第23話 神戸氏、語る①
神戸氏はコップに手を伸ばし、水を一口飲むと、「少ししゃべりすぎましたね」と照れくさそうに笑い、ふっと息を吐いた。
ちょうどそのタイミングで、詩織さんが唐揚げ定食を手に部屋へ入ってきた。
彼女は手際よく料理を並べながらも、始終、心配そうに僕の顔をうかがっていた。
最後に、ナフキンに包まれたフォークをそっと手渡してくれる。
そのナフキンを広げると、そこには―― 『なにかあったらスグ呼んでね』と、走り書きがしてあった。
「ありがとうございます」と小声で礼を言うと、詩織さんはホッとしたように微笑み、「ごゆっくり」とだけ言い残して部屋を出ていった。
僕らのやり取りを知ってか知らずか、神戸氏は「おいしそうですね」と言いながら唐揚げをひとつつまみ、嬉しそうに頷いている。
その様子を見て、僕も少しずつ箸を動かし始めた。
「そんなに緊張なさらないでください」
神戸氏が微笑みながら言う。
「せっかくの料理が台無しですよ。それに、先ほども申し上げましたが、私はあなたに危害を加えるつもりはありません。むしろ、今の状況では私は“弱者”で、あなたが“強者”なのですから」
そう言いながら、神戸氏は箸で唐揚げをつつきつつ続けた。
「正確には……梢ラボラトリーの社員である森川さんが、ですが」
——僕が強者? どういう意味だ?
「納得いっていないようですね。よろしい、説明しましょう」
そう言って神戸氏は箸を置き、背筋を正した。
「その前に、私からいくつか質問させてください」
「……どこまでお答えできるか分かりませんが……はい」
多少の不安はあったが、答えないわけにはいかなかった。
「大丈夫ですよ。できる範囲でお答えいただければ」
そう言って、彼は笑みを浮かべたが、その目は一切笑っていなかった。
「森川さんは、梢ラボラトリーに正式に入社されたのですか?」
——これ、答えちゃって大丈夫かな?
でも、嘘をついてもたぶん無駄だ。正直に答えるしかない。
「はい。本日、正式に入社しました」
「梢社長とは面識があったのですか?」
「いえ……ハローワークで初めてお会いし、その場で声をかけていただきました」
「それだけ? それが初対面?」
「はい。それだけです」
僕の答えに、神戸氏は小さく頷き、さらに真剣な顔で姿勢を整える。
「実は三日前、とんでもないニュースが飛び込んできました。その話は、私たちの同業者や一部の諜報機関の間で瞬く間に広がり、世界中で大騒ぎになったのです。おかげでこの三日間、私は寝不足ですよ」
そう言って、彼は芝居がかったため息をついた。
「そのニュースとは――梢ラボラトリーに、現地社員が入社したという話。そしてその社員というのが、森川さん……あなたです」
——え! ……僕のこと?
「それからというもの、大騒ぎです」
神戸氏は肩をすくめて言った。
「『その森川という男は、本当にこの世界の人間なのか?』『普通の人間なわけがない。では、何者なのか?』『何が狙いなのか?』……そんな疑問が、次々に浮かびました」
「で、それを調べてて寝不足になったと?」
僕が恐る恐る口を挟むと、神戸氏はふっと笑みを浮かべた。
「その通り。調べていくうちに、本当に“普通”の男性だということが分かってきました。それはそれで、別の意味で厄介でしたけどね。あなたのご家族やご友人もすべて調べ上げ、余計な混乱が及ばないよう手を打ちました」
「それって……どうしてですか?」
「万が一、森川さんのご家族やご友人に何かがあれば——それこそ、梢さんからの報復が怖いじゃないですか」
——報復……なにそれ、怖い。
「幸いだったのは、あなたの交友関係が——ええ、非常に狭かったことです。おかげで手間が省けました」
——それ、僕のボッチ生活が世界規模で暴露されたってことだよね?
「本当に助かりましたよ!」
神戸氏は豪快に笑った。
僕は彼を睨みながら、心の中で誓う。
——この恨み、忘れるべからず。本気で報復してやる……。
「さて、次に問題となったのが、森川さんがどうして入社することになったのか——そして、森川さん自身が梢ラボラトリーについてどこまで知っているのかという点です」
なるほどね‥‥確かにそれは気になる。
「単純に森川さんご本人に直接お聞きするのが一番早いのですが、もしも森川さんが梢ラボラトリーの“本当の姿”を知らなかったとしたら……こちらの不用意な発言が事態を悪化させかねません。いわゆる藪蛇です」
そう言って、神戸氏はにこりと微笑んだ。
——そりゃね。異世界人が社長の会社に、普通は入社しないし。
「結果的に、森川さんが梢社長が異世界人で、エルフであることを知っていると判明しました。今朝の出来事のおかげでね」
——ああ、ハイ。大谷モドキとのことですね。
「あの時の梢さんの発言には、私も思わず笑ってしまいましたよ。さすがですね」
そう言う神戸氏を見つめながら、僕は梢社長の姿を思い出す。
——もしかして、こうなることまで見越して……いや、ないない。
「さて、森川さんが最低限の事情をご存じだと確認できました。であれば、今度は梢ラボラトリーの“真の姿”を理解していただく必要があります。それが、私の目的です」
「でも、僕自身はまだ会社のことをほとんど知りません」
「でしょうね。」神戸氏は軽く頷いた。
「もし知っていれば、入社されなかったかもしれませんから」
——やけに直球だな、この人。
「まあ、ともかく。ご自身が入られた会社について、きちんとご理解いただいたほうがよいかと思います」
彼はコップの水を一口飲んで、続けた。
「最初に申し上げたとおり、我々は貴方たちの会社の敵ではありません」
「はい。」
僕は小さく返事をする。
「かといって、味方でもない」
神戸氏の視線が、急に冷たくなった。
「私たちの組織は、日本政府に属する機関です。その設立は千年以上前に遡ります。」
彼はやや身を乗り出し、真剣な表情で続けた。
「その目的は――脅威となり得る異世界勢力に対処すること。そして、森川さんが入社された梢ラボラトリーも、我々にとっては“対象”なのです」
——脅威? 梢ラボラトリーが?
「考えても見てください。最新の技術ですら不可能な結界を張る技術。そんなもの脅威以外何物でもありません」
彼は一呼吸置いて続けた。
「梢ラボラトリーは庇護される存在ではありません。我々が束になっても、その存在を消すことなど到底できない脅威そのものです。近代兵器など、彼らの魔法という力の前ではまったく無力です」
そう言うと彼は、僕の左手にはめられたブレスレットを指差した。
「仮に私が森川さんに手を出そうとすれば、その腕輪によって、一瞬で消滅させられるでしょうね」
彼は微笑みながら言った。
僕は思わず、自分のブレスレットを見つめる。
——マジか! そんな恐ろしい兵器だったのコレ!
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