アイドルにはご用心
アイドルだなんて偶像だ。表では誰にでも笑顔を振り撒き綺麗事を並べるが裏では蹴落とし合いの戦場、見るも無惨な人間の愚かな部分に塗れた世界である。そんなアイドル嫌いな俺、橋本耀にも嫌いなりにちゃんとした理由がある。
父は人気アイドル、母はそんな父のマネージャー、兄はアイドルプロデューサーというようなアイドル一家に生まれた俺は、小さい頃から散々な目にあってきた。有名な父の息子としてテレビに引きづり出されたり、兄に簡単なアルバイトだと呼び出されたかと思うと兄の元でアイドルの真似事ををする羽目になったり。本当にもう散々だった。
だから俺は決めたんだ。アイドルもとい芸能界とは今後一切関わらない。この四月から普通の高校生として普通に過ごすんだって。勿論、家族のことはトップシークレットだ。絶対に面倒ごとになるんだからバレてはいけない。そう、心に誓っていたハズなのに……。
芸能一家とだけあって多忙な家族を持つ俺は、大きな実家に一人暮らしと言っても過言ではなかった。父と母は帰りが遅く、兄も仕事で家にいる暇がない。
そういう訳で家事全般を任されている俺は今日も休日返上で絶賛買い出し中だった。
エコバッグの紐が手に食い込むほどの重たい荷物をぶら下げ、夕日に向かって歩くこの時間が俺は嫌いじゃない。なんたってアイドルのことを一ミリも考えなくていい貴重な時間だからな。
家ではテレビをつければ父親が映るし、学校ではアイドルオタクの友人である、綿谷透からのアイドル談義で持ち切りだ。俺がアイドル嫌いなこと知ってるくせに。
そう言いつつも俺と透は長い付き合いだし、俺の家庭事情を知った上で俺のトラウマには触れないでいてくれてる優しい奴でもある。
アイドルオタクのあいつが父の話題を一切出さないのが何よりの証拠だ。
そんな風に友人の優しさに浸っていると、突然胸ポケットのスマホが無機質に震える。重い荷物を持ってるのに何だか面倒だなと思いつつも俺はその震えへと手を伸ばす。液晶画面を見ると音の主は父だった。多忙な父だ。滅多に電話をかけてなんか来ないくせに何の用事だろうか。面倒ごとでなければ良いがなんてフラグを立てながらも無視すると後が更に面倒なので俺は素早く電話を取った。
「もしもし、父さん。何の用?」
早く家に帰りたいんだけど、とは言わずともそんな空気が伝わるように、少し荒っぽく喋る。
そんな俺の思いを無視してか気づかずかは知らないが父は上機嫌で話を切り出した。
『耀、お前に取っておきの話を持ってきたぞ!
お前にはこの春からアルバイトをしてもらおうと思う』
嫌な予感的中だ。家族が持ってくる話なんてロクなものでは無い。今までがそうだった。絶対芸能界絡みだ。そんな面倒な話さっさ断って終わらせようと俺は「アルバイトなら自分で探す」と強めに主張した。
『そう言うな、お前には四月から、
とあるアイドルのマネージャーをしてもらう』
「は……?」
『この仕事をとってくるのに父さん苦労したんだぞ。まぁ詳しいことはそのアイドルの現マネージャーに聞いてくれ。それから……』
「お、おい!勝手に話進めるなよ!俺やるなんて一言も……」
『残念だったな、耀。これは決定事項だ』
そうピシャリと言い放つと電話の向こうでカタカタというパソコンのキーボード音が聞こえる。大方、父のマネージャーである母もグルになって手続きやら何やら進めているのだろう。こういう時の我が家(俺以外)の一致団結力は並では無い。
「引き継ぎの詳しい場所と日時は今、母さんからお前宛にメールで送った。このアルバイトでお前も父さんたちや兄さんの仕事についてについて学ぶことだな」
そう要件だけ告げると父は電話を切ってしまった。ツーツーという電子音と「通話終了」と表示されたスマホ画面が俺の事を嘲笑うかのようでムカついた。
意見する隙を与えない。父のこういうやり方が昔から嫌いだ。
しかし、分かってはいたが父はどうしても俺にも芸能界で仕事をさせたいらしい。小さい頃の俺のトラウマである散々な目たちもこれの伏線だろう。しかし、理由がわからん。自分たちの仕事の大変さを伝えたいのか、もしくは芸能界は思ってるより楽しいところだぞとでも言いたいのか。父の思いはさっぱりわからん。
何はともあれ、父が勝手に決めてしまったこととはいえ他人に迷惑が行くのは流石の俺でも気分が悪い。その現マネージャーさんとやらに話だけ聞いて、今回の件は丁寧にお断りさせて頂こう。
そんな事を考えながら、俺はスマホを元の位置に戻し、もう片方の手でバランスを崩しかけたエコバッグを持ち直した。
その時の俺はまだ気づいていなかった。母から送られてきたメールに記載されていたトップアイドル、日高彩葉の名前に。
そして、そのトップアイドル様が俺の担当アイドルであることに……