第28話 ピンク亭惨劇②
こいつ、二日続けて現れるとは‥‥‥。
「やあ、森川! 偶然だね」
——しらじらしい。
「大谷……いや、大谷じゃないだろ? お前いったい、誰だ?」
「やだなあ。同じゼミだった大谷だよ。覚えてないの? 傷つくなあ」
馴れ馴れしく肩に手を置いてくるその男。だが、その笑顔が不気味すぎて、逆に寒気がする。
「悪いが、覚えてない」
僕は肩に置かれた手を振り払った。
「冷たいねえ。電話もしたじゃないか」
そう言いながら、男は僕の左手首を掴んだ。
次の瞬間、彼が低く小さな声で、何かを呟いた。
途端に、手首から赤い光が走った。
現れたのは、見たこともない魔法陣のようなサークル状の模様。
「うわっ!?」
突然、焼け付くような鋭い痛みが手首を襲う。
反射的に腕を引いたその瞬間——
ぼとり。
何かが地面に落ちる鈍い音がした。
——今の音、なんだ……?
恐る恐る視線を落とすと、そこには僕の手首が転がっていた。隣には、銀色のリングが鈍い光を放っている。
——ヒッ! て、手が……!
衝撃と痛みに膝をつき、車にもたれかかる俺を横目に、男はリングを拾い上げ、満足げに微笑んだ。
「悪いね、森川。このリング、もらっていくよ」
それだけ言い残し、男は軽く手を振って横に停た車に乗り込む。
エンジン音が響き、車が走り去るのを僕はただ見つめるしかなかった。
視界がぼやける中、頭に焼き付いているのは、大谷モドキの冷笑と遠ざかる車の赤いテールランプだけ。
覚えているのはそこまで。
僕の意識はプツリと途切れた。
——シャットダウンだ。
▽▽▽
意識が戻る瞬間なんて一瞬だ。
気がつけば見知らぬ天井が……なんてお決まりの感慨すら湧かない。
何より、まず確かめるべきことがあった。慌てて左手に目を向ける。
「手、‥‥‥ついてる」
心底ほっとした。
指を動かし、何度も握ったり開いたりする。感覚も普通にある。
でも……確かに、僕の手首は切られたはずだ。
血の匂い、焼け付くような痛み……全部、覚えている。
「気が付いたか?」
不意に耳元で声がした。
驚いて声の方に振り返ると、そこにはオフィーリアが立ち僕をじっと見下ろしていた。
その顔はどこか呆れたようでもあり、少しだけ安心したようにも見えた。
周囲に目を向けると、そこが巨大な樹の根元らしき場所であることに気づく。
地面は湿っていて、足元には細かい苔や木の根が絡み合っている。
見上げると、枝葉が頭上を覆っている。
——ここは……大樹の部屋か?
考えを巡らせ混乱する俺をよそに、オフィーリアは隣に胡坐をかいて座り込み、何やら面倒くさそうな表情で俺を見つめる。
そして、僕の左手をちらりと見ながら口を開いた。
「お前は手首を切られてここに運ばれた。よかったな、くっついて」
——手首を、くっつけた?
信じられない思いで、左手首をさする。試しに指を動かし、何度も握ったり開いたりしてみる。
感覚はある。痛みもないし、違和感もない。だが、どうやって……?
あの時——確かに僕の手首は切り落とされ、地面に転がった。
噴き出す血の臭いと、自分のものとは思えない切断面の映像が頭に焼き付いている。
オフィーリアは僕の動揺を他所に、無言で人差し指を上に向けた。
その先を目で追うと、頭上に広がる大樹の太い枝が目に入る。
葉が揺れる中、一本だけ不自然に切られた枝が視界に入った。
「大樹の枝を……折った?」
僕が呟くと、彼女は軽く首を振った。
「折った、じゃない。大樹の枝を切って触媒にして手首を繋げたんだ。それ以外に方法がなかった。特殊な呪詛もかかってたしな、そのまま放置していれば、手だけでなく命も危なかった」
——呪詛? あの魔法陣みたいのか?
僕は再び左手首に視線を落とす。
切られた痕跡を探すが、見つからない。
どう考えても、元通りの腕だ。
「触媒っていうのは、大樹の力を媒介にして、お前の腕を癒すためのエネルギーを引き出す手段だ。理解できないかもしれないが、まあ、そういうことだ」
オフィーリアは説明を終えると、肩をすくめた。
僕は再び頭上を見上げる。
その枝は、切れた部分から淡く脈動する緑の光を放っているように見えた。
まるでそれは、僕に「大丈夫か?」と声を掛けてくれているようでもあった。
オフィーリアは深く溜息をつき、少し呆れたような声で言った。
「大樹の枝を切るなんて普通じゃあり得ないことだぞ。それを許したセーシアに感謝するんだな」
僕は何も言えなかった。
ただ左手を握りしめ、その感覚を確かめ続けるしかなかった。
「僕はどうしてここに‥‥?」
「ここに運ばれてすぐに、治療して手はくっついても目を覚まさないから、そのままここに寝かされていたんだ」
そう言って、オフィーリアは大樹を愛おしそうに見上た。
「何しろ大樹のもとが一番効果があるからな。とはいえ、そのあと丸一日、目を覚まさないものだから、みんな心配していたぞ」
——丸一日、ここで眠っていた!?
僕も思わず、オフィーと一緒に大樹を見上げていた。
「しかし、貴様は油断しすぎだ。あっさり腕を切られるとは、あまりに情けない」
——そりゃ普通、腕を切られるなんて思いませんて。
「梢社長たちは?」
なんとか話題を変えようと尋ねると、オフィーリアは肩をすくめた。
「今はサブリナと一緒に犯人探しに出ている」
——犯人? 大谷モドキを……。
その瞬間、記憶が蘇り胸の奥から怒りと悔しさがこみ上げてくる。
何もできず腕を切られた自分に、そしてあの笑みを浮かべた奴に——。
「あいつ! 僕の腕を切りやがって!」
感情に任せて声を荒らげた瞬間、後頭部に衝撃が走る。
「うるさい!」
オフィーリアに思いっきり頭をはたかれ、思わず顔をしかめる。
「お前の腕なんかどうでもいい! 本当に問題なのは守護精霊のリングの方だ! 奴はそれを奪っていったからな」
「守護精霊……って、ブレスレットのことですか?」
記憶の中の銀色のリングを思い浮かべながら尋ねると、彼女は鋭い目をして頷いた。
「いいか、自分の守護精霊を奪われるなんて最低最悪の恥だと思え! ま、今回は特殊な呪文が使われたらしいがな」
「いやでも……守護精霊を守るって、それおかしくないです?」
思わず反論すると、オフィーリアは苛立ちを隠さずに声を張り上げる。
「守護精霊を守れない奴を、精霊たちが守りたいと思うか? お前が危機感を持たない限り、守られる資格なんてない!」
「そもそも僕は被害者で……」と小声でぼやく僕を、オフィーリアが怖い目で睨む。
「黙れ! 四の五の言う前に精霊を守れるくらいには強くなれ。それができなきゃ二度目はないと思え!」
そう言い放つと、オフィーリアはスッと立ち上がり、僕を見下ろす。
「ついてこい! 少しは役に立つ訓練をしてやる」
オフィーリアは勢いよく立ち上がると、大剣を肩に担ぎ小屋の方へと足早に向かっていく。
僕はその背中を見つめ、小さく息を吐いた。
——なんで怒られるんだ……。こっちが被害者なのに。
訳も分からないまま立ち上がった僕に、オフィーリアの鋭い声が飛ぶ。
「急げ! さっさと来い!」
彼女はそう言うやいなや、小屋の扉を乱暴に開け、中に消えていく。
慌てて追いかけ、扉をくぐった瞬間、息を呑んだ。
目の前に広がるのは薄暗い洞窟——。
仄かな灯りが壁面に揺らめき、土壁が湿った匂いを放っている。
足元にはごつごつとした岩が散らばり、踏むたびに砂利が微かな音を立てた。
天井からはツタが垂れ下がり、光苔が淡い光を放っている。
——嘘だろ、小屋に入ったはずなのに……。
振り返ると、もうそこに扉はなかった。ただ黒々とした洞窟の壁が続くだけだ。
軽い眩暈を覚えつつ、前を見ると、先を行くスエット姿のオフィーリアが見える。
彼女は公園を散歩すかのように、前を歩いている。
「オフィーリアさん!」思わず声を上げた。「ここは一体……」
彼女は足を止めずに振り向きもせず、無造作に答える。
「オフィーでいい。ここはお前たちが言うところの“ダンジョン”だ。」
——ダンジョン!?
「ダンジョンって、あのダンジョンのことですか?」
「“あの”かどうかは知らんが、ダンジョンだ」
さらりと答える彼女は迷いなく洞窟の奥へと進んでいく。
僕が動揺して立ち止まっていると彼女が不意に足を止め、どこからともなく剣を取り出し、俺に向かって放り投げた。
「おわっ!」
慌てて受け止めると、ずっしりとした重みが手に伝わってくる。
「貴様の背丈なら、それがちょうどいいだろう。」
手の中の剣を見ると、使い込まれた剣だった。微かに刃こぼれもあるが、それでも十分な殺傷力を感じさせる。
一方で、オフィーリアは朝見た大剣を軽々と肩に担いでいる。
「準備はいいな?」
そう言いながら、彼女はその大剣を軽く振り下ろしてみせた。そのひと振りだけで、洞窟内の空気が振動し、風圧が僕の髪を揺らす。
「さあ、一丁、魔物狩りと行こうじゃないか」
オフィーリアはそう言うと、洞窟の奥からかすかに聞こえる獣の唸り声に目を向けた。
「……僕にこれを使えって?」
問いかけを無視するように、彼女は一歩先へ進んだ後、冷ややかに振り返る。
「貴様にできるかどうかは……、分らんがな」
オフィーはニッと笑い、僕を挑発する。
「自ら進むべき者のみに、その光は与えられん…だ」
そう言って、オフィーリアは再び歩き出した。
その背中を追いながら、僕は剣を握りしめる手に力を込めた。
——とはいえ、スウェットでダンジョンに来るなよな!
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