『鉄風鋭くなって』 ②
~地上・グレスカ
グレスカのとある家に、ラビット達はいた。ここにいる理由といえば、観光ではなく、仕事のため。ラビットの他には、ウィンドとグレイゴースト、それにスパイダー。ミストアイとコンドルは別行動だ。
今回の仕事は、葛城造船の重役の護衛。数日前に重役の一人が拉致され、暴行を受ける事件があったことを受けてのことだ。犯行予告も届いている。
連中の狙いは見えている。先日受注した護衛鑑絡みだろう。事実、拉致された重役は受注のキャンセルを言い出したのだ。
「うん、いい感じじゃない」
ウィンドと重役の娘が並ぶ。年齢は同じぐらいで、外見もそれなりに似ている。胸を除けば。
いつものお団子髪をほどいたウィンドはどこか新鮮だった。髪はウィンドのほうが長かったので、ウィッグでごまかしている。スパイダーが言うには、ウィンドの髪を切ったら暴動が起こるとかなんとか。確かにウィンドはお団子髪がよく似合っているが。
「でも、胸はさすがにどうしようもないですね」
「しょうがない、サラシでも巻きましょか」
「あぅぅ……」
ウィンドは恥ずかしそうだ。すると、スパイダーがラビットを追い出した。
「ラビット君、ごめんなさいね。さすがに男の子に見せる訳にはいかないから」
「え、ほ、ほんとにやるんですかぁ!?」
「これもお仕事のためよ。我慢しなさい」
「ふぇぇぇ……」
嫌なら断ればいいのに。
なんてことを思っていると、部屋の扉が閉められた。そして、ウィンドの悲鳴というか喘ぎ声というか、なんとも言えない声が響いてくるのだった。
数時間後。
ウィンドは重役と共に日の暮れた公園を歩いていた。ここは彼の帰宅ルートなのだとか。
「いやはや……娘と同じ年頃の女の子と歩くとは、なんだか緊張するねぇ」
重役が苦笑い。彼は重役にしては若く見える。なんでも、四十代前半で重役の椅子に座ったやり手らしい。次期社長候補なんだとか。
「緊張……ですか?」
「君のような可愛い子が横だと、余計にだよ」
『お客さん、踊り子には触れないでもらえるかしら?』
小さなイヤホンから、グレイゴーストの声が聞こえてくる。彼女達は少し離れた場所から見守っているそうだ。何かあれば彼女達が飛んでくる。それまで重役を守るのがウィンドの役割だ。
「別に他意はないよ。怖い怖い」
「あの、娘さんとも、こうして歩いたりします?」
「娘が小さい頃はね。今は一緒に歩いたりしてくれないよ。難しい年頃だ」
重役が寂しそうに笑った。反抗期なのだろうか。自分にはよくわからないが、普通の家庭に育った人なら、そうなるのだろう。
「ウィンドさん、趣味はあるのかい?」
「え、趣味、ですか?」
ウィンドの趣味といえば、読書である。そして、それが高じて小説執筆にも取り組んでいる。後者は少し公表しにくいことではあるが、読んでくれたヴィクセンやラプターからは好評だった―社交辞令かもしれないが―。
「ど、読書、です」
「読書。どういった本を?」
「え? えっと、マンガも読みますし、小説も。小説もライトノベルとか歴史小説とか、何でも読みます」
「雑食って訳だね。いいことだ。私も本は好きでね。今度、お勧めの本を貸そうか?」
「あ、は、はいっ!」
読んだことのない本を貸してくれるというのは楽しみだ。仕事後の楽しみにしておこう。
「ところで、ウィンドさん。キミは何のために戦っているのかい?」
「え?」
急に何を聞いてくるのだろうか。突然の質問に呆気にとられる。
「ちょっと気になるんだ。娘と同じ年頃の女の子が、どうして戦っているのか。いや、そんな状況を作ってしまったのは私達の責任なのだが」
「……グレイゴーストさん?」
『任せるわ。葛城造船さん相手だし、そこまで重要な情報でもないでしょう』
「……わたしは……」
何のために戦っているのか。それはテロリストを倒すため。何のために倒すのか? 正義のため? じゃあ、正義とは?
『……フーコ、怪しい反応が近付いてる。反応、強化人間だよ』
ラビットの声で、ウィンドの思考は中断された。強化人間の反応? 噂に聞いていた、地上解放戦線の強化人間か。
「……了解。数、わかる?」
『一人。近くにそれ以外はいない』
鞄の中にしまっている拳銃に手を伸ばす。重役も身構えていた。
「……大丈夫です。相手が一人でしたら、わたし一人でなんとかなります」
「……頼りにしてるよ、ウィンドさん」
重役が微笑んだ。その期待には応えねばならない。
周囲に人影はない。そのなかで、一人の女がこちらに近付いてきた。くすんだ金髪を無造作にまとめ、口元を隠している、いかにも怪しい風貌。大きなポンチョを羽織っており、手元は見えない。おそらくは武器を持っているのだろう。
「地上汚染者が、いい気なものだな」
女の口調は攻撃的だ。間違いない。彼女が敵だ。
「本来ならばここで八つ裂きにしてやりたいところだが、私にも任務がある。抵抗しなければ傷付けん。娘、貴様もだ」
女がポンチョを脱ぎ捨てた。彼女の腕は戦闘義手。手首の後ろに可倒式の刃が仕込まれており、それを展開させてこちらに突きつける。
それを確認すると、ウィンドも鞄から拳銃を取り出し、グリップからコードを引っ張りだして、耳の後ろのコネクターに繋ぐ。
「……あなたは、何者ですか」
「ふん、子供がガードマンとはな。そこまで堕ちたか」
「答えてください」
「では答えてやろう。私は地上解放戦線の闘士、クルセイダーだ」
クルセイダー。そんな名前の強化人間は聞いたことがない。やはり、ライトニングが交戦したという、所属不明の強化人間の仲間か。
「この様子なら、抵抗するつもりだな。まったく、これだから地上汚染者は聞き分けが悪い!」
クルセイダーが右手の刃で切りかかってくる。とっさに身を翻してかわすが、今度は左手の刃。二刀流か。意表は突かれたが、太刀筋自体は優しいものだ。技術に関してはライトニングのほうが上だろう。
「あなた、強化人間ですか」
「それはこちらの台詞だ。貴様のような小娘すらも強化人間とはな。堕落した地上汚染者が考えそうなことだ」
クルセイダーはゆっくりと刃を構える。ちらりと重役に目線をやれば、逃げることなく踏みとどまっている。信頼してくれているのか。ならば、信頼には応えねばならない。強化人間が相手ということで、恐怖を感じないといえば嘘になる。だが、重役を守る。それが自分の任務だ。それを全うするのが、信頼への対価であろう。
「テロリストが何を言っても、どこにも響きません」
間合を取って拳銃を発砲するも、クルセイダーは横に動いてかわす。それを見越して二射、三射。軽度な行動予測と論理トリガーの速射により、相手を追い詰める。それがウィンドの形だ。これが閉所であれば、クルセイダーは圧殺されていただろう。だが、ここは開けた場所だ。クルセイダーは飛び上がって弾幕から抜け、間合を詰めにかかる。予想以上に速い。強化人間は伊達ではないということか。
「私には大義がある! 大義のために戦う私に敗北などないッ!!」
クルセイダーの目は血走っている。大義? テロリストが? 大義のためなら、罪のない一般人に血を流させてもいいと? そんなの、間違っている。ウィンドは銃のコードを引き抜き、銃を捨てる。スカートをめくり上げ、太股にくくりつけておいたナイフを抜いた。
「人間はすべからく地上を汚染するという原罪を背負っている! それを知りながら地上を汚染し続ける退廃的日和見主義者を滅ぼすのが、私の大義ッ! それに連なる、貴様のような者もなッ!!」
クルセイダーはひたすら攻撃を続ける。一撃一撃こそ荒いが、矢継ぎ早に繰り出される連撃をさばくので手一杯だ。
「地上環境を守るという建前のもと、一部の企業を優遇し、利権を貪る政府の欺瞞! それを正すために我々はある!」
「……黙って、聞いていれば……ッ!!」
クルセイダーの言っていることが正しいかどうかはわからない。だが、自分の言い分を通すためだけに多くの人々を傷つけている。それは、許せることではない。それが例え正しいことでも、ウィンドは許すことができない。
自分が戦っているのは、大義のためじゃない。正義のためじゃない。
親しい人が傷ついた姿を見たくない。いや、親しい人だけじゃなく、罪のない人が傷ついている姿を見たくない。
自分はそのために戦っているのだ。自分はその望みのために戦っているのだ。
「わたしはッ……!!」
クルセイダーの右手からの攻撃を弾く。左手からの攻撃が来る前に前へと踏み込み、間合を詰める。息がかかるような距離。ここまで近付けば、クルセイダーの義手は振るえまい。
「私の望みのために戦っていますッ!!」
クルセイダーの腹へと、ナイフを突き刺す。急所は外したか。
「くっ……そんな、そんなエゴなどッ!!!」
クルセイダーは左手の刃を格納し、ウィンドを突き飛ばす。そして、右手の刃を繰り出す。それはウィンドの頬をかすめた。ちりりとした痛みが走る。
「そんなエゴなど、私の大義に比べればァッ!!!」
クルセイダーの気迫は恐ろしいものがある。ひたすらに義手の刃を振り回している。雑ではあるが、その気迫。少しでもさばくのを誤れば、致命傷を被りかねない。
「わたしの、言ってることは! ただの、エゴかもしれませんッ!! それでもッ!! わたしはッ!! わたしの望みを叶えたいッ!!」
「その! 通! りィィッ!!」
グレイゴーストの声。その直後。
「きゃああっ!?」
クルセイダーが吹き飛んだ。左肩を押さえている。何があったのか。まさか、グレイゴーストが。
「女の子だもの、顔は外してあげたわ」
ウィンドの目前が少し揺らいだ後に、グレイゴーストの姿が現れる。
そう、彼女は光学迷彩で姿を隠すことができる。それがグレイゴーストの名の所以。
クルセイダーが吹き飛んだのは、グレイゴーストの踵落としが肩にめり込んだため。
「……って、ウィンドの頬に傷をつけてくれちゃって。若い女の子の顔になんてことしてくれるのかしら」
グレイゴーストはウィンドに一瞥をくれると、片足を上げた構えを取る。
「……新手か。しかし、何人来ようとも、私の大義の前には……」
「大義、大義ってうるさいわねぇ。争いっていうのは、しょせんはエゴとエゴのぶつかり合いにすぎないわ。実力が同じなら、よりエゴの強い方が勝つ」
グレイゴーストがクルセイダーに飛びかかり、左右の足甲で次々と連撃を繰り出す。その動きは速く、滑らかだ。クルセイダーは守勢に回ったとたんに脆さを出した。
「政府を正すために戦う? 笑わせるわ、お偉いさんの娘の癖に」
「ッ!! 黙れ、黙れェッ!!」
グレイゴーストの挑発に激昂したクルセイダーだが、それは彼女の動きをさらに雑にした。グレイゴーストの足甲が、クルセイダーの刃を折る。クルセイダーは「お偉いさんの娘」という単語に反応したのだろうか。少し気になるが、それはまた後で聞けばいい話だ。
「デーモン! 何をやってる!! 援護を、早く援護をくれッ!!」
「あらあら、高潔な革命戦士が、無様なものね」
グレイゴーストはくすくすと笑い、クルセイダーへとにじり寄る。クルセイダーは実力差を悟ったのか、目に先程の気迫は見えない。その目は完全に死んでいた。
「ウィンド、お偉いさん連れてB地点へ行きなさい。あとは私で処理するわ。よくやったわね」
「い、いえ……あとはグレイゴーストさんに任せて、行きましょう」
「……うむ」
重役を連れて、事前に決めていた地点へと向かう。そこには葛城造船の私兵が待機しており、重役を保護してもらう算段だ。
「ウィンドさん、よくやってくれた。頬の怪我については申し訳ない」
「い、いえ。この程度なら、その、すぐに治りますし」
頬の痛みは消えている。傷も目立つほど残りはしないだろう。
「……クルセイダーといったか。あの娘、見たことがある」
「え?」
「政府高官の娘だ。少し前のことだったが、パーティーで見たことがある。もちろん、名前は違ったがね。家を飛び出して消息不明になっていたとは聞いたが」
政府高官の娘が地上解放戦線に。そして、強化人間に。聞きようによっては凄いスキャンダルに聞こえる。
「ところで、キミは『自分の望みのために戦う』と言っていたね。望みというのはなんだい?」
「え、そ、それは……」
罪のない人が傷つくのを見たくない。単純な内容ではあるが、口に出して言うのはなんだか恥ずかしい気がする。
「……罪のない人が、傷つくのを、見たくない。それだけ……です」
結局言ってしまった。まぁ、消化不良のまま終わるのもなんだし。
「そうか。それだけだとしたら、キミは本当に良い子だ」
重役は笑って、ウィンドの頭をぽんと叩いた。
『デーモ……! ……何をや……る! ……護……早……援護……!!』
ラビットの無線に見慣れぬ声が聞こえてくる。どうやら敵の無線らしい。
ラビットとスパイダーはウィンド達とは少し離れた場所に待機していた。グレイゴーストに何かあれば、そこで増援に。別の敵がいればそれに対処する。遊兵のような存在である。
「スパイダーさん、敵が使っている周波数、割り出せました」
「本当? ……しばらく注意して聞いていてくださいね。敵の残り、割り出せるかも」
「了解です」
グレイゴーストとウィンドのほうは特に問題ないようだ。グレイゴーストは交戦中、ウィンドはB地点に向かっている。
『何言って…がる……一人で十分っ……言った…は……てめぇ……ろうが!!』
「……なんかもめてますね。もう一つの発信地点、わかりました。C地点の近所ですね。駐車場です」
「了解。姉様、敵の残りを見つけました。前もって向かいます」
『はいはい。まぁ、この仕事はこれ以上深入りする必要はなさそうだけどね』
ラビットはレーダーのC地点付近を拡大する。無線の発信元にあった自動車のような反応が動き始めた。ここから離れるように。
「……スパイダーさん、大丈夫です」
「何がです?」
「対象、ここから離れています。諦めたんでしょうか」
「了解。追跡は難しそうですね。……ウィンドさん、そちらの具合は?」
『は、はい。葛城造船さんと合流しました』
『よろしい。コンドル、そっちの具合は?』
『ああ、案の定、工場に爆弾が仕掛けてあった。ミストアイが解体にかかってる』
『そんなに……難しいことでは……あふん。ありませんわぁ……んっ』
ミストアイの声はどこか色っぽい。爆弾解体をやっているようには聞こえない。
『まーた感じてんの、あんた。相変わらず変態ね。まぁいいわ。私達のお仕事はこれでおしまいね。敵さんは私が処理しとくわ。彩香達は撤収なさい』
「はい。ラビット君、撤収しましょうか。いいお仕事でしたね」
「確かに僕達、何もしてないですね」
「たまにはこういうお仕事があっても罰は当たりませんよ。じゃあ、行きましょうか」
「はい。お疲れさまでした」
ウィンドにはちょっと申し訳ないが、これも巡り合わせだ。彼女にはジュースの一本でもご馳走するとしよう。
「さて、あとはあなたをどうするか、だけど……」
グレイゴーストはクルセイダーを見下ろしていた。クルセイダーの両手の刃は折られており、少しでも動けばグレイゴーストの蹴りが飛ぶ。そんな位置関係。
「くっ……殺せっ……」
「あらあら、そんなこと言っちゃう? そこにあなたの武器が転がってるし、死ぬなら死ぬといいわ。できるものならね」
クルセイダーは折られた刃に目をやるも、そのままうつむいた。
「覚悟もないのにそんなこと言うものじゃないわよ」
グレイゴーストがくすくすと笑う。
「あなたとは色々とお喋りしたいことがあるのよ。あなたのお父さんから頼まれていたこともあるしね」
「父……だと」
クルセイダーの眉根が歪んだ。
「そ。大学生の頃に家を飛び出して、あなたのお父さん、だいぶ苦労したそうよ」
「当然だ。あのような地上汚染者……」
何も知らないとは幸せなことだ。グレイゴーストはため息をつく。
「……あのね、あなたがさんざんテロじみたことやっておきながら、今まで逮捕されなかったの、どうしてだと思うの?」
「そんなもの、我々に大義が……」
「バッカじゃないの。あなたのお父さんが根回ししてくれてたおかげよ」
「な……」
「実の娘が地上解放戦線でテロやっている、なんてことが知られたら、とんでもないスキャンダルになるわよ。娘かわいさと、自分の保身。そういうのが合わさって、あなたは見逃されてた」
クルセイダーの表情が曇った。言うことはまだある。
「でも、さすがに限界だったんでしょうね。これを見てみなさい」
クルセイダーの父から預かった、戸籍の写し。クルセイダーの名前はあるが、死亡扱いとなっていた。
「少し前までは行方不明扱いだったんだけどね。でも、これであなたは死亡扱い。戸籍上はこの世にいないことになってるのよ。あなたはもう死んだのと同じ」
「そんなもの、闘争に身をやつしてから覚悟している……ッ」
「あなたのお父さんから頼まれたわ。娘に会うことがあったら殺してやってくれ、って」
クルセイダーという女がテロ活動を続けている。それを聞いたクルセイダーの父と仕事で顔を合わせたときに頼まれたこと。
娘を殺してくれ、と。これまま世の中を騒がせるのを黙って見ている訳にはいかない、と。
クルセイダーの表情が変わった。悲しそうな、うつろな表情に。
「父には見放され、仲間はあなたを見捨てて逃げて、散々ねぇ。これも闘争の報いかしら?」
「……私は、闘争を……。政府の不正を正し……地上を救うために……」
「あなたには色々と聞きたいことがあるわ。そう、色々とね。あなた、強情みたいだし、体に聞いてみましょうか」
「私は、闘争のため、理想のために……」
これから自分に待ち受けていることを悟ったのか、クルセイダーが刃に手を伸ばした。グレイゴーストはすかさず当て身を入れる。
「んあ……ッ!!」
「殉教者になんかさせないわよ。このままおねんねしていなさい。起きたら楽しい時間が待ってるから」
気を失ったクルセイダーをかつぎ上げ、グレイゴーストは姿を消した。
二日後、グレイゴーストのマンションにラビットとウィンドは招かれていた。慰労会として料理を振る舞ってくれたのだが、グレイゴーストの手料理は実に美味かった。味付けは薄めで、どこか素朴な味わいがあった。
「グレイゴーストさん、ごちそうさまでした」
「なんの。やっぱり若いわねぇ。いい食べっぷりだったわ」
グレイゴーストが満足そうに微笑んだ。その笑顔は本当に嬉しそうで、彼女もこんな表情をするのだなと、失礼なことを考えてしまった。それはウィンドも同じようで。
「何よあんたたち。変な顔してさ」
「あ、いえ……」
「その、グレイゴーストさんがこんなに料理上手だなんて、思いませんでした。……すみません」
「失礼しちゃうわ。料理は数少ない趣味なのにさ」
「ふふ、姉様は二人が美味しそうに食べてくれて嬉しいんですよ」
スパイダーがコーヒーを持ってきた。ラビットもウィンドも、ミルクと砂糖入り。
「余計なこと言わないの」
「たはは、ごめんなさい」
グレイゴーストがスパイダーをぺしりとはたく。スパイダーは苦笑して、グレイゴーストの隣に座った。
「お店、出したいのよね。彩香と一緒にさ」
「お店というと、レストランですか?」
「そんなとこ。二人で切り盛りできる、ちっちゃいお店をさ」
グレイゴーストは少し恥ずかしそうに、コーヒーをかき回す。店を持つのが彼女の夢なのか。ちょっと意外。
「それが私達の夢なんです。そのためにがんばってお仕事してるんですよ」
スパイダーが嬉しそうに微笑んだ。彼女達は夢のために汚れ仕事も引き受けているというのか。
何かのために戦う。そういえば、そんなこと考えたことがなかった。リンクスが明るい部屋に帰れるように。それも目標になるのだろうか。
ウィンドはどうなのだろう。そんなこと考えているのだろうか。
ウィンドのほうをちらりと見ると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
ラビット達を見送った後、グレイゴーストの携帯電話に着信が入った。部下からである。
「もしもし」
『あ、どうも。今はお電話大丈夫ですか?』
「ええ。彼女の件でしょ。どう、楽しんだ?」
『まぁ、少しは。若いのは喜んでましたがね』
「溜まってるでしょうしね。で、どう? 電話してくるってことは、進捗あったわけ?」
『はい。連中、カルバリンですね』
カルバリン社。軍需産業において、イージス社に次ぐ企業である。イージス社と同様に、掃除サービスからPMCまで手広く扱っている。近年、政府との関係を強化しつつあり、イージス社を追い抜くとも宣言していた。それは内部向けのプロパガンダと言われていたが、これはひょっとするとひょっとするかもしれない。
「まぁ、薄々予想はついてたわ。今日中に報告書まとめといて。明日、休出して確認するから。残業つけといていいからね」
『了解しました。お疲れさまです』
「あんまりやりすぎないようにね。壊しちゃ元も子もないわよ」
『善処するように言っときます』
電話を切り、ため息をつく。すると、スパイダーが手を握ってきた。
「姉様、その様子だと、厄介事みたいですね?」
「まぁね。隠居にはまだまだ遠そうだわ」
「私は姉様と一緒なら、どんな厄介事でも構いませんよ」
スパイダーは頭をそっとグレイゴーストの肩に預けた。
ウィンド達は迎えであるラプターの車を待っていた。時刻は夕方。証明が少しずつオレンジ色に変わっていき、夕暮れが演出される。
「グレイゴーストさんの料理、美味しかったね」
「うん。僕も呼ばれてよかったのかな、って思うけど」
「大丈夫だよ。敵が来てること、ハーゼ君が教えてくれたんだもん。凄く助かったよ」
ラビットが敵の接近を知らせてくれたから、心と体の準備ができていた。クルセイダーは不意討ちをしなかっただろうが、それでも気持ちを切り替えることができたことは大きかった。
「それに、わたし一人だと、ちょっと気まずかったし」
「あはは、それはわかる」
「今回のお仕事も、大変だったけど、収穫はあったし」
「収穫?」
自分は何のために戦っているのか。それについて、はっきりした答えを得ることができたことは収穫といっていいだろう。
自分の望みのために戦う。罪のない人を傷つけないために戦う。漠然と思っていたことが形になった。このことだけはクルセイダーに感謝せねばなるまい。
「そう。何のために戦うか。それがはっきりわかったの」
「……何のために?」
「それは……」
そのとき、クラクションと共に、マットブラックのクーペが止まった。
「あ、ラプターさん来たから。ハーゼ君は後ろだね!」
「え。この車、後ろ狭いでしょ?」
「ハーゼ君、この前お仕事してないんだもん。それぐらい我慢してね」
「それ言われちゃ何も言い返せないよ……」
ウィンドは助手席の扉を開け、後部座席に乗れるようにシートを動かす。
「それで、何のために?」
「……ひ・み・つ」
ラビットも似たようなことのために戦っているんだろう。あえて言う必要はないと思う。
ウィンドは少しだけ舌を出し、ラビットを後部座席に乗り込ませた。




