第77話 きっと震えている
誰かの笑い声が聞こえる。
叫び声。
大勢のざわめき。
……うるさい。
意識がゆっくり浮かび上がる。
頭の奥で、鈍い響きがくすぶっている。
身体が重い。まるで全身に石を乗せられたようだ。
それでも、耳は次第に喧騒を拾い始める。
「でねー、モリッチが……」
『だから、やめてって……』
サブリナ? それに……梢社長?
「それは違うぞ、セーシア……」
オフィーの声?
「ツバサさんは、たぶん……」
ドン殿下?
——ツバサ?
ツバサさん!
胸がざわめく。息が苦しい。
心臓が一拍、跳ねる。
——そう! ツバサさんを探しに!!
「……う、うぉっ!」
一気に現実が流れ込み、目を見開いた。
光が差し込み、目を刺すように眩しい。
反射的に目を閉じ、何度か瞬きを繰り返す。
視界がゆっくりと焦点を結ぶ——
そして、かすむ視界に見えたのは、皿を両手に持ったウメさんだった。
「お! 目ぇ覚めたか?」
僕の様子に気付いたウメさんが、隣の誰かに声をかける。
「森川、気が付いたぞ!」
間髪入れずに声が上がる。
「お、死んでなかったよー! 大丈夫かー?」
覗き込んできたのは——サブリナ。
「倒れてから全然、目ぇ覚まさないから死んだと思ったぞー」
——死んでませんって!!
僕はゆっくりと体を起こす。
どうやら、店の奥のベンチに寝かされていたらしい。
ここは……『ウメ』の食堂?
周囲を見渡すと、店内は満席。
人々がコップを片手に大騒ぎしている。
隣のテーブルでは、ノートPCを前に心配そうに、こっちを見るサブリナ。
その向かいには、オフィーとドン殿下が座り、僕を見ている。
「やあ、目が覚めたかい? 英雄殿」
ドン殿下がにっこり笑う。
——英雄?
混乱する頭の中で、さっきまでいた森での光景がよみがえる。
「みんなは? 魔獣は? あの黒い霧は?」
叫ぶ僕に、ドン殿下は「あはは」と笑いながら言った。
「落ち着け。全部、終わったよ」
その言葉とともに、断片的な記憶が蘇る。
——僕らは、スタンピードを止めるため、ダンジョンコアを破壊した。
だが、それで終わりではなかった。
コアが砕けた瞬間、黒い霧が噴き出したのだ。
「あれは、高濃度な魔素の塊——そんなものが噴き出すなんて、普通ならありえないことだね」
ドン殿下が苦笑する。
ちなみに『影流れの森』は、魔素の流れる地脈が集中する場所だった。
そこで、不完全な極大召喚魔法が実験され、偶然近くにあった『彷彿とさせる迷宮コア』と共鳴した。その影響でコアが暴走し、スタンピードが発生した。
暴走したコアを破壊したもの、その影響で地脈の魔素が逆流し、大量に噴き出した——
「あくまで憶測だけどね。今後、研究が進めば解明されるかも」
殿下は両手を上げ、首を振る。
つまり、偶然に偶然が重なり、今回のような最悪の事態を引き起こした……そんなところらしい。
噴き出した魔素は森だけでなく、トーマの街にも押し寄せた。
高濃度の魔素を浴びた人々は次々に汚染され、倒れていった。
——しかし、そのとき。
突如、緑の光が現れ、黒い霧を浄化していったという。
気がつけば、森の魔獣も黒い霧も、きれいさっぱり消え去り、ドン殿下が意識を取り戻したときには、いつもの森に戻っていたらしい。
その後、僕以外の皆は目を覚まし、眠り続ける僕をここまで運んでくれたという。
あの光が何だったのか——。 今も分かってはいない。
グリーだけが「アイツが大樹を呼んだんだ」と思わせぶりなことを言っていたらしいが、その後『疲れたからしばらく休む』と言い残して姿を消したそうだ。
後から聞いた話だが、その時の光景を見た街の人々は、口をそろえて「それはまるで、天にも届くほどの光の大樹が、枝葉を揺らしていたようだった」と語ったという。
……まあ、たぶん、そういうことなんだろう。
そして、身を引きずるようにして街へ戻った僕らを迎えたのは——街の人々の歓声と歓迎だった。
それはもう、英雄のような歓待ぶりだったらしい。
ちなみに、今も街じゅうが大騒ぎで、宴は続いている。
そんな中——『ウメ』の食堂で、サブリナたちが梢社長に報告をしていた。
「ヒトミッチ、今モリッチ目が覚めたから」
サブリナが手招きする。僕はモニターの前に顔を出した。
「社長。ご心配おかけしました」
『森川くん! もー、無理しないでって言ったよね!』
「はい。すみません」
『……でも、よかった。無事で』
モニター越しの社長は、目を真っ赤に腫らしていた。
髪はボサボサで、目の下にはしっかりと隈ができている。
きっと携帯を見つめながら、ずっと連絡を待っていたのだろう。
動き回っている方も命がけで大変だったけど、何もできずにひたすら連絡を待っているのも——そりゃ、大変だったろう。
しかも、社長は過保護なところがあるから……。
「それで、ツバサさんの行方だけど——」
ドン殿下がモニターに向かって報告する。
「王都へ向かった可能性が高い」
『どーゆーこと?』
「どうも、ツバサさんは兄のカルビアンに連れていかれたようなんだ」
『どーゆーこと?』
——社長、語彙力……。頭まわってませんね。
「実は、今回一緒に森で戦った冒険者たちが、ツバサさんらしき人物が連れ去られるのを目撃してるんだ」
——ルオさんとソラさんね。
「私の情報網にも同じ報告が上がっているし、奴らが王都に戻ったという情報もある」
「馬車で戻ったのかい? それとも魔動車?」
ウメさんが訊ねると、殿下は「主要メンバーは魔動車ですね」と答えた。
「王都までは100キロほどだ。事件後すぐに出発していれば、もう王宮に着いている頃かもしれないね」
ウメさんが軽く顎に手を当て、計算するように言った。
100キロ……バイクで飛ばせば、夜明け前には追いつける。
だけど——
僕が行ったとして、いったい何ができる?
この異世界のことは何も知らない。
王都の地理も、王宮の警備も、何が待ち受けているのかも分からない。
もし王宮に囚われているなら、僕なんかが簡単に入れる場所じゃない。
——そう。殿下に政治的に動いてもらった方がいい。
時間はかかるかもしれないが、僕が無策で突っ込むよりずっと現実的だ。
ルチアーノさんや大樹卿に頼ってもいい。
彼女たちは身分も高いし、今日の状況も把握しているから、きっと力になってくれる。
——きっと、大丈夫。
ツバサさんは、無事だ。
きっと……。
もしかしたら、今頃おいしい食事でもしてるかもしれない。
柔らかいベッドで、あったかい毛布に包まれて、のんびりしてるかもしれない。
だって、王宮なんだから。
連れ去った人だって、殿下のお兄さんなんだから。
大丈夫だ、きっと——
僕なんかが出る幕じゃない。
ここで待っていればいい‥‥‥
——そう、そのはずだ。
ふと、彼女の顔が浮かんだ。
初めて会ったときの彼女。
モジモジして、小鳥の雛みたいだった——。
ダンジョンに行きたいと、真っ直ぐ見つめた瞳。
恥ずかしそうに「ニチアサヒロインになりたい」と言った声。
魔法が使えたときの、あの無邪気な笑顔。
顔を真っ赤にして、自作のとんがり帽子を見せてくれた姿。
そして——
「行ってきます」と手を振りながら、ダンジョンへ向かった後ろ姿。
——今、彼女は。
見知らぬ世界に突然放り込まれ、
見知らぬ人間に連れ去られ、
誰も知らない場所で、一人きりで——。
暗くて、寒くて、不安で、怖くて——。
きっと、彼女は震えている‥‥‥。
違う。
違うだろ!!
政治的に解決?
誰かに頼んで?
本当に、それでいいのか!?
何のために、ここまで来たんだ!!
彼女は、今、震えてる。
一人ぼっちで、見も知らぬこの世界で——。
「どうする? 森川」
ウメさんが、じっと僕を見ている。
みんなが、僕の顔を見つめている。
みんなが、僕の言葉を待っている。
僕は、一人ずつ、みんなの顔を見回した。
サブリナ、オフィー、ドン殿下、ウメさんも。
そして——
大きく息を吸う。
「行くに決まってる!!」
みんなの目を、真っ直ぐに見返した。
「今すぐだ!! 今すぐ彼女を助けに行く!!」
その言葉と同時に、みんなが力強く頷いた。
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