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第4話 嫌な予感しかない


 結局、明日改めて会社で話し合うことになり、その日は『梢ラボラトリー』を後にした。


 帰り道、意外と会社が家の近くだと気づく。

 これなら歩いて通えそうだ。


 家に戻ると、すぐに明日の準備に取り掛かった。

 クローゼットを開け、スーツを引っ張り出す。

 しばらく着ていなかったそれを手に取り、胸の奥にわずかな緊張がよぎる。


 ——会社勤めか。僕にできるのか……。


 本来なら、採用が決まれば雇用条件や手続きを済ませ、入社日を正式に決めるはず。

 だけど、あの梢社長と話していて、そんな段取りが踏めるとは思えない。


 明日は、「ガンちゃん」という事務担当者と話すことになる。

 社長に代わって会社の事務を仕切っている、信頼の厚い人物……らしい。


 その人と話してから、入社を決めても遅くはない。

 そう思うと、少し気が軽くなった。


 夕飯を済ませた後、特にすることもなく、ぼんやりとネットを眺める。


 『梢ラボラトリー株式会社』

 試しに検索してみた。


 ……何も出てこない。

 会社の公式サイトどころか、社員のSNSすら見当たらない。


 ……まあ、そうだよな。


 改めて考える。


 社長は美人のエルフ。

 会社の中に巨大な樹がそびえている。

 その樹を"見守る"のが仕事。

 名刺を作るのが得意な妖精がいる。

 雇用条件は……普通。


 考えれば考えるほど、あやしい。

 明日行ったら、会社が跡形もなく消えていても不思議じゃない。


 エルフ? 妖精?

 まるでファンタジー小説や映画のようだ。


 ……いや、もしかして、おちょくられてる?


 考えれば考えるほど、そんな気がしてくる。

 失業者をからかって遊ぶなんて、趣味が悪すぎるだろ。


 そんなことを考えていた時、突然、携帯が震えた。


 画面を見ると、見覚えのない番号。


 梢社長……か?

 少し緊張しながら電話を取ると、まったく知らない声が耳に飛び込んできた。


「久しぶりだな。大谷だけど覚えてるか?」


 ——誰?


 黙っていると、何かを察したのか、相手はすぐに話し始めた。


「ほら、大学の唐松ゼミで一緒だった大谷だよ。何度か合コンにも行ったじゃん」


 唐松ゼミ……?


 ああ、あの厳しい教授のゼミか。

 確かに、ゼミの連中と合コンに行った記憶はある。


 でも、大谷?そんな奴いたか?


 ……いや、言われてみれば、いたような気がしてきた。


 これ以上、問い詰めるのも面倒だし、思い出せる自信もない。


 ——とりあえず、流れに合わせておくか。


「……あー、大谷な。久しぶり」


 なるべく自然に振る舞うと、電話の向こうで「やっと思い出したかよ」と笑い声が返ってきた。

 けど、その笑い方に、どこかぎこちなさがあった。


 ……まあ、それはお互い様か。


「懐かしすぎて、すぐには出てこなかったよ」


「森川って、昔からそういうとこあるよな」


 ——なんとかごまかせた、か?


「で、どうしたの? 急に連絡なんかしてきて」


「いやな、お前、広原町に住んでるって噂で聞いたからさ、電話したんだ」


「噂? 誰に聞いたの?」


「先月のゼミの同期会でな。そういや、お前、なんで来なかったんだ?」


 ——そんな連絡、あったっけ?

 まあ、知っていても行かなかったけど。


 正直、"人生の負け組"になった自分を、みんなの前に晒すのは抵抗があった。


 学生時代、夢ばかり語っていた自分が、今は失業中。

 笑い話にもならない現実だ。


「で、広原町がどうかしたの?」

「いや、俺もそっちに引っ越すことになってな。今度会えないかなと思ってさ」


 ——正直、今の自分を見られたくない。


「今ちょっとバタバタしててな……」

「お前、失業中なんだろ?」

「……っ!」


 どうして知ってる?

 昔の連れに話した覚えなんかないのに。


「会社辞めたって来たけど、違ったか?」


 心の奥がざわついた。


「なんでそんなこと聞くんだよ?」

 つい語気が荒くなると、大谷はわざとらしく笑った。


「いやいや、別に深い意味はないって。たださ、広原町にいるって聞いたから、もしかして暇なのかなって思っただけ」


 ——なんだ、その言い方は。


 どこか見下したような、からかうような感じがする。


 けど、腹立たしいやり取りを続けるのも面倒になってきた。


 こうなりゃ、とことん卑屈になってやる。


「いや、まあ、そうだけど。金もなくてな」


「気にすんな、俺が奢るし。明日なんかどうだ?  広原駅前で19時に待ち合わせで」


「ごめん、明日はちょっと」


「そっか。就活中だもんな。明日も面接か?」


「まあ、そんなとこだ」


「‥‥‥じゃあ、また日を改めて連絡するわ!」


 そう言うと、大谷は「近いうちに、きっと」と言い残し、電話を切った。


 大谷‥‥‥?


 正直、顔すら思い出せない。


 同じゼミにいたような気はするが、話した記憶はほとんどない。

 卒業してから五年、連絡なんて一度もなかった。


 それが今になって、なぜ?


 「近くに引っ越すから」なんて理由で、わざわざ電話してくるものか?


 そもそも、僕がこの町に住んでいることを、ゼミの同窓会で誰が話したというのか。


 ——嫌な予感しかない。


 僕は窓を開け、ベランダに出て煙草に火をつけた。


 街灯の少ない田舎町には、闇に沈んだ静かな夜景が広がっている。


 10月だというのに、夜の9時を過ぎても蒸し暑い。


 テレビで「今年はまだ暑さが続く」と言っていたのを思い出す。


 人気のない街の夜は、ただ見ているだけで、不安をかき立てられる。


 ——簡単な仕事すら勤まらなかった自分に、今さら何ができる?


 暗闇の中、自分の存在がじわじわと溶けていくような気がした。


 ——まあ、いい。


 煙草を深く吸い、思いを振り払うようにゆっくりと煙を吐く。


 考えたところで、どうにかなるわけでもない。


 どちらにせよ、明日会社に行ってから考えよう。



 その夜、見慣れたはずの街並みが、まるで別の街のように見えた。



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