第37話 ミスリルだから
総一郎がニヤリと笑いながら手招きしている。
ガラスに施された結界に、よほどの自信があるのだろう。
恐れや警戒心など微塵も感じさせない、嘲笑混じりの笑み——その余裕が腹立たしい。
さっきまで彼の影に隠れていた武装した兵士たちは、今や堂々と奴の背後に立ち、銃口をこちらに向けている。
指は引鉄にしっかりとかかり、いつでも発砲できる状態だ。
「サブリナ、この部屋の図面は確認できない?」
僕は、目の前で笑う男を睨みつけながら、インカム越しにサブリナに訊ねる。
『悪い。図面ではそこが広い一つの部屋ってだけしか分からない』
「それなら、奴らはどこから入ったって言うんだ! 出入り口はここしかないはずだろ? ちゃんと調べてるのかよ!」
『……悪い。ここからじゃ、それ以上は分かんない……ごめん』
普段の軽口を叩くサブリナらしからぬ、弱気な声が返ってくる。
焦りから、つい彼女に強い口調で当たってしまったことに気づく。
「ごめん。言い過ぎた」
『ううん、大丈夫。こっちでも、もう一度調べてみる』
彼女の短い返事を聞いて、僕は一度大きく息を吸い、乱れた気持ちを静めた。
そんな僕を横目に、ずっと考えこんでいたオフィーがボソリと呟く。
「そうか……もともと、存在しない壁か」
「?」
その言葉に反応し、神戸氏が目を細め、何かに気づいたようにパチンと手を打ち鳴らした。
「なるほど、このガラス自体が魔術障壁だという事ですか」
「やっと気づいたかよ。だが、判ったからって、そっちからは何もできんだろう。神戸家当主様」
目の前の神戸総一郎が、無駄に挑発的な口調で言い放つ。
こちら側の神戸氏は彼の言葉に軽く目を細めながら答えた。
「ほー、私の事をご存じでしたか‥‥‥」
「知ってるとも。歴代当主の中でも群を抜く術の使い手だそうだな。こう見えても、俺にも神戸の血が流れてるもんでね。風の噂ぐらいは入ってくる」
「血ですか……あなたのような人に、たとえ少しでも同じ血が流れていると思うと、ゾッとしますね」
神戸氏は皮肉を込めて肩をすくめて見せる。
総一郎は顔を歪め、ケッと吐き捨てるように短く笑った。
「そもそもいいのか? 国家権力が一企業に肩入れするなんて、国による利益誘導だろ! 日本じゃそれが許されるのか?」
「人の手首を切ってまで盗みを働くような国に、そんなことを言われたくはありませんね。我が日本国は、犯罪者に襲われた善良な国民を守る義務がありますから」
「国民? 笑わせるな! ミスリルなんてわけの分からんもんを持ってる奴が、善良な国民だとでも?」
——ミスリル?
まさか……僕が知らない間にミスリルを持ってたのか!?
「どうやらご本人は、これがミスリルだとは知らなかったらしいな」
総一郎は嘲笑を浮かべながら、手に持ったブレスレットを軽く放り上げる。まるでボール遊びでもしているかのように、何度もポンポンと宙に浮かせた。
怒りで鼓動が跳ね上がるのを感じる。
「それにしても、いくら希少金属だからって、こんなもんに大金払ってまで欲しがるなんて、スポンサーも、よっぽど物好きだよな」
そう言って奴はブレスレットを高く放り上げた。
その瞬間、ブレスレットから叫び声が聞こえた……気がした。
「やめろ!」
そう叫ぶ僕の腕を、オフィーが掴む。
そして、「下がれ」と、短く言うと、僕を後ろに下らせ、自分は一歩前へ進み出た。
「ハッ! いいじゃないか。そこの抜け作はそのリングの本当の価値を分かっちゃいないようだしな」
——抜け作って…。
オフィーは肩に担いでいた剣をビュッと斜め下に振り下ろし、堂々と胸を張って僕の前に立つ。
「お前みたいな下衆がリングに触れるのも腹立たしい。とっととそれを返せ」
「勇ましいねぇ、スエットの姉ちゃんは。美人だし、俺好みだぜ。もっと喋っていたいところなんだが、そろそろ面倒になってきたんでね、これで終わりにしようや」
奴はおもむろにポケットから拳銃を取り出し、迷いなく引き金を引いた。
——ヤバイ!
パン! と軽い発砲音が鳴り、奴の銃口がわずかに跳ね上がる。
その瞬間、弾丸が目の前のガラスに止まり、宙に浮かんだかのように見えた。そして、ズリズリと進み始め、次の瞬間にはすり抜けた。
「くっ!」
オフィーが瞬時に剣を振り、ギン! と鋭い金属音が響く。
剣の刃に弾かれた銃弾が床に転がり落ちた。
——あっち側からは撃てる‥‥‥のか。
「ほぉ、すげぇな姉ちゃん。お前、こっちの人間じゃねぇな。気に入ったぜ。何て名だ?」
「安全な場所から能書き垂れるような奴に名乗る名はない」
「そ。じゃ、もういいや」
総一郎はフンと鼻で笑い、「やれ」と後ろの兵士たちに命じた。
兵士たちが一斉に銃口をこちらに向け、発砲する。
タタタタッ!
オフィーは僕の首を掴んで床に押し倒す。
「伏せろ!」
弾丸は、先ほどと同じようにガラスの表面で一度動きを止め、次の瞬間にはこちら側に飛んできた。
しかし、オフィーの剣が閃き、斬撃が放たれるたびに銃弾は吹き飛ばされていく。
横を見ると、神戸氏もすでに刀を抜き、放たれた弾丸を一つ残らず斬り払っていた。
‥‥‥ポタリ。
オフィーの腕から真っ赤な血が流れ、床に滴り落ちる。
——当たった?
「オフィー、腕が!」
思わず叫ぶ僕を、オフィーは片手で制した。
「こんなもんは擦り傷だ」
そう言って振り返る彼女の目は、変わらず冷静で鋭い。そして次の瞬間、再び前を向き、迫りくる銃弾を斬撃で弾き返しながら指示を出してくる。
「いいか、今から私が言う言葉をそのまま繰り返すんだ。間違えるなよ」
その声には、有無を言わさぬ力強さがあった。僕はこくりと頷き、彼女の言葉を待つ。
『大樹の守護者たる森川裕一の名において命ずる』
オフィーが叫ぶ。僕も彼女に倣い、大声で叫んだ。
「大樹の守護者たる森川裕一の名において命ずる!」
『悠久の森に宿りし魂よ、我が契約に応えし守護者よ!』
「悠久の森に宿りし魂よ、我が契約に応えし守護者よ!」
『今こそ封印を解き、我が力となれ!』
「今こそ封印を解き、我が力となれ!」
オフィーは再び振り返り、僕の目を見据えながら、一語一語を噛み締めるように力強く言った。
『 「その姿、ここに顕現せよ!」 』
瞬間——。
眩い光がフロア全体を包み込む。
視界を奪うほどの強烈な輝きに、一瞬、何も見えなくなる。
けれど、その光には不思議と温かさが宿っているようで、恐怖はまったく感じなかった。
何かが変わる——そんな予感と共に、僕は光の中心に立つオフィーの背中を見つめていた。
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