第9話 素人質問で恐縮ですが的な
さすがに最丈会長の眉がピクリと動く。
「あなたにだって、解けない問題があったでしょう。天上院さん」
「はい、わたくしの解答には間違いがありました。だって、文学、言語、歴史という、概念はあまりに解釈がファジィなんですもの」
「え、えっと……?」
「でも、数学も物理も宇宙共通の法則に基づくものでしたから問題ありませんでしたわ」
「?? つまり、帰国子女の天上院さんからしてみれば、ハンデの中で頑張ってらっしゃるのでしょう、ね?」
話が通じているようで、通じない。最丈会長は混乱し始めている。
「いえ、わたくし個人としてはハンデとは思っておりませんのよ。異文化における知識体系の多様性を理解することは、非常に興味深いことですから。特に『国語』という教科は、ロジックよりも情緒的共感を重視する傾向にあり、わたくしの理解を超えたアルゴリズムで構成されているようですわ」
「……アルゴリズム???」
会長の口から、力が抜けたように言葉がこぼれる。
そうだろ、会長。俺も最初、何を言ってるのか全然わからなかった。今もわからんけど。
「例えば、そちらのプリントをご覧くださいな」
エリー・アンは生徒会室に貼り出してあるプリントを指差した。
「あれは……我が校の『学校だより』最新号」
エリー・アンからカシャ、カシャという音が微妙に聞こえる。まさか、琥珀瞳で今まさにスキャンしている……? いや、気のせいだと思いたい。
「はい、わたくし、隅から隅までお読みしましたわ」
「……私が生徒会長として、今月の巻頭言を書きました。テーマは『伝統と革新』、我が光川高校の輝かしい歴史と、これからの未来への展望について、想いを込めて綴りましたが」
「サイジョウ会長さん。このテクストは、感情に訴えかけるレトリックを使って、生徒たちの帰属意識を高めるプロパガンダの一種、と分析できますわね」
「プ、プロパガンダ!?」
会長が椅子からずり落ちそうになっている。無理もない。
俺も胃薬が欲しい、誰か、今すぐっ!
「あ、あのな、天上院! それは会長が、学校をもっと良くしようっていう熱い思いをだな」
俺はたまらず口を挟むが、エリー・アンは我関せずと続ける。
「しかし、サイジョウ会長さん。わたくし、疑問が一つございますの」
「……な、なんでしょうか」
「この『伝統』という概念ですが、これは過去の成功事例の蓄積であり、変化を拒む保守性の発露とも解釈できますわよね? 一方、『革新』は既存システムの破壊と再構築を意味し、時には混乱を招く危険性を内包します。この二律背反する概念を、貴方はどのように両立させようとお考えですの? 具体的な方策と、その有効性をロジカルにご説明いただけますかしら?」
エリー・アンは早口で言ってのけると、首をこてんと傾げた。純粋な疑問、という顔で。
しかし、問いの内容は、まるで大学の論文発表会のような専門性と鋭さだ。
「そ、それは……その……両者の良さを取り入れ、より良い方向へ……」
「『より良い方向』とは、どのようなビジョンを指しますの?」
「び、びじょん……?」
「その良いの評価基準は? 伝統におけるなにを保持し、革新としてなにを導入するかの選定基準は? そこには優先順位が存在するのでしょうか? 過去の成功事例から、どこを学び取るのでしょうか?」
「基準……順位……?」
だめだ、会長が完全に情報量に圧倒されている! もはや、虫の息じゃないか。
ていうか、エリー・アン、お前、学園に来てまだ1~2ヶ月とかだよな? なんでそんなディベート強者みたいになってんだよ!
「わ、私は……この学園を、愛しているので……生徒たちの手で、より素晴らしい場所に……」
「『愛』とは非常に興味深い感情ですわ。特定の対象への非合理的な執着と献身。この感情が、集団の維持発展にどのような影響を与えるのか、わたくし、まだ研究途上の分野ですの。あなたの言う『愛』が、 伝統と革新のなかでどう作用するのか、無知なわたくしに教えてくださいますか?」
最丈会長は、顔面蒼白で、口をパクパクさせている。完全にキャパオーバーだ。
まずい、このままでは生徒会長がショートしてしまう! というか、たぶんショートしてる!
てか、それ、素人質問で恐縮ですが的なやつじゃねえか!
「て、天上院っ! ちょっと待て! 会長は、別に論文を発表してるわけじゃないんだぞ! 生徒会長として、みんなに熱意を伝えたかっただけなんだよ!」
「ですがリツ。熱意だけでは、問題解決には繋がりませんわ。だから、わたくしは、どのような基準で意思決定プロセス、思考がをなされてるかをチェックしているだけです」
「だから、お前の合理性の追求が、人間には時々トゥーマッチなんだよ!(言葉がうつってる)」
俺が必死にエリー・アンを止めようとしていると、生徒会室の隅で、ずっと黙って本を読んでいた人物が、ふと顔を上げた。
書記の藍生川 晶だ。三つ編みに分厚いレンズ、いつも本の世界に没頭して、あまり喋らない彼女は、なぜか静かに口を開いた。
「……面白い、ですね。天上院さんのお話」
え、藍生川さん!? 今、面白いって言った!?
「天上院さんの視点は、まるで……違う星から来たみたい」
核心を突くような藍生川さんの言葉に、俺は冷や汗がどっと噴き出す。
エリー・アンは、藍生川さんの方を向いて、興味深そうに琥珀瞳をまたたかせた。
「あら、貴女は……」
「藍生川、藍生川 晶。……あなたと同じ学年」
「アオイカワ・アキラさん。貴女も、わたくしの考察に興味がおありですの?」
「はい。特に、『感情』という非論理的な要素が、どうやって高度な社会システムを維持するために役立っているのか、とか……そのメカニズムに」
藍生川さんは、ひっそりと熱のこもった目でエリー・アンを見つめている。
まずい、こっちにも変なフラグが立ちそうだぞ!
「そのお話、もっと聞かせて欲しい ……つまり個人的に」
「ええ、もちろんですわ。わたくし、知的好奇心の旺盛な個体はサンプルとして歓迎いたします。では、後ほど図書室で、この惑星における社会構造と、各文明との比較文化論について、ディスカッションいたしましょうか?」
「ぜひ……!」
キラキラと目を輝かせる藍生川さん。
一方、完全に置いてきぼりを食らって、顔が青から白へと変わっていく最丈会長。
俺は、もう……どうにでもなれ、という気分だった。
佐倉 律の胃は、今日も元気に悲鳴を上げている。