第49話 ツバサ
世界トップクラスの傭兵集団『ヘルハウンド』との一件から一週間が経った。
事案の詳細については、神戸氏から「現在鋭意調査中です! 結果は楽しみにしていてください!」との連絡があったものの、正直、何を楽しみにすればいいのかさっぱりわからない。
僕はといえば、あの事件以降、平穏な日々を過ごせる‥‥‥はずだった。
——実際は、そうはいかなかった。
僕の不甲斐なさに呆れたオフィーリア、日本名『剣持陽子』というスエット愛用者によって、毎日のようにダンジョンへと連れ回され、ゴブリン狩りに駆り出される日々が始まったのだ。
おかげで、少しは駄肉が筋肉に変わり、身体が軽くなった気もする。
とはいえ、魔素を吸収して鍛えるという方法は確かに効率的で便利ではあるものの、下手をすれば命を落とすという重大なデメリットがある。
命を引き換えに強くなる——そんなの、割に合わない。
でも、現実だって似たようなものか……。
「これ、本当に意味があるんですかね?」
隣を歩くオフィーリア、通称オフィーに訊ねると、彼女は冷たく切り返してきた。
「まだそんなことを言っているのか? だから貴様はあの時、守護精霊を奪われたんだ」
まあ、反論の余地はない。
さて、その腹黒精霊改めグリーはというと——
『あんなに働いたんだから、しばらく休ませてもらうぞ』
そう言い残してブレスレットの中に籠ったきり、一度も姿を見せていない。
これで守護精霊だというのだから、笑える話だ。
——僕を守る気があるのか、疑わしいね。ヒッキー精霊め!
そんなことを考えながら、この後も厳しい訓練があると思うと、憂鬱な気分になりながら会社へ向かう。
本音を言えば、出社拒否すら頭をよぎったが、まあ、強くなるのも悪くないかと、トボトボ会社へ向かう道を歩いていた。
その時、通り道にある畑で、ほっかむりを被り、モンペ姿の小柄な老人?……らしき人物が農作業をしているのが目に入った。
この道で人に会うのは珍しい。
思わず足を止め、その姿を目で追う。
すると、こちらの気配に気づいたのか、その人が作業の手を止め、ゆっくりと腰を上げてこちらに向き直った。
「ヒッ!」
僕の存在に気づいた瞬間、その人は小さな悲鳴を上げた。
それは驚いたというより、何かに怯えているようだった。
一方で、声が若々しかったことに僕は驚いた。
突然のことに戸惑いつつも、驚かせた責任を感じ、先に挨拶をすることにする。
「おはようございます」
すると、彼女は慌ててほっかむりを外し、小さく頭を下げながら「おはようございます」と返してきた。
近づいてみると、老婆かと思ったその人は、僕と同じくらいか、それよりも若く見えた。
「すみません、驚かせてしまって」
僕が謝ると、彼女は首をフルフルと横に振り、「大丈夫です」と恐縮した様子で答えた。
どこか震えているようにも見える。
そんな彼女が、ふと僕に訊ねてきた。
「森川さんですか?」
彼女は、おどおどした口調で、視線を合わせようとしない。
一瞬、神戸氏絡みの件を思い出し、警戒してブレスレットに手を触れたが、何の反応もない。
「あ、ごめんなさい。名乗るのが先ですよね。わたくし、社労士の岩田ツバサです。初めまして」
彼女の言葉に一瞬頭が追いつかず、眉をしかめた。
——岩田?
そういえば、ガンちゃんこと岩田さんが「妹が社労士をやってる」と言っていたのを思い出す。
「もしかして、岩田さんの‥‥‥?」
「はい、岩田信夫は私の兄です」
そう言って、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。
——全然似てねぇ。遺伝子、何してたの?
彼女は小柄でショートボブの黒髪、くりくりした大きな瞳が印象的だった。
どこか震えるようなその様子は、小鳥の雛を思わせる。
最初は「モンペ」と思った服装も、よく見ると濃紺地に大きな花柄のヤッケだった。おしゃれなのか作業着なのか判断に迷うデザインだ。
——それ、どこで買ったの? 気になる‥‥‥
そんな視線を感じたのか、彼女はうつむきながら「ごめんなさい、こんな格好で……お会いするとは思ってなかったので」と、気まずそうにモジモジする。
「いえいえ、こちらこそ突然声をかけてしまいすみません。何をなさっていたんですか?」
「えっと……野菜の収穫をしていました」
「野菜? 収穫? 社労士さんが?」
「あ! この畑、私のなんです」
そう言いながら、彼女は手に持っていた形の良いナスを掲げ、はにかむように笑った。
なんとも微笑ましい光景だね。ウン!
確かに、会社のすぐ脇にあるこのスペースは、一面畑のように畝が整えられ、ナスやキュウリなど、さまざまな野菜が植えられ、しっかりと管理されているようだ。
しかも、そこそこ広い。
「ここ全部ですか? 管理が大変じゃないですか? 社労士のお仕事もありますよね?」
「はい。でも社労士の仕事は……御社だけなので。それ以外は兄たちの仕事をちょっと手伝っているくらいでして‥‥‥」
そういえば、岩田さんのところは弟さんが税理士だと言っていたっけ。
つまり、ツバサさんはお兄さんたちの手伝いをしつつ、この畑の世話をし、うちの会社の社労業務も担当している、ということか。
社労士が具体的にどんな仕事をするのか分からないけど、社員の出入りが少ないこの会社なら、そこまで負担は大きくないのかもしれない。
そんなことを考えていると、ツバサさんがいそいそと上下のヤッケを脱ぎ始めた。
——な、なにすんのー!?
一瞬驚いたが、ヤッケの下から現れたのは、きちんとした濃紺のパンツスーツだった。
彼女は横に置いてあった野菜の乗ったザルを持ち上げ、ペコリとお辞儀をする。
「もしよかったら、ご一緒させてもらってもいいですか?」
あ、はい。どうぞ……。
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