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『泣き止め剤』①

 あの人に出会ってから、世界が変わった。

 彩り鮮やかな、美しいものに。

 自分の機械仕掛けの腕も、脚も、身体も、その世界にはそぐわないものなのかもしれない。

 だけど、それでも。

 自分はその世界に居たかった。




「シュネーちゃん、おっはよーっ!」

「ひゃうっ!?」

 朝。ロッカーに荷物を置いていたスノーであったが、突然後ろから抱きつかれた。誰かは声でわかる。

 瑠璃だ。

「も、もう。朝から元気ですね」

「そーお? でも、シュネーちゃんと会えたら元気になっちゃうって! しょうがないよ!」

 瑠璃が笑った。彼女にとって、これは挨拶代わりみたいだ。ここのところ、毎朝こんな調子である。抱きつかれているのはスノーだけなのだが、そんなに面白いリアクションをしているのだろうか。まぁ、やぶさかでもないのだが。

 それにしても、瑠璃は小動物めいて可愛いし、いい匂いがする。人気者なわけだ。

「朝っぱらから、何やってんの」

 呆れた表情のラビット。彼の姿を見てか、瑠璃はスノーから離れた。

 邪魔しやがって。

 ……って、邪魔ってなんだ、邪魔って。

「んー? 朝の挨拶!」

「そんな挨拶がある?」

「ここにあるよー。じゃあ、ハーゼ君にも挨拶しよっか?」

 ラビットと瑠璃は案外仲がいいみたいだ。というか、瑠璃が自分に声をかけるきっかけを作ってくれたのはラビットだという話を瑠璃から聞いた。それだけは彼に感謝しなければならない。

 って、なんだか聞き捨てならない展開。

「…………遠慮しとくよ」

 悩んだぞ、このエロウサギ。

「あ、シュネーちゃん、るりるり、おはよー!」

「おはよ!」

「お、おはようございますですっ」

 学校で友人と挨拶を交わす、何気ない朝。今まで訪れることのなかった、何気ない朝。自分はここに居ていいのかな。いや、居ていいんだ。

 強化人間の自分でも。

 化け物めいた自分でも。




~AMC訓練施設




「ヴィクセン、ちょっといいか?」

 射撃訓練の間、一息入れていたヴィクセンであったが、コンドルが声をかけてきた。彼女も訓練中であり、タンクトップ姿である。彼女の体型は細身であった。

「コンドル姐さん。どしたんす?」

 コンドルはヴィクセンが敬語―らしきもの―を使う、数少ない人物である。コンドルはヴィクセンの隣に座り、煙草を咥えた。

「何、ちょっとした世間話だよ」

 コンドルが口から煙を吐き出した。わざとらしいメンソールの香り。彼女が呑んでいるものは電子煙草である。本物の煙草は高級品だ。特殊部隊が高級取りといっても、いつもいつも吸えるわけではない。ちなみにコンドルは三度目の禁煙中だそうだ。

「こないだ読み切り載ってたよな。あれ面白かったぜ」

「そですか? えへへ、光栄光栄」

 ヴィクセンの副業はイラストレーターであり、趣味で漫画も描いている。いわば同人作家だ。そして、ごく稀に商業誌の穴埋めとして読み切りが掲載されている。ヴィクセンはコメディ寄りのラブコメを得意としており、それなりに評判は良い。

「しかしお前の話、今回も主人公がちっちゃくて、ヒロインが年上だったよな。願望か」

「はいっ!!!」

「お前のそんな曇りない表情がこんな話って、結構ショックだわ」

 コンドルが苦笑し、電子煙草を口に運ぶ。

「それ、美味しいですかー?」

「いーや。正直気分だけだな」

 コンドルは煙を吐き出すと、電子煙草をケースにしまう。

「……スノーのことだが」

「……どうかしました、彼女」

「あいつ、最近浮かれてるだろ。何かあったのか?」

「ああ。学校で仲の良い友達ができたんですよ。ようやく」

 今まで学校への行き帰りは死んだ魚のような目をしていたスノーであったが、今は違う。生気のある、生きた目だ。同じクラスの鹿島瑠璃。彼女のことはスノーから何度も話を聞いている。普通の人間と距離を置いていたスノーが、珍しく心を許した少女。

「男か?」

「残念ながら」

「なんだ、つまんねーな」

 コンドルがけらけらと笑う。まったく同感だ。スノーは顔の造りは素晴らしいのだ。少し頑張れば、お似合いの美少年を捕まえられそうではある。

「……でも、そういうことならよかった。あいつらには、せめて銃を握っていない間だけでも、普通の青春を送ってもらいたいからな」

「ですね。っていうか姐さんもあの子達のこと、心配してたんですね」

「当たり前だ。強化人間で、少年兵だ。いくらなんでも、背負った因果が重すぎるだろ」

「でも、あの子たちが最後の強化人間になりそうじゃないですか。それが、せめてもの救いじゃないですか」

 子供への適用も可能、という結果を残し、強化人間計画はいったん凍結された。新規施術に対して、政府からの補助が下りなくなったのだ。強化手術には金がかかる。補助が下りなくなった時点で、現在のメンバーの保守のみといった形にシフトしていた。

 スノー達は、最新世代にして最終世代となる可能性が高い。いや、そうであってほしい。

 子供に硝煙の臭いは、神父にコロンと同じぐらい虫酸の走る組み合わせなのだから。

「……その話だがな」

「何です、イヤな話ですか?」

「サンダーチーフとデルタダガー。あいつらが生きていたって話を聞いた」

 第四階層でライトニングが交戦したという相手。サンダーチーフとデルタダガー。かつてAMCに所属していた強化人間。二年前の作戦で行方不明となり、それっきりだ。それ以降、彼女らのデータは抹消されている。彼女達を知っているのは、ごく僅かの関係者のみだ。

「……はい。あたしもその仕事に参加してましたから。エクレールちゃんから直接聞きました」

「フリーの強化人間だ。放っておかれるはずがない」

「技術が漏れてる、ってことですか?」

 コンドルが頷いた。

「まぁ、心配してもしょうがない話だけどな」

「そうですね。あんまり辛気くさい話してても、テンション下がるだけですから」

 とは言っても、注意しておくにこしたことはない。特にサンダーチーフとは一緒に仕事をしたことがあるからわかる。彼女は凄腕だ。

「スノーに言っとけよ。年相応の、健全なお付き合いをやるようにな」

「大丈夫ですよ、女の子同士ですから!」

「……お前、そういうのもいける口だろ」

「はいっ!!!」

 ヴィクセンの守備範囲は広い。とても広い。

「その曇りない表情はやめろ」

 コンドルは苦笑して、電子煙草をもう一度咥えた。




~第三階層・カラオケボックス




「……この涙も嘘かもね?」

 スノーは一曲歌い終え、マイクのスイッチを切り、そっと机に置く。画面に表示された採点結果は、九十一点。部屋の中から拍手が起こる。

「シュネーちゃん、すっごく歌上手いね!」

「うん、声も可愛いし!」

「ちょっとぐらいウチに分けてくれてもええやんかー」

「え、えへへ……」

 なんだかとても照れくさく、思わず頬をかく。こうやって友人とカラオケだなんて、初めてのことだ。手先は不器用だし、絵も下手だし、料理もできないけど、歌だけは昔から好きだった。研究所にいた頃も。独りだった頃も。

「ちょ、ちょっと飲み物ついできますです。何かリクエスト、ありますですか?」

 恥ずかしいので、ちょっとだけ頭を冷やしてこよう。

「じゃあ、ウーロン茶おねがーい」

「ウチはメロンソーダな!」

「はい、了解ですっ」

 グラスを三つ持って、部屋から出る。ドリンクバーの機械にグラスを置いて、ウーロン茶のボタンを押す。

 友人達の、楽しそうな笑顔。自分の歌を、きちんと聞いてくれていた友人達。そして、拍手。

 いいんだ。

 自分はここにいていいんだ。

 なんだか胸が熱くなる。

「シュネーちゃん、ウーロン茶にコーヒー混ぜてみたら?」

「ふぁっ!?」

 瑠璃だ。グラスは持っていない。トイレだろうか。

「さ、さすがにそれはっ!」

「あはは、そうだよね。それに、食べ物で遊んじゃいけないよね」

 トイレの方向に向かう瑠璃。そうだ。通路には二人しかいないし、一つだけ聞いておこう。

「あの、瑠璃さん!」

「ん?」

 瑠璃は足を止め、こちらに振り返る。

「私なら飲み物あるから、大丈夫だよ?」

「いえ、あの……」

 瑠璃が小首を傾げた。仕草とルックスが併さり、とても可愛らしい。思わずどきりとする。

「……あの、シュネー、ここにいていいんですよね?」

 瑠璃は少しだけ呆気に取られた後、すぐに笑顔を見せた。

「当然だよ! 私達、みんな歌ヘタなんだから! シュネーちゃんがいないと!」

 聞いていることとはちょっと違う回答だが、それでもよかった。満足だ。

 そうだ。自分はここにいていいんだ。もう、独りじゃないんだ。

「ご、ごめんなさいです! 変なこと聞いちゃって!」

「んーん。じゃ、私、トイレ行くね」

「あ、ごめんなさいです!」

 スノーは瑠璃を見送り、少しだけ目尻を拭うと、グラスを持って部屋に戻った。

 こんな日常がずっと続くことを信じて。

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