『四月馬鹿』 ①
増えすぎた人口がもたらす環境悪化に耐えかねた人類が、複数の地下都市を建造し、移住を推進してから半世紀以上が過ぎた。地上での規制が強化されたため、主立った企業の生産拠点は軒並み地下都市へと移行していき、それに伴って地上の環境は改善されていった。地上は政治家や企業の上層部といった富裕層が住む整った世界、地下はそれ以外の人々が住む雑然とした世界となった。
企業の生産拠点が地下都市へと移行したことで、必然的に地下都市の経済規模は大きくなっていき、各地下都市は独立した経済圏を有するようになっていった。それは地上への依存の減少という形になり、ついには地上政府からの独立を目指す者が次々と現れ始めた。地下都市に自治権を、という者から、人類は全員地上から退去すべし、という過激派まで。政府はそれに対し、弾圧といった形で返答を行った。
弾圧は反発を生む。それは地下都市下層部に住む貧困層を中心に、少しずつ広がっていった。下層部では暴動やテロが相次ぎ、治安維持に当たっていた軍警察の戦力だけでは対応しきれなくなっている。
軍警察の影響力低下によって台頭してきたのが、民間軍事企業である。
ある時はテロ鎮圧や治安維持、ある時はテロに力を貸し、企業の警備や軍警察への教育など、多彩な分野で数々の民間軍事企業が活動している。
そんな民間軍事企業の一つ、AMC―Aegis Military Corporation―社。
巨大複合企業「イージス社」の完全子会社で、大手民間軍事企業の一つである。各地の低強度紛争への介入と、対テロ活動を業務の根幹としていた。
この企業には、他の民間軍事企業にはない特徴がある。
それは、「強化人間」と呼ばれる存在で構成された特殊部隊の存在だった。
~五月 地下都市「アーク」第二階層・AMC本社
ビル地下の駐車場に、空色のコンパクトカーが停まった。少しして、中から一組の男女が現れる。妙齢の女性と、小柄で中性的な少年。
女性は車のドアノブに触って鍵をかけると―俗に言うスマートキー―、少年から白いコートを受け取った。地下都市の居住区には四季の移ろいとして気温の変化が設定されているが、その振れ幅は地上よりも小さい。今日は五月ということもあり、コートを着るには少々暑いぐらいだが、女性はそんなことを気にしていないようだ。慣れた手つきでコートを羽織る。
女性は右目に黒い眼帯をしていて、左目は三白眼。そのせいか、少々近寄り難い雰囲気である。赤い髪はボブカットで、身長は隣の少年よりも頭一つ分ほど大きい。また、コートを羽織っていてもわかるほど、彼女の胸は大きかった。
隣の少年はといえば、学校帰りなのか、紺色のブレザーを着ている。髪の色は金色で、ショートヘア。小柄であり、中性的な顔立ちも併せて、少女のようにも見える。人によっては美少年に分類されるかもしれない、中の上程度の顔立ちだ。
そして、二人とも瞳の色は灰色だった。
「ラビット、今は何時だ?」
女性の声で、兎と呼ばれた少年はポケットから携帯電話を取り出した。イージスグループの一つである電機メーカー、クレオン社製のスマートフォンである。
「えっと、四時過ぎですね」
「早く着きすぎたな。早出申請するか」
「早出っていっても四十五分ぐらいじゃないですか。リンクスさんならまだいいですけど、僕なんかじゃ全然もらえないですよ」
「たかが四十五分、されど四十五分だ。それに、お前がいくら貰えるかなんか、どうでもいいしな」
「ひどい!?」
山猫と呼ばれた女性はくすくすと笑うと、ビルの通用口に通行パスと右手をかざす。静脈認証による本人確認後、通用口が開いた。ラビットも同じようにして通用口を通る。
「今日のミーティングはどこだ?」
「五階のC5会議室ですね」
ラビットのスマートフォンには、数多くのメモが記されていた。リンクスの後ろを歩いている様子も併せ、端から見れば、リンクスの付き人のように見える。
だが、この二人はれっきとしたAMC社員にして、「強化人間」と呼ばれる存在だった。
リンクスやラビットという名前はコードネームであり、二人とも本名は別にある。リンクスは「マリア・クルス」、ラビットは「ハーゼ・バルクホルン」だ。リンクスはラビットの教育係であり、両親の居ないラビットの親代わりとして、現在は一緒に暮らしている。
静かなビルを淡々と進み、会議室に入ると、先客が二人いた。男女の組み合わせで、二人とも大人である。
「お、リンクスにラビットか。早いなー。ご苦労さん」
上座に座っていたスーツ姿の男が笑った。オールバックの黒髪に、少々童顔ながらも非常に整った顔立ち。それに加えて引き締まった肉体を持つ好青年である。十人いれば九人が「男前」と評価するであろう。
ベルンハルト・シュヴァルベ。コードネーム「ナイトアイ」。
「早出つけてくれよ?」
「馬鹿言うな。それだと俺達は一時間半申請しなきゃならんだろーが」
ナイトアイの隣に居る、サングラスをかけた女性も笑った。彼女はナイトアイとは異なり、薄手のブラウスに細身のジーンズといった、ややラフな服装である。くすんだ金髪をポニーテールにまとめ、スレンダーかつ高身長だ。
アンナ・マルセイユ。コードネーム「コンドル」。
「ま、ミーティング始まるまで時間あるから、ゆっくりしといてくれ。ラビット、何か飲むか?」
ナイトアイが電子マネーのカードをラビットに渡す。
「お、太っ腹だな。私はコーラでいいぞ」
「俺はミルクティーな。熱いやつ」
「誰もお前らにオゴるとは……まーいっか。私はサイダーで」
何食わぬ顔で便乗してきたリンクスとコンドルにため息をつきつつ、ナイトアイはラビットの背中を叩いた。
「えっと、コーラとミルクティーとサイダーですね。了解でーす」
これじゃ奢られたというよりも、ただの雑用である。だが、ラビットはこういう扱いには慣れている。お盆代わりにバインダーを持って会議室から出た。使い走りは若手の仕事だ。
近場のカップジュースの自販機にナイトアイの電子マネーを読ませ、注文の品を買う。
「……あ、コーラって普通のとゼロカロリーのがあるんだ。……ゼロカロリーでいっか」
リンクスが普段どちらを飲んでいたか覚えていないが、カロリーを気にしてるかもしれないし、ゼロカロリーを選んでおいて損はあるまい。バインダーを自販機の隣にあるゴミ箱の上に置き、コーラのカップを置く。続いてサイダー、自分用のココア、ミルクティーの順番で買っていく。
「あ。……は・あ・ぜ・きゅーーーーんっ!!」
「うわぁっ!?」
ミルクティーをバインダーに置いたときだった。廊下の端から声が聞こえてきたと思えば、次の瞬間には女性に押し倒されていた。一瞬どきりとするラビットだったが、押し倒してきた女性を見るや否や、ドキドキは消えて、体の痛みのほうが大きくなってきた。それと、がっかりという気持ち。
「なんですかもうっ!! ヴィクセンさん、ラグビーやってるんじゃないんですよ!?」
「やー、ごめんごめん。久々にハーゼきゅん見て、興奮しちゃってさー」
ヴィクセンと呼ばれた女性は、笑いながら立ち上がる。銀髪のウルフヘアで、顔の造りは幼い。だが、あまり眠れていないのか、眼の下の大きな隈が特徴的だ。二十歳前後に見える、スレンダーな女性である。
グレイス・フレッチャー。コードネーム「女狐」。
「興奮したからってやりすぎですよ。そのうち捕まりますよ?」
ヴィクセンから解放されたので、ラビットも立ち上がる。彼女は年下趣味であり、ラビットは手頃な獲物のようだ。
なお、強化人間同士はコードネームで呼び合うような規則があるが、あまり厳格には守られておらず、親しい者同士では本名で呼び合っていることが多い。
「いや、我慢しようって一瞬だけ思ったんだけどね。それでもあたしの内なる欲望は抑えきれなかったわ」
「一瞬だけじゃダメですよ! もう、ちょっとタイミングズレてたら、コーラとか紅茶とかで体中ベットベトになってましたよ……」
「体がベトベト!? それはいけないわ! あたしが責任持って綺麗にしてあげる! さぁ、まずはトイレに行きましょう。服を脱いで。そしてぺろぺろ。そう、ぺろぺろしてあげるわ!!」
ヴィクセンの鼻息は荒い。そして、その光景を想像して、少なからぬ興奮を覚えるラビットだったが、相手がヴィクセンということで何か冷めてしまった。
ヴィクセンは不細工というわけではなく、むしろ上の下程度の容姿を持つ、なかなかの美女であるのだが、今までの所行から、ラビットは彼女を異性として見ることができなかった。いくらすさまじく異性に興味のある年頃といえど、これだけ押されるとさすがに引いてしまう。
「……ま、まだベトベトにはなってませんし! それに、あー、えっと、普通にシャワー浴びますよ」
「あれれー、ひょっとして興奮したー?」
少し興奮していたせいか、変な口調になってしまった。ヴィクセンはそこに目ざとく食いつく。さすがというかなんというか。
「……そりゃ、してないって言えば嘘になりますけど、ヴィクセンさんが相手ならお断りですッ」
「えぇー。やっぱあたしみたいな貧乳じゃダメなんだー」
ヴィクセンが自らの平らな胸元を撫でながら悪戯っぽく笑う。確かにラビット的には胸は大きいほどいいが、だからといって貧乳が嫌いというわけではない。あくまでヴィクセンの変態じみた言動がダメなだけだ。
「いや、ダメって訳じゃないですけど、ヴィクセンさんだからダメなんです……」
「リンクス相手ならどうだった?」
先程の行為をリンクスからされることを想像して、ラビットは思わず赤面した。すかさずヴィクセンは携帯電話で写真を撮る。
「ちょ、何撮ってるんですか!?」
「ふふふ、この表情があたしに向けられたと妄想すれば、この写真を燃料にしてしばらくは発電余裕だわ!」
「何を発電するんですか!?」
「やだねぇ、そいつをあたしに言わせる気かい」
「……ここは廊下ですよ。何やってるんですか、やかましいです」
すると、呆れた表情を浮かべた少女がヴィクセンの後ろにいた。綺麗で長い銀髪に、頭頂部にはピンク色の大きなリボン。それに少し少女趣味が入っているワンピース姿で、なんだか人形のような印象を受ける。隈以外はヴィクセンによく似た顔立ちで、傍目には姉妹にも見える。身長はラビットよりもやや高い。
シュネー・ガーランド。コードネーム「雪」。ラビットとは同期であり、ヴィクセンは彼女の教育係である。ラビットとリンクスとの関係と似たようなものだ。
「やだもう、あたしの養分補給。若いエキスを吸ってるのよ」
「吸ったところで若返る訳ないじゃないですか。もう年なんです。みっともないマネはよすですよ。ただでさえ馬鹿っぽいのに、完全に馬鹿ですね。変態ってことはわかりきってたですが、ド変態にランクアップですね」
スノーは無表情で淡々と毒を吐く。ヴィクセンにはM属性もあるのか、一言一言に悶えていた。なお、ヴィクセンは二十四歳である。
「あ。ハーゼ、シュネーはオレンジジュースでいいです」
「……これ、ナイトアイさんのお金なんだけど」
「なら余計にいいです。あの人はロリコンですから喜ぶですよ」
スノーはラビットの肩を叩くと、会議室に入っていった。
「あぁもう、待ってよシュネーちゃんっ」
ヴィクセンもラビットにウィンクをすると、スノーに続いて会議室に入っていった。
「あ、ハーゼきゅん、あたしはコーヒーでー。ブラックで冷たいのね」
リクエストも忘れていない。ラビットはため息をつくと、ヴィクセンとスノーのリクエストを買うのだった。
「お待たせしましたー」
「遅いぞ。早くコーラ飲ませろ」
「ヴィクセンさんが絡むから……」
ラビットはぼやきながらも飲み物を皆に配る。
「ナイトアイさん、どうもです」
「……ラビットだけだよ、私に礼を言ってくれたの……」
ナイトアイにカードを返すついでに礼を言うと、彼は目頭を押さえた。一番の年長者かつ、管理職という立場でありながら、あまり敬われてはいないようだ。
「よし、コンドル、リンクス、ヴィクセン、ラビット、スノーちゃん。全員揃ったな」
ナイトアイはサイダーを一口飲むと、スクリーンの前に立つ。
「定刻前に、そして私のために全員揃ってくれて、センキュー!」
「何がセンキューですか」
「少なくともお前のためではないな」
「センキューって……」
「くっ……」
乱れ飛ぶダメ出しにたじろぐナイトアイ。彼の横にいたコンドルがため息をつきつつ、プロジェクターのスイッチを入れた。部屋の照明スイッチの近くにいたラビットにジェスチャーを出し、照明を落とさせる。
「やれやれ。お前ら、少し早いけどミーティングを始めるぞ。まぁ、最初は触りだけ説明するから、気楽に聞いてくれ」
コンドルの言葉で、リンクスを除く場の全員がスクリーンに向く。
「……さすが、ベルンハルトの嫁だな」
その様子に、リンクスは思わずくすりと笑った。
「誰が嫁だ、誰が」
「だな。私は正直、コンドルはストライクじゃ……」
コンドルが指し棒でナイトアイの頭を叩く。ナイトアイは叩かれたところをさすりつつ、プロジェクターに写っている説明資料にレーザーポインタを這わせた。
「……今からミーティングな。お前達は『祈りの家』ってのを聞いたことあるか?」
「……あぁ、そういえば何ヶ月か前、ニュースで聞いたな」
祈りの家。終末思想を掲げた新興宗教である。カリスマ性を持った教祖が、どこかで聞いたことのある教義を掲げ、信者を集め、そして信者の財産をむしり取る。表向きは平等を掲げ、慈善事業に取り組む裏で、その報酬を教祖が全て抱え込む。そんな、典型的なカルト教団。
「ラビット、スノー、どんなニュースだったか覚えてるか?」
「えーっと……」
「ぼんやりとは覚えてますねー。確か、どこかに逃げたような……」
「ラビットは十点中四点ぐらいの正解だな。スノーちゃんはもうちょっとニュースとか見よう」
「よ、余計なお世話ですっ」
「俺から説明しようか。信者からの財産の収奪が酷くて、さすがに当局の捜査が入った。教祖は信者と共に『我々の理想郷を作る』なんてほざいて、第五階層に逃亡した……って事件だったな」
「お、さすがコンドル。正解だ」
コンドルの説明と共に、スクリーンには当時の新聞記事が映し出されている。それを見て、場の全員がある程度の概要を思い出したようだ。ラビットも思い出した。
「で、こいつらがどうしたんだ?」
「諜報部のグレイゴーストからの報告だ。どうも、教祖の馬鹿が政府を逆恨みして、暴動の準備を進めているらしい。第五階層ともなれば、軍警察の監視も緩いからな。準備も進めやすかっただろう」
ナイトアイが資料を進める。そこには、諜報部が入手した写真が写されていた。大量の自動小銃、爆薬、そして数両の装甲車。
なお、この地下都市「アーク」は、第七階層まであり、階層を下りるごとに治安は悪化の一途を辿る。
「……あれはスコーピオンか。どうせ中古だろうが、どうやって調達してきたんだ?」
大手軍事企業「カルバリン社」の装甲車、スコーピオン。安価かつそこそこの性能を持ち、各地の軍警察をはじめとした、数多くの勢力に採用されている。そのためか、テロ組織に横流しされる中古品も多い。
「どうも『地上解放戦線』の連中が根回ししてるらしい。連中からすれば、教義なんてのはどうでもいいが、政府に刃向かう奴が欲しいんだろうな」
地上解放戦線とは、人類は地上から全員退去すべし、という急進的な思想を掲げ、企業に政府、軍警察と、相手を問わずに各地でテロを起こしている過激派である。その戦力は非常に大きく、AMCとは各地で対立しており、現場の人間からすれば、因縁の相手である。
「連中が支援してるとなると、ちょっと面倒ねぇ……」
「そこで、今回の作戦になる。これは軍警察からの依頼だ」
ナイトアイの声色が変わる。彼は十年以上―強化人間になる前から―AMC社員として戦ってきており、真剣になった彼からは歴戦の風格が感じられる。
「軍警察は、連中が蜂起する前に鎮圧したいらしい。私達の目標は武器庫の制圧と、装甲車の破壊。要は軍警察の露払いだ。すでに反乱罪の適用は済んでいる。必要と見なした場合は発砲しても構わない」
スクリーンの資料には、教団本部の図解が載っている。これも諜報部が入手した資料である。ジャングルの中に建てられた簡素な陣地のような作りで、出入り口は一つのみ。出入り口の前には見張り台が二つ建っていた。
「警備のほうはそう厳しくない。現にグレイゴーストは悠々と忍び込んでるからな。どうやら警備システムはなく、人力頼みだ。だが、ラビットには頑張ってもらう。まぁ、今後の練習としてな」
「……は、はい」
強化人間の中には、単に身体能力を強化しただけではなく、特殊能力を付与された者もいる。ラビットもその一人で、通信妨害と生体レーダーといった能力を付与されていた。
「っていうか、黒澤姉さんが凄いだけでしょ、それ」
「スパイダーも一緒に忍び込めてる。あのドジっ娘も忍び込めてるんだ。ザルにもほどがあるだろ」
グレイゴーストとスパイダー。二人ともAMC諜報部に所属する強化人間で、美人姉妹として社内の一部でかなりの人気がある。本名は「黒澤舞」と「黒澤彩香」で、グレイゴーストは凄腕の諜報員として知られている。一方でスパイダーには少々そそっかしい部分があり、潜入は苦手としているため、グレイゴーストが諜報活動に専念できるよう、戦闘面でサポートしているとのことだ。
「あー。彩っちもかー。じゃあ楽勝かもね」
「油断してると痛い目見るぞ、ヴィクセン」
「まぁ、そんなに難しい任務じゃないってことだよ。上もそう判断してるみたいで、今回の動員は私達だけだ」
ナイトアイが何気なく口にした一言だったが、リンクスとヴィクセンは驚愕する。
「……おい、本気で言ってるのか? 確かにベルンハルトにコンドルにヴィック。ここまでは一級だが、スノーとラビットはまだ経験不足だ。サポートにあと何人かつけられないのか?」
「そうよ。この面子だと、あたしがポイントマンやるんだろうけど、本当にシュネーちゃん連れていいの?」
確かにラビットは緊張していた。スノーのほうを見てみると、普段は無表情な彼女も珍しく顔を強ばらせている。無理もない。二人とも実戦はこれが初めてだからだ。
「私もそれは思ったんだがな……。だが、上はA難度と判断してる。A難度って以上、今よりメンバーを増やすことはできない。上にはもう一度掛け合うけどな。これでも無理言ってコンドルを回してもらったんだ。最初はラプたんだったんだけどな、さすがにこの面子でサブリーダーがラプたんってのは、彼女にとっても私にとっても荷が重すぎる」
ラプたんこと、ラプター。中堅どころの強化人間である。堅実な能力を持ち、頼りにできる人材ではあるが、その実力はコンドルに劣る。ラビットとスノーという半人前の人材を投入する以上、他のメンバーでカバーを行う必要があり、本来ならば休暇中のコンドルを連れてくることになったのだ。
なお、AMCは事前情報で任務の難易度をランク付けしており、難易度によってメンバーの振り分けを行う。A難度は最も簡単な任務扱いだ。
「俺だって休み潰したかねーよ。まぁいくらA難度つっても、この面子は確かに不安だし、ベルンハルト直々に頼みに来たからな。しゃあなしに動いてんだよ」
「さすが、ベルンハルトの嫁だな」
「だから、誰が嫁だ」
リンクスの茶々で、コンドルはナイトアイの頭を指し棒で叩く。実際のところ、ナイトアイとコンドルの付き合いは長く、ナイトアイの頼みならなかなか断れないようだ。また、ナイトアイが持参した有名店のロールケーキ―コンドルの好物―に買収された形もある。
「私は叩かれなくてもよかったような……。まぁいいか、作戦決行は五日後。二一三○―二十一時半―集合。○二○○作戦開始予定。指揮は私、ナイトアイが執る。なお、本作戦はスノーちゃんとラビットの初陣になる。各人フォローするように」
「了解。しょうがない、特別手当でもつけてもらうか」
「シュネーちゃんとハーゼきゅんのためだもんね、お姉さん頑張っちゃうよ!」
リンクスとヴィクセンが返答する。
「スノー、ラビット、返事は?」
「は、はいっ! 皆さんに迷惑かけないよう、精一杯頑張りますっ!」
「お、同じくですっ」
「その意気やよし。では、作戦の詳細は当日に説明する。なお、本日ここに集まった全員には守秘義務があることを忘れないように」
この辺りの口上は事務的なもので、ナイトアイも軽く流す感じだった。
「それでは解散。ご苦労さん」
ナイトアイが立ち上がり、敬礼をするのに合わせ、場の全員も立ち上がって、敬礼をした。
リンクスとラビットは帰路を辿っていた。ハンドルを握っているのは当然のことながらリンクスである。さすがにまだ十二歳であるラビットには免許は交付されない。敷地内でなら何度か運転させてもらったことがあるが。
この車は試乗車上がりの新古車で、性能はクラス中屈指のものがあったのだが、不人気色かつ型落ち、さらにマニュアル車ということで、安価で購入できた。リンクスはお金にうるさいところがあり、一言で表すならばケチである。
「リンクスさん、初仕事のこととか、覚えてますか?」
ラジオの音楽が止まった瞬間を見計らって、ラビットが口を開く。
作戦は五日後だが、ラビットはすでに緊張しきりであった。実戦形式の訓練なら数回やっているが、本番となると話は別だ。足手まといにならないだろうか。その一心である。
「どうだろうな。もう遠い昔の話だ。それに、あの頃と今とじゃやる気も段違いだしな」
リンクスが自虐的に笑った。信号が赤になったので、ギアをニュートラルに入れ、左足をクラッチから放す。
「あの頃は目を三角にして金稼いでたからな。物凄く無茶をしたよ」
今のリンクスは適度に気が抜けており、やるところしかやらない、といった考えを持っているようだ。その姿を見ているが故に、ラビットはリンクスが目を三角にして働いている姿が想像できなかった。
「……まぁ、お前は若すぎるよ。そこは同情する」
信号が青になり、リンクスはギアを入れて車を発進させる。彼女はラビットのほうを見なかったが、その声には憐れみが含まれていた。リンクスはドライな性格であり、滅多なことでは「かわいそう」なんて言うことはない。リンクスとの付き合いは三ヶ月ほどだが、彼女の憐れんだ声を聞くのは初めてのことだ。
ラビットは元々薬品の試験体として「作られた」試験管ベビーであり、強化手術の実験に転用されたものだ。ラビットと同世代の強化人間は他に三人おり、彼らは皆、同じ生い立ちである。そのうちの一人がスノーだ。
「まぁ、A難度の任務だ。難しくはないだろう。そう気負う必要はないさ」
「……そうですかね?」
「いざとなったら私がなんとかするし、ナイトアイやコンドルもいるんだ。さっきはああ言ったが、戦力的には十分さ」
リンクスの口調は、ラビットを励ますかのように明るかった。些細な心遣いかもしれないが、どこか嬉しい自分がいた。
「それに私も、お前が足手まといにならないように仕込んだつもりだ。いつも通りにやれば済むことだよ。そう言っても難しいだろうがな」
リンクスは笑って、四速での巡航となったため空いた左手で―地下都市は左側通行、右側ハンドル―ラビットの頭を少し撫でた。リンクスも気を遣ってくれているのだろうか。普段ならここまで励まされたりしない。
「……わかりました。できるだけいつも通りにやれるよう、がんばります」
「あぁ。せいぜい無茶しない程度に頑張ってくれ。無茶されるとこっちが迷惑するからな。……そうだ、次の作戦でお前がヘマしなかったら、一つご褒美をあげよう」
「ご褒美、ですか?」
リンクスの口から「ご褒美」なんて単語が出るとは思わなかった。何せ彼女は守銭奴である。ラビットが貰っている給料はリンクスが管理しているが、ラビットに渡される小遣いは些細な量だ。かといってリンクスが無駄遣いしているようには見えない。彼女は飲む・打つ・買う、どれもやらないし、衣服や食事も質素なものだ。自分が倹約家であるがゆえに、ラビットにもそれを押しつけてしまうのだろう。不自由はしていないから別に構わないのだが。
「そうだな。パンツでも見せてやるよ」
「へぇ、パンツ……って、ちょっと!?」
突然の言葉に思わず吹き出すラビット。
「ん? 見たくないのか?」
「い、いや、見たくないとか、そんな話じゃなくて……」
見たくないと言えば嘘になる。いや、女性の下着姿は是非とも見たい。それがリンクスとなれば特にだ。彼女のプロポーションは出るところは出ていて、凹むところはちゃんと凹んでいるし、眼帯を除けば結構美人だし。なお、リンクスは非常にガードが緩く、家ではワイシャツと下着だけで過ごしていることなどザラである。ラビットは彼女のそんな姿に何度も劣情を抱いたことがある。強化人間とはいえ、思春期の男性なのだ。ヴィクセン以外の異性の誘惑には非常に弱い。リンクスの言動には、そんなラビットをからかっている節がある。
「減るものじゃないしな。どんな見方がいい? モロ出し、チラ見せ、スカートたくし上げとか色々あるだろう?」
「あー……」
ラビットはつい色々と妄想を始めてしまう。下着だけという健康的なエロスもいいし、誘惑しているかのようなチラリズムも捨てがたい。恥ずかしがりながらスカートをたくし上げているのもまた趣がある。
そんなラビットの様子がおかしいのか、リンクスは声を上げて笑った。
「ははは、まぁ考えておくことだな」
「うー……。絶対ヴィクセンさんが煽ってる……」
リンクスとヴィクセンは仲がよく、よく一緒に出かけている。リンクスがラビットをからかい、その様子をヴィクセンに伝え、ヴィクセンが興奮するという一つのサイクルが出来上がっているようだ。
簡単に言うならば、ラビットは二人のいい玩具である。
こんな扱いは不本意であるが、一応は誰かの役に立てているのだから良しとする。
リンクスと話していたら、いつの間にか緊張は解けていた。