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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

因果応報─本当に怖いのは……─

作者: 燈みつば

 最後まで胸糞悪いです。人の死や殺人についても出てきますので、くれぐれもご自身の許容範囲とご相談のうえお読みください。


 ────誰かに見られてる気がする。


 青ざめた顔で震えながら新原愛奈(にいはらまな)はそう言った。


「はぁ……? なに、ストーカーだって言いたいわけ?」


「っ、そうじゃないよ! どうしてちゃんと聞いてくれないの!?」


 悲鳴混じりにこちらを責めれば泣きじゃくる愛奈にまたか……と藤堂研吾(とうどうけんご)は嫌気が差した。


(もう別れ時だな……)


 各方面から彼氏なら心配してやれと野次が飛んできそうだがそもそも、研吾は愛奈に恋愛感情など元からなかった。

 ただ容姿が可愛くてスタイルも良くて、たんに好みだったのだ。

 けれど【好み】と【好き】は往々にして違うように、好みだからといって愛しく思うかと聞かれたら答えは否だった。


 パスタが好きといっても個人によってカルボナーラが好きだったり、カルボナーラは嫌いでも明太スパは好きだったりと、まあそういうことだ。


 そもそも研吾が愛奈と付き合うに至った経緯で一番重要だったのは、彼女が地下アイドルだったということ。

 いまはもう解散しているらしいがいくら地下とはいえアイドル。中には有名な地下アイドルもいるうえ、上手くいけば某アイドルのように芸能界へと進出する可能性もなくはない。

 だから告白されたとき、研吾はこれらを一瞬のうちに計算して承諾した。


 ……結果は想定外。いや、冷静に考えれば想定内のものだったのだが。


 告白を受けて帰宅後すぐに彼女が所属していたというアイドル名を調べた。

 するとあまり有名ではなかったのか虚言か、まったく情報が出てこなかったのだ。このネット社会で。

 良い意味でも悪い意味でもすぐにネットの波へ乗るのが令和の時代。だというのに影も形もない。


「なんだよ……これならストブロのが有名じゃん」


 ストブロとはストロベリーブロッサムの略称で、知る人ぞ知る地下アイドルだ。研吾も一時期テレビで特集されていた彼女たちのライブに行ったことがあるが、なんというか……好みでなかった。

 良く言えば素朴。悪く言えば垢抜けない田舎娘の集まりで特にスタイルが良いわけでもなければ歌が上手いわけでもない。もちろんダンスも同じ。


 ……ただ、彼女たちの人気にひとつ頷けた点はファンサがすごかったこと。

 歌の最中であってもファンから名前を呼ばれれば「はーいっ!」と返事をし、話しかけれれば曲調に合わせて答え……なんせすごかった。

 握手会でもそうだ。一般的に太った汗だくの男など気持ち悪いと思われがちだし、酷ければ汚いものを見るような目で見られるというのに彼女たちは自らのファンがそういう者でも嫌な顔もしなければ雰囲気にも出さなかった。

 それどころか自らハンカチを取り出しその汗を拭ってやるのだ。一緒に踊ってくれてありがとうと。声援聞こえてたよと。無理しないでとまで気遣ってやる。


 実際本心はどうかは知らないが、それでも他人に負の感情を悟らせない点では一流だった。

 地下アイドルなんてちょっと声をかければ簡単に遊べるだろうと思っていた自身が恥ずかしくなるほど、そこには立派なアイドルがいた。


 こんなにもすごいのにどうして広く知られていないのか不思議に思ったのは一瞬で、その理由こそが最初彼女たちに感じた自分の感想なのだと知る。

 つまり、外見だ。ストブロは容姿に優れていない。それどころか歌唱力もダンスもイマイチ。となると他の地下アイドルに人が流れてしまうのは仕方のないこと。

 彼女たちが優れている点といえばファンサ。ファンに対する真摯な姿勢のみだ。

 だからたまたまライブに行くか、自身のように邪な気持ちで足を運ぶか……ぐらいしかファン獲得の機会に恵まれていないともいえる。

 それでもちゃんとしたアイドルファンが見れば、ひと目で彼女たちがいかに優れているかわかるだろう。

 なにせ一度見ただけで研吾もその部分では、少しファンになってしまったのだから。


 だからこそ、自分の彼女が地下アイドルというステータスに惹かれて付き合うことにしたわけだが……愛奈のアイドルグループ名は出てこなかった。

 その方面に詳しい知人に聞いても知らないというのだからよほど知名度がないか、そもそも嘘かの二択だ。

 けれど本当だとしたら愛奈は十人いれば十人が可愛いというような容姿だし、カラオケに行っても歌は上手い。ダンスがどうかは知らないが某アミューズメントパークでも運動神経は良さそうだったから下手ではないだろう。

 だとすると他のメンバーも似たりよったりて構成されているはずだから、ストブロよりも知名度は高くなるはずだ。


 なのに情報が影も形もなく見当たらないということは、嘘なのだろう。


 そう断じてからもとからなかった愛奈への感情はマイナスへと傾き出した。

 これを敏感に感じ取っているのか徐々に癇癪(かんしゃく)を起こすようになってきて、ついには再びの虚言ときた。


(付き合ってらんねーよ、こんな女……)


 愛情があったとしてもウザく感じるだろうに無い自分からしたらウザいどころではない。消えてほしいぐらいだ。


「泣くなよ、鬱陶しいな。それともオレがカメラ隠して撮ってるとでも言いたいのか?」


「違う違うっ!! 本当なんだよ……っ、信じてよぉ……!」


 泣き腫らした目でこちらを見つめ慌ただしく首を横に振っても、悲痛な叫びをあげても、一度嘘つき女と認識してしまえばなにも感じない。ただただわずらわしい。


 大体にしておかしいのだ。自宅でも研吾の家でも浴室で視線を感じたり、川近くを通っても誰かに見られていると感じるなど。


「自意識過剰だろ。元地下アイドル様はファンがたくさんいて大変ですねぇー」


「どうしてそんな言い方するの……っ!? 違うのに……ッ、ほんとに違うのに……!」


 本格的に声を上げて泣き始める愛奈に嫌気も限界だ。

 いくら顔が可愛くても外見が好みでも、こんな面倒くさい中身がついてくるなら不良品だろう。よく言われる不良債権ってやつだ。結婚する前にわかってよかった。


「泣くなら他所でやれよ、近所迷惑」


「出てけって言うのっ!? 誰が見てるかわからないのに!? あたし研吾の彼女だよっ!?」


「じゃあ別れればいいだろ。お前みたいなメンドーな嘘つき女いらないし、じゃあなー」


「────ッ!!」


 バンッ!! と大きな音が玄関からするも研吾は清々しい気持ちだった。

 やっと嘘つきで面倒な女と別れられた解放感がとても心地いい。


「良かったわ、自分から出てってくれて。別れ話したらまた泣き喚いてどうなるかわからないしな」


 ニュースでも別れ話のもつれで……というのはよく見るし、ああいう面倒くさそうな男女が泣いた末に刺したりするんだろう。そういうとこが別れる原因なんだって気付けよバカが。

 研吾はそう嘲笑った。上手く自ら別れるように愛奈が誘導してくれたと言わんばかりに。


 ────だから翌日、ニュースで伝えられる愛奈の不幸に震えが止まらなかった。


「うそ、だろ……ッ」


 テレビから流れてくる無感動な声が告げる内容はどう考えても愛奈のことだった。いや違うかもしれないが、そんなによく泣きながら走る女などいるだろうか。

 事件を目撃したという複数の男女が告げる内容はどれも「泣いていた」だ。たまに異常や異様だと形容されていることもあるがみんな泣きながら走っていたと証言する。


(ここ、愛奈の家のほうだよな……。まさかアイツ……ッ!)


 ニュースの内容は川で人が溺れていたというものだった。

 たまたまいた通行人に救助され病院に運ばれたものの、未だに意識不明だという。

 事故があったという時間帯や場所から考えると、どうしても愛奈に思えてならない。

 研吾の家からまっすぐ帰宅したなら、その時間帯にはちょうど河原を通るだろう。

 それに泣きながら走ってきた女というのが、予想を裏付けている気がする。


(マジでバカじゃねーの……ッ。自分から川に突っ込んでいくなんて……!)


 ────愛奈は自ら川に突き進んだ。


 その事実が、研吾の良心をチクチクと刺してくる。

 泣き声つきの号泣だったらしく、人の目を集めていた状態で突然悲鳴をあげて嫌だ嫌だ放してと叫びながら自ら川面(かわも)に近付き……そして、沈んでいった。

 目撃者たちの意見としても誰かが手を引いているように見えたというものや、錯乱していたため酔っぱらいか麻薬中毒者ではないかとの憶測もあるが、警察は自殺と事故両面からの捜査をするとのことだ。


「やべぇ……オレのとこに来たりしないよな……?」


 研吾は愛奈が自殺をしようとしたのだと思った。

 いや、そうに違いないのだ。彼女を泣かせたのも錯乱させたのも自分だという自覚はある。いくら消えてほしいと思っていてもさすがに死んでほしいとまでは思っていなかった。ただ自分の前から“消えて”ほしかっただけで。

 だからテレビから流れてきた事実に戦慄した。背筋が凍った。全身から血の気が引いた。

 それは愛奈が自殺をしようとした事実にではなく、もし死んでいたら警察に捕まったのではないかという恐怖から。


 詳しくは知らないが自殺の場合でも後押ししたら自殺幇助(じさつほうじょ)になるし、警察がひどいと判断すれば殺人に問われる可能性もあるらしい。イジメかなにかでの自殺でそういう判断をされたことがあるとテレビで言っていたようなないような、そんな曖昧な記憶だが恐ろしくてたまらない。

 研吾は確かに死ねとは言っていない。本人にも消えろと言っていないのではないか、覚えていない。

 それに警察に彼氏だからと事情を聞かれたらヤバい。よくニュースで見る別れ話のもつれ、自身がバカにしていたあれになってしまう!


 そんな自己保身の焦燥に研吾の心臓はバクバクと激しく脈打ち、仕事は……親にまで話がいくのでは……と戦々恐々としていた。

 けれど。


 確かに警察は一応として事情は聞きにきた。だがよくあるカップルの揉め事だとわかるとアッサリ帰っていった。どうやら研吾に罪はないらしい。

 そこに安心はしたものの、しかし彼らからの視線はこたえた。あれぞまさに白い目というやつだろう。

 年嵩のいった警官からはよく泣いてる彼女を放っておいたなと呆れられてしまった。若いほうも言葉にはしなかったものの同意見だとうかがえる空気があった。


(どうしてあんな女のためにオレがこんな目に遭わないといけないんだよ……っ!)


 どうせなら死んでてくれれば……。

 自身が怯えていたことも忘れてそうとまで思う。なんとかも喉元すぎればというやつだ。実に身勝手極まりない。

 しかし研吾は本気で思っているのだ。愛奈がちゃんと死ななかったから自分は警察に事情を聞かれ、あまつさえ軽蔑した目を向けられたのだと。

 本当に愛奈が死んでいたら警察があんなアッサリ帰ることはなかっただろうし、更なる嫌悪の目を向けられることになったとも考えない。

 罪に問われないとわかりホッとしたら、今までの不安が一気に怒りへと転換されたのだ。


「あんな女死ねばいいのに……ッ!!」


 心の底から願った。口に出した。祈ってしまった。

 だからだろうか。それ以降ずっと、謎の視線に悩まされることになったのは。


 シャワーを浴びていても。河原近くを歩いていても。友人と海へ行っても。

 酷いときはトイレでさえ視線を感じる。カメラなんてあるわけもないのに。

 公共の場でならもしかしたらあるのかもしれないが、自宅でもとなると異常だ。

 ここで初めて研吾は愛奈の言っていたことを思い出した。確か彼女も同じことを言ってはいなかっただろうか。自分のように不気味に感じ、怯えてはいなかっただろうか。


 ────そう思うと途端に、この部屋が怖くなった。


 今まではなんの問題もなく寛げていた部屋。愛する我が家。

 そこが突然、不気味に思えてならなかった。


 自覚するともう身体は止まらない。いち早くこんな場所から抜け出したくて、逃げたくて、足早に部屋を後にした。

 街にでも行こう。幸い近くは繁華街だ。二十四時間のファミレスもファーストフード店もあるし、好みの女がいれば声をかけてもいい。

 時間が深夜近いということもあって自然と足は明るいほうへと向かう。


 …………しかし。


 ピチャ、ピチャ……。


 後ろから足音がするのだ。

 けれどここは人通りも多い。気のせいだ、自意識過剰だ。誰も他人のあとなんて追うはずがない。


 ピチャ……ぺた、ピチャ…………。


 ……追うはずがないんだ。今の時代、他人になんて使う時間はない。タイパ重視、自分の好きなことをするだけでも忙しいのにわざわざ他人のあとを追う? なんのために?


 ピチャ……ぺた、ぺた……ピチャッ。


(気のせいだ……気のせいっ!)


 ハッキリと足音が聞こえてきた頃、目の前に見えた光へと続く曲がり角に足は速まる。

 これで後ろの不気味な足音ともおさらばだ。そう思った。

 たとえ人にぶつかってもいいと思って急ぎ曲がった先で、びしょ濡れの愛奈を見るまでは。


「────ッ!?」


 声にならない悲鳴が出た。ガタガタと身体が震える。

 意識不明ではなかったのか。病院にいるのではなかったのか。


 また、自殺未遂をした帰りなのだろうか。


 そう思えるほどに彼女の身体はびしょ濡れで、髪も肌に張りつき、唇も青い。

 いや青いのは唇だけじゃない、全身だ。全部が真っ青なのだ。まるで……。


 ────死者のように。


「ヒッ────!!」


 今度こそ声が喉からこぼれた。

 ヤバいヤバいヤバいッ!! 声を出しちゃいけなかった気がする!

 そんな研吾の焦燥を嘲笑うように愛奈の瞳がギョロッとこちらを見た。

 黒目が白濁し、まるで焼いた魚の目のようだ。逆に普段白目の部分は真っ黒に染まっている。どう見ても普通じゃない。


 研吾は恐怖心に身体を跳ねさせて方向を変えた。光に溢れる繁華街に背を向けて、闇が支配する河原へ続く道をひた走る。

 愛奈の顔は。瞳は。

 すべてが自身への深い憎悪に染まっていた。殺してやると言っているような、強い殺意の混じる気配。

 あんなもの、これまで生きてきて一度も向けられたことはなかった。

 しかも愛奈にだ。自分にあれだけ惚れていたくせに、あの変わりようはなんなのだ。


「クソッ!! くそくそっ!」


 あんな女早く死ねばよかったんだ。いやそもそも自分が殺しておけばよかった。

 嘘つきで良いのは顔と身体だけで、面倒な性格のバカ女。

 あんなのがいてもみんな迷惑するだけで喜んだりしないだろう。ならば少し刑務所に入るだけで済むなら、こうなる前に自ら殺っていればよかった。


 もはや研吾は冷静ではない。冷静ではないけれど、抱いた殺意は本物で。

 それらが以前、自分が恐怖していたとおりになることだとまではわかっていない。

 けれど理解したところで現状の恐怖から逃れることができるなら、嬉々として研吾はやるだろう。

 そして高らかに勝ち誇るだろう。人から殺人鬼、犯罪者と呼ばれても。

 それだけの狂気を身に宿していた。


 ────しかし、だからといって後ろから聞こえる足音がなくなるかというとそんなわけもなく。


 いつの間にか件の、愛奈が自殺を試みたと思われる河原まで来ているのだがこのことに研吾は気付かない。


 ペタ……ピチャ、ぺった……ピチャ……


 頭の中まで侵食するような粘ついた水音。まるで愛奈の研吾に対する執着心を音にしたようなそれに、恐怖と怒りが更に強くなる。


「ついてくるなっ! なんなんだよ、お前はッ! 少しの間でも付き合ってやっただろ!?」


 そんなにも好きなやつと付き合える幸せを与えてやったんだから自分の言うことを聞けとばかりな勝手な言い分は、愛奈──いや、愛奈の姿をした“ナニか”の神経を逆撫でするには十分だったようで。


「来るな……来るなって言って……っ、うわああぁぁぁ……ッ!!」


 研吾の恐怖に引きつれた叫びのあとに、何か重心のあるものが川に落ちる音がした。

 ともに上がる大きな水しぶきも普段なら通行人の目を引くはずだが、今日に限って周りは閑散としている。少し先の橋のある道もそれは同様で、まるで現し世から引き離された場所にあるかのような静けさが場を占めていた。





 集中治療室にいた愛奈は目覚め、一般病室へと移されていた。

 気分転換にと開け放たれた窓から入る風にカーテンは緩やかになびき、外ではさわさわと優しげな音を立てて葉擦れの奏曲(そうきょく)が行われている。

 ベッド脇のテーブルに無造作に置かれた新聞には、あれだけ信じてほしくて愛していた研吾の訃報が記されていた。


「新原さん……気を落とさないでね。こう言ったらあれなんだけど、あなたが目覚めたのは彼が亡くなってからなの。だから、きっと彼があなたを命懸けであの世から引き戻してくれたんだと思うわ」


 心優しい看護師が悲痛に顔を歪めてそう言うと慰めるように愛奈の肩を叩く。

 これに大丈夫ですからと笑って返すも彼女は痛ましいものを見るように目を細める。


「本当に大丈夫です。だって、選ぶ男を間違えただけですから」


 にっこりと、心からの笑みを浮かべるとなぜか彼女は安心するどころか顔色を悪くして足早に去ってしまった。


「あーあ……行っちゃった。でも本当に選ぶ男を間違えたよねー……」


 ────今度は、間違えないようにしなくっちゃ。


 こんなすぐ死んじゃうような短命な男じゃなくて、あんなクズじゃなくて。ちゃんと自分を愛して信じてくれる素敵な男性を探さないと。


 でも多分、恐らく……。研吾を殺したのは、自分だ。

 記憶は曖昧でハッキリとはしていないが、夢と同じことが起こっているならそうなのだろう。不思議なこともあるものだ。

 愛奈が川に沈んだのはナニカに腕を引っ張られたからだ。ずっと自分をつけ回して、そして水辺に誘導してそのまま溺死させようとした。そうなった研吾のように。

 だが研吾を川に引き込んだのはそのナニカではなく、愛奈なのだ。


 あれがきっと幽体離脱というやつなのだろう。

 軽すぎる身体でなんとか研吾のもとに戻りたくて濡れたままの身体を引きずって、愛しい彼のもとへと帰った。帰った、のに。

 そこで聞いたのはなんとも心ない研吾の言葉で。

 悲しくて腹立たしくて。だから自分と同じ目に遭えばいいとずっとつきまとった。そうすればいつか自分への謝罪を口にするだろうと信じて。


 なのに研吾は最後の最期まで、愛奈への暴言だけを吐いて逝ってしまった。ただ一言謝ってほしかっただけなのに。信じてほしかっただけなのに。


「あたしも見る目ないのかなぁー? あんなクズ選んじゃうなんて失敗失敗。っはは! あんな男生きてる価値ないもんねぇー! 良いことしたな、あたしっ!」


 愛奈はとても心が明るかった。こんなにも晴れやかな気持ちになれたのは地下アイドルをしていた時以来か。

 自分たちのグループ名はファンの間でも箝口令(かんこうれい)が敷かれるほどで、検索にも出ないよう徹底的に情報が制限されている。

 だっていくら地下とはいえアイドルが恋愛事で刃傷沙汰を起こしているのだ。しかも当時のプロデューサーは結構な地位だったらしい警察OBと政治家も背後にいた。

 有名でなかったおかげでニュースにもならず知る人ぞ知る……という事件で済んだがそのまま続けるわけにはいかず、これに絡んだメンバーは全員解雇で無関係だった子たちはいまもストロベリーブロッサムという名前で活動している。


 ……つまり自分がアイドルを辞めているということはそういうこと。裏にいた政治家の愛人だった。

 けれどその彼は奥さんに不倫がバレ、党のお金の使い込みも問題となって内々に辞職を迫られた末に風呂場で自殺しているからもう関係はないのだが。

 たまたまストブロのライブを見に行ったらそこに研吾がいて、地下アイドル好きなら簡単に付き合えるだろう。元であれアイドルだった愛奈を無碍には扱わないだろうと思っていたのに、とんだ見当違いだった。


 ────だから、殺ったのだ。


 いつまでも謝罪を口にしない研吾。自分を棚上げにしてこちらばかり責める研吾に、罰を与えるために。


 最後のあの言葉。付き合ってやっただろうという言葉に、愛奈の心に宿る研吾への愛情はゼロになるどころかマイナスへと大きく傾いて。

 それは殺意さえも連れてきてしまった。


 だから一瞬の間に、愛奈を拒む研吾が怯えて勝手に生い茂る草で足を滑らせて川に落ちた瞬間に。這い上がろうとする研吾の身体を全力で抑え込み水の中へと沈めていた。

 途中でこのままでは死んでしまうと思ったものの、どうせ自分を拒み続けるなら……他の女のものになるなら……と考えたら止まらなかった。

 苦しんでもがく研吾の顔が醜くなればなるほど、うっとりするような高揚感に包まれ自分が止められなかった。

 これで研吾は自分のもの。永遠に自分だけのものでいると思えば愛しくて愛しくて、楽しくて愉しくて……。

 ……そうしたら、いつの間にか動かなくなっていた。


 動かない研吾なんかに興味はなくて。近くにいた例の政治家が顔を強張らせてるのに気付いて、あたしの愛してる人はこの人だけだと呟いたらどっかに行ってしまった。

 彼も彼で愛奈に向ける愛情が軽かったのだろう。だから奥さんに責められて、仕事を失いそうになって死んでしまった。やっぱり自分は選ぶ男を間違えまくっている。


「今度は……優しくて穏やかな人がいいなぁー」


 あんな風に……と口端を不気味に持ち上げ見つめるのは窓の外。

 晴天の中を車椅子に乗ったおばあさんと一緒に散歩しているまだ若い看護師の青年を見つめ、愛奈は舌なめずりした。

 

 


 お読みくださり誠にありがとうございました。

 もし宜しければ出来について知りたいので、評価など頂けましたら幸いです。

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