第94話 ヒロイン誕生
目の前に広がる光景は、もはや修羅場と化していた。
衛士たちは至るところで倒れ伏し、立っている者はわずか数人。
中空では、巨大な幹から伸びた枝がひゅんひゅんと音を立て、獲物を探しながらうねっている。
その猛威をいなしながら隙をうかがうのは、ドン殿下とガゼット王子。しかし、どう見ても剣で討ち取れる相手ではない。
時折、ドン殿下がエアーカッターを、オフィーがウインドスラッシュの斬撃を放つが、幹に刻まれた傷は瞬く間に再生し、ふさがってしまう。
「隙を作れ!」
ガゼット王子が叫び、手にした剣を床に突き刺して詠唱を始めた。
その前に立ちはだかり、彼を守るようにドン殿下がエアーカッターを連続で放つ。
しかし、伸びた枝はまるで意志を持つかのように斬撃を弾き、動き回る。
そして——
「フレアストーム!」
ガゼット王子が両手を広げ、高らかに詠唱すると、周囲に旋風のような炎が巻き起こり、燃え盛る炎が幹を丸ごと包み込んだ。
炎は彼の手の動きに合わせ、竜巻のように渦を巻きながら空高く燃え上がる。
扉の隅にいる僕らまで熱風が押し寄せ、肌をちりちりと焼いた。
思わず隣のツバサさんを抱き寄せ、庇う。
「す、すごい……」
腕の中で、ツバサさんが呟く。
すぐさま、梢社長とルリアーナさんが防御障壁を張り、炎の熱気を遮断した。
「やったか!?」
僕が思わず口にすると——
「「「「 それフラグだから言わない! 」」」」
全員から総ツッコミを受けた。
勢いを失った炎の中から現れたのは、黒く焦げた幹だった。
長く伸びた枝葉は炭となって崩れ落ち、幹の表面がボロボロと剥がれていく。あたりには焦げ臭い匂いが充満する。
ガゼット王子はゆっくりと床に突き刺していた剣の柄を掴み、静かに引き抜く。そして、深く息を吐いた。
「ダメじゃ! 再生するぞ!」
後方から、大樹卿の鋭い声が響く。
——その瞬間。
黒く炭化した木肌がみるみる剥がれ落ち、新たな緑の木肌が膨れ上がる。
まるで息を吹き返したかのように枝葉を勢いよく伸ばし、その触手がガゼット王子へ振り下ろされた。
ガゼット王子は咄嗟に剣で受け止めるも、勢いを殺しきれず、そのまま壁へと吹き飛ばされる。
「やはり……大樹の加護による魔術では滅しきれんか……」
大樹卿が厳しい表情で呟く。
その傍らでは、衛士たちが火矢を放つ。しかし、それらもことごとく木の触手によって叩き落とされてしまった——。
「森川さん、私、行きます!」
ツバサさんは、僕の腕からするりと抜け出し、一気に駆け出した。
「ちょっ! ダメだって!」
慌てて彼女の後を追う。
ツバサさんが梢社長の横を風のように駆け抜ける。
その気配に気づいた社長は、目を丸くして慌てて手を伸ばしたが、届かない。
「ぎゃー! ツバサちゃん! ダメだよー!」
僕は即座に剣を抜き、社長に向かって叫ぶ。
「防御結界を張ってください!」
そう言いながらツバサさんの後を追う。
彼女は一直線にドン殿下の隣へと駆け寄り、その場に並び立った。
「微力ながら、お力添えさせていただきます!」
ツバサさんが手を翳し——ファイアーボールを放った。
火球は手を離れた瞬間に膨れ上がり、うねる幹に直撃。
炎が枝葉へと燃え移り、一気に燃え広がる。
「なんじゃ、あの小娘のファイアーボール!? 火力の割に威力が……」
大樹卿が後ろで叫んでいるが、今は無視だ!
振り下ろされる枝の触手を防ぐので精一杯の中、ツバサさんは立て続けに火球を放つ。
炎は幹をえぐりながら絡みつき、焦がしていく。
火力はそれほどでもない。
さっきのガゼット王子と比べると規模は小さい。
——だが、なぜこれほど効いている?
トーマの街での討伐。
あのときのことが脳裏をよぎる。
コアを潰せたのは……
そう、梢ラボの大樹の力。この世界とは異質な力……。
僕らの大樹の力なんだ!!
あとは、威力さえあれば——!
「オフィー! ツバサさんに合わせてトルネードスピアを!」
剣で応戦していたオフィーが頷き、駆けてくる。
「社長とルリアーナさんは、奴を防御結界で囲んでください!」
「何を?」とルリアーナさんが眉をひそめるが、梢社長が叫ぶ。
「お姉ちゃん! 言われた通りにして!」
「ドン殿下! ウメさん! 奴の攻撃は任せた!」
「了解だ!」
ドン殿下が即答し、前に出て剣を振る。
その横でウメさんも「任せろ!」と枝の触手を叩き落とした。
僕はツバサさんの隣に並ぶ。
その反対側ではオフィーが剣を前に翳し、詠唱を始める。
「さあ! 君がヒロインだ! 決め技でぶちかまそう!」
ツバサさんが突き出した手に、僕の左手を添える。
彼女がこくんと頷いた。
その手の先に、火球が生まれる。
ツバサさんの呼吸が荒い。
その手のひらには、淡く燃える火球が揺らめいていた。
いや、すでに普通のファイアーボールではない。
そこに左手の力を重ねると、火球はさらに膨れ上がり、緑の炎を纏って脈動する。
——ぐらり、と空間が揺れた気がした。
「……!」
梢社長が目を見開く。
ツバサさんの魔力に、場の空気が張り詰める。
「……なんだ、この魔力は」
ドン殿下が驚きに声を漏らす。
「すごい……ツバサ……!」
ルリアーナさんが思わず呟く。
火球は回転しながら、今にも弾けそうに膨らんでいく。
緑の輝きが激しく揺らめき、ツバサさんの髪が風に煽られて舞う。
「ツバサ、いつでもいけるぞ」
オフィーが呟く。
ツバサさんが唇を噛み、叫んだ。
「——ファイアーボール!!!」
オフィーの剣が巻き起こすトルネードスピアと、ツバサさんの火球が交わる。
瞬間——
空気が張り裂けるような衝撃が走った。
緑の炎を纏った槍が唸りを上げ、空気を切り裂く。
衝撃波が広がり、周囲の瓦礫が弾け飛ぶ。
灼熱の炎の槍が幹を貫く。
幹の奥から、まるで断末魔のような軋む音が響いた。
炎は防御障壁に包まれながら、幹の奥深くまで燃やし尽くす。
黒く焦げた幹が、熱に耐えきれず、ずるずると崩れ落ちていく。
次の瞬間——。
眩い閃光とともに、大樹は爆ぜた。
——轟音。
空に向け噴き上がる火柱が、すべてを飲み込む。
燃え盛る閃光が視界を塗り潰し、熱風が荒れ狂う。
爆ぜる音が耳をつんざき、地が揺れる。
そして——。
沈黙。
舞い上がる灰が、ゆっくりと降り積もる。
焦げた木の残骸が崩れ落ちる音だけが、静かに響いた。
……終わったのか?
誰もが息を呑み、荒れた戦場の光景を見つめる。
焦げた地面、崩れた大樹の残骸、風に舞う灰。
まだ耳に残る轟音の余韻に、誰もが言葉を失っていた。
やがて、ぽつりと誰かが呟く。
「……勝ったのか?」
その言葉を合図に、どっと力が抜ける。
「やったぁああああ!!」
梢社長が歓喜の叫びとともに飛び上がる。
「信じられん……!」
ガゼット王子が剣を杖にして膝をつく。
ドン殿下は息を吐き、剣を突き立てて笑った。
「はは……これで、ようやく……」
大樹卿が大きく息を吐く。
「……恐れ入ったわい……」
ツバサさんの方を見る。
彼女は涙を滲ませながら、ほっとしたように微笑んでいた。
「世界、救えましたか?」
僕は、迷わず頷く。
——ああ、君が救ったよ。
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