第98話 日常
会社の始業時間は9時。でも最近は、なるべく早く出社するようにしている。
いや、勤勉なわけじゃない。
単に、他に社員もいないし、早めに仕事を片付けておけば後が楽だからだ。
今日もいつものように、大樹の部屋へ向かい、薬草の採取をしていた。
この部屋は社内にある温室のような空間で、中心には巨大な樹がそびえ立っている。
一通り採り終えたあと、部屋の中央で立ち止まり、大樹の幹にそっと手を当てる。
すると、スッと清らかな水が体に染み込んでくるような感覚がした。
「おはよう」
意識せずに零れる言葉。もちろん、大樹が返事をするわけじゃない。
でも、なんとなく言いたくなるのだ。
採取した薬草を入れた籠を手に部屋を出ようとすると——
ちょうど入れ違いに、オフィーが大剣を肩に担ぎながら入ってきた。
彼女は今日も相変わらずスウェット姿だ。
「おはよう」と声を掛けると、大きなあくびをしながら「おはよう。早いな」と気怠げに返してくる。
彼女は毎朝ここで素振りをするのが日課だ。
これも、俺にとっては「いつもの風景」。
俺は、あの悪夢のような異世界の旅から帰ってきて、ごく普通の日常を大事にしようと心掛けている。
というのも——。
入社してたった一ヶ月で、手首を切られ、世界的傭兵組織に狙われ、さらには異世界で王城をぶっ壊した。
……いや、どう考えてもおかしいだろ。
だからこそ、俺は今、全力で「普通の生活」を満喫している。
そんなことを考えながら、車に荷物を積み込んでいた。その時——
「アレー、森川くん、納品?」
梢社長がのんびりと声を掛けてきた。
「はい。何かありますか?」
「ううん、別にないよ。気をつけてね」
「ついでに、昼食取ってきても良いですか?」
「了解でーす♪ いってらっしゃーい」
ゆるい社長の見送りを背に、車に乗り込もうとした、そのとき——
ガシッ!!
肩をガッチリと掴まれた。
「森川~、お前ひとりで昼食とろうとしたな?」
振り向けば、ニヤリと笑うオフィー。
「納品ですが何か?」
「約束、忘れてないよな?」
——何のことでしょうか? オフィーさん……。
「お前、言ったよな? 王都に乗り込む前に、あの丘で——『そっか、そん時は昼飯代ぐらいは奢るよ』って!」
「ごめん、よく覚えてないんだけど……そんなこと言った?」
「言った! 『そっか、そん時は昼飯代ぐらいは奢るよ』って!」
……おい、その絶妙な声真似やめろ。
しかも微妙に眉を下げて情けない顔で演出するのやめてくれます?
「あー、あの時は、そんな感じのシチュエーションだったし……雰囲気で言ったかもな」
「いーや、確かに貴様は言った!」
「いや、だから、あの時はノリで……」
僕が抵抗しようとすると、オフィーは食い気味に連呼しだす。
「『そっか、そん時は昼飯代ぐらいは奢るよ』」
「『そっか、そん時は昼飯代ぐらいは奢るよ』」
——狂ったオウムか!
こういう時のオフィーは、妙に記憶力がいい。
普段は「細かいことは気にするな!」とか言うくせに、こういう約束だけは絶対に忘れないんだからタチが悪い。
「……わかりました! わかったから、ピンク亭でいい?」
諦めて言うと、オフィーは満足そうに頷き、「よろしい!」とドヤ顔で腕を組む。
……これでも彼女、公爵令嬢なんだが。
結局、オフィーを連れて納品することになった。
僕は車で一通り納品ルートを回り、その足でピンク亭へ直行。
カウンターに並んで席に着いた。
「ニンニクマシマシ、スタミナラーメン二つ!」
オフィーが店主に大声で注文する。
「おい、僕の分まで勝手に決めるな」
「細かいことは気にするな。戦士たるもの、精をつけるのは義務だろうが!」
「……戦士じゃないんだけど」
そんなやり取りをしつつ、出てきたラーメンをズルズルとすする。
ふと視線を上げると、カウンターの向こうでタイショーが眉をひそめていた。
相変わらず、ロンパンにTシャツの上からエプロンを着た姿は、筋肉が主張しすぎて裸に見える。
見た目はゴリゴリのマッチョなのに、口調は妙に柔らかい。
「まあまあ、そんなにイライラしちゃだめ! ほら、これあげる」
ポイッと投げられたのは、広原商店街の福引券。
「……福引券って、年末にはまだ早くないですか?」
「この商店街は秋の行楽シーズンを活かして、『冬の準備セール』的なキャンペーンをやってんのよー」
地元密着型とはいえ、ここの商店街は意外と規模が大きい。定期的に派手なイベントをぶちかましてくる。
——ほんと、何気にここの商店街ってド派手だよな。
「ちなみに、一等賞は?」
「世界を股にかける豪華クルーズの旅!」
タイショーが自慢げに胸を張る。
「それ……嫌な予感しかしない」
間違いなく、何かのフラグになる。
例えば、船に乗ったら傭兵部隊に占拠されるとか、海に出たら異世界のバミューダトライアングルに迷い込むとか……。
——どうせロクなことにならないに決まってる!
なにしろ、つい先日まで異世界を股にかけて旅してたんだからな。
「ちなみに、二等賞は?」
「大型テレビ! か、ダイ〇〇の空気清浄機付きヒーター!」
「あ、それいい」
一等賞のクルーズとかいう地雷に比べれば、こっちは圧倒的に安全だ。
「貰っときましょう。ありがとうございます」
「今日までだからね、早く行ってねー」
タイショーがバチコン!とウインクを飛ばす。
「急だな!」
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