第57話 王子様
——まさか!?
そう思った瞬間、体が動いていた。
机の脇に立てかけていた剣を掴み、そのまま走り出す。
大樹の部屋へ駆け込み、小屋の扉をくぐる。
一瞬で視界が変わった。
広がるのは、薄暗い洞窟。
湿った土の匂いと、冷たい空気が肌を撫でる。
ダンジョン。
剣を鞘から抜き、慎重に前へ進む。
——オフィー! ツバサさん! どこだ!
叫び出したい気持ちを押さえ、心の中で呟きながら二人の姿を探す。
じりじりと歩みを進めるが、二人の気配は感じられない。
剣を握る手が、汗で滑る。
——大丈夫だ。
オフィーが一緒なんだから、万が一にも怪物にやられるはずがない。
きっと、この先に……もう少し先に、二人はいる。
自分にそう言い聞かせながら、奥へと進む。
幸運なのか、それとも不運なのか。
進めど進めど、ゴブリン一匹すら現れず、二人の姿も見当たらない。
一旦、引き返そうか?
もしかしたら、もうダンジョンを出て、二人でシャワーでも浴びているのかもしれない。
そう思った矢先に、黒い影のようなものが前方に落ちているのが見えた。
……何だ?
慎重に足を進め、それへと近づく。
そして、地面に落ちたそれを拾い上げた。
「……ウソだろ……」
間違いない。
それは、ツバサさんが被っていた手作りの“とんがり帽子”だった。
「森川くん!」
振り向くと、梢社長がこちらへ駆け寄ってくる。
その後ろには、なぜかサブリナまでいた。
俺の手元に目をやると、梢社長は眉をひそめる。
「それは?」
「……ツバサさんの帽子です。それが、ここに落ちてて……」
梢社長は、帽子をそっと拾い上げ、じっと見つめた。
まるで、帽子を通してツバサさんの行方を探っているかのようだった。
「……間違いない。ツバサちゃんの帽子ね」
フッと息を吐く梢社長。
その後ろから、サブリナが覗き込んだ。
「帽子だけ落ちてるって、おかしくない? それに、オフィーの姿も見当たらないし……、まあ2人一緒なら問題ないだろうけど」
サブリナは辺りをキョロキョロと見回しながらつぶやく。
「そうねそうね、オフィーが一緒だから、大丈夫に決まってる!」
梢社長は、胸の前で両手をぐっと握りしめ、自分を納得させるように頷いた。
サブリナは、両側の壁を手でなぞりながら、さらに周囲を観察する。
「ねぇ、この先に行っちゃたんじゃないの? それとも、どこか脇道に迷い込んじゃったとか?」
「ここは、ボス部屋まで一本道だったはずですが……」
以前、オフィーとボス部屋まで行ったときのことを思い出す。
「そうね、この奥にあるのは『根界の扉』と『ボス部屋の扉』だけね。他にトラップもなかったはず」
……根界の扉?
「何より、ちょっと気になるのは、ゴブリンが出てこないのよねー」
……それは俺も変だと思ってた。
「じゃあさ、二人はどっちか部屋に入ったってこと?」
サブリナが尋ねると、梢社長は首をかしげる。
と、その時——
奥から、誰かの足音が響いてきた。
……ゴブリン、か?
咄嗟に、足音のする方へ向き直り、腰を落として剣を構える。
足音は乱れることなく、確実にこちらへ向かってくる。
奇妙なのは、その音がゴブリンのピタピタした裸足の足音ではなく、靴がしっかりと床を踏みしめる音に聞こえたことだった。
——もしかして、オフィー? ツバサさん?
その音は、もう目の前まで来ていた。
そして——足音の主が、薄暗い先から姿を現す。
「ドンちゃん!」
背後で、梢社長が叫ぶのが聞こえた。
……ドンちゃん?
暗闇から現れたのは、やけに豪華な詰襟の服を着た男。
金髪にブルーの瞳。細面の美男子だった。
「やあ! セーシア!」
男は片手を上げ、にっこりと微笑む。
そして、僕とサブリナをチラリと見やり、上品な笑みをたたえた。
「もしかして、そっちの彼が新しく入った森川くんかな?」
「そうそう! 彼が森川裕一くん!」
梢社長が男に向かって僕を紹介する。
「それでー、こっちの女の子がサブリナちゃん!初めて会うよね! パソコンの専門家だよー」
続いて、男の隣に並び、僕らに向かって紹介を続けた。
「で、こっちがドンちゃん! 梢ラボの社員だよー!」
すると男は、手をさっと差し出してくる。
「私はドングラン・エルヴァール・ロイマール。よろしく、森川さん、サブリナさん」
——ロイマール?
「ドンちゃんは、ロイマール皇国の王子様だよ!」
「 「 王子! 」 」
僕とサブリナは思わず顔を見合わせた。
そんな僕らを見て、彼はニコリと笑う。
「王子って言っても、継承権3位だよ。だから、あまり気にしないでほしいな」
そう言って、はにかみながら髪をかき上げる。
いやー、間違いなく高貴な美男子っす!
しかも、いちいち仕草に気品がある。
僕の横では、サブリナが嬉しそうに「ほぇー、王子様!? ほんまもんの王子って、初めて見たよ!」と言いながら、僕の脇腹を小突いてくる。
そんな僕らを、ドングランさんはニコニコと微笑ましげに見ている。
すると、梢社長が思い出したように彼に詰め寄る。
「ドンちゃん! 奥にオフィーとツバサちゃん、いなかった?」
「オフィー? いや、会わなかったけど……ツバサさんって確か調停者の一人だよね。何かあったのかい?」
「大変なんだよー! ダンジョンに入ってたオフィーと、ツバサちゃんが行方不明になっちゃったの!」
梢社長の縋るような言い方に、ドンちゃん――いや、ドングラン殿下が一瞬考え込むように俯いた。
そして、ポツリと呟いた。
「そうか‥‥‥やっぱり、そうだったんだね」
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