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第3話 歯車が狂う音

 俺は自分の目を疑った。

 二度、いや、三度見くらいした。なんならメガネを外して拭いて、もう一度かけ直した。

 だが、目の前の光景は変わらない。

 

「ガリガリガリッ!ゴクン。 ふぅ……」


 やっぱり、天上院エリー・アンが、あの硬そうな電柱に、リスがクルミでも齧るかのように、思いっきりかぶりついている。

 しかも、なんだかこう、恍惚とした表情で。


「なっ! て、天上院っ!? あんた、そこで何やってるんだ!?」


 思わず叫んでしまった。完璧な日常が一瞬で崩壊する。ガラガラと。

 エリー・アンは、ゆっくりとこちらを振り向いた。目が合う。

 ……数秒の沈黙。カラスがカァ、と鳴いた。


「あらあら。サクラさん、でしたか。ごきげんよう」

「ごきげんよう、じゃなーーーーいっ!! 電柱だぞ!? それ、食べ物じゃないだろ!?」


 口元には、コンクリートの粉らしきものが僅かに付着している。

 俺の必死のツッコミにも、エリー・アンは首を小さく傾げるだけだ。


「そうですの? わたくしのデータベースによれば、これは『第二種電柱』という名称の構造物。内部には高濃度のエネルギーラインが敷設されており、非常に効率的なエネルギー供給源なのですが……摂取は推奨されておりませんでしたか?」

「当たり前だろ! 人間は電柱なんて食べない!というか、エネルギーってなんだ!?」


 エリー・アンは不思議そうに目をぱちくりさせた後、ポン、と手を打った。


「ああ、なるほど。『人間は食べない』ですか。これは……地球の文化を誤解していました。てっきり、エネルギー補給をどこでもできるようにする配慮かと」

「ち、地球の文化?」

「……そうですか。どおりですこし食べにくいと思ったのです、かなり根本的な間違いをしてしまったようですわね」


 思案を続けるエリー・アンのオレンジ色の瞳。それがなにかを見定めるように、微かに揺らめいた気がした。


「実はわたくし、あなたの星で言うところの『エイリアン』なのですわ」

「……は?」


 俺は思考が停止するのを感じた。エイリアン? 目の前のこの美少女が?


「もはや、隠しても無駄ですので、正直にお話してしまいますね。……そうですか、電柱はエネルギー補給のものではなく、地球人にこの摂取方法は不可能。だから効率の悪い食事をしている、と。それは盲点でした」


 「文化様式のポーズ的範疇かと思ってました」と、頷くエリー・アン。

 いやいやいや、待て待て待て。落ち着け、佐倉律。これは何かの悪い冗談だ。そうだ、きっとこれは手の込んだドッキリか何かで……。


「わたくしの故郷では、このようなエネルギー摂取は一般的ですのよ。もっとも、地球の電柱は、予想以上に風味豊かで……特にこの6600ボルトの高圧線から漏洩する電磁波のハーモニーは、なかなか乙なものでしたわ」

「風味豊かって、電柱が!?」

「いえ、電磁波のほうですわ。低圧線はちょっといまいちで」

「聞いてねえよ、そこは!!」


 混乱する俺の頭をさらに殴りつけてくんな!

 人間の所業じゃないな、とはすぐに思ったけどな!


「いやぁ、待て待て。まだ諦めるな、俺。ほら、だって見た目がちゃんと人間じゃん! こんな宇宙人いねえよ、さすがに!」 

「……ああ、見た目ですか。それはこの通り」


 エリー・アンはそう言うと、ふっと息を吐いた。

 次の瞬間、俺は信じられないものを目の当たりにした。

 彼女の指先――いや、指先だけでなく、腕全体が、まるでスライムのように形を変え始めたのだ。

 美しい人間の肌の質感が失われ、代わりに現れたのは、淡いオレンジに輝く、半透明の液体のような何か。それはグニャリと形を変え、あっという間に細長い触手のように、ひょろりと伸びて電柱の表面に吸い付いた。


 ジュゥ……と微かな音がして、電柱の表面から糖蜜を吸い上げるように、青白いエネルギーのようなものが触手に吸収されていくのが見えた。

 そして、触手は元の美しい腕の形へと戻る。何事もなかったかのように。


「ひぃっ!?」


 思わず、俺は悲鳴を上げ後ずさった。腰が抜けそうだった。


「このように、『人間型(ヒューマノイド)』の外見は、あくまで地球環境に適応するための擬態。わたくしの真の姿は、もっと流動的ですわ」


 夕日の下で、エリー・アンは上品に微笑むと、今度は自分の頬にそっと指を触れる。

 すると、指が触れた部分から、頬が波打つように揺らぎ、一瞬、透き通ったオレンジへと変わる。

 すぐに元の美少女に戻った。俺にはその光景が不気味でありながらも、どこか神秘的にすら思えて、頭に焼き付いて離れなくなる。


「どうでしょうか。これで、わたくしが『ただの風変わりな帰国子女』ではないと、ご理解いただけましたか?」

「あ、ああ」

「よかった。……わたくし、とっても困っておりましたの」


 エリー・アンは、ふわりと近づいて来ると、その細い指を俺の胸にトン、と当てた。ひんやりとした感触がした。


「佐倉さん、実はわたくし、困っておりますの。……頼みを聞いてくださるかしら?」


 にっこりと、天使と間違えそうな無垢な顔で、悪魔のような甘いささやき声。琥珀瞳(アンバーアイ)が意味ありげにキラリと光る。

 明らかに、俺の人生の歯車は狂い始めていた。

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