勝利と代償
データ化した光の粒子は、ゆらゆらと舞いながら地面に散っていった。
呂布——いや、そのデータ残滓——が完全に消え去ると、接合点の中心部には、深い静寂が戻ってきた。
曹操は剣を杖に、深く息を吸い込む。傷口からまだ血が滲んでいるが、彼はそれを無視して、立ち尽くす呂布の消えた場所を見つめた。
「……終わったか」
信長は太刀を地面に突き刺し、膝をついた。「はあ……はあ……さすがに、これで限界だな……」
趙雲は槍を支えに、倒れそうな体を必死に支えている。彼の鎧には無数の傷がつき、左肩からは明らかに不自然な角度で腕がだらりと下がっている。
諸葛亮と毛利は、互いに支え合って立っていた。術を使い果たした彼らには、もう戦う力は残っていない。
そして羅夢。
彼女は、手の中で冷たくなった携帯を、じっと見つめていた。
画面は真っ暗。ボタンを押しても、触れても、何の反応もない。先ほどまでの狂ったようなバッテリー上昇は、幻のようだった。
「……小弥?」
声をかける。返事はない。
「……ごめんね」
彼女の声はかすかに震えていた。
「最後まで、ありがとう」
曹操が彼女の方に歩み寄り、手を差し伸べた。その手には、まだ血がついている。
「……其れを、貸せ」
羅夢は、無言で携帯を渡した。
曹操はそれを手に取り、じっと観察した。裏返し、揺らし、耳元に当ててみる。だが、何の反応もない。
「……力尽きたな」
彼の声には、意外にも哀悼の念が込められていた。
信長もよろよろと立ち上がり、近づいてきた。「ふん、ついに逝ったか。あの騒がしい声が、少し寂しいな」
「でも、最後に力を貸してくれました」趙雲が言った。「呂布を倒すきっかけを」
「そうだな」曹操は深くうなずいた。「感謝せねばならぬ」
彼は携帯を、そっと地面に置いた。まるで、何か尊いものを扱うように。
その時、地面に散らばったデータの粒子が、突然、微かに光り始めた。
「……何だ?」毛利が眉をひそめた。
粒子が、ゆっくりと集まり始める。一つの塊に。そして、その塊が、携帯の方をゆっくりと這っていく。
「……まだ生きているのか?」信長が警戒して太刀を構える。
「いや、違う」諸葛亮が分析した。「記憶の残滓……いや、データの記録だ」
粒子の塊が、携帯の画面に触れる。
一瞬、画面が光った。
かすかに、文字が浮かび上がる。
【データ断片を検出……】
【解析中……】
「!」羅夢は息を飲んだ。
【送信元:歴史修正者・中枢】
【指令:『完全体呂布』起動】
【目的:異常データ『羅夢』の排除】
【指令源:観測者プロトコル】
【最終目標:異常変数『羅夢』の回収】
文字は、そこで途切れた。
粒子の光が消える。
再び静寂。
「……何だ?」信長が呟いた。「『観測者プロトコル』?『異常変数『羅夢』の回収』?」
曹操の目が鋭くなった。「回収……だと?」
「私が……異常変数?」羅夢の声はかすれていた。「それって……私が、この世界の異常だってこと?」
「そう読める」毛利は険しい表情を浮かべた。「貴女が、此の歪んだ時空の『原因』、あるいは『鍵』なのかもしれぬ」
諸葛亮は深く考え込んでいた。
「観測者……プロトコル……もしや、此の世界の歪みは、偶然ではなく、誰かが意図的に引き起こしたものか?」
「誰が?」趙雲が問いかけた。
「……我々を、観測している者だ」
その言葉に、全員の背筋が寒くなった。
接合点の光の渦が、今も静かに渦巻いている。その向こうに、何かがいる。何かを、見ている。
「で、では……」羅夢は声を震わせた。「歴史修正者は、私を消すために送り込まれた?」
「その可能性が高い」曹操は冷静に分析した。「そして、我々は、貴女を守るために戦っていた」
信長が大笑いした。
「はは! 面白い! つまり、わしらは、観測者という奴の計画を、ずっと邪魔していたわけだな!」
「笑ってる場合じゃないです!」羅夢は泣きそうになった。「私のせいで、みんな怪我して、戦って……」
「馬鹿を言え」曹操が彼女を一瞥した。「我々は、貴女のためだけに戦ったわけではない」
「……え?」
「此の世界を正すためだ」曹操は接合点の中心を見つめた。「貴女が其の鍵であるなら、尚更だ。貴女を守り、此の世界の真実を突き止める」
趙雲もうなずいた。
「羅夢さん、あなたが原因であろうとなかろうと、私が守ると決めたのは変わりません」
諸葛亮と毛利も、同意を示した。
信長は羅夢の肩をドンと叩いた。
「そうだ! もう、お前は我らの仲間だ! 観測者だかなんだか、来るなら来い! 打ち倒してやる!」
羅夢は、涙をこらえきれなかった。
「みんな……ありがとう……」
その時、携帯の画面が、最後の微かな光を放った。
【最終メッセージ……】
【ユーザー羅夢さん……】
【お疲れ様でした……】
【小弥は、楽しかったです……】
【さようなら……】
光が消える。
今度こそ、完全に。
羅夢は、その冷たくなった板を、そっと拾い上げ、胸に抱きしめた。
「さようなら、小弥」
曹操が彼女を見つめ、そして言った。
「では、行くぞ」
「え? でも、みんなの傷が……」
「構わぬ」曹操は傷口を押さえながらも、一歩前に出た。「此の機会を逃せば、次は来ない。観測者が、本気で貴女を狙いに来る前に」
信長も太刀を引き抜いた。「その通りだ! わしもまだ戦える!」
趙雲は無言で槍を構え直す。左腕は動かないが、右手でなら戦える。
諸葛亮と毛利は、互いにうなずき合った。
「ならば、最後の力を振り絞ろう」
「我も、少しは術が使える」
羅夢は、涙を拭った。
そして、顔を上げた。
「はい。行きましょう」
一行は、接合点の中心、光の渦へと歩き出した。
傷だらけで、疲れ果てて、力は尽きかけている。
だが、誰も止まらない。
光の渦が、すぐそこだ。
そして現実世界では――
病院の集中治療室で、緊迫した空気が流れていた。
モニターの脳波は、再び安定していた。しかし、それは「通常の昏睡状態」のものではない。何かが、確かに変わった。
堀内教授は、記録を見つめていた。
「……脳波パターン、変化した。以前の『活動的』な状態から、『決意』に満ちた状態へ」
「何の決意です?」若い医師が聞いた。
「わからぬ。だが、患者は、何かを決断した。何か大きなことを」
その時、病室のドアが開き、羅夢の両親が入ってきた。母親の目は泣き腫れ、父親の顔は強張っていた。
「医師、娘は……?」父親の声は震えていた。
「まだ昏睡状態です。が、脳波には異常な活動が見られます」
「異常な活動?」母親が不安そうに聞いた。
「通常の昏睡状態とは違います。何かを見て、聞いて、考えているような……」
教授は言葉を選んだ。
「……夢を見ている、というより、どこか別の場所で、生きているような波形です」
両親は顔を見合わせ、ますます混乱した。
その時、モニターがまた警告音を発した。
「血圧、上昇中! 心拍数、120まで!」
「何かが起きている……」
病室の電気が、また一瞬ちらついた。
看護師が叫んだ。
「患者の手が……光っています!」
確かに、ベッドに横たわる羅夢の右手が、微かに青白く光っている。まるで、何かを持っているかのように、握りしめた形で。
堀内教授は、その光を見つめて動かなかった。
「……これは、もはや医学の範囲を超えている」
彼の呟きに、誰も反論できなかった。
ただ、モニターの脳波が、静かに、しかし確かに、「前進」するリズムを刻み続けている。
異世界では――
一行は、光の渦の中に足を踏み入れた。
強烈な光。揺らめく映像。幾つもの時代の風景が、一瞬で通り過ぎていく。
漢の宮殿。戦国の城下町。現代の都市。
そして、中心に――
一つの、巨大な「目」があった。
データで構成された、冷たい、感情のない目。
それが、一行を見下ろす。
【観測者プロトコル、最終防御システム起動】
機械的な声が、空間全体に響く。
【異常変数『羅夢』、確認】
【随伴する歴史的データ群、確認】
【全データ、回収プロセス開始】
目の前の空間が歪み、無数のデータの腕が現れる。それらが、一行に向かって伸びてくる。
「来い!」曹操が叫ぶ。
最後の戦いが、始まる。




