『青空は天気雨』③
「御曹司?」
首をかしげるサンシャワーをよそに、車の後部ドアが開き、少年が降りてきた。見たところ十二歳ほどだろうか。まだ若い。マフィアの隣に膝をつく。
「……おい、ペーター」
「……坊ちゃん、すみません……」
ペーターと呼ばれたマフィアは、ゆっくりと目を閉じた。
「ペーター!」
少年はペーターを揺さぶるも、ペーターは目を開けなかった。状況を悟ったのか、少年は少しだけ目を瞑ると、すぐに立ち上がった。目の端には光るものが見える。
「……僕は『雪の月』会長のクランツ・シュマイセンの息子、パウルだ。すまんが、車を貸してくれ」
「その前に、何が起こってるのか教えて。状況もわかんないのに、赤の他人に手を貸せる訳がないでしょ」
「……『赤い五月』の連中が攻めてきた。僕はたまたま外出してて助かったが……」
赤い五月というと、ここら一帯に勢力を張っているマフィアだ。以前資料で読んだ記憶がある。そして、雪の月もマフィア。マフィア同士の勢力争いか。
「で、お父さんは危ない訳だね」
「……ああ。恥ずかしい話だが、逃げるのに手を貸して欲しい」
パウルは必死で虚勢を張っているようだった。無理もないだろう。この若さで、敵に追われているのだから。弱さを見せまいと、なけなしの虚勢を張っている。哀れな少年だ。
弱者を守れずして、何が強化人間だ。
かつて言われた言葉が、ライトニングの脳裏によぎる。
「……当てはあるのか?」
ライトニングはそう問いかけていた。サンシャワーはというと、何も言わずに成り行きを見守っている。
「昔、パパに救われて、それ以降義兄弟になった人がいる。『暁の雪』の会長だ。その人を頼る。義理の甥を見放せば、そいつは義理と面子を潰される」
「なるほど。……アンジェ」
「わかってるよ。ここで見過ごすのも寝覚めが悪いもん。……パウル君っていったね。目的地はここから遠いの?」
「二時間もかからない。そこまで行けば、赤い五月の勢力は及ばない」
「よし。じゃあ、ボクらはキミをその人の家まで届ける。それ以降は関わらないからね。それでいい?」
「十分だ! すまない……ありがとう!」
パウルが頭を下げた時だった。ヘッドライトが周囲を照らす。追っ手だ。
「おい、追っ手が……」
「……エクレールちゃん、灯りはいくつ見える?」
怯えるパウル。こちらを照らしているヘッドライトの数は四つ。
「四つだ。ってことは、二台だな」
「じゃあ、せいぜい十人か。……準備はしとこうか」
今から発進しようと思えば、パウルが乗っていた車を避けねばならず、タイムロスが生まれる。それにサンシャワーの車は大衆車だ。一度追いつかれたら、引き離すのは無理だろう。
ならば、追っ手を仕留めて、改めて出発するまで。
「準備って、お前ら、早く……」
「ああ。アンジェ、諜報部ということは、期待していいんだな?」
「それはこっちのセリフ」
困惑するパウルをよそに、サンシャワーは車のトランクから一振りの小振りな刀を取り出す。そして、ライトニングの刀も取り出し、彼女に向かって放り投げた。それを受け取り、鞘から抜く。
直後、黒塗りの車が二台。マフィアが四人ずつ降りてくる。計八人。
「坊ちゃん、探しましたぜ」
「どこにも行き場はねぇよ。観念してこっちに来てもらおうか。何、悪いようにはしねぇよ」
「……おい、お前ら」
パウルが心配そうな視線をライトニングとサンシャワーに向ける。
「大丈夫、任せといて」
「……その言葉、信じるぞ」
パウルは覚悟を決めたのか、背筋を伸ばす。
「黙れ。どうせ証文にサインさせたら殺す気だろう」
「そんなことはありませんよ。ささ、早く」
「父が築いてきた財を、おいおいと渡すわけにいくか!」
「やれやれ、じゃあ、力ずくでも……」
マフィアの言葉を遮るかのように、サンシャワーが一歩前に出た。刀はまだ抜いていない。
「ちょっと待って。嫌がってるコを無理矢理連れてくのは、お姉さん感心しないなぁ。犯罪だよ、は・ん・ざ・い」
「なんだ、てめぇ」
「通りすがりの、正義の味方」
正義の味方って。ライトニングは思わず眉をひそめた。
「るせぇ、まずはこいつから片づ」
マフィアの言葉はそこで止まった。次の瞬間には、サンシャワーがマフィアの喉を抜き打ちに斬り裂いていたからだ。彼女の動きは速かった。特に刀を抜く瞬間は、ライトニングにも見えなかった。
さすがは諜報部。かなりの使い手だ。
「パウル、下がってろ」
パウルが頷いたのを見届けると、ライトニングも踏み込んだ。
「エクレールちゃん、全部仕留めて。残られると後々面倒だよ」
「わかってる」
マフィアは一分もかからずに全滅。ライトニングとサンシャワーは背中合わせに構え、血糊を拭く。静かになったせいか、パウルがおずおずと顔を出す。
「レプユニ脱いでてよかったなぁ」
「シャツ代ぐらい払ってくれよ、パウル」
「……お、お前らは……」
「年上にお前、はないでしょ」
サンシャワーはパウルの頭をはたくと、パウルの車のトランクを凝視する。
「……やっぱり、発信機ついてる。ナンバーも割れてるみたいだし、この車は置いてったほうがいいよ」
サンシャワーは発信機をもぎ取ると、そのまま踏み潰した。
「さ、急ごっか」
パウルを後部座席に乗せ、ライトニングも助手席に乗る。サンシャワーが最後に乗り込み、発進。
「さっきの車と比べると狭いよね。ごめんねー」
「……贅沢は言わない。……お姉さん達は」
「お、反省したか」
「お姉さん達は、何者なんだ……?」
「言ったでしょ、正義の味方、って。ねー」
「正義の味方、ねぇ……」
言うに事欠いて何言ってるんだか。自分達が正義の味方なら、嫌な正義の味方だ。
強化人間で、民間軍事企業の社員なのだから。
~雪の月・会長宅
「ご用は何ですか? 手短に済ませていただくと嬉しいんですが」
デルタダガーは休憩を中断され、踏み込んできた「赤い五月」の若頭に呼び出されていた。せっかくくつろいでいたのに。
「……クランツの餓鬼を取り逃がした」
「あらあら、失態ですねぇ」
「追っ手からも連絡がない。……おそらく、腕の立つ奴がついている」
「それで?」
「……デルタダガーさん。あんた達に追いかけて欲しい。運転手は出す」
「ふゥーむ」
八人が追いかけ、相手はせいぜい二、三人。それが全滅か。ならば、なかなか腕の立つ奴がいるだろう。
「報酬は追加で出す。頼む、この通りだ。この失態がボスに知られれば……」
「なるほど。まぁ、少々欲求不満でしたし、いいでしょう。ただし、ヴードゥーは出しませんからね」
ヴードゥーは少々ダメージが大きい。いくら痛みを感じぬ身体といえ、不死身ではないのだ。
「すまねぇ! 恩に着るぜ!!」
「いえいえ。ビジネス相手ですもの、お互い様ですわ」
息子が要るということは、赤い五月は雪の月の資産を合法的に手に入れようとしているのか。これだけの出入りの後に合法的も何もないと思うが。
「それで、行き先はどうですの?」
「当ては知ってる。クランツの野郎の義兄弟ンとこだろう。あまり大人数は動かせねェ。あんたと運転手の二人で頼む」
「はいはい、わかりました。速い車、貸してくださいね」
「それなら駐車場にいくらでも停まってらぁ。好きなの使ってくれ!」
赤い五月は上客。セイバーはそう言っていた。ならば、サービスを尽くすまでだ。マフィア相手にサービスするのは虫酸が走るが、セイバーの言うことに逆らう訳にはいかない。
彼は自分達を導いてくれる人なのだから。
~フルベルク郊外
「もっとスピード出ないの、この車!」
「大衆車なんだから、無茶言わないでよ!」
サンシャワーは車の間を縫うように走りつつ、目的地へと向かっていた。ナビに表示された到着時刻は三十分後。ここから先は農地だそうで、道は空いている。この様子ならもう少し早めに到着できそうだ。
「……お姉さん達には、迷惑かけたね」
「何、急に殊勝になっちゃって。これはボク達が好きでやってること。巻き込まれたのは確かだけどね」
「せっかくの休暇だったんだがな」
「できる限りのお礼はするから、あと少し……お願い」
「任せといて」
細い路地から、ヘッドライトがこちらを照らす。直後、黒塗りの車が飛び出してきた。リアに当ててきたのか、衝撃が伝わる。
「わーっ!! まだ新しいんだよ、この車!!」
「修理代ぐらい出すから!!」
「修理代なんてケチくさいこと言わないで、新車ぐらい言ってよ!」
再度の追突。サンシャワーは必死にハンドルを握る。他に怪しい動きをしている車はない。どうやら追っ手はこの一台のみか。周囲は開けている。少々の無茶は利くか。
「……アンジェ、ここは任せろ」
「へ? 任せろって……」
「一度停まってくれ。奴らが降りたのを確認したら、私が降りる。連中を片付けるから、その間に急いでくれ。追っ手は一台だけだ。一人でやれる」
もう一度追突。
「……エクレールちゃん、任せるよ。諜報部だもん、やれるよね?」
「当然だ」
「ホントはボクがやりたいんだけどね、その役目」
「私は車の運転はできん」
「だよね。……停まるよ!」
サンシャワーが諦めたかのように車を停める。そして、もう一度追突。こちらが停まったことを確認したのか、後ろの車から降車する人が見えた。ライトニングは刀を片手に助手席のドアを開ける。
「エクレールちゃん、この車の、アーニー二号の仇、取ってよね」
「……ああ」
アーニー二号とはこの車のことか。なんてネーミングだ。
「……エクレール、無茶しないでよ」
「心配するな。……正義の味方は、負けないものだ」
あーあ、ついに自分も言ってしまった。
「アンジェ、暁の雪の勢力圏までもうすぐだから」
「了解。エクレールちゃん、すぐ戻ってくるからね」
エクレールが降車した直後、サンシャワーは車を再発進させた。
「あらあら、置き去りですか」
目の前の相手は、見覚えのある顔。
強化人間、デルタダガー。
「通り魔の次はマフィアの小間使いとはな。ずいぶんと金にお困りのようだ」
「久々にお会いした挨拶ではありませんねェ。こちらは再会できて感慨深いですよ。ライトニングさん、あの時の決着、付けましょうか」
「あの時は私の勝ちだろうに」
ライトニングが刀を抜くのと、デルタダガーが爪を展開させるのはほぼ同時であった。
そして、踏み込むのもほぼ同時。ライトニングの横薙ぎ。それをデルタダガーは腕を落とし、戦闘義手の肘で受ける。返す刀で逆袈裟に斬り上げるが、デルタダガーは体勢を整えてバックステップ。ライトニングはすぐさま青眼に構え直す。構え直した直後にデルタダガーが爪を振り下ろす。ライトニングは刀で受けるものの、直後の回し蹴りはガードできなかった。脇腹にヒット。
「ぐっ……!」
だが、軽い。構えを乱すまでは至らない。デルタダガーの突きをかわしながら、反撃とまでに払い抜ける。かすかな手応え。戦闘義手ではないほうの腕を、わずかに斬ったか。一度、間合を離し、構え直す。
「あはは、やりますねぇ!」
「……口の減らない奴だ」
お互いに間合を計りながら、円を描くかのように動く。農地をそよぐ風は涼しい。
「……私はね、地獄を見てきたんですよ」
デルタダガーが手足に力を込めるのが見えた。来るか。
「両親を殺されッ!!」
踏み込んで来る。
「私も慰み物にされッ!!」
右からの斬り下ろし。サイドステップでかわす。
「強化人間の実験台!!」
横薙ぎ。刀で受ける。
「無理矢理各地で戦わされ!!」
左のローキック。スネでカット。
「不利になった途端に置き去り!!」
爪の突き。刀で逸らし、こちらも踏み込む。息のかかるような距離。
「そんな地獄を見てきた私に、貴女のような温室育ちがッ!! 勝てる訳がッ!!」
「……貴様はどこの人間なのか」
両手で突き飛ばし、デルタダガーの体勢を一瞬だけ崩す。間合は一足一刀。こちらの間合だ。
「私が気になるのは、それだけだッ!!」
踏み込むと同時に奥歯を噛む。加速装置だ。突然の伸びに、デルタダガーは防御のタイミングを狂わされる。
諸手突きが、デルタダガーの胸に刺さる。
「がっ……ぐわっ……」
「貴様の過去など、どうでもいい……ッ!」
刀を引き抜き、残心する。デルタダガーはゆっくりと、膝から崩れ落ちた。
「嘘……でしょ……?」
デルタダガーは傷口を押さえながら呟いた。だが、血は止まらない。
「私は、まだ、やらなきゃ、ならない、こと、が」
吐血。ライトニングは残心を解かない。
「せかい、を、かえ、る」
「……言いたいことは、それだけか?」
「せい、ばー、ごめ、ん、なさ、い」
そこまで口にして、デルタダガーはうつぶせに倒れた。油断ならぬ強敵であった。ライトニングはゆっくりと息を吐く。
デルタダガーの見ていた悪夢は終わった。
~十分後
デルタダガーの前に、一人の少女が立っていた。緑色のショートヘア。その瞳は赤と灰色のオッドアイ。少女はデルタダガーの様子を確認すると、携帯電話を耳に当てた。デルタダガーの横には、運転手のマフィアの遺体がある。
「……セイバー、間に合わなかった」
『そうか。……少し、遅すぎたな』
デルタダガーは胸を一突きにされていた。他に大きな傷はない。
「接近戦でデルタダガーが負けてる。ということは」
『強化人間相手だろうな。運が悪かったとしか言えない』
「運が悪かった、で済む話じゃないでしょ」
『デルタダガーも軽率ではあった。せめて俺のほうに相談してくれればな』
電話越しとはいえ、セイバーの声は淡々としている。
『バンシー、しばらく戻ってこないほうがいいぞ』
「……どうして?」
『ヴードゥーが大荒れだ。あの若頭、もう長くないな』
「……二人、仲よかったもんね」
バンシーと呼ばれた少女は目頭を押さえた。デルタダガーは少々情緒不安定なところがあったが、仲間内での面倒見は良かった。そんな彼女がいなくなったと思うと、やはり悲しい。
『……デルタダガーはいい娘だった。今度会うことがあれば、抱きながら頭を撫でてやるさ』
「彼女、それで喜ぶの?」
『喜ぶだろうな。わからないなら、わからないでいいさ』
セイバーは少しだけ笑って、電話を切った。バンシーは電話をしまうと、デルタダガーの遺体を車に乗せた。
~一時間後・暁の雪・事務所
ライトニングとサンシャワーは革張りのソファーに腰掛け、久々にリラックスした時間を過ごしていた。
あの後すぐにサンシャワーが迎えに来てくれたので、追っ手の増援に会うことはなかった。そして、二人は『暁の雪』の構成員からVIPめいた扱いをなされ、ここにいる。
「……アンジェ」
「なァに?」
「デルタダガーという強化人間、知ってるか?」
「……ボクは知らない。だけど、グレイゴーストは知ってるかも」
「……そうか」
前々から疑問に思っていたことだ。地下に帰ったら聞いてみよう。
「アーニー二号はもうダメだなぁ」
サンシャワーの愛車、アーニー二号は後部が滅茶苦茶になっており、トランクが開かないほどだ。
「……すまないと思っている」
パウルだ。二人は入り口に顔を向ける。
「……助かったよ。アンジェとエクレールは、僕の命の恩人だ」
「どういたしまして。……で、叔父さんとは話がついたの?」
「うん。当分の間、ここにかくまってもらうことになった。……『雪の月』はもうおしまいだけど」
パウルが懐から小切手を出す。彼の表情は複雑だ。命は助かったが、父が築いてきたものは失われてしまったのだから。
「……これは、せめてものお礼」
小切手の金額は、高級車が一台買えて、それでもお釣りが来る。十分だろう。サンシャワーは頷いて、小切手を受け取った。
「アーニー三号が納車されたら、連絡するよ。今度はゆっくりドライブしようか」
「……うん。今回は本当に、ありがとう」
緊張の糸が切れたのか、パウルが涙ぐむ。
「どういたしまして」
サンシャワーは涙ぐむパウルの頭を撫でて、軽くハグする。
「エクレールちゃんも、混ざる?」
「お断りだ」
~二日後・エレベーターターミナル
地上出張は終わった。ライトニングは荷物をまとめ、切符も買った。後はエレベーターを待つのみだ。
「やれやれ、ホントに色々あったね」
「ああ。休暇代わりだと思っていたが、そんなに世の中甘くなかったな」
エレベーター到着まであと十分。そろそろ改札をくぐらないと。
「じゃ、お別れか。最後に一つだけ、お願いしてもいいかな?」
「お願い?」
サンシャワーが耳打ち。
……全く。だが、世話になった礼だ。これぐらいなら引き受けていいだろう。
こんなことを言うなんて、想像もつかなかった言葉。
「……じゃあな、『お姉ちゃん』」
「うん、またね、エクレールちゃん」
嬉しそうに微笑むサンシャワーとハグすると、ライトニングは改札に切符を通した。振り返ってみると、サンシャワーは大きく手を振っていた。小さく手を上げて返事する。
「お姉ちゃん、か……」
ライトニングはそう呟くと、くすりと笑い、列に並ぶのだった。
予想以上に長くなってしまいました。
主人公? えっと……




