『泣き止め剤』③
三日後。あれからスノーは学校に出て来ない。そして、連絡にも応じない。ヴィクセンによれば、部屋に閉じこもっているそうだ。
案の定、あの事件は犯人同士の仲間割れということで決着した。ニュースで報じられたのはほんの少しの時間であり、被害者へのインタビューは報じられなかった。
「……ハーゼ君、ちょっと、いいかな?」
瑠璃だ。彼女は今日から学校に出てきている。ちょっと疲れた表情はしているが、友人の前では笑顔を見せていた。
「どうかした?」
「……ちょっと、聞きたいことがあるの」
瑠璃に連れられて、ハーゼは屋上に続いている階段へと向かった。人の少ない場所。
「……ここでね、私は初めてシュネーちゃんと一緒にご飯を食べたんだよ。そして、一緒に音楽聴いて」
瑠璃は寂しそうに笑って、階段に腰掛けた。
「ハーゼ君。シュネーちゃんって……」
聞こうとしていることはわかる。だが、本当のことは教えられないだろう。いくら瑠璃がスノーの友人といえ、ハーゼから言っていいことではない。
「……今、悲しい思いをしてるよね?」
「え?」
予想外の言葉。
「私さ、この前の事件のとき、本当に怖かったんだ。だけど、シュネーちゃんは守らなきゃ、って思ってた。だって、シュネーちゃんは、とっても大切な友達だもの」
瑠璃はうつむきながら言葉を紡いだ。
「だけど、シュネーちゃんがスクッ!って立ち上がって、私を守ってくれた。あのときの私には、シュネーちゃんの背中がとっても大きく見えた。そして、お礼を言わなきゃ。そう思ってた。だけど、言えなかった」
瑠璃の手が震える。
「シュネーちゃん、不安そうな顔をしてた。私に嫌われたんじゃないか、っていう、すごく不安そうな顔。そんなことはないのに。だけど、私はシュネーちゃんを安心させてあげられなかった。お礼の一つも言えなかった」
瑠璃が顔を上げた。その目尻には光るものが見える。
「ハーゼ君も、シュネーちゃんも、私たちとはちょっと違うんだろうなって思う。二人とも、とっても強いんだもの。だけど、今はそんなの関係ないの。シュネーちゃんにお礼、言わないと駄目だよね……!」
「……カシマさんは、シュネーと友達を続けたいの?」
「当たり前だよッ!! シュネーちゃんと友達になりたいって言い寄ったのは私のほうなんだよ!? ちょっと違うからって、シュネーちゃんのこと、嫌いになったりなんかしない! だから……だから……ッ!!」
「……うん。ちょっと失礼なこと、聞いちゃったね」
俯く瑠璃の肩を叩く。
「……だけど、その一言が、シュネーにとっては一番嬉しい一言だと思う」
瑠璃が顔を上げた。目尻からは涙が流れている。
「……ほんと?」
「きっと、ね」
「……そっか。ハーゼ君、ありがと。話聞いてくれて」
「別にいいよ。カシマさんも、シュネーも、僕の友達だから」
そこまで聞いて、瑠璃は微笑んだ。階段から立ち上がって、尻を軽く払う。
「今日のこと、内緒でね。噂されると恥ずかしいし!」
「噂って……」
あれ、瑠璃も脈がないのかも。ぱたぱたと階段を下りていく瑠璃の後ろ姿を見送り、少し悲しくなる。
いや、瑠璃がスノーを励ましてくれるというのなら、それに越したことはない。
それがスノーにとっては最高の薬になるだろうから。
瑠璃はシュネーの家であるマンションの一室に向かっていた。エレベーターが階を一つずつ上がるごとに、心臓の鼓動が大きくなる。
シュネーに伝えたい。自分の嘘偽りのない気持ちを。
だけど、どう話せばいいかわからない。どんな顔をして会えばいいのかわからない。
何度もシミュレーションを繰り返しているうちに、シュネーの部屋の前についた。ここまで来たからには覚悟を決めて、インターホンを押す。
『はいはーい、どなたですかー?』
女の声。保護者だろうか。
「あ、あの、シュネーちゃんの友達の、鹿島瑠璃です。シュネーちゃんに直接伝えたいことが……」
『あ、はいはい。ルリちゃんだよね。シュネーちゃんから何度も聞いてる。ちょっと待ってね』
少しの間の後、扉が開いた。そこにはシュネーによく似たジャージ姿の女がいる。シュネーが大人になれば、こんな感じになるのだろうか。
「こんにちは。ささ、入って」
「はい、おじゃまします」
女に連れられて、中に入る。
「あの、シュネーちゃんのお姉さん、ですか?」
「ん、よく言われるよー。光栄な話。だけど、お姉ちゃんじゃないんだな、これが」
女がけらけらと笑いながら、瑠璃の肩を揉む。ずいぶんとフレンドリーな人だ。
「あたしはグレイス・フレッチャー。シュネーちゃんの保護者をやらせてもらってるわ」
リビングに通され、ソファーに腰掛ける。部屋の中は質素なものだ。本棚にはたくさんの漫画が並んでいて、テレビの側にはゲーム機が置いてある。
これが、シュネーの暮らしている場所。
「ありがとうね、シュネーちゃんの友達になってくれて。あの子、人見知りが激しいし、ちょっと不愛想なとこがあるでしょ? だから、なかなか友達ができなくて」
グレイスが隣に座る。彼女の目の下に大きな隈があるのが気になる。急に押し掛けて、迷惑だったかもしれない。
「いえ、友達になりたいと思ったのは、私のほうですから……」
「こんなに可愛い子がシュネーちゃんの友達だなんて、お姉さんも嬉しいわ」
褒められて、少し頬が緩む。……って、今日ここに来たのは、褒められるためじゃない。
「……それで、シュネーちゃんは……」
「……ずっと、部屋に閉じこもってる。ルリちゃんは、こないだシュネーちゃんと一緒にいたんだよね?」
「……はい」
「シュネーちゃんの秘密、知っちゃった?」
頷きで返答。グレイスも納得したかのように何度か頷いた。
「そっか。……あの子もいつかはこんな日が来るんじゃないか、って思ってたんだと思う。それが、予想よりも早かっただけ」
「あの、私、シュネーちゃんの身体のことなんか、気にしてないんです。ただ、一言謝りたくて。伝えたい言葉があって……」
「シュネーちゃんの交友関係に口を出す権利なんか、あたしにはないわ。だけど、一つだけ確認させて。……あなたは、シュネーちゃんのこと、どう思ってるの?」
「大切な、本当に大切な友達です!」
即答。自分でも驚くほど、すぐに答えが出てきた。
「その顔、嘘じゃなさそうね。いいわ、後は若い二人でしっぽりと話してね」
グレイスが立ち上がり、手招きする。彼女に連れられた先には、一枚の扉。
「……シュネーちゃん、お友達」
「……誰ですか?」
シュネーの声だ。
「カシマのルリちゃん。いつも話してた」
長い沈黙。果たして自分は受け入れられるのだろうか。喉が乾いてしょうがない。
「……入ってくださいです」
「だ、そうよ」
グレイスに一礼し、扉をそっと開ける。部屋の中は暗かった。
「……シュネーちゃん」
シュネーは下着姿でベッドに腰掛けていた。そして、彼女の左腕は無かった。右腕も肘から下が無い。
「見てくださいです、この姿。変なものでしょう?」
シュネーが笑う。乾いた笑い。
「シュネーは、人間じゃないんです。所詮は紛い物の、作り物なんですよ」
腕のないシュネーの姿は、ショッキングなものだった。
それよりも、作り物だなんて。紛い物だなんて。そんなこと、聞きたくない。
シュネーはシュネーであり、作り物でも、紛い物でもない。
「……瑠璃……さん?」
それを言葉で伝えるよりも先に、体が動いていた。シュネーの体を抱き締めていた。
「シュネーちゃんに、何て言おうか。色々、本当に色々考えてたの」
シュネーちゃんは私の友達。友達になりたいって言ったのは私のほうだから、私から嫌いになるなんてことはない。シュネーちゃんは私とちょっと違うかもしれないけど、それが私とシュネーちゃんが友達だってこととは、関係ないと思う。
「……だけどね、シュネーちゃん見ちゃったら、全部忘れちゃった」
シュネーの身体は温かい。彼女が作り物じゃないということは、それだけでわかる。
「シュネーちゃん、この前はありがとう。私の前に立ってくれたシュネーちゃん、とってもカッコよかった」
「瑠璃さん、シュネーは……」
シュネーを抱き締めていた腕を緩め、彼女の瞳を覗き込む。彼女の灰色の瞳は大きくて、吸い込まれそうだった。
「シュネーは、人間じゃ、ないし……銃を握って、人を殺す……」
シュネーの目尻に涙が溢れるのが見えた。
銃を握る。シュネーは兵隊か何かかもしれない。だとすれば、あの強さにも納得がいく。そしてそれは、ハーゼにも当てはまることだ。
「ダメ、なんです……。瑠璃さん、みたいな、普通の人が、シュネー、なんかと、付き合うの……」
シュネーの顔が涙でくしゃくしゃになる。彼女の泣き顔なんか見たくない。もう一度、抱き締める。
「……違うよ、シュネーちゃん」
そして、言いたかったこと。何度もシミュレーションしたこと。それを思い出した。
「ふぁい?」
「シュネーちゃんと友達でいたい。それは、私が望んだことなんだよ? 私のワガママだし、私のシアワセのためだもん。だから、シュネーちゃんが、嫌にならない限り、私はシュネーちゃんの友達」
初めてシュネーを見たときに感じたこと。とっても可愛い、お人形さんみたいな女の子。
笑顔、とっても可愛いんだろうな。友達になってみたいな。
そう思っていたけど、行動には移せなかった。シュネーが一人になっていくのを、ただ見ていただけだった。
あの階段でシュネーに声をかけたときは、そのことの贖罪も含まれていた。だが、シュネーと一緒に遊んだりしているうちに、贖罪なんて吹っ飛んでしまった。そして、腕のない彼女を見た今でも、その気持ちは変わらない。
もう一度、シュネーの瞳を覗く。彼女は涙を溢れさせながら、瑠璃の胸元に頭を預ける。
「瑠璃さんは、シュネーの、友達、ですか?」
シュネーの声が震えているので、彼女の背中をそっと撫でる。
「うん。私はシュネーちゃんの友達。これからも、ずっと」
瑠璃の言葉が終わるか終わらないかで、シュネーは声をあげて泣いた。
幸せな涙を流しながら。
翌日。
「……ハーゼ、おはようです」
手荷物をロッカーに入れていたラビットだったが、スノーの声で振り返る。
そこにはスノーと瑠璃が居た。
あ、うまくいったんだ。
っていうか、手繋いでるよ。
「おはよう。朝から仲良しじゃん」
「えへへ、いいでしょー」
瑠璃が繋いでいる手を自慢げに見せびらかす。
「シュネーも元気になったんだな」
「……とっておきのお薬、もらいましたですから」
「ねー」
シュネーと瑠璃は、友人同士、目線を合わせて微笑んだ。
とっておきの薬(意味深)




