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第1話 エリー・アンがやってきた

 すべては電柱に齧りつく女を発見したせいだった。


 それまで、俺、佐倉 律(さくら りつ)の高校生活は、まさに完璧だった。

 朝は6時ジャストに起床、顔を洗い歯磨き、決まったルーティン。

 寝癖一つない髪、アイロンのかかったシャツ、磨かれた眼鏡。朝食は毎日同じメニュー。

 寸分たがわず、同じ時刻の電車に乗り、移動中に英単語帳をめくる。

 乱れなき日常。秩序こそ世の理。

 友人たちからは「真面目か」「堅物」「もはやロボットだろ」などとありがたいお言葉を頂戴するが、俺にとってはこの完璧な日常こそが、心の平穏を保ち、有意義で生活を満たすための習慣。これこそが最善の人生だ。

 変化といえば、スクールランチの日替わり弁当のメニューくらいなものだった。

 そう、少なくとも昨日までは――。

 

「おーっす、律! 今日も早いな!」


 教室の扉を開けると、いつものように親友の石川 拓郎(いしかわ たくろう)が快活な声をかけてくる。

 考えるより先に体が動く典型的な体育会系だが、なぜか俺とはウマが合う。いいやつだ。


「おはよう、拓郎。お前こそ、今日は珍しく予鈴前に来ているじゃないか」

「おう! なんか朝早く目ぇ覚めちまってさ! 思わず、ランニングして隣町まで行っちまったぜ」

「……元気すぎるだろ」


 そんなだからいつも遅刻するんだぞ、お前。

 能天気なタクローとは対照的に、俺は既に今日の授業の予習内容を頭の中で反芻し始めている。


(そろそろ数学の小テストがありそうなんだよなあ)


 先生がおこなう抜き打ちテストのタイミングも、予測済み。そこに隙は無い。

 そこへ、ツインテールを揺らしながら、幼馴染の花村 苺香(はなむら いちか)がやってきた。


「ちょっと律、あんたまたこんな朝早くから小難しい顔して。無理してんじゃないでしょうね? ったく、もうすこしくらい肩の力抜きなさいよ」


 口は悪いが、こいつなりに心配してくれているのは分かっている。ただ、俺にとっては計画通りに物事が進むことが、何よりの安心なのだ。


「おはよう、イチカ。悪いが、俺はこれで普通なんだ」

「ふんっ、変なヤツ。 ……もうちょっと遅く家を出てくれてもいいのに」


 イチカがぷいとそっぽを向いたその時、担任の江西先生が、いつものように眠そうな目で教室に入ってきた。

 ネクタイは曲がり、Yシャツの襟もとからは、昨晩着たまま寝たのではないかと疑わせる雰囲気が漂っている。


「はい、お前ら席つけー。今日はちーっとばかし、紹介したいヤツがいる」


 珍しく面倒くさそうな顔の中に、好奇の色が混じっているのを、俺は見逃さなかった。


 ガラリ、と教室のドアが再び開く。

 そして、そこに立っていた人物に、クラス中の誰もが息を飲んだ。


 陽の光を浴びてキラキラと輝く、上品なベージュ色のロングヘアは絹のように滑らか。どこかの国の王族かと思わせるような、整いすぎた顔立ち。小柄ながらも、モデルのようにスラリとしたスタイル。

 何より、その佇まいから醸し出される圧倒的なまでの気品。オレンジがかった琥珀瞳(アンバーアイ)が、俺たちを興味深そうに見渡した。


「皆様、ごきげんよう。本日よりこちらのクラスでお世話になります、天上院エリー・アンと申します」


 鈴を転がすような、とはまさにこのことだろう。彼女が微笑むと、男子生徒からは感嘆の声、女子生徒たちすらもその完璧な美貌に目を奪われてため息。


「アメリカのカリフォルニア州パサデナより参りました。どうぞ、エリーとお呼びくださいまし」


 俺、佐倉律は思った。――こいつは、俺とは住む世界が違う人間だ、と。

 ……いや、ある意味、合ってたんだが。


「ぱ、ぱさでな? ってどこだ。外国? なあ、おい。律、わかる?」

「ばか、アメリカって言ってたでしょ」


 拓郎のとぼけたセリフに、イチカがツッコミを入れていた。

 授業が始まってなお、エリー・アンの完璧っぷりはとどまることを知らなかった。事の起こりは、抜き打ちの数学の小テスト。


「くっそ、また抜き打ちテストかよ。もーっ!」


 拓郎がぼやくが、俺は完璧に予想していたので、何も焦りはしない。


「というか、拓郎の場合、抜き打ちじゃなくても勉強しないだろ。潔くいつもの実力を発揮しろ」

「いつもどころか、実力なんて最初からねえんだよ、オレには!」

「だから。遠回しに普段から勉強しろ、と言ってるのだが?」

「でも、オレはオレの道を行く! それがオレの生きざまだからっ!」


 きりっとした顔で何を言ってるんだ、こいつ。偏差値の底で沈め。


「よーし。準備できたか、それじゃ始めろ」

「……先生、よろしいでしょうか」

「あ? なんだ、天上院。質問か?」

「いえ、もう出来ましたの」


 ざわつく教室。おい、まて。さすがにそれはおかしいだろ。


「は? ……だけど、まだ数分も経ってない、ぞ?」

「でも、出来ましたの」


 言われたので仕方なく、答案を見る江西先生。しかめっ面になる。


「あー。途中式が一切書かれてないけど……たぶん、合ってんな」

「ウソだろ、先生っ! 俺にも見せてくれっ!」

「こらっ、一応、小テスト中……はあ、やれやれ。ってお前らまで!?」


 俺は思わず、解答用紙を奪い取る。

 たぶん、じゃない。確かに、複雑な計算問題を、すべて暗算で解き終えたとしか思えないが……いや、いくらなんでも早すぎる。

 

 教室は大騒ぎだった。「まじかよ、ありえねー」「え、そんな人って本当にいるの?」「すっげ! とにかくすっげぇっ!」「タクローうるさい」ともはや小テストをする状態じゃない。

 エリー・アンは、そんな騒ぎをどこ吹く風とばかりに、涼やかに眺めていた。


「あら、わたくしとしたことが。そうですか、数式を省略するのは変、なのですね。次からは気を付けますわ」


 なんて悪びれる様子もない。嫌味か。

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