表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

第12話 望みがあるなら聞いてやる

 ありふれた放課後の帰り道、エリー・アンはいつもと変わらぬ涼やかな表情で、爆弾を投下した。


「佐倉リツ。――わたくし、長くはこの星にいられませんの」


 それは生徒会の帰りだった。

 イチカも拓郎も先に帰っていたから、やっぱり、俺とエリー・アンは二人きりだった。

 夕風が、エリー・アンの長いベージュの髪を柔らかく揺らしている。その横顔は、いつもより影を帯びて見えた。


「は? 何言ってんだ、天上院。冗談はよせよ、また新しい奇行のネタか?」

「いいえ、極めて論理的な事実の伝達ですわ」


 わかってる、そもそも冗談を言う習慣は、エリー・アンにはない。

 いつか来るとは思っていた。彼女がエイリアンである以上、永遠にここにいるわけがないと。それでも。


「この『人間型』という擬態形態は、非常に高度な生体シミュレーションであり、莫大なエネルギー供給と、形態パターンの再調整が必要不可欠なのですわ。すでに、リミットが近づいておりますの」

「調整……って、まるで機械みたいだな」

「ええ。わたくしの故郷の星系にある、専用の調整施設への帰還、とでも申しましょうか。このままでは、あと数日もすれば、わたくしはこの形態を保てなくなり、本来のスライム状……いえ、より安定した休眠形態へと移行してしまいますわ」

「……お前が大人しくなるのは、いいことだけどな」

「残念ながら、休眠状態に入ると思考もままならず、記憶の連続性も保証されませんのよ。観察データも、そこで途切れてしまいます」


 淡々と、まるで天気予報でも読み上げるかのように語るエリー・アン。

 だが、その声には、いつものような論理的な響きだけでなく、微かな……本当に微かな揺らぎがあるように感じられた。


「そっか……帰っちまうのか、お前の故郷に。あの、なんだっけ、エックス・ファクターなんちゃら、ってとこに」

「然るべき処置ですわ。ミッションの初期調査フェーズは、概ね完了しましたし。良いタイミングだと判断します」


 エリー・アンが、エイリアンだと知った日。あの日から俺の完璧な日常は崩壊した。予測不可能な奇行に振り回され、クラスメイトの前で赤面し、胃薬が手放せない日々。何度頭を抱え、何度「いい加減にしろ!」と叫んだか、もう分からない。

 それなのに。

 今、俺の胸を締め付けているのは、安堵ではなく、どうしようもない喪失感だった。


「何か、俺にできることはないか?」


 絞り出すように言った。迷惑だった、ぜんぶ全部。

 でも、もう電柱を齧る彼女を見ることも、奇妙な食レポを聞くことも、とんでもない論理で周りを煙に巻く姿を見ることも、できなくなるのか。そう思うと、自然に言葉が出た。


「地球にいる間に……やりたいことがあるなら。俺にできることならしてやるよ。望みがあるなら、聞いてやる」

「わたくしの、望み、ですか?」


 エリー・アンは、驚いたように目を見開いた。まるで初めて聞く言葉のように、その響きを確かめているようだった。

 それからゆっくりと視線を伏せた。長いまつ毛が頬に影を落とす。


「佐倉リツ、貴方には何のメリットもございませんよ? 時間的リソースの無駄遣いですわ」

「わかってるよ。俺は……俺たちは、いちいちそんなもんで動いてねえの」

「わたくし、あなたの血縁どころか、種族も違いますわ。そもそも生命としての定義も、きっと」

「わかってるって。何度も言わせるな」

「……わたくし、貴方が困ってる時に、助けて差し上げられませんわ」

「いらねえよ。いいから……なんか、あるんだろ」


 エリー・アンは、顔を上げて俺をまっすぐに見つめた。オレンジ色がかった琥珀の瞳が、いつもより深く、切なく揺らめいている。


「そうですね……わたくし、まだ知らない『地球の文化』がたくさんありますの。もし、許されるのであれば……リツ」

「ああ」

「貴方と……いえ、貴方たちと一緒に、『お祭り』というものを体験してみたいですわ。たくさんの屋台が軒を連ね、夜空には花火が上がり、老若男女問わず、人々がその非日常の喧騒を心から楽しむという、あの現象を」


 お祭り。それは、確かに彼女がまだ経験したことのない、日本特有の文化の一つだった。多くの人々が、理屈抜きに熱狂し、感動を共有する空間。

 それはきっと、彼女にとって未知の領域。


「なんだ、そんなものでいいのかよ。週末には、隣町で大きなお祭りがあるはずだ。一緒に行こう。拓郎やイチカも誘って」

「……はいっ!」


 エリー・アンの顔が、ぱっと明るくなった。それは、これまで見たどの笑顔よりも、無邪気で、人間らしいものに見えた。たとえそれが、地球人そっくりの「作りもの」だとしても。

 それから週末、俺たちは電車に揺られ、隣町の夏祭りに向かう。いつもより高い声で、イチカが俺の隣でぼやいた。


「ぶぅー、いつもなら律とあたし、二人で行くのが恒例行事だったじゃん。なんで今年はこんな大所帯なのよ」


 口ではそう言いながらも、その紺色のツインテールは、どこか楽しげに揺れている。


「なんだよ、みんなで行くの嫌なのかよ。アメリカにはない文化を、天上院が楽しみたいってんだ、一人じゃ可哀想だろ」

「嫌とかじゃ……ないけど。 はあ、そうだね、律の言う通りよ……今回は、ね」


 なぜか、イチカがため息をついた。

 一方、拓郎は屋台の食べ物について、身振り手振りを交えながらエリー・アンに熱弁している。


「あのさー、わたあめってのがあってさ! 雲みたいにふわっふわで、口に入れるとシュワーって溶けるんだぜ! あと、イカ焼きとかタコ焼きとか、ソースの匂いがたまんねえんだよ!」

「わたあめ? 綿とは繊維のことではないのですか? イカとタコはわかりますわ、図鑑で見ました」

「ちがうちがーう、ふわふわしてる飴があんの。あ、もしかしてエリーちゃん、イカとかタコとか、食べないの? そっか、カリフォルニアじゃ馴染み薄いのかもな。オレがうまい店、教えてやんよ!」

「わあ、ありがとうございます! タクローさんは優しいですね!」


 こいつらは、いつだってすぐに意気投合するなあ。良い意味でも悪い意味でも。お互いにブレーキ役にはならないのが玉に瑕だが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ