第7話 喫茶こかげ
「まあ、いいでしょう。ここまで話して辞退となっても面倒ですし」
岩田さんは一人で納得したようにため息をついた。
梢社長は「やったー!」と手を叩いて喜び、親指を立ててニッと笑う。
——エルフがサムズアップするなんて……。
そんな光景を目の当たりにして、僕の不安はさらに募るばかりだった。
その後、入社に関する各種手続きは、岩田さんがすべて処理してくれることになり、ありがたくお任せすることにした。
「それで、森川君は社宅に入るのかな?」
岩田さんがソファにぐったりと凭れながら訊いてくる。
「社宅あるんですか?」
僕は梢社長の方を振り向いて尋ねた。
「あるよー。社宅の方が安全だからねー!」
——安全? 社宅じゃなきゃ危険なの?
「でも名刺も渡してあるしー。あ! そうそう、これも渡しとくね!」
そう言って、梢社長はどこからともなく銀色のブレスレットを取り出した。
——え? 今、視界が歪んだ気が……。
なんか、瞬間的に彼女の手元の空間が歪んだように見えたが……気にせず受け取っておこう!
ブレスレットはシンプルで、表面に文字なのか模様なのか、よくわからない装飾が刻まれていた。
「これ、いつでもどこでも絶対に身に着けててねー! さあ、つけて!つけて!」
ノリノリで急かす梢社長に押され、仕方なく左手首にブレスレットを通してみる。
最初は少しきついかなと思ったが、装着してみると意外としっくりきた。
一瞬、大きさが僕の手首に合わせて変わった気もするが……。
「うん、よく似合ってるよ!」
梢さんが嬉しそうに微笑む
「あ…ありがとうございます」
中二病っぽいデザインに若干引きながら、一度外そうとしてみたが──
——と、取れない!?
「それ、一度はめると取れないからねー!」
はい?
「大丈夫だよ。錆びたりしないしー。どうしても外したければ、手首ごと……ね」
——手首斬る!? はいーっ!?
悲鳴を上げかけた僕を横目に、岩田さんが乾いたため息をつく。
「諦めて嵌めるしかないね。よくお似合いだしね。フフッ」
——今、笑ったよね!
「でしょー、ガンちゃん! 似合ってるよねー、ちょっとアレだけど…」
——アレって何!? 詳しく!
「とりあえず、今日の手続きはここまでにしよう」
僕の動揺もお構いなしに、岩田さんはノートPCをパタンと閉じた。
「もう12時も回ってるし、一緒に昼飯でもどうだい、森川君」
「そうねー、奢ってもらうといいよ! 私は、あっちに戻って、みんなに森川君のこと報告してくるからねー」
あっちって… どこ?
「まあ、いろいろ教えてあげるから」と岩田さんは僕の肩を軽く叩き、さっさと荷物をまとめて出ていった。
梢社長も「また明日ねー! 朝ご飯はちゃんと食べるんだよー」と手を振る。
僕は慌てて頭を下げ、岩田さんを追って外に出た。
駐車場には軽バンが一台。運転席の岩田さんに「失礼します」と声をかけ、助手席に乗り込む。
低く唸るエンジン音が響き、車はスムーズに走り出した。
「これから行く場所は取引先でもあるから、覚えておいてくれ」
ちらりと視線を送られ、僕は慌てて頷く。
外の景色を目に焼き付けるように見つめながら、僕は心を落ち着かせた。
10分ほど走ると、車は広原駅前の商店街に入った。
ここは私鉄の終着駅。
かつて宿場町だった名残を感じさせるが、駅前だけは派手なビルと看板が乱立している。
この奇妙なアンバランスさにも随分と慣れてしまったが、住民の数に対して明らかに多すぎる店舗やビル群には違和感を覚えずにはいられない。
どこか、生活感が薄い不思議な街並みを眺めているうちに、車は商店街を抜け裏通りへと入って行った。
そして、緑の看板がかかったロッジ風の店が現れた。
「ここが、取引先でもある『喫茶こかげ』だよ。コーヒーも美味しいし、ランチも絶品だ。特製ハーブティも人気だよ」
車を停めると、岩田さんはさっさと降り、店に入っていく。
ドアのカウベルが軽やかに鳴り、店内から明るい声が飛んだ。
「いらっしゃーい!」
店内は外から見たよりも広くて、温かみのある木製のテーブルが6つ並べられていた。
昼時だからか、席はすべてお客さんで埋まっており、店内には楽しげな声と料理の香りが満ちている。
奥から、赤いエプロンを着た女性が、岩田さんに笑顔を向けた。
「岩田さん! いらっしゃい!」
「よっ」
手を軽く上げる岩田さん。
「上、空いてる?」
女性が階段の方を指さし、にっこり。
「大丈夫だよー!」
僕は慌てて岩田さんの後について、階段を上がっていった──。
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