曹操の深夜ドラマ鑑賞
時空の接合点へ向かう道程、一行は洞窟の中で一夜を明かすことになった。外は異様な雷雨で、歴史修正者の気配も濃厚だったからだ。
「此の雨、尋常ではないな」毛利が洞窟の入り口から外を眺めながら言った。「雷に混じって、何か別のエネルギーが感じられる」
諸葛亮は地面に石を並べ、占いのようなことをしていた。「天象、乱れに乱れている。明日までには、何か大きな変化が起きるだろう」
趙雲と信長は交代で警戒にあたっている。洞窟の奥では、羅夢が携帯の画面をいじっていた。バッテリーは240%。時空干渉の大量消費の後、少し回復させたいところだ。
「オフラインで使える機能、他にないかな……」彼女はアプリ一覧をスクロールしていた。ゲーム、電卓、コンパス、カメラ、メモ帳……
そして、あるフォルダに気づいた。
『オフライン動画』
「え?」彼女はタップした。
中には、二つのファイルがあった。
『三国志演義(1994)全84話. cache』
『戦国BASARA シーズン1. cache』
「……完全にキャッシュされてる」
彼女は記憶を辿った。確か、テスト前にWi-Fi環境で、長時間のコンテンツをダウンロードするように指示された。テスト中の「文化的体験」の一環として、歴史コンテンツを視聴するためだった。
が、そのテストがこんなことに。
「全84話……」彼女はため息をついた。「どうしよう、これ……」
「何を見つけた?」傍らに座っていた曹操が声をかけた。
「あ、えっと……動画です。三国志演義の」
曹操の目が、微かに光った。「……其れを、また見せられるのか?」
「見せられますけど……でも、バッテリーを結構使うし、それに……」羅夢はためらった。「中身が、曹公には面白くないかもしれないです」
「何故だ?」
「だって、あなたが出てくるし、しかも……悪役っぽく描かれてるから」
曹操は一瞬沈黙し、そして静かに言った。「見せよ」
「でも――」
「構わん。我が事を、後世が如何描いているか、知りたい」
その声には、抗いがたい何かがあった。
羅夢は仕方なく、第一話を選び、再生ボタンを押した。
懐かしい中国のオープニング音楽が、洞窟に響く。
他の者たちも興味を持って集まってきた。信長、趙雲、諸葛亮、毛利、そして家臣たち。
「おお、又、あの動く絵か!」信長は楽しそうだった。
趙雲は真剣な表情で画面を見つめた。
諸葛亮と毛利は、学術的な興味で観察している。
物語は、黄巾の乱から始まる。劉備、関羽、張飛が出会う。
曹操が初めて登場するのは、数話後だ。役者の曹操が、官僚として、そして後に軍閥として登場する。
本物の曹操は、一言も発せず、じっと画面を見つめていた。
時に眉をひそめ、時に微かに笑みを浮かべる。
「……其の役者、我に似ておらぬな」
「役者ですから……」羅夢は言い訳のようにつぶやいた。
「然れど、動きや話し方は、少しは似せている」
曹操は冷静に批評していた。
夜が更ける。
外では雷雨が続いているが、洞窟の中では、小さな画面に三国の世界が広がっていた。
趙雲は、自分が登場する場面で、特に真剣に見入る。
「……雲、此の時は、まだ若かった」
「槍の動き、あそこまで大げさではなかったが……」
信長は、戦闘シーンに興奮していた。
「ほう! 此の戦い方、面白い! しかし、実際にはもっと汚い戦いだったろうに!」
諸葛亮と毛利は、戦術や会話の描写に、時にうなずき、時に首をかしげる。
「此の計略、実際にはもっと複雑だった」
「其の言い回し、現代風にアレンジされているな」
そして、話が進む——
「赤壁の戦い」へ。
曹操の表情が、次第に硬くなっていく。
画面では、役者の曹操が、大軍を率い、長江を渡ろうとする。諸葛亮(役)の計略。火攻め。
「……此れが、あの時か」曹操の声は低かった。
趙雲は複雑な表情で、曹操の横顔をちらりと見た。
諸葛亮本人は、平静を保っていたが、扇をあおぐ手が、ほんの少し速くなっている。
赤壁の大火災。敗走する曹操軍。
そして——
「華容道」へ。
関羽が、小道に立ちはだかる。
役者の曹操が、泣きながら嘆願する。
『雲長、昔の情けを思い出してくれ!』
関羽(役)が、苦渋の決断で道を譲る。
本物の曹操の手が、微かに震えた。
画面が暗転し、エピソードが終わる。
洞窟の中に、重い沈黙が流れた。
誰も言葉を発しない。
雷の音だけが、遠くで轟いている。
そして、曹操が、ゆっくりと立ち上がった。
「……ふむ」
その一声が、氷を割るようだった。
「面白い」
信長が笑い出した。「はは! 曹公、泣いて嘆願するとはな! 実際はどうだった?」
「実際は」曹操は淡々と言った。「泣きはせぬ。が、確かに関羽には、情けをかけて貰った」
彼は画面を見つめ、続けた。
「関羽は、義に厚い男だった。我が礼遇を、忘れてはおらぬ。故に、道を譲ってくれた」
その声には、意外にも怒りはなかった。あるのは、冷静な分析と、かすかな懐かしさ。
だが、次の瞬間——
彼の目が、画面に映る諸葛亮(役)に向けられた。
「然れど……孔明」
諸葛亮がゆっくりと顔を上げた。
「貴様は……よくも、あそこまでやったな」
その声には、初めて、かすかな怒りがにじんでいた。
「赤壁の戦い。貴様の計略で、我は大敗を喫した」
「……」諸葛亮は沈黄した。
「今、此処で見た。あの火攻め、あの東南の風……全て、貴様の仕業だ」
「あれは、役者が演じたものです」羅夢が慌てて割り込んだ。「実際の丞相は——」
「構わん」曹操は手を上げて彼女を制した。「孔明、我は尋ねている。あの時、貴様は、我を殺せる機会があっただろうに、なぜ殺さなかった?」
全員の視線が、諸葛亮に集まる。
彼は静かに扇をあおぎ、そして答えた。
「殺せなかったからです」
「……何?」
「当時、亮の力では、曹操公を完全に討つことはできませんでした。関羽に華容道で待ち伏せさせたのも、最後の賭けでした。しかし、関羽殿が情けをかけた」
曹操は目を細めた。「ならば、貴様の計算違いか」
「計算違いでした」諸葛亮は潔く認めた。「人というものは、時に計算を超える。関羽殿の義心は、亮の計算を上回りました」
長い沈黙。
そして、曹操が低く笑った。
「は……なるほど。では、我は関羽の情けで、生き延びたわけだ」
「その通りです」
「ふむ……面白い」
曹操は再び地面に座り、羅夢に言った。
「続けよ」
「え? まだ見るんですか?」
「ああ。全てを見てみたい。我の最期までを」
羅夢はためらった。「でも……曹公の最期、あんまり良いものじゃないんですよ?」
「構わん。死に様など、どうでも良い。我が人生の結末が、如何描かれているか、見てみたいだけだ」
その言葉に、趙雲が静かにうなずいた。
信長も大笑いした。「はは! 良い心意気だ! わしも、自分の最期を見てみたいものだな!」
「信長さんのは『戦国BASARA』ですから、もっと派手ですよ」羅夢は苦笑した。
「それはまた後で良い。まずは曹公の物語を見よう」
羅夢は仕方なく、再生を続けた。
夜は更けていく。
曹操は、一言も発せず、画面を見つめ続けた。
劉備の蜀建国。関羽の死。張飛の死。そして——
「五丈原」のエピソード。
諸葛亮が陣中で病に倒れ、星を落とす。
本物の諸葛亮は、その場面で、深く息を吐いた。
「……あの時は、無念だった」
「丞相……」趙雲の声には、痛みが込められていた。
曹操は、諸葛亮の最期を見て、ただ静かにうなずいた。
そして、最終話へ。
司馬炎が晋を建国し、天下を統一する。
曹操の墓の前で、司馬炎が拝むシーン。
『孟徳、我が天下は、貴様の礎の上に築かれた』
エンディング。
全てが終わった。
洞窟の中は、深い静寂に包まれた。
外の雨の音だけが、響いている。
曹操は、長い間、動かなかった。
そして、ゆっくりと顔を上げ、羅夢を見た。
「……有難う」
その一言に、羅夢は驚いた。「え?」
「我の人生を、教えてくれた」
「でも、あれはドラマです! 実際の歴史とは――」
「構わぬ」曹操は静かに言った。「ドラマであろうが、史実であろうが、人々が其の様に記憶しているなら、それもまた『真実』の一つだ」
彼は立ち上がり、洞窟の入り口に向かった。
朝の光が、ちょうど差し込み始めていた。雨は上がっている。
「我の人生は、既に終わっている。だが――」
振り返る曹操の目には、新たな光が宿っていた。
「此処にいる我は、まだ終わってはいない」
信長が立ち上がり、曹操の肩を叩いた。
「そうだ! 過去の話はどうでも良い! 今、此処にある我らが、新たな歴史を作るのだ!」
趙雲も深くうなずいた。
諸葛亮と毛利は、互いに顔を見合わせ、微笑んだ。
羅夢は、バッテリー235%の携帯を見つめた。
ドラマを見るのに、5%消費した。
でも、それ以上のものを得たかもしれない。
曹操が彼女の方に歩み寄ってきた。
「其の匣」彼は言った。「まだ、『戦国BASARA』とやらがあるな?」
「はい、ありますけど……」
「今夜は、信長殿の番だ」曹操は微かに笑った。「我も、彼の『歴史』を見てみたい」
信長が目を輝かせた。「おお! ついにわしの番か! 早く見せろ、娘!」
「ちょっと待ってください! 連続再生はバッテリーに悪いです!」
「構わん! 此の後、また雷か何かで充電すれば良い!」
「雷がそんなに都合よく落ちませんって!」
騒ぎの中、朝が訪れた。
一行は洞窟を出て、再び北西へ向かった。
曹操の足取りは、少し軽くなっているように見えた。
過去の亡霊から、少しだけ解放されたのかもしれない。
羅夢は、歩きながら思った。
あのドラマを見せたのは、正解だったのか?
曹操は、確かに何かを得た。しかし、同時に、何かを決意したのかもしれない。
その決意が、良い方向に向かうことを、ただ願うしかなかった。
そして、現実世界では――
病院のモニターに、複雑な感情の波形が記録されていた。
懐かしさ、怒り、諦念、そして、新たな決意。
医師たちは、また首をひねるしかなかった。
「また新しいパターンだ……今度は、何かの『物語』を体験しているような……」
彼らにはわからない。
患者が、千年の時を隔てた、自らの「物語」を見ていたことなど。




