第26話 この人だーれ?
次の日、7時に目が覚めた。
このところ、ずっと朝が気持ちいい。
昨日はドロドロに疲れきって、目覚まし時計をセットするのも忘れ、服のままベッドに倒れ込んだはずなのに、不思議とすっきりした気分で目が覚めた。
シャワーを浴び、パンを齧りながら会社に向かう。
事務所に入ると、すでにサブリナがPCに向かって何か作業していた。
声をかけても生返事だけで、モニターに釘付けだ。
僕はそのまま、大樹の部屋へ足を運んだ。
ガラスドームで覆われた空間は、今も清廉な朝の空気に包まれていた。
その空気を胸いっぱいに吸い込み、軽く大樹にお辞儀をする。
特に意味があるわけではないけれど、自然とそうしたくなった。
教わった通り、香草の葉を一枚ずつ丁寧に摘み、パックに詰めていく。
慣れない作業で腰がジンジン痛んできた。
思わず大きく伸びをして、腰に手を当て反らす。
「うーん」と声が漏れた瞬間、視界の端に人影が映った。
振り返ると、スウェット姿の女性が驚いたようにこちらを見ていた。
彼女は背が高く、腰まで届く真紅の髪が目を引く。
西洋人のような整った顔立ちに、金色の瞳は猛禽類を思わせる鋭さがあり、凄みを感じさせる美人だ。
そんな彼女が、どこかくたびれたスウェットを着て、こちらを睨んでいる。
異様な光景に、否が応でも視線を奪われた。
そして何より目を引いたのは、肩に担がれた巨大な剣だった。
まるで映画の中の西洋騎士が使うような、非現実的なほど大きな剣を、彼女は玩具のように軽々と持っていた。
「&~#‘:%*」
——何か、喋った? 外国語?
彼女は眉間にしわを寄せ、訝しげに僕を見たあと、何かに気づいたように小さく頷き、もう一度口を開いた。
「貴様、誰だ?」
凛とした声。まるで高貴な人物が発するような、威厳ある話し方だ。
僕は反射的に姿勢を正し、彼女に向き直った。できるだけ卑屈にならないように気をつけながら答える。
「私は梢ラボラトリーの社員、森川と言います。初めまして……失礼ですが、あなたは?」
「社員? お前がか」
彼女は、僕を値踏みするように目を細め、じっと見つめた。
「ふむ……新人が入ったとは聞いていたが、まさかこんな貧相な男とはな。戦いには向いていなさそうだ」
——いきなりダメ出しっすか。
「悪い悪い。私の名前はオフィー……いや、こっちではその名前じゃないか」
彼女は首をかしげ、少し考え込むと、改めて名乗った。
「剣持陽子だ。この会社の社員として登録されている。普段はロイマール皇国にいるが、昨日こちらに来たばかりだ」
そう言って、手を差し出してくる。
反射的に手を伸ばして握手した。驚くほど硬く、ごつごつした手。
握られた瞬間、圧倒的な握力が伝わってきた。
「まあいい、よろしく頼む」
剣持さんは鼻を鳴らすように短く息をつくと、肩に担いでいた剣を軽々と振り下ろし、そのまま素振りを始めた。
もう僕のことなど視界に入っていないらしい。
——ロイマール皇国? どう考えてもこっちの人じゃないよな。
僕はしばらく剣を振る彼女を眺めていたが、その集中力に圧倒されるばかりだった。
興味を失われたと悟り、静かに場を離れ、事務所へと戻ることにした。
事務所では、相変わらずPCとにらめっこするサブリナと、その横で暇そうに覗き込んでいる梢社長の姿があった。
「おはようございます」
社長に声をかけると、「おはよー」と元気な返事が返ってくる。
僕は自分の席に座り、摘んできた香草の籠を机の上に置いた。
それを見るなり、社長がパッと顔を輝かせた。
「摘んできてくれたのね、ありがとー!」
籠の中を覗き込み、「うん、上手にできてる! 上出来上出来!」と笑顔を見せた。
僕は、さっき会った女性について社長に尋ねた。
「さっき、大樹の部屋に剣持陽子さんという女性がいたんですが、あの方も社員なんですか?」
「あらー、もう会っちゃったんだー」
梢社長は楽しそうに笑った。
「彼女はねー、去年、社員ってことになった人なの。すごーく強いんだよー。こうやって、エイエイ!って魔物をバッサバッサ倒しちゃうの!」
彼女は嬉しそうに、剣を振る真似をしながら説明する。
——エアー剣戟っすか?
「異世界の人ですよね?」
「そうそう! あの子、そう言ってた?」
「ロイマール皇国から来たって言ってました」
「うんうん! あれでね、実は彼女、公爵家のお姫様なんだよー。今は冒険者やってるけどね!」
——お姫様!?
「めっちゃ強いよー! 特級冒険者なんだ!」
「特級って?」
「冒険者のランクだよ! ロイマール皇国では5級から1級まであって、それより上が特級! 特級はね、ドラゴンスレーヤーの称号持ちだよ!」
——ド、ドラゴン!?
「ドラゴンを倒したら、ドラゴンスレーヤーの称号と特級冒険者の名誉がもらえるんだって!」
社長はさらにエアー剣戟を繰り出しながら、軽快に説明を続ける。
ただ、彼女は当然のように話を進めるが、僕は異世界の事情なんてほとんど知らない。
聞くたびに飛び込んでくる新情報に、頭がついていかない。
「えーと、異世界には……本当にドラゴンなんているんですか?」
恐る恐る訊ねると、社長はピタリと動きを止め、まじまじとこちらを見た。
「あれ? 昨日の夜、神戸君がいろいろチクったって聞いてたから、知ってるのかと思ったよ?」
——チクったって……。
「異世界にはね、いろんなモンスターがいるの! 中でもドラゴンは最強クラス! 今度、見に行こっか?」
にっこりと笑う梢社長。
——勘弁してください。
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