第13話 みんなとお祭りを学びたい
日が西の山に隠れ、空が藍色に染まり始める頃。
駅を降りた瞬間から、むせ返るような人ごみと、炭が焼ける香ばしい匂いする。そして遠くから聞こえるお囃子の音が、ワクワク感を演出した。
はぐれないようにと、互いに目配せ。そんな中でも、今日のためにと、イチカがどこからか調達してきた可愛らしい浴衣は、人混みの中でもひときわ目を引いた。
もちろん、これは女子たちの話だ。
「この『浴衣』及び『下駄』という装束は、歩行におけるエネルギー効率が著しく低いですね。デザイン性は高いですが、実用性に欠けるのでは?」
「そういうものなの! 海外じゃこういうの着れないんでしょ、日本の思い出作りよ」
イチカはそう言って、エリー・アンの乱れた帯を直してやる。なんだか妹を見守る姉みたいだな。
「イチカさん、いつも細やかなお心遣い、感謝いたしますわ」
「はあ!? 別に、アンタのためとかじゃなくて、あたしが落ち着かないからしてるだけだから!」
なんでいつもそうやって怒鳴るんだよ。素直に「どういたしまして」くらい言えばいいのに。本当にイチカは素直じゃないやつだ。
しかし、この浴衣娘が二人並んで歩くと、なかなか華やかで悪くない。
エリー・アンは長いベージュの髪を綺麗に結い上げ、ガラス玉の簪で上品に留めている。
イチカは、俺がいつだったか、俺がプレゼントした安物の花の髪飾りを、今年も大事そうにつけていた。
「ん、なによ、律。人の顔じろじろ見て。なんか文句あんの?」
「いや。今年も似合ってるなって」
「はぁああっ!? 別に褒められても嬉しくないんですけど!」
「褒めなかったら褒めなかったで、すねるくせによく言う」
いつものやりとりをしながら、俺たちは歩き始める。
祭り会場に着くと、エリー・アンは、物珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡し始めた。琥珀色の瞳が、色とりどりの屋台や、楽しげな人々の喧騒を映してキラキラと輝く。
「おお……これは、なんというエネルギー密度! 視覚、聴覚、嗅覚、あらゆる感覚器官に情報が洪水のように流れ込んできますわ!」
「そりゃまあ、お祭りだからな! 思い切り楽しもうぜっ!」
「見てみて、エリーちゃん! 金魚すくいだって。やったことある?」
イチカが指差す先には、涼しげな水の音がする水槽と、赤い金魚を追いかける子供たちの歓声があった。
エリー・アンは、興味深そうに覗き込んだ。
「キンギョ……フナ科の淡水魚。この薄い和紙の道具で、敏捷な魚類を捕獲するのですか? 合理的ではない捕獲方法に見えますが……」
「それが面白いんじゃんかよ! やってみようぜ!」
「面白い……ですか。ならば、わたくしやってみましょう。制約条件下における目標達成への挑戦、ですね」
拓郎に背中を押される形で、エリー・アンもポイを手に取る。
そして、エリー・アンは水面ギリギリにポイを構えると、その琥珀瞳を明滅させ、精密機械のように最適な角度でポイを動かすと、次から次へと金魚を掬い上げていく。あっという間に、用意されたお椀が金魚でいっぱいになった。
「大漁大漁、でございます」
「お、お嬢ちゃん、すげえなっ! まさか、プロか!? プロの金魚すくい師か!?」
屋台のおじさんまでも、唖然としている。
だが、当のエリー・アンは、悪びれる様子もなく、いつもと変わらぬ涼やかな微笑みを浮かべている。
「いえ、この遊戯の最適解をシミュレートした結果、この動きが最も効率的であると算出されましたので。思ったより簡単ですわね、この『キンギョ・ムーブメント・予測システム』は」
「何言ってんだお前は! 周りの子供がドン引きしてるだろ!」
俺は慌ててエリー・アンをその場から引き離す。イチカは「もう、エリーちゃんったら……でも、やっぱりすごいわね」と感心とも呆れともつかない表情だ。
「それで、イチカさん。この金魚という魚類はどのように調理するのですか、食べるには小さいように思いますが、貴女の優れたクッキングスキルならば……」
「金魚なんか食べるわけないでしょ! さすがのあたしだって、金魚料理のレパートリーはないわよ! これは観賞用!」
「たべ、ない? ……ならば、なぜわたくしに捕まえさせたのですか?」
「な、なんでって言われても。……そういう、遊びだからとしかいいようがないじゃない」
「なるほど、捕食を目的としない、純粋な狩猟行為を遊戯にする文化。つまり、自己の優位性を確認し、本能的欲求を安全な形で満たすための代償行為なのですね。非常に興味深い精神構造ですわ」
「その殺伐とした言い方やめてくんない!?」
その後も、エリー・アンの人間離れした「お祭り満喫」、つまり奇行は続いた。
タコ焼き屋の前では、「このボール状の食物は、小麦粉を主成分とする生地に、タコという頭足類の筋肉組織の断片を混入し焼き上げたもの。ソースの粘度と糖度、鰹節の粒子サイズ、興味深い調理法ですわ」と、白衣でも着込みそうな勢いで分析を始め、並ぶ客たちを困惑させた。
射的では、銃口のブレをマイクロ秒単位で補正し、初速と弾道を計算。さらに謎の理屈で火力を引き上げ、百発百中で全ての景品を撃ち落とし始めた。
「お嬢ちゃん、もう、マジでご勘弁を! 店が潰れちまう!」と強面のおっさんに半泣きで懇願される始末。
「おい、天上院。明らかにコルク弾じゃ落とせないようなデカい景品まで落としてたぞ、今」
「景品として陳列されている以上、それは獲得可能な対象物であると認識するのが論理的です。だから、あれはすべて落としても構わないものなのですわ」
「……いや、それは、まあ、理屈としてはそうなんだが」
そんな騒動の横で、拓郎が大きなクマのぬいぐるみを嬉しそうに抱えている。
「つーか、エリーちゃん、こんなデカいの、オレが本当に貰っちゃっていいわけ?」
「はい。先ほど、タクローさんがタコ焼きを教えてくださったお礼ですわ」
「やっりぃー! エリーちゃん、優しいし、頭いいし、本当にいい娘っ! コレ大事にすっからな!」
お前がそんなファンシーなぬいぐるみ抱えてどうするんだ、と思わなくもないが、まあ拓郎はなんでも貰えば喜ぶよな、と納得した。
途中、偶然にも藍生川さんが合流し、エリー・アンと「この雑踏は、個々の人間の自由意志の総体が生み出す、一種の複雑系カオス。一見無秩序に見える群衆の動きも……」などと、人混みそのものを分析し始め、俺やイチカ、拓郎は顔を見合わせて、そっとその場から距離を取るしかなかった。