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大暑:狐と夏祭り




 夕闇が広がりはじめた頃、山の麓の広場にぐるりと張り巡らせた提灯に火が入れられた。にじむような紅の明かりに人々は集まり、にぎやかさも次第に増していく。醤油の焦げた匂いに、綿飴の甘い香りが入り混じる。射的の当たりに割れよとばかりに鳴らされる鉦、真昼のように眩しい白熱灯の下で波紋を描きつつ群れる金魚。屋台の物売りがここぞとばかりに声を張りあげれば冷やかしが寄って行く、櫓の上の太鼓が鳴らされれば自然と盆踊りの輪ができる。

 しかし、複数の光源に照らされてぼんやりと映る人影は、先刻よりもひとつ少ない。



「ことろがくるよ」

 囁かれた気がして、少年は足を止めた。

「それは初耳だ」

 返しざまに上ってきた階段を見下ろせば、祭りの喧騒はすでに遠かった。連続した鳥居は、細い石段を囲むように麓から頂上まで続いている。彼が居るのはちょうど三分の二を過ぎたあたりで、どちらを見ても石段の先はとっぷりとした闇に呑まれている。

「暗いな。……帰るか」

「まてまてまてまて!」

 呟いた途端、焦りきった声で呼び止められて、少年はあからさまに呆れた顔をした。そんな表情をすると、つんつるてんの浴衣から突き出た手足とあいまって、彼が少年と青年との過渡期に差しかかっていることが明らかになる。

「おまえっ、祭りに連れていってくれると、言ったろう!」

 がさりと石段の横の茂みをかき分けながら、おかっぱの少女が息を弾ませながら顔を出した。外見からすると、こちらは名称が幼女から少女にやっと移った年頃のようだった。朝顔柄の浴衣に、ふわりと結んである紅い帯が目に鮮やかだ。

 彼女は少年と自分の目線を合わせるために、わざわざ少年の立っているところより二段上に上がると、腕を組んで言い放った。

「おそい!」

「社で待ってろって言っただろ」

「おまえが来るのがおそすぎる」

「おれは時間通りですーお前が約束破って勝手に下りてきてるんですー」

 わざと語尾を伸ばして言うと、彼女は非常に分かりやすく目を逸らした。ああもう、と溜息をつきながら、少年は手を伸ばして、髪を押さえるようにしながらおかっぱ頭を荒っぽく撫でた。

「変な悪戯までしやがって」

「なんの話だ?」

「いや……いい。とにかく、回ってみろ」

 大きな目を瞠ってきょとんとした少女に構わず告げる。

 袂をなびかせながら指示通り一回転した少女に彼は再び溜息をついた。今度の溜息は最初のものより、深く長かった。

「しっぽ、出てるぞ」


「……くそ!」

「言葉遣い」

「しっぱいしたんだ!」

「それは見ればわかる」

 うう、と少女は悔しげに唸りつつ、自分の背後でゆらゆらと揺れる尻尾を見やった。短い手指で印を組み、目をつぶる。しばらくすると浴衣から生え出していた尻尾は、少年が見ている前で消え失せた。ということは、この浴衣も帯も毛皮の一部なのだろうか。一体どういう仕組みになっているのだろう。

 思わず首を傾げた彼の思考を遮るように、少女は一際明るい声を出した。

「さいせん持ってきたぞ」

 勢いよく突き出された手の中には五円玉と一円玉と十円玉ばかりだ。

 ……ケチってないでもっと出してやれよ。

 少年は頭の中で参拝客につっこんだ。まあ彼らも、賽銭がこんな用途に使われるだろうとは思いもしなかっただろうが。それにしてもこれでは、屋台の支払いにも差し支える。

「ほら」と彼は五百円玉を一枚、手のひらに落としてやった。

「これはなんだ」

「五百円だ。焼き鳥は一本五十円だからな、何本買えると思う」

「…………ごじゅっぽん」

「お前にそんな奇跡は起こせない。というか奇跡を起こせまでとは言わない。計算くらいできるようになれ」

「なんかバカにしただろう、いま」

「金魚すくいは一回百円だ。金魚食うなよ」

「食べるか! かうんだ」

 どこで飼うつもりだ、と返そうとした時、ぷぅん、と耳障りな音が近づいて、彼は思わず耳元を叩いた。やたらに叩いたからといって当たるものではないが、条件反射のように手が出てしまう。

「どうしたんだ」

「蚊だ」と、袖をまくって腕をぼりぼり掻きながら彼は答えた。羽音を聞いただけで、前に刺されたところまで痒くなるのが不思議だ。

「かゆいのか?」

「痒い」

 ふうん、と鼻を鳴らして、少女は彼の腕に手を伸ばした。

「よくわからんが、そんなにかきむしったらだめだ」

 血がでる。血のにおいがすると腹がへる。これいじょう腹がへるのはたえられん。

 言いながら、彼女は触れるか触れないかすれすれのところを撫でた。冷気が吹き付けたようにひやりとしたかと思うと、一瞬のうちに痒みが取れる。あっけにとられた少年の眉間に、次にぺちりと手を当てると口の中で短く唱えた。

「いま何したお前」

「結界をはってやったからな、今夜はもうさされんぞ」

 おそるおそる訊かれて、自慢げに少女は胸を張った。

「……お前も一応役に立つんだな」

「おお、うやまうがいい、そのうち先代みたいにしっぽだって何本もにょきにょきと!」

「一本でも持て余してんのに、何本もあったらどうするんだろうな」

「おまえいちいちむかつくな!」

 握りこぶしを作って、文字通り毛を逆立てた少女の頭を軽く叩いて、彼は笑った。

「冗談だ、ありがとう。早く祭りに行ってこい」

 うん、そうだった、とすぐ機嫌を直して駆け下りていく彼女の後についていこうとした時だった。

 周りの木々がざわめいた。


 ことろがくるよ。

 ことろがきたよ。

 ことろが。

 子盗ろが。


 先程の囁きを思い出して、少年は梢を見上げた。鬱蒼と茂った杜は夜空と見分けがつかないほど暗く、ところどころから天の川が垣間見えている。

 ……もしかすると自分の方がことろなのかもしれない。愛し子を連れ去ってしまう人間だと思われているのかもしれない。

 そう気付いて、彼はぺこりと頭を下げた。

「ちゃんと帰しますから」

 というか、あんなのに居座られたらおれも困ります。

 心の中でだけ、そう付け加える。

「やぁーきーとぉーりー」

 ずっと先で変な節を付けて歌っていた少女が、くるりと振り向いて叫んだ。

「おまえもはやく来い!」

「はいはい」

 いい加減な返事をしつつ、少年は石段を下りはじめる。今夜はこれから、散々引っ張りまわされることだろう。

 金魚すくいのおじさん女には甘いからなあ、絶対おまけとかいって何匹もやるよなあ。

 手水鉢に金魚を放したら、やはりまずいだろうか、と彼はまたしても溜息をついた。ぼうふらも食べるし一石二鳥だと思うのだが。



 夜が更けるにつけ、祭りもたけなわとなる。もう何周目かも分からない盆踊り。衰えを見せない屋台の呼び込みに子供の歓声が重なる。まだまだ一等が出ない射的に、宝くじ。金魚すくいの輪の紙が濡れて破けてしまったら、おまけで三匹。焼き鳥、焼きそば、焼きとうもろこし。カキ氷の機械はさっきから回転しっぱなしだ。軽い爆発音に見上げた先では夜空に咲いた打ち上げ花火。その下では、紅い提灯がにじむような明かりを闇に燈していくつも浮かんでいる。

 複数の光源に照らされてぼんやりと映る人影は、先刻よりもふたつ多い。




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