歴史的瞬間
夜明け前、一番暗い時刻。
草原の野営地では、かがり火の揺らめく明かりだけが、闇をわずかに退けていた。エネルギーノードのオーバーヒートによる一時間の停止は、まだ三十分残っている。
しかし、誰も眠っていなかった。
諸葛亮と毛利元就は、地面に図を描きながら、熱心に議論を続けている。棒切れで引かれた線は複雑に絡み合い、時折、数式のようなものが書き加えられる。
「……つまり、雷の力は、単に『呼び寄せる』のでなく、『導く』ことが可能だと」
諸葛亮が扇で図の一点を指した。
「其の為には、地形、気流、地磁気の三つを揃えねばならぬ」
毛利は深くうなずいた。「我の観測では、此の地の地磁気は、北西方向に強い歪みがある。雷雲の柱があった方角だ」
「ならば、其れを利用できる」
「しかし、安全に導くには?」
「陰陽のバランスだ」諸葛亮はもう一方の手で、逆方向の図を描いた。「雷を引き寄せる『陽』の点と、力を逃がす『陰』の点を設ける。其の二点の間に、貴女の匣を置く」
「雷の力は、陽から陰へ流れる。其の流れの中で、匣がエネルギーを得る、と?」
「然り」
二人の議論を、曹操、信長、趙雲、羅夢が囲んで聞いていた。家臣たちも、興味深そうに覗き込んでいる。
「で、結局どうするんですか?」羅夢が聞いた。
諸葛亮が顔を上げ、彼女を見た。
「今から、陣を敷く」
——陣、とは。
明け方、薄明るくなり始めた草原で、奇妙な光景が広がっていた。
諸葛亮の指示で、人々が石を運び、特定の位置に積み上げている。石の種類、大きさ、積み方まで、細かく指定される。
「其の石は、黒っぽいものを。陰の気を持つ」
「其処は、白い石を。陽の気を集める」
一方、毛利は家臣たちに、地面の傾斜や風向きを測らせている。
「ここ、風の抜け道になっているな」
「傾斜は、北西に向かって緩やかだ」
羅夢は、その中心に立たされていた。手には、バッテリー270%の携帯。エネルギーノードはまだ停止中だが、本体機能は使える。
「私、ここでいいんですか?」
「其のまま動くな」諸葛亮が言った。「貴女が陰陽の交点だ」
「で、これで雷が来るの?」
「来る。ただし……」諸葛亮は空を見上げた。「我々が呼ぶ雷は、自然のものより穏やかだ。制御可能な範囲で」
信長が大笑いした。「はは! 軍師二人がかりで、雷を飼い慣らすとはな!」
曹操は警戒しながら周囲を見回していた。「此の作業、歴史修正者に気づかれぬか?」
「気づかれようと、構わん」毛利は淡々と言った。「我らには、もう隠れる時間などない」
趙雲が槍を握りしめた。「では、戦う覚悟で」
準備は一時間かかった。
朝日が地平線から顔を出す頃、陣は完成していた。
半径二十メートルの円形に、石が規則正しく配置されている。そのパターンは、八卦陣のようでもあり、戦国の陣形のようでもある。古代中国の易学と、戦国日本の築城術が融合した、異様なまでの調和。
「……美しいな」信長が感嘆した。「戦の陣とは、また違う美しさだ」
「陰陽五行の理に、地形術を重ねた」諸葛亮は少し誇らしげだった。「孔明、此のような陣を敷くのは初めてだ」
「我もだ」毛利もうなずいた。「が、理には適っている」
羅夢は陣の中心で、じっと立っていた。足が痺れ始めている。
「あの……いつまで?」
「もうすぐだ」諸葛亮が空を指さした。
東の空が赤く染まり始めている。朝焼けだ。しかし、それとは別に、北西の空に、小さな黒い雲が湧き上がっていた。
「雷雲……だ」趙雲が呟いた。
「我々の陣が、気流を変え、雲を呼び寄せた」毛利が説明した。
雲はゆっくりと近づいてくる。しかし、前回の雷雲の柱とは違う。小さく、穏やかだ。
「自然の雷雨ではない」諸葛亮が言った。「我々が呼んだ、小さな雷だ」
雲が陣の真上に来た。
一瞬、静寂。
そして——
パチリ、パチリ。
小さな稲妻が、雲の中を走る。音も小さい。
「来い」諸葛亮が扇を掲げた。
「我らの陣へ、導け」毛利も両手を広げた。
雷光が、雲から伸びる——が、地面に落ちるのではない。まず、陣の縁にある「陽」の石——白い石の山に落ちる。
パチン!
白い石が一瞬青白く光る。
そして、その光が、石から石へ、まるで電流のように伝わっていく。陣のパターンに沿って、光の線が走る。
「うわあ……」羅夢は息をのんだ。
光の線は、複雑に絡み合いながら、確実に陣の中心——彼女の立つ場所へと向かっている。
「動くな」曹操が低く言った。
「怖がるな!」信長は笑っている。
光の線が、羅夢の足元に達する。
そして——
彼女の手に持つ携帯が、突然震えた。
【外部エネルギー検知!】
【安全圏内! 充電開始!】
画面が明るくなる。バッテリー表示が動き始めた。
270% → 271% → 272%……
ゆっくりだが、確実に上昇している。
「効いてる……」羅夢は声を震わせた。
雷光はまだ陣の中を走り続けている。白い石から黒い石へ、そして再び白い石へ。循環している。
「陰陽の循環だ」諸葛亮が説明した。「雷の力を、無限に近く循環させ、其の中で、少しずつ力を分け与える」
「我らの陣が、巨大な変圧器となっている」毛利も頷いた。「強すぎる雷を、穏やかな力に変える」
バッテリーは275%に達した。
雷雲は小さくなり、次第に散り始めている。朝日が昇り、空が明るくなる。
そして最後の一閃——パチリ。
雷雲は完全に消えた。
陣の光も、次第に消えていく。
静寂が戻る。
朝焼けの光が、草原を優しく照らし始める。
【充電完了!】
【バッテリー残量:280%!】
【エネルギーノード、冷却完了! 再起動可能です!】
「やった……!」羅夢は歓声を上げそうになった。
彼女は携帯をしっかりと握りしめ、画面を見つめた。280%。前より10%増えた。
しかし、それだけではなかった。
画面には、新しい通知が表示されていた。
【圏外ですが、微弱な信号を検知しました!】
【過去24時間の未読通知を同期します!】
「え? 信号?」
【同期中……】
画面に、次々と通知が表示されていく。
ほとんどは広告やアプリの更新通知だ。
だが、その中に、一つ——
『Yahoo! ニュース トピックス』
『意識不明の中国人留学生、脳波に異常な活性化 専門家「前代未聞」』
羅夢の手が震えた。
「……は?」
彼女はその見出しを、何度も読み返した。
意識不明。中国人留学生。脳波。異常な活性化。
「……私?」
彼女の声に、周囲が集まってくる。
「何かあったのか?」曹操が聞いた。
「ニュース……私のことが、ニュースに……」
信長が覗き込んだ。「『ニュース』? 何だ、それは?」
「世の中の出来事を伝える……紙? いや、今はネットで……」
彼女は記事を開こうとしたが、圏外のため、詳細は読めない。キャッシュされた見出しとリード文だけだ。
『東京・某大学院に在籍する中国人留学生、羅夢さん(22)が、VR実験中の事故により意識不明に陥り、現在入院中だ。関係者によると、羅さんの脳波は通常の昏迷状態とは全く異なるパターンを示しており、専門家の間で論議を呼んでいる——』
「VR実験……事故……入院……」羅夢は言葉を絞り出すように読んだ。
「お前の、現実の身体が……」趙雲が心配そうに言った。
「意識不明で、病院にいる……そして、脳波が変だから、ニュースになった……」
諸葛亮が深く考え込んだ。「外界が、貴女の異変に気づいた、と」
「気づかれすぎだ」毛利の表情が険しくなった。「注目を集めれば、此の世界への干渉も強まるかもしれぬ」
曹操は鋭く聞いた。「其の記事、いつ頃のものだ?」
「わかりません……でも、多分、つい最近……」
信長が大笑いした。「はは! 娘、有名になったな! 世界中に名が知られるとは!」
「笑ってる場合じゃないですよ!」羅夢は半泣き状態だった。「私、実験体みたいに研究されてるかもしれないんだよ!?」
【追加情報を検索中……】
小弥の声が響く。
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【『VR企業、異常脳波についてコメントせず』】
【『脳神経専門家ら、学際的研究チーム結成へ』】
【『家族、中国から来日予定』】
「家族まで!?」羅夢の顔が真っ青になった。「お父さんとお母さんが、日本に来る……?」
彼女の頭が混乱した。現実世界で、彼女の身体が病院にいる。両親が心配して飛んでくる。専門家が彼女を研究する。
そして彼女はここにいる——異世界で、曹操や織田信長や諸葛亮や毛利元就と、雷を操りながら冒険している。
「……現実と、こっちと、どっちが夢なんだろう」
彼女の呟きに、趙雲が優しく言った。「どちらも、現実なのでしょう。ただ、繋がっている場所が違うだけ」
「子龍の言う通りだ」曹操もうなずいた。「お前は此処にいる。そして、現実にも身体がある。両方とも、お前だ」
「だが、時間は限られているな」毛利が現実的に指摘した。「外界の注目が高まれば、其の身体に何かされるかもしれぬ。早く此の世界の謎を解き、戻る方法を見つけねば」
諸葛亮が同意した。「では、計画を早めよう。エネルギーノードも回復した。次の目的地へ向かうべきだ」
「次の目的地?」羅夢が聞いた。
「時空の接合点だ」諸葛亮は北西を指さした。「雷雲の柱があった方向。あの地こそ、幾つもの時代が無理矢理繋がれた、中心点だろう」
「行くぞ!」信長は既にやる気満々だ。
羅夢は、携帯の画面を見つめた。ニュースの見出しが、まだそこにある。
意識不明。脳波異常。前代未聞。
彼女は深く息を吸い込み、顔を上げた。
「……行きましょう」
「お前、大丈夫か?」曹操が尋ねた。
「大丈夫です」彼女はうなずいた。「だって、ここにみんながいるし」
「それに」彼女は携帯をしっかりと握りしめた。「このニュースを見たから、よけいに頑張ろうって思った」
「どういう意味だ?」信長が首を傾げた。
「現実世界の人たちが、私のことを心配してる。私を助けようとしてる」
彼女の目に、決意の光が宿っていた。
「ならば、私も、自分で自分を助けにいかないと」
一瞬、静寂。
そして、信長がまた大笑いした。
「ははは! 良い心がけだ!」
曹操も微かに笑みを浮かべた。「成長したな」
趙雲は感心したようにうなずく。
諸葛亮と毛利は、互いに顔を見合わせ、深く頷き合った。
「では、出発だ」曹操が指示した。「趙雲、先鋒を頼む」
「承知!」
「わしは右翼を」信長が名乗り出た。
「では、我が左翼を」毛利も家臣たちに合図した。
諸葛亮は羅夢の傍らに立った。「我は中央にいて、陣形を維持しよう」
一行は、朝日に照らされながら、北西へと歩き始めた。
背後には、石で組まれた奇妙な陣が残されていた。やがて、誰かが壊すこともなく、ただ草原に忘れ去られるだろう。
だが、此処で起きたこと——三国の軍師と戦国の智将が手を組み、雷を制御したこと——は、此の歪んだ時空の歴史に、確かに刻まれた。
羅夢は歩きながら、もう一度携帯を見た。
バッテリー280%。
ニュースの通知は、もう消していた。
でも、記憶は消えない。
「お父さん、お母さん……ごめんね、心配かけて」
彼女は小声で呟いた。
「でも、必ず帰るから。それまで、もう少しだけ……」
前を行く、歴史上の英雄たちの背中を見つめながら。
彼女は、一歩を踏みしめた。
現実世界では、その瞬間——
病院のモニターに、新たな脳波パターンが記録された。
鋭く、決意に満ちた、力強い波形。
医師が記録を確認し、眉をひそめた。
「……また、新しいパターンだ」
「患者、何かを決断したのか?」
彼らにはわからない。
その決断が、千年の時を超えた同盟の下、なされたものだとは。




