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夏至:古家の住人Ⅰ


「座敷童に浴衣を縫ってやったりするの?」

 あなたは、と咳払いをしながら言うと、隣から小さな声が、いいえと答えた。

 次第に効力が薄れはじめた動揺を麦茶で喉に流し込みながら、僕は彼女を横目で見る。年の頃は十六、十七くらい、十八は超えていないだろうと理由もなく思う。黒髪をお下げに編んで、白地に青の花模様の浴衣の肩に垂らしている。それを見て当初の質問をしてしまったのだが、彼女は一言否定したなり、きゅっと唇を結んだまま何も言わない。


 気付かれないように観察しているうちに、そういえば目元の辺りは前回とまったく同じ…というわけにはいかないけれどよく見れば相通じるものがあるとか、こんな目に合うんだったら麦茶よりは同じ麦でも麦酒を昼間からでも飲んでいた方が良かったとか、そんなことをあれこれ考えられる位にはなった。当初の、驚愕から動揺の切替えに心境がどうにかやっと付いてきたというわけだ。けれども、相手が黙りこくっていることもあって、今度は困惑がむくむくと頭をもたげてくる。本当はまじまじと不躾に相手の顔を眺めたいくらいなのだ。それくらいに相手の姿が、このまえと全然違う。実際のところ、遭う度に違う。

 先日遭ったときは、彼女はお婆さんだった。

 今は妙齢のお嬢さんである。

 詐欺だ!と誰かにともなく言いたくなる。実際、同一人物が一気に何十年も若返って現れるなんて詐欺でなければ一体何なのか、と当り散らしたくなる。そして、超常現象だ、と自分で答えて虚しいような気分になるのである。まだ詐欺の方が信憑性があるではないか。



「座敷童」

 僕がそんな思いをしているのを知ってか知らずか、彼女は難しい顔のまま、ようやく口を開いた。

「そう。子どもの頃に読んだ童話で、遊びで負けたかなんかで、座敷童に浴衣を縫う羽目になった女の子の話があって」

 その浴衣を見て思い出した、と言うと、彼女は自分の着ているものを見下ろして、ほんの僅かに眉を顰めた。

「座敷童がいると知ったのも初めて、です……」

「でも居るのではないかと疑っていた?」

 訊くと、ええ、と彼女は頷いた。実は、この家に彼等座敷童(そしてそれ以外)が棲息していると僕に教えてくれたのは、数十年後の彼女なのだが、それは言わないでおく。このような情報のやりとりはタイムパラドックスやらなんとか云う、SFで時間旅行に伴うお約束に触れそうな気がするのだが、特に目立った変化はこれまでに起こったことがない。



 この家では、こんな不可思議な出来事が起こる。

 時間軸がずれているのか、次元が歪んでいるのか、並行世界が重なっているのか、どうして超常現象がかなりの頻度で起こるのかは不明である。ただ、本来ならば遭わないはずの人間が、ひょっこり顔を合わせる羽目になる。そしてその遭遇のタイミングが実にランダムなのである。何度でもこの奇妙な出来事に驚く所以だ。


 これまでの経験から言えば、僕と彼女の間には、二人で泥まみれ埃まみれになって転がりまわった幼年期、お互いを意識するというほどではないがある程度の距離感が必要な青年期、そして妙な連帯感が落ち着きと気の置けない間柄を形作る老年期、という三つの期間が横たわっているらしい。

 要は、僕が今までに遭遇した彼女は、子供、少女(現在の姿だ)、お婆さん、という大まかに三つのカテゴリーに分けることができる、ということだ。彼女は以前、年老いた僕(これはよく考えなくてもかなりぞっとするが)に遭ったと言っていたから、彼女が今までに遭遇した僕も大概そんなものに大別できるのではなかろうか。

 子供の頃はまだ良かった。彼女も僕も同じくらいの年齢で、無頓着に遊んでいるだけでよかった。なぜか僕と彼女は最初から意気投合したのだ。成長するにつれて、彼女と僕が遭遇するときの年齢の差というのは広がる一方だったのだが、数十年後の彼女と会ったときも(どちらかと言えば僕が彼女の手の上でころころと転がされているような印象を受けたにしろ)堅苦しい雰囲気にはならなかった。ところが問題は、今回始めて遭遇した第二期の場合である。

 さっきだって常日頃のようにお前と言いかけて、慌ててあなた、と言い換えた。妙齢の女性をお前呼ばわりは拙いだろう、やはり。そのせいもあって非常に落ち着かない。

 しかし、どうやら窮屈な思いをしているのは僕だけではないらしく、彼女の口調も(不慣れなことがすぐに分かる)ですます調になっている。別にそうかしこまらなくてもいい、と言おうかと思ったが、言われても直しようがないのは自分も同じなので指摘しないことにした。その代わりに先ほどの続きを口にした。



「先日、遭った時に、座敷童に綿入れを縫っていると言っていたものだから」

 最初の頃は未来の相手の姿について語ることで、何か将来に差障りがあるかもしれないと(なんといっても蝶を一匹殺しても未来は姿を変えるというので)、危惧を抱いていたものの、まったく将来が変わる様子がないことから、今はまったくの解禁状態となっている。

 たぶん、この家の中で起こったことなら、口にしても大丈夫なのだ。奇妙な時空のねじれは、この壁の中だけに存在し、隔絶されている。外界へはまったく影響を与えないのだろうというのが、しばらく考えた上での、僕なりの結論だ。

「私が?」

 さすがに彼女もこれまで遭遇を繰り返しただけあって、僕の言及したのが将来の自分だと即座に気が付いたらしい。

 わたいれ、と口の中で一音ずつ転がすように繰り返すと、

「針仕事は、苦手なのです」

 と告白した。信じ難い、という表情がその顔に浮かんでいる。

 前回の老獪さが嘘のようだ、と咄嗟に考えて、そりゃあ僕に会った数十年後の彼女も楽しかったことだろう、ということに思い当たり苦笑した。もうとっくに空になっている汗ばんだグラスで口元を隠す。何年もの間、ずっと知っていた相手が(しかも幼い頃も、老いてからも、ある意味ずっとだ)こんなに若返って初心な様子で、もう知っているはずの事柄に純真な驚きを見せたなら、それは面白く、懐かしく、愛おしくさえ感じられてしまうだろう。

「たぶん喜ぶと思うよ」

 僕が付け加えると、彼女はしばらく考えてから、表情をゆるめた。

「善処しましょう」

 彼女の言葉に応えるように、古家の隅々から、かたかたと音がした。人外の居住者達の存在を知った今となっては、彼等なりの喜びの表現なのだろうと容易に想像することができる。

 視線を戻すと、目の前の彼女は訝しげな顔に戻って、小首を傾けるようにして耳を澄ましていた。どうやら前回と今回で、教師役と生徒役は完全に交代しているらしい。僕は、数十年後の彼女から教えられた知識を披露するためにまた口を開く。

「あれはね、」



 あまりにも相手の年齢がいつも違うので当惑はするし、遭遇はいつも突然だから驚愕もする。それでも会えば腰を下ろして他愛ない話をする。

 実はそれを楽しみにしている。

 なんだかんだ言っても、僕も彼女もこの家にいつのまにか順応した住人であり、日々の間に気まぐれに起こる不可思議な出来事を心待ちにしている同志なのだ。



引用:『ふしぎなおばあちゃんがいっぱい』柏葉 幸子

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