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清明:犬と噂話(または<贋作・(竹)藪の中>)

 この時季になると、必ず思い出す小説の一節がある。かいつまんで言ってしまえば、詩に謳われた新緑の情景に、読み聞かされていた子供が思わず目を蔽ってしまう、というものだ。確かに薫風に揺れる木々の若葉は痛いほどに眩しいとしか言い様がない。

 そんな中で、周囲の状況を裏切って落葉するものがある。竹だ。その有様から今の時分を『竹の秋』と称するらしい。現在住んでいるのは竹藪の只中の一軒家だから否が応にもその一般とは逆行した態を目にする羽目になる。そうすると芋蔓式に他の話を思い出す。昔々に人から聞いたもので、その話し手もまた人づてに、友人の友人から聞いたものだと云っていた。大したことではないにもかかわらず何故か頭から離れないままに年を重ねている。


 それは、こんな話だ。


 * * *


 またおまえは、そんな格好をして。食べてすぐ横になると牛になるよ。

 食べすぎて苦しい? だらしないねえ。

 なんだって? 動けるようになるまで何か話せ?

 そんなにえらそうな口がきけるご身分かい。まったく、ああ言えばこう言う。この口ほど頭が働けば文句はないね。とにかく、おまえが一番良く知っているだろう。私はここから滅多に出て行かないのだから、おまえが面白がるような話なんてまったく知らないというのは。

 私が毎日何をしてるかだって?

 そうだね、朝起きて犬と自分を食べさせて、それから天気が良ければ庭に出たりね。そう、家の前は庭だよ。そうは見えないかもしれないけれど。まあ、まだ何も植えてないし、ぼこぼこの穴だらけだからね。ほら、今も犬が掘りかえしている。

 色々と見つけてきては埋めて、大事にしているよ。

 でもあれは正真正銘の駄犬だからね。あとになって埋めた場所を忘れて、見当違いのところを掘ったりしてね。私がわざわざ耕さなくてもいいって寸法さ。

 だから、引っ越してきて一番喜んでいるのはあの犬だね。この藪の中、掘ったり駆けたり、いくらでも好きなことが出来るわけだから。


 ああそうだ、それで思い出した話がある。

 これは友人が友人から聞いた話だ。だから本当かどうかは知らないよ。


 彼女は、そう、この友人の友人は女性だったわけだけど、その頃、竹の生い茂る山のてっぺんに、一匹の犬と住んでいた。春になると筍が嫌になるくらい生えるところで、そこで世捨て人同然の暮らしをしていたらしいよ。

 本当に辺鄙で、電気こそ辛うじて引いてあったけれど、もちろんバスも電車もない。町に行くときはタクシーをあらかじめ呼んでおくしか、運転免許を持っていない彼女にとっては交通手段がない所だった。

 隣家だって山を降りて三十分ほど歩いたところだったが、もちろん街灯などないから夜出歩くのは自殺行為だったということだ。


 そんなある日、嫌な事件があった。

 彼女の住んでいたその山の、ふもとに近い竹薮の中。

 まさにそこで、うら若い女性の屍体が見つかったというのだね。

 そこで殺されたのか棄てられたのか私は知らないし、彼女も詳しくは知らないと聞いた。でも他殺だということは明らかだったらしいね。

 警察がすぐ来てね、町は一気に騒がしくなった。

 何せ田舎だ。刺激が少ない。自分たちと関係のない事件であれば、ちょっとした娯楽の代わりになってしまっても、仕方ないだろう。

 彼女も刑事に質問されたりしたらしいよ。言うまでもないことだけど、疑われてというわけではなく、ただの参考人として。犯人の目撃やなんかは全然していなかったけれど。


 とにかく捜査は難航した。証拠が圧倒的に足りなかったらしい。

 そんな中、彼女は一つの噂を聞いた。

 世間と切り離されたように暮らしていても、彼女だって仙人じゃないからね。食料品を買ったりするために山を下りたりした時の話だろう。

 たいしたことじゃないんだよ。期待してるようなものじゃない。

 ただ、被害者は他の衣服はちゃんと身に付けていたのに、片方の靴だけ脱げていて、それが見つからないというんだね。

 警察は、それが手がかりになるかも知れない、と期待しているということだった。


 買い物を済ましてから、彼女はまっすぐ家に帰った。

 そうして尻尾を振りつつ迎えに来た犬をしばらく撫でてから、そっと犬小屋をのぞきこんだ。

 奥に真っ赤なハイヒールが片方だけ落ちていたということだ。


 辺鄙なのを幸い、しょっちゅうゴミやなんかが投棄されていく山だったから、犬が色々と見つけてくるのは日常茶飯事だった。だからいつもは気にもかけていなかったのだけれど、何しろ色が色だし、山の中にはそぐわない靴だからね。ちらっと咥えて遊んでいるのを目にしたのが、記憶の片隅にでも残っていたのだろう。

 あとで考えてみたところ、犬が最初にそのハイヒールをくわえて帰ってきたのは、どうも事件が起こったあたりだったような気がしたということだ。


 結局彼女がその靴をどうしたのか、私は知らない。

 だから言っただろう。これは友人の友人の身に起こった話で、私は本当かどうか知らないよ。


* * *


 もう話し手の顔も朧になってしまったというのに、今でも彼女が語った儘の口調で話の内容は思い出せる。人から人へと伝えられるうちに変容していったであろう過去の事件。人が死んでいようが、犯人が見つからなかろうが、伝聞のみに依拠する話は常に聞き手にとっては瑣末な他人事だ。

 しかし、この時季になると、どうしてかふと思い出す。見上げた先の新緑に眇めた目で、今も何処かにあるかもしれないその遺品を想う。竹の秋が過ぎて行く度に、赤い女物の靴は埋もれていくのだろうかと、そんな詮無いことを考える。

 語り手の訥々とした無愛想な口調。自分が口火を切った癖に、まるで直ぐにでも話を切り上げたがっている様な。その傍らを駆け抜けていった雑種の犬。竹に囲まれた一軒家。

 すべてを覆い尽くすかのごとく竹の葉がはらはらと散る。昔も、今も。


 信憑性は無きに等しく、同名の短編小説ほどの重みもない。ただ人づてに聞いた話。

 

 いずれにしろ、真実は、藪の中。




引用:『新選組血風録』司馬 遼太郎

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