写真の通りだ」
「返り討ち、ということか?」
軍警察の男が頷く。軍警察を返り討ちにするなんて、ただの異常者ではないということか。だから、自分達が呼ばれた、と。
「目標となっているのはいずれも娼婦や孤児といった身寄りのない者だ。だが、さすがに件数が多すぎる。これ以上放置するわけにもいかん。そこで、諸君らに依頼した」
「私達にとっても軍警察は上客ですわ。色々とよくして頂いている以上、断るわけにはいきませんのよ。ライトニングさん、ラビットさん、あなた方には、この囮捜査をお願いしますわ。いざというときはヴィクセンさんがサポートしますから、安心してくださいませ」
「え、いや、ちょっと待ってください。犯人の目標は少女って、僕は男ですよ!?」
犠牲者は金髪の少女。確かにライトニングは適役だろう。だが、ラビットは金髪とはいえ、少年である。犯人がそこまで幅広い趣味を持っているようには思えないが。
「……鋭いところに気がつきましたわね」
ミストアイとヴィクセンが笑みを浮かべる。まさか。
「一言で申しますと、ラビットさんは女装して、ライトニングさんのサポートをお願いいたしますわ」
「大丈夫大丈夫、知り合いのいい美容師紹介するから」
「いや、そういう問題じゃないですから!?」
「マリアさんにも許可は頂いていますわ。特別手当の申請、やっておきますので」
リンクスも何やってるんだ。ヴィクセンがこちらににじりよる。まさか、彼女が呼ばれていたのはこんな理由だったのか。ライトニングに助けを求めてみれば、諦めろ、といった伏し目を送られるのだった。
「うん、似合う似合う」
「そのほうがもてるんじゃないか?」
ヴィクセンの知り合いが経営しているという美容室で、結局ラビットは女装をさせられていた。肩までのカツラと、薄く化粧。元々中性的なラビットにはそれだけで十分であった。
鏡の自分を見てみれば、確かにちょっといけそう。
って、なんというか、仕事とはいえ、屈辱である。
携帯のシャッター音。音の方を向いてみればやっぱりヴィクセンか。
「ちょ、撮らないでくださいよ!?」
「大丈夫大丈夫、これはあたしの宝物にするから。アップなんかしないって」
「全ッ然、信用できないんですけどッ!」
顔から火が出そうだ。本番も冷静でいられるかどうか。
「うん。ハーゼ、まぁ……うん」
「エクレールも笑うなら笑えよッ!」
ライトニングも笑いをこらえている。全く、今日は厄日だ。
「でも、元がいいんでいい感じになったっすよ」
美容師はなぜか満足げだ。元がいい。そう評価されて、少し頬がゆるむ。そういうことには耳聡い。
「あんまり調子に乗らせないでくれよ。あとは服だな。経費で落ちるのか?」
リンクスがわざわざ服を買ってくれるとは思えない。
「じゃあ僕の普段着でいいですよね! ボーイッシュっていうか!」
「なんならエクやんのお古でも貸してあげたら?」
見事にスルー。がっくりと肩を落とす。
「私のか? ……まぁ、構わないが。サイズが合うかどうか、だな」
ライトニングはラビットよりも背が高く、そして細身である。おそらくは着れないだろう。長さが余ってウエストが足りないなんて悲しすぎる。
「そっか、エクやん細いもんね。じゃ、シュネーちゃんのをこっそり持ってこよう」
「シュネーのって、あいつの趣味……」
「贅沢言うな。わざわざ準備するのは面倒だ。素直に借りておけ」
スノーとラビットは似たような背丈であるが、彼女の私服はいささか少女趣味が過ぎる。かといって、ウインドのだと胸周りが余りそうだ。恥ずかしいが、それしか手はないようだ。がっくりとうなだれるラビットであった。
~数日後・第四階層
女装したラビットとライトニングは第四階層の細い路地を歩いていた。地下都市で治安がいいと言われるのは第三階層までで、第四階層以降は階層を下れば下るほど治安は悪化の一途を辿る。
ライトニングは片手に長い包みを持っている。それは彼女の得物。刀である。彼女は射撃こそ下手であるが、近接戦闘は強化人間屈指の実力を持っている。
この辺りは歓楽街のようで、まだ昼間であるにも関わらず、怪しげな看板が道路の両端に並んでいる。飲み屋、マッサージ店、それに風俗店。普段なら賑わいを見せているのだろうが、例の通り魔事件により、通りには閑古鳥が鳴いていた。客引きも暇そうに携帯をいじるだけである。
「……あンた、見ない顔だね」
しばらく歩いていると、雑居ビルの前で、赤毛の女が声をかけてきた。けばけばしい化粧と露出の多い服のせいか、ずいぶんと年を食ったように見えるが、その目元はあどけない。体つきから察するに、同じぐらいの年頃だろうか。ナイトアイがいれば嘆くだろう。
「悪いこたァ言わねェよ。あんたらみたいな金髪の子は、ここに来ないほうがいい」
「……通り魔が出るから、か?」
「知ってるんなら、余計にだよ。隣の奴もやられたんだ。刃物で全身をめちゃくちゃに切られて、な」
女は忌々しげに唇を噛んだ。関係者となれば、情報収集にちょうどいいかもしれない。ライトニングの表情を伺ってみれば、こちらが何を言おうとしているか察したようで、頷いた。
「……差し支えなければ、その話を聞かせてもらえるか?」
「あァん?」
場所をファーストフード店に移し、女のリクエストで昼食を奢る。女の前にはハンバーガーのセット、ライトニングの前にはアップルパイ。ラビットの前にはコーラがあった。
「自己紹介が遅れたな。私はエクレール。隣のがハーゼだ」
「ご丁寧にどーも。あたいはジェシカだ」
ジェシカと名乗った女は、フライドポテトを口に運ぶ。
「時間は大丈夫か?」
「別に、なんともねェよ。あたいは『こじんじぎょーぬし』って奴だからな。通り魔のせいで暇してるしよ」
ジェシカがけらけらと笑う。この歓楽街で個人事業主、というと、想像されるのは、売春婦。彼女は同じぐらいの年頃に見えるのだが。
「で、何で通り魔について調べてんだい? あんたら、上の階の人間だろ。服見りゃわかるよ。それも、あたいと同い年ぐらいのさ」
予想通り、ジェシカは同世代のようだ。同世代の少女が客を取っているなんて、階層が一つ下がればずいぶんと人の暮らしぶりも変わるものだ。
……どうしてそこでジェシカが客を取っている姿を想像するかな。改めて自分の想像力が嫌になる。
「……用があってな」
「用だァ? ……あんたら、軍警察の人間かい?」
ジェシカの表情が警戒したものに変わる。後ろ暗いところがあるのだろうか。
「違う。こんな若い軍警察がいるか?」
「そりゃそーだがよ……」
話が途切れたので、ライトニングがアップルパイを口に運ぶ。今までの気難しそうな表情から一変、頬がほころんだ。
「……アハッ! あんた、甘党なのかい?」
「悪いか」
ライトニングの表情の豹変っぷりに、ジェシカは思わず吹き出す。ライトニングの表情が元に戻った。彼女は重度の甘党である。
「いや、わかりやすかったからな、つい」
ジェシカの警戒は解けたようだ。くすくすと笑みを浮かべている。
「それで、通り魔のことについて聞かせてほしい」
「……ああ。飯代と思えば安いもんだよ」
ジェシカが言うには、通り魔が出始めたのは二週間ほど前。この歓楽街でのみ出没しており、狙われているのはいずれも金髪の若い女性。ほとんどが水商売をやっている女だったそうだ。そして、現れるのはいつも決まった路地である。
「……いい加減な、怖いんだよ。いくら金髪ばかりやられてるって言ってもな、いつターゲットが変わるかなんて、通り魔のクソ野郎にしかわかんねェって……」
ジェシカの声は恐怖で震えている。セットのジュースを飲んでしまうと、彼女は顔を上げた。
「……あんたら、軍警察じゃないのに通り魔事件に首突っ込むとか、ひょっとして『ぴーえむしー』ってやつか?」
ジェシカの声色は明るい。無理して出しているかのように。民間軍事企業が治安維持を担当している場所は少なくない。
「……そうだ。よく知ってるな」
「ニュースぐらいは見てるからな。そっか、いくら上の人間とはいっても、大変なんだな」
「大変でも仕事だ。仕事をこなさないと生きていけん」
「それもそーだ。あたいだってそうだ。怖いからって、仕事しない訳にはいかねぇからな。……ごちそうさん」
ジェシカは食事を終え、立ち上がる。
「人任せな話だが、健闘を祈るよ。うまくいったら、また声をかけてな。そうしたら、今度はあたいが奢るから」
「……ああ」
「任せてくださいよ」
あ、久々に喋った気がする。下手に喋ってボロが出るのは嫌だったから、話はライトニングに任せていたのだった。
「……じゃあ、行くか」
「うん。レーダー、起動させとくね。エクレール、イヤホンつけた?」
「今スイッチを入れた。聞こえるな?」
ラビットの網膜にレーダーが写ると同時に、耳の中に入れていた小型イヤホンからライトニングの声が聞こえてきた。準備万端。
ジェシカの後を追うかのようにファーストフード店から出る。すると、ラビットのレーダーに、異様な反応が写った。
人間にしては速すぎる反応。それが向かう先は、路地裏を歩いているジェシカ。
「エクレール!!! 妙な反応がジェシカさんにッ!!」
ライトニングは視線で返事をして、ジェシカの方に駆ける。速い。彼女の瞬発力は強化人間屈指である。ラビットも懸命に追いかけるのであった。
「……させるか、サイコパスが」
通り魔の攻撃を、エクレールは刀で受け止める。彼女の足下には、左腕を負傷してうずくまるジェシカ。
「……エクレール、あんた……」
「巻き添えになりたくなかったら下がれッ!」
ジェシカは何度も頷き、腰を抜かしたまま、おずおずと後ろに下がる。
「……ふゥーん。あなた、私と同類、ですねェ」
通り魔が間合いを取る。フードを被り、仮面をつけているが、声や体格は女のものだ。そして、両手には鋭い爪が取り付けられている。ライトニングが受け止めているのは、その爪。通り魔が下がり、間合が開く。
「同類? ふざけるな、通り魔風情が」
「またまた。あなたの目を見れば、わかりますよ。その義眼、強化人間でしょう?」
通り魔が仮面とフードを外す。金髪をシニョンにした、上品そうな顔立ちの女だ。そして、灰色の義眼。
強化人間と、同じ義眼。この力といい、間違いない。
この通り魔は強化人間だ。
「私はデルタダガー。あなたにも似たような名前があるでしょう? 名乗られたら、名乗り返すのが礼儀ですよ」
「……ライトニングだ」
デルタダガー。そんな名前、AMCの強化人間にはいない。今も、そして過去も。
いや、ナンバー三十三から三十九までは欠番だった。もしや、そこに当てはまるのがデルタダガー。ならば、なぜこんなところに。
「考え事ですかぁ!? いけませんね、戦闘中に余計なことを考えては!」
デルタダガーが右手の爪で斬りかかる。ライトニングはバックステップで回避するも、今度は左手。片手の攻撃なら受け止めることは難しくない。だが、それで動きが止まったとたんにもう片手の爪が襲いかかってくるだろう。できるだけ動きを止めずに回避し続ける他にない。しゃがんで左手の攻撃を回避、反撃で下段の回し蹴りを繰り出す。デルタダガーはジャンプして回避。彼女はいったん間合を切り、爪に舌を這わせる。
「ふふっ、やりますねぇ! 久々に楽しめそうです!」
「さっきからぺちゃくちゃと、少しは黙ったらどうだ?」
「もう、少しは可愛げのあることを喋ったらどうですか? まぁ、そのうち喋らせてあげますけどね。可愛らしい、命乞いをね!」
「その言葉、リボンをつけて返す。無様な命乞いをな」
今度はライトニングが飛び込む。デルタダガーは回避せず、反撃の構えだ。それを見たライトニングが奥歯を噛んだ。刹那、彼女のスピードが一気に伸びる。
「なっ……」
タイミングが狂わされ、デルタダガーは反撃を試みることができない。ライトニングの刀が、デルタダガーの左爪を弾き飛ばす。
これがライトニングの持つ能力、加速装置である。身体のリミッターを一瞬だけ解除し、驚異的な瞬発力を発揮させるという仕掛けだ。
「考え事か? 滑稽だな」
ライトニングが落下した左爪を明後日の方向に蹴り飛ばす。
「……生意気な子ですね……」
「よく言われるよ」
次の瞬間、二人は一気に間合を詰め、攻撃の応酬を繰り出した。常人には確認できないような速度で。
ライトニングが戦っている場所から少し離れた場所に、ラビットとジェシカはいた。腰を抜かして呆然とライトニングの戦いを眺めていたジェシカだったが、巻き込まれることを案じたラビットにここまで連れてこられていたのである。
「これでよし。大丈夫です、傷は浅いですよ」
ジェシカの左腕に包帯を巻き付ける。携帯しておいてよかった。
「……わ、悪ぃ。それにしても、あんたらは……何者なんだ?」
「……正義のヒーロー、なーんて」
通り魔なんて悪と戦う正義のヒーロー。うん、わかりやすい。自嘲気味に少し笑う。
「……ヴィクセンさん、どうぞ」
呆然としているジェシカを後目に、襟元のピンマイクへと声をかける。すると、すぐに反応が返ってきた。
『はいはい、ヴィクセンお姉さんだよ!』
「通り魔、確認しました。今はエクレールが戦闘中です」
『うそ、早いじゃない。エクやんなら、ささっと済むんじゃない?』
「それがですね……」
大事になりそうだ。報告すべきか悩む。だが、後で何か言われるよりは、あらかじめ報告しておいたほうがいいだろう。何度も口をすっぱくして言われた、報連相ってやつだ。
「……通り魔は、強化人間です」
『嘘。……わかったわ。場所はある程度把握してるから、すぐに行く』
ヴィクセンの声色が変わり、通信が途切れた。レーダーには依然として異常な二つの反応が写っている。ライトニングと通り魔だ。これだと援護しようにも足を引っ張るのがオチだ。大人しくヴィクセンの到着を待とう。
「……なぁ、通り魔って、あんなにおっかない奴だったのかよ……」
ジェシカは震えていた。無理もない。目の前であんな人間離れした動きを見せられれば。彼女の肩をそっと握る。
「エクレールは……大丈夫なのか?」
「あいつなら大丈夫ですよ。あいつに勝てる奴なんか、そんなにいませんから」
「……本当かよ。なんでそうだって言い切れるんだ?」
「なんでって、そりゃ……友達を信じるのは当然でしょ」
あ、本人の前じゃ絶対言えないな、こんなこと。
「そっか、友達を、信じる、か……」
ジェシカがぼんやりとライトニングのほうを眺める。
網膜のレーダーに速い反応。ヴィクセンか? いや、違う。方角が違う。なら――。
「エクレール、上ッ!!」
デルタダガーの右爪も弾き飛ばされ、ライトニングが刀を突きつける。
「……勝負あったな」
「くっ……」
その時だった。イヤホンにラビットの声が飛び込んでくる。
「上だとッ!?」
ライトニングが上を向いた瞬間、雑居ビルから一人、飛び降りてきた。
「推ッ! 参ッ!!」
飛び降りてきたのは女だった。褐色の肌に、金色の髪。その胸元は豊満である。
そして、灰色の義眼。まさかこいつも強化人間か。
「デルタダガーさん、遊び過ぎデスよ。強化人間、呼ばれたジャないデスか」
飛び降りてきた女は片言である。デルタダガーのことを知っているということは、彼女の仲間であろう。
「ライトニングさんいいましタネ。サンダーチーフです」
サンダーチーフと名乗った女がお辞儀をした。新手か。
「チーフ、ごめんなさい。でも、この子……」
「途中から見てましタ。サスガは強化人間デスね」
サンダーチーフが拍手する。どうする。先手を取るか。
いや、彼女の眼光は鋭い。笑顔こそ浮かべているが、目は笑っていない。隙はない。
「ここらが潮時でしょう。デルタダガーさん、それなりに爪のデータ取れたデショ?」
「ですが……」
「ライトニングさん、休戦といきまショウ。それトモ、二対一で勝てるとデモ?」
サンダーチーフが腰の刀に手を伸ばす。間違いない。この女は使い手だ。それも、デルタダガー以上の。
「ダイジョブです。今回は爪のテストでシタ。ちょとデルタダガーさん調子に乗っただけデス。コレ以上手出しさせません。約束しマス」
「……口約束だろう。そんなもの、どうとでもなる」
「疑り深いのダメですヨ? しょうがないデスね」
サンダーチーフが目にも止まらぬスピードで抜刀し、デルタダガーの右腕を斬る。
「きゃああっ!!」
「ペナルティです。デルタダガーさん、やりすぎました。これケジメです」
サンダーチーフが刀を拭き、鞘に収める。
「これで信じてもらえマスか?」
サンダーチーフは笑顔を浮かべてこそいるものの、その目は笑っていない。そして、今の一閃で確信した。この女は相当な使い手だ。自分よりは間違いなくできる。このまま戦えば、間違いなく敗れ去るだろう。
「……仕方ない。休戦だ」
ライトニングは俯き、下唇を噛む。痛いほどに右手の拳を握りしめる。
今日の仕事は通り魔を捕まえること。だが、己の実力不足で、自ら目標を逃がす羽目になった。まったくもって、情けない。
「うんうん、それでいいデス。賢い人、ワタシ好きデス。では、行きまショ、デルタダガーさん」
サンダーチーフはデルタダガーを抱え上げると、いずこへと去っていった。
私の力不足だ。せっかく一人で仕事を任せられたというのに。情けない。情けない。情けない。
ライトニングの瞳から、涙が一筋こぼれ落ちた。
「エクやん、大丈夫!?」
どれほど経っただろうか。ヴィクセンが駆けつけてきた。その後ろには、ラビットとジェシカの姿もある。
「……私は大丈夫だ。だが……」
「エクやんが大丈夫なら、それで十分よ。強化人間が相手だったんでしょう? 無茶はしちゃダメ」
ヴィクセンがライトニングの頭を優しく抱く。
「目標は取り逃がした。だが、これ以上手出しはさせない。そう約束させた……。目標は右腕を負傷している。しばらくは、大丈夫だ……」
「うん。うん。それで十分。……それで、相手の特徴、教えてくれる?」
「……サンダーチーフと、デルタダガーと名乗っていた」
「サンダーチーフ!? ……エクやん、英断だったわ。この仕事の正否よりも、あなたが無事だったほうが、はるかに価値があるわよ」
「……知っているのか?」
ヴィクセンが目を逸らす。その表情は暗い。
「……まぁ、ね。さ、戻りましょ。お仕事はおしまい」
ヴィクセンは話を無理矢理切り上げると、向こうへと歩きだす。あの口調だと、連中のことを知っているようだ。だが、連中が何者なのかは教えてくれないだろう。
「……ジェシカ」
「……なに?」
「迷惑、かけたな。謝礼だ、取っておいてくれ。いいな、ヴィクセン」
「ええ。経費を余らせても、戻ってくるわけじゃないからね」
ジェシカに今回渡された経費の余りを渡す。それなりの金額は残っているはずだ。
「い、いいってば! こんなの受け取れないよ!」
「巻き込んでしまったうえに、怪我をさせた。私の力が十分なら、その怪我もなかったはずだ。だから……治療費にでもしてくれ」
デルタダガーは捉えていた。だが、間に合わなかった。その結果が、ジェシカの怪我だ。彼女の怪我は、自分の力量不足が招いたものだ。
「……うん。何から何まで、本当に悪いな……」
「気にするな。それじゃあ、世話になったな」
「ジェシカさん、お大事に」
ラビットがジェシカに一礼する。そして、彼女に背を向けた。
「エクレール、本当にありがとう! お礼、絶対するからなッ!!」
背中から聞こえるジェシカの声に、手を上げて返事。
「エクやん、友達できたじゃない」
「……かもな」
ジェシカは悪い奴じゃない。もう一度会えるのなら、それは喜ばしいことだろう。だが、その可能性は限りなく低い。連絡先も何も交換していないのだから。
ヴィクセンの車の後部座席に乗り込み、階層間エレベーターに向かう。
サンダーチーフ。
覚えた。次は絶対に、逃がさない。そのためには、腕を磨かなくては。
雑然とした町並みを長めながら、ライトニングは拳を握り締めた。
「ところで、僕は別に女装しなくても、エクレールの連れみたいに振る舞えばよかったんじゃ……」
「はてさて、何のことかなー?」
前席の会話を聞き流しながら、ライトニングは腕を組んで、目を閉じた。
~翌日・AMC本社
特殊部隊のオフィスでは、男が報告書を眺めて眉根を寄せていた。筋骨隆々の体格に、短く刈り込んだ角刈り。そして、大きなサングラス。明らかに堅気の雰囲気はない。
大山仁。コードネーム『レッドアイ』。特殊部隊の隊長であり、最強の強化人間とも呼ばれている。
「どうかしました?」
報告書を持ってきたのはミストアイ。その口元にはいつものように笑みが貼り付いている。
「いや、サンダーチーフとデルタダガー。連中、生きてやがったんだな」
「ですわね」
「懐かしくもあり、憎くもあり。……こいつも、天狗の仕業かもな」
「はいはい、天狗のせい、天狗のせい」
ミストアイがころころと笑った。
「厄介な事態に発展しなきゃいいがな」
レッドアイは報告書にサインし、社内便の送信箱に放り込んだ。
主人公? ライトニングですよ(すっとぼけ)