『鉄風鋭くなって』 ①
地下都市の第四階層。地上解放戦線の下部組織、環境再生同盟の本拠である廃ビル。
その内部は戦場と化していた。彼らはAMC諜報部によってテロ計画を未然に察知されたため、こうして攻撃を受けている。それも特殊部隊による攻撃を。それは実際苛烈であり、構成員はことごとく射殺されるか拘束されていた。
廃ビルの三階。角部屋に一人の少女が居た。その手には専用に改造されたセミオートのライフル。彼女の耳の後ろからはコードが延びており、銃に繋がっている。彼女の周りにはテロリストの死体が二つ。銃口の先には両手を上げたテロリスト。
少女の顔はまだあどけないが、その胸元は豊満である。このような場所には不釣り合いな容貌の少女。だが、彼女はこの雰囲気に慣れきっているようだ。その表情には乱れが感じられない。
彼女は強化人間。コードネーム、ウィンド。
「こ、降伏だ! 頼む、撃たないでくれ……」
テロリストの命乞い。だが、ウィンドの表情は変わらない。仮面のような無表情のまま。そして、その指がトリガーから離れることはないし、銃口が下りることもない。
「……なぁ、あんたみたいな女の子が兵隊やってるなんか、おかしいと思わねぇか?」
「……だから?」
ウィンドは銃を下ろさない。
「俺には、妻も娘も居るんだ……! それも、あんたぐらいの娘が……!」
「だから?」
ウィンドは銃を下ろさない。表情も変えない。
「俺も親だからわかる。あんたみたいな子供が銃を握ってるとか、親御さんも、悲しく思ってるはず……」
ウィンドがトリガーを引いた。銃弾がテロリストの眉間に撃ち込まれる。
「……親なんかいませんよ」
ウィンドがトリガーを引いた。トリガーを引いた。引いた。
それらは全てテロリストの頭に命中し、彼の頭はトマトめいて弾けた。
ウィンドは部屋の中を見渡し、他に生き残りが居ないことを確認する。任された仕事は終わり。
「……ウィンドです。三階、クリア」
無線に声をかけ、銃を下ろす。子供が居るからなんだというのか。妻が居るからなんだというのか。それがテロリストを見逃す理由になるというのか。
慈悲は無い。テロリストは殺すのみだ。どんな大義を謳っても、暴力に訴えた時点でその大義は堕ちるのだから。
「あなた達が傷つけてきた人にも、妻や子供が居るっていうのにね」
ウィンドはそう吐き捨てると、テロリストの死骸に向けてもう一度トリガーを引いた。
地上、グレスカ郊外の空き家。投光器に照らし出された先には、一人の男が椅子に縛り付けられていた。身なりこそ良いが、その頬は腫れており、何かしらの暴力があったことを示唆していた。グレスカ一の企業である、葛城造船の重役だ。
「搾取階層がッ!!」
一人の女が声を張り上げて入ってくる。金色の髪を無造作に束ねただけ、くたびれたTシャツにジャージという色気のない服装。その口元はバンダナで隠されていた。
「地上を破壊するのみの欺瞞的企業! どの顔を下げてこの空気を吸うッ!」
女の目つきは恐ろしい。明らかに異常な興奮を示している。その怒声に、重役は思わず身をすくめた。
「あー、まーた興奮してから。どーも、お会いしたかったですよー」
女を茶化すかのような軽い口調の男が入ってくる。真新しい野球帽に派手な服装。いかにも遊び人のような男。色気を全く感じない女とは対照的だ。
二人の瞳は灰色。強化人間である。
「俺ぁ地上解放戦線のデーモンってもんです。こいつは同僚のクルセイダー」
デーモンと名乗った男はへらへらと笑いながら、懐から煙草を一本取り出し、火を点ける。
「どうですかい、一本」
デーモンが煙草を勧めるも、重役は首を横に振った。
「なんだ、煙草はやらないんですか。もったいない、本物なのに」
「な、何が、何が望みだ……。教えろ……」
デーモンは煙草をふかすと、火のついた煙草を重役の額に押しつけた。
「熱ちぇぇぇぇっ!?」
「あんた、自分がいる状況、わかってんのか? 口の聞き方ってのがあるだろうよ」
デーモンの口調と表情が変わる。凄みの利いた、恫喝めいたものに。重役は思わず顔を引いた。
「何、難しいことじゃあねぇですわ。政府から護衛艦の受注が来てますよね? そいつに手を上げないようにしてもらえばいいだけの話ですよ」
デーモンの口調と表情は元のへらへらしたものになった。
「そ、そんなこと、私の一存で……」
「クルセイダー」
クルセイダーが、重役の右手小指を折る。枯れた枝を折るかのような気安さで。
「アバーッ!?」
「次は左手だ」
「だ、だから……」
クルセイダーが、重役の左手小指を折る。
「アバーッ!?」
「この程度で済んでいることを幸福に思え。この地上汚染者が」
「わ、わかった、持ち帰り検討……」
クルセイダーが、重役の右手薬指を折る。
「アバーッ!?」
「意地張るのもいい加減にしたほうがいいですぜ、旦那さんよ」
デーモンが煙草を吹かした。クルセイダーが眉根を寄せる。
「私の前で煙草は止めろと言っているだろう」
「うるせぇな。お前みたいなおっぱい人は星に帰ってろ」
くたびれたTシャツのせいでわかりにくいが、クルセイダーの胸は豊満である。
「……クルセイダー、ちょいと旦那さんと二人で話させてくれ」
「何を話す?」
「何、ちょいと説得を試みるだけよ」
クルセイダーは不満げな表情を残したまま、部屋から出ていった。今回の責任者はデーモンであり、クルセイダーはその指揮下である。彼の言葉には従わねばならない。
「すんませんね。あいつは興奮したら手ぇつけらんねぇんすわ」
「た、頼む、助けて……」
「簡単なこってすわ。この書類にサインさえしてくれりゃ済みます。クルセイダーの居ない間に書かないと、何されるかわかんねぇですよ」
良い警官、悪い警官。それは実際に単純な仕掛けだが、人の心を動かすには十分だ。暴力と恐怖で縮んだ心を優しさという名の欺瞞で伸ばせば、その心はあらぬ方向に曲がるのだ。
「無論、旦那さん個人にもメリットはあります。どの会社とは言えねぇですけど、旦那さんに報酬渡すようになってますわ」
デーモンが適当な紙に報酬額を記入する。それは実際大金であり、魅力的な額であった。この理不尽な暴力が終わる。そして、自分にも大金が入る。迷う必要はない。
「どうされます? あいつ戻ってきたら、今度は左手……」
デーモンの言葉が終わらない内に、重役はサインをしていた。
「賢明な判断ですわ。いい医者を紹介しますんで、お大事に。今後も仲良くさせてほしいっすね」
デーモンは笑って、重役の肩を揉んだ。
~AMC本社
AMC本社にラビットは居た。仕事の呼び出しである。今回はリンクスと一緒ではない。珍しいこともあるものだ。
「あ、ハーゼ君。今回は一緒みたいだね」
エレベーターから降りたところで、ウィンドとはち合わせた。彼女も今回は一人呼び出されたようで、ラプターの姿はない。
「フーコ。ラプたんさんは?」
「お休み。今回はわたし一人だけだよ。ハーゼ君も?」
「うん。リンクスさんは休み」
「詳しくは聞いてないけど、諜報部の仕事らしいよ」
「諜報部から? 珍しい話だね」
廊下を歩きながら、ウィンドと言葉を交わす。
「諜報部ってことは、グレイゴーストさんと一緒になるのかなぁ……」
グレイゴースト。諜報部にいる強化人間のリーダー格である。
「かもね。どうしたのさ、ため息ついて」
「あの人、ちょっと苦手なの……」
「あー、わかる」
グレイゴーストはラビット達の最初の教官であった。彼女には意地の悪いところがあり、訓練の間、色々と痛い目に遭わされてきたものだ。同様に教官であったミストアイからも色々と意地悪をされたし、AMCは教官の人選を間違えていると思う。
「誰が苦手ですって?」
突如、後ろから聞き覚えのある声がした。慌てて振り返ったときにはもう遅く、そこには笑顔を浮かべたグレイゴースト。茶色いセミロングヘアに、赤いセルフレームの伊達眼鏡。気配なんかなかったのに、いつの間に。
「久しぶりねェ、ウィンド、ラビット。相変わらず胸大きいわね、この」
「ちょ、ちょっと、やめて……」
グレイゴーストがウィンドの胸を触りにかかる。ウィンドは蛇に睨まれた蛙のように抵抗しなかった。ウィンドは年齢に似合わぬ豊満なバストであり、そして気が弱い。こうしてセクハラめいたことをされるのは日常茶飯事に近い。
「ん? 前よりも大きくなってないこれ!? さては誰か揉んでくれる人ができたな、コイツ!」
「できてません! そんなことするのヴィクセンさんやコンドルさんぐらいですー!!」
「なんだ、色気ないわねェ。あとそこのエロウサギ。見てないで助けなさいって」
グレイゴーストがウィンドの胸から手を離し、ラビットの頭をはたく。うん、見とれていないといえば嘘になる。女性が女性の胸を揉むというのはちょっと背徳的でいいものだった。
「……ハーゼ君……」
ウィンドが胸を押さえ、色々と言いたげな表情でこちらを見つめている。罪悪感。
「ごめん。グレイゴーストさん、止めそうになかったから」
「人のせいにすんなっつーの。ホントに、あんた達の子守とか、骨が折れる仕事になりそうねェ」
「あ、やっぱり一緒にお仕事するんですか」
「そーよ。エクやん休暇中だからね。それに、あんた達のほうが都合がいいみたいだし」
「都合がいい?」
「また後で説明するわ。準備もあるから、それじゃあね」
グレイゴーストは手を振って、廊下の向こうへと去っていった。
「やっぱりグレイゴーストさんと一緒かぁ……。トチったら何て言われるかわかんないなぁ……」
「まぁまぁ、始まる前からそんな弱気でどうすんの。失敗したときのこと考えてもしょうがないよ」
ウィンドは実力はあるのに自信がなさすぎる気がする。真っ先に失敗したときのことを考えてしまうあたり、自信がないというかマイナス思考というか。
「だってグレイゴーストさん、怖いもん……」
ウィンドがグレイゴーストを恐れるのは、さっきのセクハラを見ていてもわかる。
「グレイゴーストさん、あの人エグいから……」
ラビットはグレイゴーストの本気を知らない。彼女が諜報部最強の強化人間と言われていることは噂に聞いているが、その実力のほどはわからない。諜報部に所属している都合上、手の内は明かさないのだろうが、ウィンドは何かのきっかけでそれを知ってしまったのか。グレイゴーストを恐れているのが度重なるセクハラだけによるものとは思えないが。
そうこうしているうちにミーティング会場の会議室に着いた。部屋の扉をノックする。
「ラビットとウィンドです。入りますよ」
部屋の中にはコンドルとミストアイ。そして諜報部の女強化人間が居た。赤い髪をお下げにした童顔の女性。グレイゴーストの助手的存在である、スパイダーである。
「よう。元気そうだな」
「僕は元気ですが、ウィンドは」
「何ですの? またグレイゴーストさんからイタズラを?」
ミストアイがころころと笑い、図星であったウィンドは顔を赤くして俯いた。
「ほんとにもう、姉様ったら。ウィンドちゃん、ごめんなさいね」
スパイダーは苦笑して、俯くウィンドの頭を撫でた。スパイダーはグレイゴーストのことを姉と呼んでいる。本当に血縁があるかどうかはわからない。少なくとも顔は似ていないが、そんなところまで立ち入る権利はないので深入りはしない。
「でもウィンドちゃん、しばらく見ない間に、また胸大きくなってません?」
「グレイゴーストさんと同じこと言ってますよ、スパイダーさん」
「この姉妹は本当に。でも確かに、言われてみればな」
「コンドルさんもまじまじと見ないでくださいよぅ……。確かにちょっと太っちゃいましたけど……」
ウィンドは太ったと言っているが、顔や胴回りには肉がついたように見えない。となれば、グレイゴーストやスパイダーの言っていたことは正解か。
「怖くて体重計乗ってないんですけど、確実に太っちゃったんですよ……」
「服でもきつくなりましたの? ワタクシは今のウィンドさんは健康的でよろしいと思いますが」
ウィンドが首を横に振った。
「ラプターさん、お風呂にお湯をいっぱいまで張って、溢れさせるのが好きなんですよ。わたし、その後にお風呂に入るんですけど、今まで溢れなかったお湯が最近になって溢れるようになって……」
回りくどい言い方だが、要は体積が増えた、ということか。
「胸だな」
「ですわね」
「ですね」
「あうぅ……」
ウィンドがまたも赤面し、俯いた。
「ほら、ラビット君。フォローしてあげなきゃ」
「ほんとグレイゴーストさんと同じようなこと言いますね、スパイダーさん。えっと……僕は痩せてるよりはいいと思うけど……」
「あんまりフォローになってねぇな」
「ワタクシはどうですの?」
「ミストアイさんは痩せすぎですよ」
ミストアイは本当に痩せている。ロングスカートの裾から覗く脚は細いし、リンクスが言うには肋骨が浮いて見えるそうだ。さすがにそれは痩せすぎだと思う。
「はいはーい。おっぱい話で盛り上がってないで、仕事の話をするわよー」
グレイゴーストが手を叩きながら入ってきた。それを合図に、皆がウィンドの胸から視線を離す。ウィンドはほっとした表情。
「今回は見ての通り、実働部隊と諜報部の混成よ。指揮は私、グレイゴーストが採るわ。いい?」
「俺は別に構わないよ」
「ワタクシも。どうせ爆弾処理で呼ばれたのでしょう?」
ミストアイがころころと笑った。
「冴えてるわね。じゃ、ミーティングするから、スクリーン見てね」
グレイゴーストがメモリーをパソコンに挿し、ラビットが部屋の証明を落とした。
~地下都市第三階層・雑居ビル
くたびれた雑居ビルの一室。そこは地上解放戦線強化人間隊の集合場所であった。テーブルと冷蔵庫があるだけの殺風景な部屋。そこにクルセイダーは座っていた。縫いぐるみの雑誌を読み、頬を緩める。彼女の趣味は熊の縫いぐるみ集めであり、自室は縫いぐるみで溢れ返っている。
「またそんな本を読んで。子供か」
「人の趣味にケチをつけるな」
デーモンの声が聞こえたことで、クルセイダーの表情は元に戻った。デーモンは部屋の中に入り、テーブルに腰掛け、持っていたコーラを飲んだ。
「今回もてめぇとの仕事だよ」
「ええ……」
クルセイダーがあからさまに顔をしかめる。
「てめぇ、なんだその表情!! 俺とじゃ嫌だってか!?」
「私だって相方を選ぶ権利ぐらいあるだろうに……」
「じゃあ誰とならいいんだよ。ええ?」
「バンシー」
地上解放戦線に所属する、強化人間の少女である。
「このロリレズ病患者が……」
「レズ言うな、百合と言え」
「似たようなもんだろうが」
その趣味の人に言えば殴られそうな発言であるが、デーモンはその趣味を持ち合わせていない。
「じゃあ、セイバーの旦那から指令書預かってきてっから、読み合わせすっぞ」
「ああ」
デーモンが鞄から指令書を取り出し、クルセイダーもそれを覗き込んだ。




