第68話 大樹ネット
「そんなに痛くなかったろ? 大袈裟な奴らだな」
ウメさんはそう言いながら、濡れた布を放ってよこした。
ここは、ルリアーナさんが言っていた宿屋『ウメ』の一階だ。
広々とした空間に、丸テーブルが六卓、椅子がいくつか並んでいる。
日中は食堂、夕方からは飲み屋として営業しているらしく、今はちょうど、その間の休憩時間のようだった。
ウメさんはバイクを宿の裏手の小さなスペースへ運ぶと、表の看板を「閉店中」に裏返し、僕らをカウンターの椅子に座らせた。
そして今、カウンター越しに僕らを見下ろしながら、キセルの煙をくゆらせている。
——兵頭梅子さん、通称ウメさん。
以前、梢ラボの社員の中に異世界へ移住した者がいると、岩田さんや詩織さんが言っていた。
たしか、その時は「ウメばあさん」と呼ばれていたはずだ。
目つきこそ猛禽類を彷彿とさせる鋭さがあるものの、スタイルも整っており、顔立ちも妖艶な美女と言って差し支えない。
見た感じ20代後半、いや30代くらいか? もしくは若作りの40代かもしれない。
どちらにせよ、「ばあさん」と呼ばれるような年齢には到底見えなかった。
「あのー、ウメさんって、おいく……」
何気なく聞きかけた瞬間、「あぁ?」と鋭い眼光が飛んできた。
「なんか文句あんのか!」
——もう二度とこの話題には触れないと心に誓った。
「ウメさんは、僕らのことをご存じだったんですか?」
彼女は勢いよく煙を天井へと吹き上げ、ちらりと僕を見る。
「『ボッチで頼りなさそうな男が入社した』ってのは聞いてたな。でもそっちの嬢ちゃんのことは知らん。……バイトか?」
「私は天才ハッカーのサブリナだい!」
さっき頭をはたかれたのがよほど癪に障ったのか、サブリナは食ってかかるように言い放つ。
「彼女は外部委託でPC関連のサポートをしてもらってます。僕は森川裕一。先月、梢ラボラトリーに入りました」
一応、軽く頭を下げて挨拶する。
「それで、さっきはどうして僕らが梢ラボの人間だとわかったんですか?」
彼女は頬杖をつきながら、半眼でこちらを見据え、吸った煙を思いっきり僕の顔に吹きかけてくる。
「今日は朝からいろいろあってね。あちこち散歩がてら見て回ってたら、門のところで聞きなれた音がしたんだよ。それで見に行ってみりゃ、黒髪の腑抜けた男とジャージ姿の小娘が、あたしの懐かしい愛車を引っ張ってたってわけさ。そりゃ、一目でわかるさ」
「朝からいろいろって……もしかして、転移魔法のことですか?」
「なんだい、そいつが気になってこんなとこまでやって来たのかい?」
「それだけじゃありません。その転移魔法に仲間の二人が巻き込まれた可能性があるんです。それで、ここまで来ました」
「巻き込まれただぁ!? どういうことか説明しな!」
ウメさんはカウンターから身を乗り出し、ぐいっと僕の服を掴んだ。
僕はその手を振りほどき、今回の件について順を追って話す。
説明の間もウメさんは時々眉をひそめ、「オフィーってのはドラゴンスレイヤーのオフィーリアか? それに、なんで岩田んちの末っ子が魔法を使えるんだ?」と矢継ぎ早に問いかけてくる。
そのたびに僕らは丁寧に事情を説明した。
一通り話し終わると、ウメさんは遠くを見るように視線を宙に彷徨わせ、キセルをふかしながら、何か考えを整理しているようだった。
その間、サブリナは背負っていたバックパックからノートPCを取り出し、カチャカチャといじり始める。
僕は特にやることもなく、サブリナが一緒に出してくれた水筒の残りのお茶をすすっていた。
「で、一緒に来たドングラン殿下は今どこにいるんだ?」
「ここに来る前に別れました。一応、ここで落ち合う約束をしてます」
「ふーん」
ウメさんは鼻で返事をする。
「ちなみに、その王子様は信用できるのか?」
「今日初めて会ったばかりで正直なんとも言えませんけど……多分、大丈夫だと思います」
「根拠は?」
「社長……今の梢社長の幼馴染ですから」
「あたしゃ、今の社長……ルリアーナの妹のことは知らないんだよね」
「ヒトミッチはいい奴だよ! 天然入ってるけどさー」
キーボードを叩きながらサブリナが口を挟む。
ウメさんは「そーかい」と軽く流した。
「ちなみに教えといてやるが、実験の首謀者であるカルビアン第二皇太子ってのは、他人のことなんざこれっぽっちも気にしない、筋金入りの下種野郎だ。まあ、お貴族様ってのは大なり小なり似たようなもんだが、その頂点に立つ王族連中は言わずもがな、ってわけさ」
そう言いながら、ウメさんはまたゆっくりとキセルの煙を吐き出す。
と、そこで突然——
「うひゃ!」
サブリナが奇声を上げた。
声につられ視線を向けると、彼女はキーボードを叩きながら、何やらぶつぶつと呟いている。
「なにかあったの?」
僕が訊ねると、サブリナは興奮したようにキラキラした目でこちらを見てきた。
「この世界じゃネットは繋がらないと思ってたから、オフライン用に持ってきただけなんだけど……」
そう言いながら、彼女はPCの画面をこちらに向ける。
「繋がっちゃった」
——え!?
「ネットに繋がっちゃった」
サブリナはもう一度、ゆっくりと同じ言葉を繰り返す。
「ネットって……まさか、あっちの世界の?」
「そう。インターネット」
彼女はモニターの隅にある小さな樹のアイコンを指さした。
「こんなアイコン、見たことないんだけどさ。最初から入ってた覚えもないし、不思議に思って起動してみたら……インターネットに繋がっちゃった!」
嬉しそうにキーボードを叩きながら操作を続けるサブリナ。
すると、突然——
PCから聞き慣れた電話の呼び出し音が鳴り響いた。
「え?」
驚く間もなく、モニターに一瞬だけ梢社長の顔が映る。
「——社長!?」
だが、それも束の間、画面は暗転し、代わりに『ナニコレ?なに?』と騒ぐ声がスピーカーから流れてきた。
「ヒトミッチー!ハロー! 聞こえてる?」
即座にサブリナがPCに向かって声をかける。
「携帯をスピーカーにして、顔が映るように前に構えて!」
すると、しばらくのノイズの後、再びモニターに梢社長の顔が映し出された。
「ヤッホー!ヒトミッチ、見えてるー?」
モニターに向かって手を振るサブリナ。
『え? え? なにこれ? サブちゃんなの? そこどこ?』
梢社長の動揺が声にも表れている。
「今ねー、こっち異世界だよー!ピース!!」
サブリナは満面の笑みでダブルピースを決める。
『なんで!? なんでそっちから電話かかってくるの!?』
「わかんないけどー、繋がった!」
そう言いながら、サブリナは「ほらモリッチも!」と僕をモニターの前に引っ張る。
『 森川くん!』
「はい、お疲れ様です! 森川です」
そう呼びかけると、今度は梢社長の隣から岩田さんと詩織さんが顔を出した。
「森川くん! ツバサは? ツバサ見つかったかい?」
ごつい顔がモニターいっぱいに映し出される。
「すみません、今はまだ情報を集めているところです」
頭を下げて答えると、岩田さんは途端に落胆した顔を見せた。
「とりあえず、一回整理してからまた連絡するから! コールしたらすぐ出てね!」
サブリナがそう言い放ち、通話を強引に切る。
最後に向こう側で絶叫するような声が聞こえたが……まあ、気にしないでおこう。
僕はサブリナを見た。
そしてサブリナも僕を見る。
「どーいうこと?」
僕が訊ねると、サブリナは首を振りながら、両手を挙げてみせた。
お読み頂きありがとうございます!
ブクマークや、★でご評価いただければ嬉しいです!
何卒よろしくお願いいたします。




